第50話 リリア皇妃の秘密
赤く燃え上がりそうな夕暮れの太陽がしげしげと大地の中へ美しく沈みかけていた。
(パカラッパカラッ)
黄金色に華やかに塗られた馬車は、速いスピードで青い小麦畑のそばを横切った。
窓の外をぼんやりと眺めていたリリア皇妃は、ふと自分の幼い頃の記憶が走馬灯のように頭をよぎった。
病色が濃い青白い顔、青ざめた青色の薄い唇、いつも誰かを懐かしむような目つき…。時々虚空によくぼんやりと視線を向けた自分の父ネスター公王を思い出した。
リリア皇妃の母親であるアンジェラ公妃は、そんな自分の夫を大変軽蔑し、嫌がった。
ネスター公王が前婚約者を非常に懐かしんでいることをよく知っていたからだった。
リリア皇妃は幼い頃から母親のアンジェラ公妃の無視と冷遇を受けながら育った。
アンジェラ公妃の気に入らない日には、リリア皇妃は拷問のようなひどい体罰を受けなければならなかった。
いかに巧妙な虐待をしているかを彼女の顔と手足のような目に見えるところは決して殴らなかった。
華やかな公女のドレスを脱ぐと、体の隅々にあざが消えない日はなかった。
リリア皇妃が毒に手を出し始めたのは、自分の母親アンジェラ公妃が原因だった。
初めて、彼女が作った下剤を誰にも内緒でアンジェラ公妃がよく飲むコップに入れた。
そのお茶を飲んだアンジェラ公妃は、一晩中トイレを行き来しながら非常に苦しんでいた。
それがあまりにも痛快で面白すぎて、ますます深く毒術にのめり込んでいくうちに、わずか11歳の年に彼女の毒術の実力はこの大陸で太刀打ちできる者がいなくなった。
妻に軽蔑のまなざしと無視されたネスター公王は、それでも一人しかいない娘のリリア皇妃にはとてもよくしてくれた。
時間があるたびに、彼女を頻繁に抱きしめてあげ、愛していると何度も話してくれた。
父親のネスター公王の暖かい愛と関心のおかげで、実の母親から受ける虐待と冷遇に耐えることができた。
それでも幸せだったリリア皇妃の子ども時代は、11歳になった誕生日を1日残して終わった。
彼女の父親ネスター公王が赤黒い血を吐いてこの世を去ったのだった。
母親のアンジェラ公妃は、まるでネスター公王の死を待っていたかのように、彼の葬儀が終わるやいなや、彼女の叔父のデルターと裁可した。
そしてわずか11歳の幼い時に隣国ベイリオ皇国の皇妃として売れるように嫁ぐことになった。
リリア皇妃は窓の外を見ていた視線を収め、しばらく両目を閉じた。
苦い彼女の過去がまさに昨日のことのように生々しく感じられた。
「ウォオオ」
のんびりと走っていた馬車が目的地に到着したのか道端で止まった。
リリア皇妃は閉じていた両目を開け、自分のそばに座っている女中長ローレンを眺めた。
ローレン夫人が先に馬車から降りた後、黒い網手袋をはめたリリア皇妃のきれいな手を慎重に握った。
ほのかに輝く黒いドレスに黒い花が華やかに飾られたベール帽子をかぶったリリア皇妃が馬車から降りた。
彼女が到着したのは人通りの少ない静かな森の中だった。
「リリア皇妃様。私について来てください。足下に気をつけてください。倒れるかも知れません」
『はい、分かりました。ローレン」
(ザクザク、ザクザク)
リリア皇妃はローレン夫人について森の深いところに入った。
しばらく歩いていると、静かな森の中にとてもよく馴染んでいる旧寺院跡が現れた。
青緑色の苔が生えた数十の石段が見えたが、すごく古い遺跡のような雰囲気だった。
リリア皇妃とローレン夫人は、多くの苔が生えた石段を軽やかに登った。
数十の石段を登ると歳月によって崩れ壊れた遺跡のような寺院が目の前に現れた。
今にも崩れ落ちそうな斜めの大理石の柱が互いに寄り添ってすれ違っていたが、似た大理石の柱がいくつかもっと見えた。
リリア皇妃とローレン夫人は大理石の柱を通り過ぎてさらに数歩進んだ。
そして森の外では絶対想像もできなかった広々とした平野が彼女たちの前に現れた。
