第34話 ライラックの花木の下で
(ピイピイ、ピイピイ)
名も知らない鳥たちがグレース皇子宮の庭で美しく歌っていた。
皇子宮の庭に植えられたライラックの花木の枝に白や紫色の花が見事に咲き誇っていた。
白と紫の花木がよく調和し、まるで水彩画の風景のようでとても美しかった。
ライラックの花木の花は白色、紫色がちらほらと小さく集まっている花だったが、青い芝生の床に落ちた花軸を拾って眺めてみると、見た目が本当に可愛かった。
鋭い嗅覚に小さな花の蜜の香りが鼻先を甘く刺激した。
私はライラックの下で、いたずらに一人でくるくる回りながら、心の中の熱い熱気を抑えた。
さわやかで清い春風に乗って、ライラックの小さな花びらが雪のように舞い降りた。
まるで前世に桜の花びらが風に舞うかのように、その光景がとても美しかった。
私はしばし悩みを忘れて、美しい景色をぼんやりと眺めた。
外の涼しい空気に触れると、私の心の火照りを少し冷ましたようだった。
皇子宮の庭には木のベンチがいくつか備え付けられていたけど、私は床に落ちた木の枝を拾ってベンチに座った。
⦅私はどうやって助かったのですかとハエリス公爵に聞いてみようかな?それとも聞くのやめようかな?⦆
折れた薄い木の枝には、さわやかな青緑色の木の葉がたくさんついていた。
私は木の葉を一枚づつちぎって解答を探すことにした。
「聞く?」
長い木の枝から木の葉一枚を離した。
「聞かない?」
また別の小さな木の葉をはがした。
そうやって無数に質問してはがしてみると、最後の木の葉が残った。
「聞かないでってことかな…」
私は凄く残念な気持ちがしたのでベンチから立ち上がりもう一つの木の枝を探した。
今度は数多くの木の葉がついた太い枝を庭園の芝生の床で見つけた。
私のひじほどの長い枝を持って再び木の葉をちぎり始めた。
「聞く?」
木の枝から木の葉一枚を切り取った。
「聞かない?」
もう一枚の木の葉をはがした。
数え切れないほど繰り返した末、ついに最後の木の葉一枚が残った。
(ヒュー)
清々しくすれ違う爽快な風に、その木の葉がそよそよと舞った。
「今回は聞くと出てきたね…?」
私はとぼとぼした手でその木の枝の最後の一枚をぽつんと離した。
「誰かに何か聞きたいことがあるみたいだな?」
私のすぐ後ろから聞こえてくるハエリス公爵の声に、私はハッと気がついて顔を向けた。
「あっ、ハエリス公爵閣下!」
私は弾けるように席を立って、彼と向き合って立った。
うろたえて慌てて、ハエリス公爵にやっとの思いで話を切り出した。
「ハ、ハエリス公爵閣下。グレース皇子様とのお話はすべて終わりましたか?」
ハエリス公爵はかすかに微笑み、そっと頷いた。
「うむ。グレースと話はうまくいった」
「ああ…。はい。もうお帰りになられるんですね。皇子宮の外にいらっしゃる道はあちらの反対側です。この前に歩いて行って、左に曲がってください」
私は小さく震える私の目つきを懸命に隠しながら淡々と彼に道案内した。
ハエリス公爵はなぜかふざけた表情で私をじっと見つめていた。
そうしているうちに、ふとにっこりと笑って私に微笑みながら口を開いた。
「行く道は私もよく知っている。エレイン。ただ、久しぶりに庭に咲いている花が見たくてこっちに来たんだ」
ハエリス公爵が美しく咲いたライラックの花を眺めながら言った。
ライラックの木と共に立った彼を見ると、前世の素敵なモデルが画報を撮っている現場に来たようだった。
(そよそよ、そよそよ)
さわやかで芳しい花の香りを含んだ風が、私とハエリス公爵の間をよぎりながら爽やかに吹いた。
風の中で、白い紫の花びらがまるで雪のように私たちにパラパラと落ちた。
その風景がとても綺麗で、私とハエリス公爵はしばらく言葉を失って散る花びらを果てしなく見物した。
