第47話 線を越えるな、エレイン!
「これでもない。これも」
バルタン侯爵家の一人娘であるセレナは、全身鏡を眺めながら、様々なドレスを選んでいた。
シミ一つない透明な肌に青いエメラルドのような大きな瞳、彫刻のような目鼻立ちは互いに調和していた。
ベイリオ皇国に彼女ほど優れた美人は恐らくいないだろう。
どんな服を着ても美しい彼女が今日に限って何が気に入らないのか顔をいっぱいしかめていた。
「一つも、気に入ったものが無いですわ」
ドレスルームにある100着以上のドレスの中で彼女の気に入ったものは一つもなかった。
全部一度は着ていた服だからか、なんだか手が行かないようだった。
傍で世話をしていた彼女の乳母のヘラは、今日に限って、際立っているセレナを心配そうに眺めながら言った。
「セレナお嬢様!お嬢様はどんな服を着てもすべて美しいですよ!」
乳母のヘラの慰めの言葉にも意味がなさそうで、セレナは深いため息をつきながら言った。
「乳母…。どうやらお父様にお話して新しいドレスを合わせないといけませんね。全てもうすぐ流行が終わる服ですよ」
「はい!スワン執事様に言ってローマン侯爵に伝えて上げます。このごろロマン侯爵様がとても忙しいようです」
「ありがとう、乳母。私の父ながらも、国事には誰よりも一生懸命なんですからね。多分しばらく屋敷に入って来ないようですが。ふむ…、どうしよう。じゃあ、まずスワン執事に前借りをしてもらった方がいいですね」
「はい。かしこまりました。あ!セレナお嬢様。お嬢様が調べてほしいとおっしゃったグレース皇子様の日程表です」
乳母のヘラは綺麗に書かれた紙をセレナに差し出した。
セレナは紙を受け取り、日付とスケジュール表を注意深く確認し、にっこりと微笑んだ。
「どうやら今日グレース皇子宮に行かなければならないようですね。1時間後に馬車をちょっと待機させてください。そして、私の団長を助けるメイドさんを送ってください」
「はい、かしこまりました。セレナお嬢様」
乳母のヘラが彼女の部屋を出てすぐ、セレナに仕えるメイド2人が丁寧に挨拶して入ってきた。
彼女は全てのドレスが気に入らなかったが、せめて肌色を華やかに見せる薄い黄色のドレスを選んだ。
彼女はメイドたちに世話されて着替え、美しく髪を整えたあと薄い化粧をした。
そして、乳母のヘラに仕えながら、侯爵家専用の馬車に乗り込んだ。
(ヒヒーン)
馬がごうごうと鳴き声をあげながら馬車が出発した。
(パカラッ)
セレナは、ぐらぐらする馬車の中でじっくり様々な考えをした。
本当にとんでもない考えだが、ハエリス公爵が公爵家のメイドだったエレインを「穴が空くほど」見つめたのがとても気になった。
ところで、また先日の花火大会でカルロス皇太子がエレインに関心を持っているような気がした。
⦅あり得ないわ。まさか…⦆
セレナは自分の感が確実に間違っていると思った。
なぜなら、エレインのすべてが自分と比べ物にならないほどずっと下だったからだ。
客観的に見て、自分は誰もが一度会ったら忘れられない美人だったが、エレインは自分と比べてやや平凡だった。
もちろんエレインが不細工だというのではなく、彼女と比較するとやや平凡な外見という考えだった。
また家門を比べても、彼女はベイリオ皇国の800年も超えた由緒ある侯爵家出身だが、エレインは親も兄弟もいない孤児出身だった。
今はグレース皇子の保母の役割をしていても、近いうちグレース皇子が成人式を行った後は、進退が不明になる女だった。
彼女は自分よりかなり劣ったエレインのせいで最近一日中気分が優れなかった。
楽しくしていた救恤奉仕も、最近は興味がなくなり、次第に面倒くさくなってきた。
いくら彼女が献身的に奉仕したとしても、カルロス皇太子とハエリス公爵の好感は目に分かるくらい失墜したようだった。
何か二人の目にとまるような、他の事はないかと思ったが、まだ救護所ほどのものはないようだった。
あれこれ考えているうちに、いつの間にか馬車がベイリオ皇国の皇居に近づいた。
彼女は、屋根ごとに金が光るベイリオ皇居を眺めながら考え込んだ。
⦅次の世代の皇位は誰が上がるのか…?カル?それともハリ?⦆
カルロス皇太子は正統性と能力はあったが、皇位にはそれほど関心がなかった。
しかし、ハエリス公爵は幼い頃から政界を牛耳り、現在ベイリオ皇国を運営するのと同じ権力の実勢だった。
どうやらハエリス公爵が次の次期皇位に近そうだったので、情を深めているうちに、ますます彼を愛するようになった。
その間、カルロス皇太子は数え切れないほど熱い求愛をしてきたが、彼に明確な答えを与えない理由もそのためだった。