(ヒューヒュー)
冷たい秋風がリリア皇妃の黒いベール帽子をそよそよと振りながら通り過ぎた。
広い平野の中央には、大きな岩のような長くて黒い石が2つ並んで建っていた。
「あれが、例のあれですか?」
『はい、そのとおりです。降りてみますか?リリア皇妃様?」
「はい。ここまで来たのですが、直接見ないとね」
リリア皇妃はロレーヌ夫人に仕えられて、優雅な歩き方で広い平野を横切って歩いた。
「フッ、ここに18年ぶりに来ますね…」
遠くから見ると大きな二つの岩が並んで建っているように見えた。
しかし、近づいてみると、これまで激しい風雨にさらされたのか、黒い石2つは、今にも割れるように所々ひびが入っていた。
黒い石の周りをゆっくり見ていたリリア皇妃がほのかに微笑んだ。
感傷に浸っている彼女の悲愁に満ちた表情が夕焼けとよく調和してとても美しかった。
リリア皇妃が微笑ましい目でローレン夫人を眺めながら話しかけた。
「ローレン…」
「はい、皇妃様」
「私の父は今、空の中で安らかなのでしょうか?」
ローレン夫人は彼女の質問に答えることができず、深く沈黙した。
リリア皇妃は苦々しい表情でローレン夫人に話した。
「フッ...、本当に愚かな人でした。自分がスエール公国の公王だったが、婚約者を他の人に奪われました。それも自分より身分と地位がずっと低い人にです。フフッ。バカみたいでしょ?」
リリア皇妃の美しい顔に残念な表情が一瞬出てすぐ消えた。
彼女は「フッ」と自嘲的に微笑み、再びローレン夫人に話しかけた。
「婚約者を逃し、私の母と結婚したなら、その未練を早く捨てないと…。そのように一生前、婚約者だけを恋しがったが、血を吐いて亡くなりました。愛がなければそんなこともしなきゃ良かった…。ふっ、私を、この酷い世の中に生れさせました。私の母アンジェラ公妃は叔父さんと再婚するやいなや、隣国、発情した犬に私を売り渡してしまいました。18年も過ぎましたが、今でも私はゲリマン皇帝に踏みにじられて生きていますね」
一滴のスズランのように美しいリリア皇妃の表情がぎくりと歪んだ。
彼女は平野の真ん中で黒石の長い周りをくるくる回りながら話し続けた。
「陛下が私を触るたびに汚い蛇が這う感じがします…。そのままぶっ殺そうかと思いましたが、そんなに簡単に殺したら、私の幼い時代があまりにも可哀想でしょう?フフッ。だからまだ命は救っています。しかし間もなくですよ。早いうちに自ら死にたいほど苦しめてあげようと思います。多分数ヶ月間、体中の臓器と骨が溶ける苦痛を受けながら死ぬと思います…。思っただけでスリルがありますわ。ふふ。あ!私が個人的な話をこの方たちの前でとても打ち明けましたね」
リリア皇妃は濃いほこりで黒っぽい長石を彼女の手で払い落とした。
ほこりを払うと歳月がずいぶん削られたが、見分けられる数字が黒い石の上に現れた。
[デシニーベイク伯爵] [ザリラベイク夫人]
それは一般的な黒い石ではなく、誰かが立てた碑石だった。
リリア皇妃の黒い網手袋に白いほこりがまるで人の白い骨の粉のように濃くついた。
「ここにあなたたちを首を切って埋めた後、今日初めて来ました。とっくに来るべきだったのに…。もしかして覚えていますか?ザリラ夫人…? 私はあなたが捨てたスエル公国の公王の娘、リリアです。奥さんの愛しい娘さんもあなたのもとにお送りしましたが、空の上でよく出会いましたか?フッ…、あなたの娘さんを追い出したくてたまらなかったジェイラル皇后のそばで色々お手伝いしました。これからは夫人のもとに2人の孫たちまで送ってあげようと努力していますが、思ったより簡単ではないですね。ザリラ夫人の孫さんが、少し手強いです。もちろん、私はそれの方が面白いと思いますが」
リリア皇妃がふと頭を向け、徐々に紫と赤の混ざった空をしばらく眺めた。
広範囲の地平線の果てに徐々に沈む太陽は、とても美しくうっとりしていた。
