第25-1話 俺だけ見ていたい!
(ざわざわ)
ベイリー皇国のスタジオ宮内には「皇室音楽会」に招待された貴族たちが所狭しと座って舞台を待っていた。
彼らは近くの座席に座っている者同士で楽しくおしゃべりしながら笑って騒いでいた。
グレース皇子は舞台の近くに座り、好奇心いっぱいの目で空の舞台を眺めた。
皇室音楽会の公演をとても期待されるようで、グレース王子は座席に座っていても自分の足を踏み鳴らしながら浮かれいる気持ちを抑えられなかった。
「僕、本当に不思議な気持ちだよ!僕の保母であるエレインがピアノを弾くなんて!」
グレース皇太子の言葉に、カルロス皇太子が興味深い表情で言った。
「そうだね!すごく上手だったよ!」
ハエリス公爵の鋭く冷たい目つきが、カルロス皇太子をさっと通り過ぎた。
ふとハエリス公爵をたぶらかしたくなったカルロス皇太子は、意地悪な笑みを浮かべながら大げさに話を切り出した。
「俺はこの前、偶然エレインがピアノを弾く姿を見たんだけどね?本当にすごく綺麗だったよ!ひょっとしたら今日、エレインがピアノの鍵盤を叩く姿を見たら、この場に来た貴族の令息たちが大騒ぎになるかもしれないね!」
「わぁ!本当ですか?そんなにですか?早く見てみたいです!」
「うん!多分びっくりすると思うよ?エレインの持つ才能って沢山あるんだよね!そうでしょ?セレナ?」
カルロス皇太子の言葉にセレナは気分がとても良くなかった。
けれども、上辺では、少しも不機嫌なそぶりを見せず、明るく微笑んで答えた。
「その通りです。エレインちゃんは多才みたいですよね。解毒もお上手だし、良い軟膏もお上手に作れるし…。それにピアノまで上手に弾くとは本当に思わなかったです。本当に羨ましいです。フフッ…」
セレナはエレインを褒めながらカルロス皇太子ににっこり微笑んでみせた。
「あぁ、本当に気になる!早くエレインが出たらいいな!!!いつ始まるんだっけ?」
グレース皇子はさらに気になる表情で、エレインが早く舞台に立つのを待った。
カルロス皇太子とグレース皇太子は、演奏会が始まる前まで休まずにエレインについて話をしながら、楽しい談笑を交わしていた。
セレナはこの状況がとても気に食わなかった。
いつも自分が物語の中心だったのに、今日はエレインに全ての関心を奪われた気がした。
彼女はカルロス皇太子とグレース皇太子のそばで、目立たないように唇を歪めた。
そして、セレナは自分の隣の座席に座っているハエリス公爵に顔を向けて話を切り出した。
「ハエリス公爵閣下?ハエリス公爵家で飼っていた小鳥が皇后陛下の演奏会の最初の演奏を始めましたね。ハエリス公爵が直接追い出した鳥なのに。人生ってどうなるか本当に分からないものですわ…。そうじゃないですか?フッ!」
セレナは大変興味深いことでもあるかのように、晴れやかな表情で彼に笑って見せた。
ハエリス公爵は彼女の言うことに返事をすることなくそっと頷いた。
実は彼はセレナの言うことはほとんど耳に入ってこなかった。
セレナが何かを言ってたから、礼儀上首を頷いただけであった。
毎年開かれる音楽会なのに、今日に限って何だか口の中が乾くような気がした。
ハエリス公爵は、彼の前のテーブルに置かれた赤いワイングラスを手にし、空いた舞台だけをじっと見つめていた。
彼がこれといった反応を示さないと、面白くなくなったセレナは、今度はカルロス皇太子に愛らしい表情をして彼をじっと見つめた。
セレナの意に気付いたカルロス皇太子がニッコリと微笑んで、ハエリス公爵を眺めながら口を開いた。
「ハエリス公爵、君が追い出したあの小鳥は僕が快く受け取ったよ。私の気に入った綺麗な小鳥だったな。その小鳥は本当に多才で良いと思う。俺がこれから、しっかりと飼ってみるね。ふふっ」
何だかハエリス公爵を妙に皮肉るようなニュアンスだった。
ハエリス公爵はようやく、これまでエレインの行方をくらましたのがカルロス皇太子であることに気づいた。
彼はとても冷ややかな表情でカルロス皇太子を一回じわじわと睨んだ。
直接自分に不満そうな目つきを見せるハエリス公爵を見たカルロス皇太子は、とても嬉しくて明るく笑ってみせた。
もし、ここに大勢の人がいなかったら、腹を抱えて笑いたい気持ちだった。
これまでセレナを巡って感情の綱引きをしてきたカルロス皇太子は、今になってやっと少し安心できる気分だった。
ハエリス公爵はどうやら、エレインという女性にがっつり魅せられたようだった。
カルロス皇太子の心が久しぶりに消化剤を飲んだようにとても楽になった気分になった。
「ちょっと待って!カルロス兄様、少し静かにして下さいよ。もうすぐ始まるみたいですよ!!」