「本当に美しいな」
ハエリス公爵は私ににっこりと微笑みながら話しかけた。
空から舞い落ちるライラックの花びらを見ながら言った言葉だと分かっているけど、わけもなく私が恥ずかしい気持ちになった。
「はい、とても美しいと思います。あ、ハエリス公爵閣下。私はそろそろ帰ります。楽しい時間をお過ごしください」
私はハッと気を引き締めてハエリス公爵に礼を尽くして挨拶をした。
グレース皇子宮に急いで足を運ぼうとしていた時だった。
その時突然、ハエリス公爵が私を呼び止めた。
「エレイン?」
「はい?」
私は向きを変えてハエリス公爵を怪訝な目つきで見つめた。
ハエリス公爵は腕を組んで私を見つめ、彼のハンサムな眉間をしかめた。
しばらく深く悩んでいた彼が私に口を開いた。
「さっき見た時は何か大きな悩みがあるようだったが」
「あ、はい…」
「失礼でなければその悩みがどんな悩みなのか私に話してくれないか?」
ハエリス公爵の真剣なまなざしに私の口が渇くようだった。
私は彼に首を横に振りながら震える声で答えた。
「い、いえ。大した悩みではございませんので…、そして、おそらく公爵閣下が聞いたら私のことをあざ笑うと思います」
私は固唾を飲み込んでじっと彼を見つめた。
ハエリス公爵の真剣なまなざしがまるで私を射抜くように私に留まっていた。
どうもハエリス公爵が私の本音を聞きたがっているような気がして、少し訝しくなりかけていた頃、再び彼は私に話しかけた。
「絶対に君を笑わないと約束する。誰かに聞きたいことがあるのか?何の悩みなのか分からないが、お互いに話していると意外と簡単に解決するかもしれないから。君が何かを聞きたい人は女か? それとも男か?もしかして周りで君に近付く男がいたのか?」
ハエリス公爵の目つきが一瞬冷ややかに変わり、私は面食らった表情で彼に聞き返した。
「はい…?」
「うーん…、これが悩みではないのか?」
「いいえ…。聞きたい人は男性と言えば男性ではありますけど…?」
ハエリス公爵のまなざしは今にも誰かを殺すようにぎょっとするほど光った。
「ところであの…何か聞きたい人は…ハ、ハエリス公爵閣下なん…ですけど?」
「え?俺?」
私の答えが意外だったのか、ハエリス公爵が殺気をやめ、気になる顔で私を見つめた。
「さあ、気になることがあったら、聞いてみていい。私が答えてやろう」
勇気を出すべきかな?出すべきではないかな?さっき木の葉を取った時答えが半々だったため、私は何を選べばいいかその短い瞬間に数千回悩んだ。
勇気を出すことはとても難しく感じられたけど、大きい勇気を一度出してみることにした。
けれども、いざ勇気を出して話そうとすると、私の唇がブルブル震えて、まるで口の中に接着剤がいっぱい塗られているかのようで、とても口が開けなかった。
ハエリス公爵はベタベタする目つきで私の口が開くのをじっと待っていた。
私は大きく深呼吸をした後、ハエリス公爵に何とか言い出した。
「今日皇室医員局でバルカルン医員にお会いしたんです」
「ああ!そうだったのか…」
「あの時、救恤所で三角ヒトデという薬剤が足りなかったと聞きました。グレース皇子様を生かせる量しかなかったって…」
私の意図に気づいたのか、ハエリス公爵の赤い唇にほほ笑むような濃い笑みができた。
何故かハエリス公爵の顔が赤くなったようだったけど、おそらくそれは私の勘違いだろう。
とにかく、彼が淡々と私の言うことに耳を傾けていたので、私は理解できないことを聞いてみた。
「あの…私が時間を計算してみました。しかし、いくら計算してみたり考えてみても…。今、私が生きていることはありえない事で。それで、それが知りたくて…、もしハエリス公爵閣下に会ったらお聞きしたかったです。私はどうして助かったのでしょうか?」
「......」