「ザリラ夫人…、これからもう少し努力してみます。ただ最近度々あなたのことが思い出されました。私ももう年を取るみたいです。今度来る時は必ず孫さんの首を持ってきます。それまでさようなら…。ふふ」
リリア皇妃が優雅な身振りで丁寧に礼を尽くし、碑石に別れの挨拶をした。
彼女が優雅に片手を差し出すと、ローレン夫人はその手を取り、馬車に案内した。
(パカラッパカラッ)
馬車はもう深い闇が舞い降りた物静かな道路を速く走り、ベイリオ皇国の皇居に向かった。
夜空に浮かんだ数多くの星の光がきらきらと光っていた。
リリア皇妃は、ぼんやりと窓の外の静かな風景を眺めて口を開いた。
「リベア王国に隠していた花卉業主ゲスティンを奪われたって?」
リリア皇妃の言葉で、ローレン夫人の顔色が青白くなった。
「はい、そのとおりです。皇妃様…、恐れ入ります」
「そして苦労して育てたルースセンの花もすべて燃やされたと…」
「はい…、残念ながらそうなりました。ハエリス公爵がこんなに早く捕まるとは知りませんでした」
ローレン夫人の言葉にリリア皇妃はニッコリと笑った。
「やっぱり、捕り味のある獲物なんですよ。やはりハエリス工作は簡単ではありません。それでも大丈夫です。どうせゲスティンは私たちがくれる解毒薬を飲まなければ数日後に死ぬんですから…」
「はい。それからルースセンの毒草は心配しなくても大丈夫です。すでにこうなると知り、その方が他の所にも温室庭園を作ったんですよ。ゲスティンの弟子たちが仕事が本当にできると思います。すでに我々が必要な量の1/3を生産しています」
ローレン夫人の言葉に、リリア皇妃が大変楽しい表情をしていた。
ハエリス公爵が彼女の尻尾を捕まえたことがかえって面白かったようだ。
「あ!!そうだ。ローレン…、その解毒士は見つかりましたか?正体は何ですか?」
「いいえ、残念ながら見つかりませんでした。ベイリオ皇国の1000以上の情報集団のどこにも、その解毒士の情報を見つけることができませんでした。 率直に言って、私たちでこのような経験は初めてです。リリア皇妃様…」
彼女の言葉にリリア皇妃はにやりと穏やかに微笑んだ。
「ふむ…、そんなにきつく包みたいくらい大切な人なんですか?そうすると、もっと探したいじゃないですか。ハエリス公爵閣下」
リリア皇妃は、ローレン夫人と対話をする途中、窓の外をじっと眺めた。
(ビリビリ)
(ベベ、ベ)
(パカラッパカラッ)
馬車を引く規則正しい馬のひづめの音と静かな夜の街角の草虫の音が秋の夜の趣をたっぷり感じさせてくれた。
「ハエリス公爵閣下。恐らく今日出征したのでしょうね…?フフッ。今度は必ず、その解毒師を探さないといけないのに。今回の事を始めながら、あの方にたくさん怒られました。余計なことをいっぱいやってるんだって。でも、本当に知りたいんです。ハエリス公爵閣下が必死で隠す人が誰なのか本当に気になるんだもの。ふうん!」
***
「ウウウー!!」
「ガオー!!」
不吉な泣き声をあげながら、南側の魔手の森から飛び出した魔手たちが、デルーガ自作の領地の城壁を取り囲んでいた。
兵士たちは絶えず火矢とお湯、岩などを城壁の下に落としながら必死に防御した。
デルーガ領地城の外では、ハエリス公爵が直接率いるベイリオ皇国の2万5千人の騎士団が戦場を駆け巡り、荒々しい魔手を斬っていた。
「クエッ、クエッ!!」
(スーッ)
(ゴロゴロ)
ハエリス公爵は、とても素早い身のこなしで鋭く頭が二つある四つ足で這う魔手を一刀で斬った。
「城を死守せよ! 防御!防御!」
「うわぁぁ!!」
(キンキン、キンキン)
ベイリオ皇国の数多くの騎士と兵士たちが熱心に応戦していたが、南側の国境地帯を大きく包み込む魔手の森に住む魔手たちは、数が減るどころかむしろ増えていた。
騎士たちが阻止できなかった魔手たちが城壁に沿ってよじ登って、デルーガ領地をはじめとする近くの領地に入り、やたらに人々を捕らえた。
(パパ、パッ!)