しかし、ハエリス公爵は捕まりそうにしながらも、毎回彼女の手につかめずに抜け出した。
彼がそうすればするほど、セレナの心は非常に焦れた。
万が一のことはないが、念のため取り締まりをしなければならないという決心で、今皇居に来たのだ。
ちょうどグレース皇子の日程表を確認してみると、エレインは恐らく皇子宮にいるようだった。
セレナは手鏡を持って自分の美しい姿をもう一度確かめた。
⦅ふっ、やっぱり私は完璧だわ!⦆
地面に墜落していた自信が再び高まったような気がした。
彼女は満足そうな表情で馬車の窓から見える華やかなベイリオ皇居をじっと眺めた。
***
(トボトボ)
私は、リリア皇妃宮のある侍女に見送られ、グレース皇子宮に戻った。
カード占いというのは信じようが信じまいがって言われるけど、なぜか過去の私の運命が何か合っているような気もして、腕に鳥肌が立つような気がした。
今日は、グレース皇子とダルニング皇子が午前からエレルマン市内に遊びに行ったため、時間的に余裕のある日だった。
私は先ほどやっていた花壇の整理をすませるために庭に足を向けた。
その時、グレース皇子宮にもう一人の新しいお客さんがやってきた。
スカートの裾が豊かな薄黄色のドレスを着た美しいセレナだった。
セレナはとてもうれしそうな顔でわたしに近づき、明るくほほえみながら言った。
「エレイン!お会いできて嬉しいですわ。ところで皇子宮にグレース皇子様が見えないんですね…?」
「あ、どうしましょう。セレナ様?グレース皇子様は、ダルニング皇子様と一緒に午前から市内を見物に行きました。お戻りになるまで少し時間がかかりそうです。予めお約束の上、ご訪問いただけましたでしょうか?」
「いいえ、約束はしていません。こうなると知っていたら予め約束をしてくればよかったですわ。うーん。ではエレインさん、もしかして今忙しいことがありますか?」
「いいえ、私は今日1日休むようにアンナ夫人に言われたので、別に予定はありません」
「わあ!とてもよかったですわ!それでは私たちも女性同士で市内見物に行きましょう!」
「はい?」
(パカラッ)
僕は明るい笑顔を見せるセレナの願いを断りきれず、彼女に連れられて馬車に乗ることになった。
これまでカルロス皇太子とグレース皇太子と一緒に馬車に乗って市内に出たことがあったけど、こうしてセレナと一緒に市内を遊びに行くことになって何かわくわくする気持ちだった。
馬車に乗って行く間、お互いに安否を尋ね、話をしているうちに、いつの間にかエレルマン市内のど真ん中に到着した。
「ウォオ」
私とセレナはバルタン侯爵家の使用人たちと離れてエレルマン市内を思う存分見物した。
とても気分が良さそうなセレナが、ふとにっこりと微笑みかけて私に話しかけた。
「エレインちゃん、これから言葉を気楽にしてもいいですか?」
「はい!勿論です。でも私はこれが楽なので…、セレナ様は気楽に話しても良いと思います!」
「分かりました。じゃ、後でもっと親しくなったら、エレインも気楽に話してね。待ってるわ!」
『はい、いいですよ!」
私は私の一押しのヒロイン、セレナと一緒に町のあちこちを歩き回って楽しい時間を過ごした。
彼女と一緒に服屋に寄って服も見たり雑貨店に入って色んな装身具も見たりした。
以前はカルロス皇太子とこのように街を見物してたけど、セレナと市内を見物するのはまた違った気分だった。
どうやら同じ女だからか私の心がずっと楽だった。
「フフッ!君は笑う姿が本当にきれいだね。エレイン!」
突然のセレナの称賛に一瞬私の顔が赤くなった。
前世でファンからよく聞いた言葉だったけど、セレナから聞いてすごく気分がよかった。
私もセレナに明るい笑顔で話しかけた。
「いいえ!セレナ様が、私よりずっと美しいんです」
「フッ!ありがとう!さあ、私たち何を食べに行こうか?うーん...、エレイン! カルの連れどころはすべて忘れて!今日は本当に雰囲気がいいし、素敵なところに行こうね!」
セレナは、市内の中心部にある貴族一族の邸宅のようなレストランに私を連れて行った。
彼女の言う通り、前世の高級イタリアンレストランのような雰囲気のレストランだった。
私はとまどい気分で彼女についていって、お店に入ると店の支配人が屋外テラスに私たちを案内した。
広いテラスにはまるでミニ庭園のように美しい草花が綺麗に育てられていた。
そして高級感溢れる大理石のテーブルと、ほのかな緑のベルベットの椅子がよく整えられていた。
「さあ、ここにお座りください。ご注文の際にはこのベルを鳴らしていただいたらいいです」