ハエリス公爵は意地悪な目でしばらく私の姿を静かに観察した。
私の質問に沈黙していた彼は、そっと微笑んで口を開いた。
「君は……私にペパーミントキャンディーを一粒くれたな。グレースが危急な時に使えと言ったペパーミントキャンディーを。それを使った」
「ああ、そうだったんですね…。ですが皇居とは往復で3日の距離だそうです。その時、私には恐らく半日程しか時間が無かったはずです。私の体の体質のためです。多分時間が無かったはずなんですけど...?」
「うーむ、君が私の邸宅に作っておいたものもあっただろう?一生懸命馬車を走らせて公爵家の屋敷に君を連れていった」
「ああ、どうもありがとうございます。ハエリス公爵閣下…、私の命の恩人でしたね」
私は感謝を込めて深々と頭を下げて、彼に丁寧に挨拶した。
彼は何気ない様子で私の肩を軽くたたきながら言った。
「君は俺の弟のグレースを助けてくれた。本当にありがたく思っている。ありがとう。エレイン」
私はこのハエリス公爵に必ず聞いてみたかったこの言葉を言おうか数えきれないほど迷った。
「あの、ところでハエリス公爵閣下、どうして…、私に薬を…」
私はとうとう彼に一番聞きたかったことを口に出してしまった。
実は、私はハエリス公爵にこれを一番聞きたかった。
いつの間にか私の顔は真っ赤になったトマトのように赤く染まった。
訳もなく言わなければよかったと思えた私は、急に彼に会釈して、背を向けて立ち去ろうとした。
ハエリス公爵は突然、私の片腕を軽くつかんで引きとめた。
私はどうしても向き直らない踵を苦労して返して彼の顔をじっと見つめた。
ハエリス公爵はそっと薄ら微笑みながら私に話しかけた。
「どうしたのかは君が私に直接手本を見せながら教えてくれたんじゃないか?」
私をじっと見つめてくる公爵の執拗な視線に、私の全身が燃えるように熱くなった。
ハエリス公爵はひどく意地悪な表情で私の唇を露骨に見つめながら自分の唇をなでた。
私はハエリス公爵と2人きりで向き合うのが難しくなり、この場をすぐに逃げ出したかった。
「ああ…、はい!公爵閣下。そうだったんですね。わ、私はもう帰ります。あ、ありがとうございました」
私はハエリス公爵の手を振り切って急いでグレース皇子宮に走った。
「ちょっと待て!」
私は立ち止まりにくい足取りでゆっくりと背を向けてハエリス公爵と向き合った。
「グレース皇子の成人式が終わった後、君の進退は決まったか?」
私は小さく震える唇をぎゅっとかんだ。
トマトのように真っ赤になった私の顔を、とても上げる事が出来ず、うつむきながら答えた。
「ああ、いい…え。まだ決まっていません」
「それでは今の仕事が終わったら、再び公爵家に戻ってくれないか。エレイン?」
私はやっとの思いで勇気を出してハエリス公爵をじっと見つめた。
ハエリス公爵がゆっくりと私の方に歩み寄ってきて、いつの間にか私の前に向き合ってきた。
彼の質問に私が答えられないと、ハエリス公爵はにっこり微笑み、私の耳に小さな耳打ちをした。
「君は五日ぐらい倒れていた。解毒剤は1日に1回は必ず飲まないといけないよ。ところが、君が口を固く閉ざしていてね…。その解毒剤を飲ませるのがすごく大変だったよ。エレイン」
ひそひそ話を終えたハエリス公爵は私の唇を露骨にじっと見つめた。
私は彼に何とも答えられないまま、その場でカチコチに固まってしまった。
ふと照れくさそうに見えるかどうか微笑んでいた彼が、私より先に皇子宮の庭園を抜け出した。
私は両足に接着剤をくっつけたようにしばらくその場から動くことができなかった。
(ドンドン、ドンドン)
激しく鼓動する心臓の音で心臓がパーンと破裂しないか?と心配になった。
何とかして落ち着かせたハエリス公爵に対する私の気持ちが、まるで爆発する前に堤防のように盛り上がった。