(ボタボタ、ボタボタ)
ハエリス公爵の顔は、名も知らぬ魔の緑色の血で一杯飛び散った。
魔手の血は、種族ごとに色が違っていたが、ハエリス公爵の甲冑には、様々な絵の具を混ぜたように色とりどりの魔手の血が落ちていた。
彼は一瞬たりとも休まず無慈悲に剣を振り回しながら戦場を指揮した。
それでも今の状況は、彼が到着したばかりの時よりむしろ良くなった状況だった。
南の魔手の森に到着してみると、北の魔手の森で魔手たちと同じように自分の仲間まで食う不思議な行動を見せた。
そのため、エレインが教えてくれたペパーミントキャンディの解毒草を燃やして煙を広めたが、自分の仲間まで食い荒らしながら過激だった魔手が、それでも消えてしまった。
しかし、多くの魔手の群れは、まるで何かにとりつかれたかのように、領地を攻撃することを止めなかった。
高く昇っていた日がいつのまにか南の魔手の森の向こうに徐 と暮れていった。
「ドンドン、ドン!」
「うう、ううっ」
「カオオオ」
デルーガ領地を攻撃した魔手たちが攻撃を一斉に止め、南の魔手の森に戻った。
「はぁ…、た、助かった」
「はぁはぁ、はぁ」
魔手が森に戻ると、多くの騎士が荒い息を吐きながらそれぞれ地面に座り込んだ。
ハエリス公爵と生き残った騎士たちは疲れた体を引きずってデルーガ子爵の城内に入った。
総指揮官テントの中に入ったハエリス公爵は、自分の体につけて重いよろいを脱いでいた。
その時、黄金の鷲騎士団の「ウェル騎士」が彼の兵舎に入ってきた。
「失礼します。ハエリス総司令官様」
ハエリス公爵はよろいを脱ぐ途中で止め、騎士ウェルを見つめた。
騎士のウェルの鎧にはまだらになった数多くの魔手の血が染まっていた。
騎士のウェルは苦悶した表情をしてから、大決心をしてハエリス公爵を見つめながら言った。
「あの…ハエリス総司令官様。いや、主君!本当に真剣に申し上げたいことがあります」
「うん。言っていい」
「私たちが連れてきた解毒師と毒術師たちの実力が…。どうやら以前のあの方よりできないようです。ええ、エレインのお嬢さんです。やはりあの方をお連れしたらいかがですか?」
騎士のウェルの言葉に一瞬、ハエリス公爵の表情が石膏像のように固くなった。
夜に似た漆黒のような彼の黒い瞳に冷たくてうら寂しい冷気が溢れるようだった。
騎士のウェルはハエリス公爵の寒気のこもった視線にしびれる思いがした。
「出て行け」
「はい、はい。わ、わかりました。主、主君」
ハエリス公爵が祝客令を出すと、騎士のウェルは望む返事を聞けないまま、頭を掻きながら兵舎の外に出ざるを得なかった。
「ふう…」
ハエリス公爵は騎士のウェルが外に出ると深くため息をついた。
エレインをこんな危険な場所に来させることは決してできなかった。
彼が思うに、北の魔手の森を解毒したその解毒師を見つけ出そうと、敵がこんな事を起こしたようだった。
ハエリス公爵はもどかしさを心に彼の拳をぐっと握った。
「はぁ…エレイン」
急に彼女、エレインの顔が見たくなった。
深いキスをした後、しばらく遅れて訪ねていった自分に、彼女は何も聞かなかった。
心臓が張り裂けそうに震える心で彼女を尋ねたその日、初めて誰かに無言の慰めを受けている気分になった。
まるで全てを理解しているかのように、優しい目で自分を見つめるエレインを到底愛さずにはいられなかった。
「本当に物凄く会いたい…」