レストランの支配人は親切に鐘をテーブルに置いて席を立った。
セレナは明るく微笑んで席に座ることを勧めた。
私は少し戸惑いを見せながら、注意深く座った。
一目で見るにもあまりに高い所へ来たようで私の心が不便だった。
セレナは貴族で、私よりずっと金持ちだろうが、それでも食事代の半分は私が出さなければならないと決心した。
「エレイン!ここは美味しいものが何かというと、このステーキとこのエビ料理なんだ。食べてみる?」
「はい、いいです!セレナ様」
せっかく席に着いたのだから他の所へ移ろうと言えなかった。
私は「避けられなければ楽しもう」が私の人生のモットーとして、どうせならレストランに来たのだから、美味しいものを食べてみることにした。
セレナの積極的な推薦で頼んだ全ての料理は味がよかった。
美味しい料理を腹いっぱい食べた私たちはこの食堂で提供する食後茶を飲むようになった。
「あ!そうだ。私の友達が今度結婚するの」
カップを口元に持っていったセレナは、ふと思い出したのか自分の友達の話を切り出した。
「わあ、本当に喜ばしいことですね」
私は冷たい氷の入った冷茶を一口喉に届けた後、彼女の言葉に相づちを打った。
「ふう。でも、おめでたいことかわからないわ…」
セレナはとても苦々しい表情で自分のコップをそっといじくりながらやっと口を開いた。
「そうだね…、花婿になる令息がお屋敷内のメイドとは深い仲だったらしいよ」
「そ、そうですか?」
彼女の言葉に一瞬私の心はどきりとして何故かぎくりとした気持ちになった。
ハエリス公爵と交わしたその夜の濃い口づけが私の頭の中をさっと通り過ぎた。
硬い表情に気づかなかったのか、セレナは我関せずと自分の言葉を続けた。
「勿論友達は結婚しないと泣きわめいて大騒ぎだったわ。それが、そのメイドが子供まで産んだんだよ!」
セレナの話に耳を傾けていた私はついに固唾を飲み込んでしまった。
話しながら声がかれたのかセレナは冷たいお茶を一口飲んだ。
私はどうしても離れない唇を開けて彼女に尋ねた。
「それじゃ…、結婚は取り消しになりましたか?」
「フッ!!取り消し? 貴族の結婚は家門同士で手をつなぐことなのに、取り消しできると思う?結局その二人は結婚が目の前だから」
「はい、そうですね」
「まあ結婚したら、その二人の夫婦がどうやって生きて行くかは彼らの問題だろうけど、貴族社会ではこういうことがよくあることだよ…。多分、大したことがない限り、お互いを尊重し合いながら、子供を生んで豊かに暮らせると思う」
「ああ。そうですよね」
「そのメイドとそのメイドの子供だけがかわいそうになったよね。家門戸籍にも上がれない私生児になって、一生父の顔も知らずに育つから…。そのメイドも家門で問題を起こしたメイドだから恐らくこの地域では働き口も得られないだろうね」
セレナの話にわくわくした私の気持ちが一瞬で静まる気がした。
なぜかこの席に何気ないふりをして座っているのがすごく不便になった。
何の罪もない茶わんをなでながら、私の両手をどこに置くかわからず、しばらくの間ぐずぐずしていた。
しばらく私たち二人の間には気まずい沈黙が流れているようだった。
雰囲気が少しおかしくなった気がして、私が先にセレナを見ながら口を開いた。
「それでも、子供がいるから、子供のお父さんという方は、子供に対する責任を負わなければならないのではないでしょうか?」
「あら。まだ純粋なんだね。エレイン、うーん…、そうだね。そう考えることも出来るわ!しかし、貴族社会は少し違うのよ。各家門の背景に子供の社会的地位と位置が変わるからね。母親がメイドなのに、子どもの身分的位置はどうなると思うの?父は貴族だけど、子供は貴族の役割は果たせず、中途半端な貴族なのに…。だからか、実のお父さんが 簡単に諦めてたんだって。だから私生児と呼ばれるのさ…。むしろ貴族同士で不倫をして生んだ貴族家の子供たちは身の上がまだましだろう。二人の親の家門で保護をどっちからでも受けることができるからね」
冷たい茶わんを握っていた私の手にはいつの間にか冷や汗がにじんでいた。
「ところが、エレイン。私がこの話をどうして切り出したのか知ってる?」
「はい…?」
私に優しく微笑みながら話していたセレナの表情がまるで別人のように変わった。
「線を越えるなと…。前もって助言してあげてるんだよ」
セレナは私を見つめながら穏やかな笑顔を見せた。
私はばかみたいに彼女に返事もせず、ただぽかんと座っていた。
「もう帰ろう!楽しく遊んでいたら時間が少し遅れたようだね。今日は本当に楽しかった。エレイン…」