カルロス皇太子はグレース皇太子の言葉にすぐ気を取り直し、頭を振り向けて舞台を見上げた。
数百の美しいろうそくの灯りが揺れる舞台の上で、赤いドレスを着たエレインが慎重に歩いていく姿が見えた。
舞台の上を歩いて出るエレインの姿を見た瞬間、カルロス皇太子は急に、何故かは分からないけど気が悪くなった。
カルロス皇太子のハンサムな眉間が少ししわくちゃになった。
「うわっ、出てきた!わぁー、エレイン?まぁ!本当に凄く綺麗!」
グレース皇子の輝く二つの瞳が舞台の中央に立ったエレインに向かった。
ハエリス公爵も舞台の中央に立っているエレインの姿をじっと眺めた。
華やかな数百個のろうそくで夜を明かした舞台前に赤いドレスを着たエレインが、舞台の中央で一座を見回した。
盛り上がったスタジオの中が一瞬にして静寂に包まれた。
ほとんど化粧をしていない素顔は彼女の両肩をあらわにしていた。
よく作られた花瓶のように体の曲線がそのまま表れる赤い演奏服を着たエレインは、何とも言い表せないほど魅惑的で美しかった。
「あぁ…!」
「わあ…!」
「本当、とても美しいな…」
数多くの貴族の令息たちと男性たちの嘆きと歓声が溢れ出た。
ハエリス公爵は舞台の上に立っているエレインを見た瞬間、彼の手からワイングラスを逃すところだった。
エレインは危なげな彼女の胸骨を片手で隠して腰をかがめ、丁重に聴衆に挨拶した。
よく見ると、大変緊張している様子だってことを一目でわかるほどにプルプル震えていたが、聴衆たちはセクシーな彼女の姿に魂を抜かされていた。
彼女はどんな曲を弾いてくれるのかな?というより、彼女の何をもっと見ることができるのかな?という期待のこもった熱い視線がエレインに向けられた。
エレインは舞台の中央に設けられたグランドピアノの前に歩き、その前の椅子にそっと座った。
そして、しばらく目を閉じて息を大きく一度吐いた。
(ゴクッ)
大勢の人が唾を飲み込む音がスタジオ宮で響くようだった。
彼女はやっと心の準備ができたのか、閉じていた目を開いてピアノの鍵盤に細い手を当てた。
(タンタ、タララン)
エレインの流麗な手さばきから美しい演奏が始まった。
彼女は細い指を素早く動かして、白いピアノの鍵盤と黒の鍵盤に軽くタッチした。
彼女の美しい演奏姿に、演奏会座席のあちこちから、多くの貴族のため息が漏れた。
ハエリス公爵はテーブルにワイングラスを置いて、腕を組みながらエレインが演奏する姿をじっと見ていた。
彼女の演奏が長くなるにつれ、スタジオ宮に男性たちの嘆声が多くなるにつれ、彼の拳の筋がぐっと突き出た。
普段とは異なる色気あふれるエレインの姿に大変衝撃を受けたが、周辺の令息らが彼女の体をまじまじと見ているのが大変気になった。
エレインを見つめながら嘆声を上げ、よだれを垂らしている男たちを、気が失うまで殴ってやりたいと思った。
⦅一体なぜ…⦆
ハエリス公爵はどかんどかんと狂ったように鼓動する彼の心臓をかろうじてグッと抑えた。
広いスタジオの中で、ピアノを演奏しているエレインの姿だけが見えるようだった。
華麗なピアノ演奏が終わった後、エレインはグランドピアノの前で注意深く立ち上がった。
再び舞台の真ん中に歩いてきて、丁寧に胸の部分を手で隠して、腰を曲げてお辞儀をした。
「わぁぁぁぁ!」
(パチパチパチ)
入場前より大きな拍手喝采や貴族たちの歓声がスタジオ宮殿に響き渡った。
上座に座ったゲリマン皇帝やジェイラル皇后、そして4人の皇妃らも、大変満足そうな表情で手を叩いた。
「わぁ!エレインのこと見直しましたよ!カル兄様、ハエリス兄様、セレナお姉さん!すごく、びっくりじゃない?あの方が僕の保母なんだよ。保母、エレインのピアノ演奏の実力は凄すぎると思う!」
グレース皇子は浮き浮きした表情で大げさに騒ぎながら、手を叩きながら言った。
セレナはじっと座り、自分のドレスのすそを両手で強くつかんだ。
しかし、表の表情はエレインの演奏に大きく感嘆したように、カルロス皇太子とグレース皇太子、ハエリス公爵を交互に眺めながら明るく微笑んだ。
「はい!本当にとてもお上手だと思いますわ!この前見た演奏より、もっと上手ですね。そうですよね?殿下?」
「うん?あ…そうだね!本当に今日のピアノ演奏はとても素晴らしかった。正直、こんなに大勢の人の前でエレインがこんな演奏を見せてくれるとは思わなかったんだ…、ハエリス公爵はどう?今日エレインの舞台は良かった?」
ハエリス公爵はカルロス皇太子の言葉に何の返事もなく、不快な表情をして演奏会の席を離れた。
「セレナお姉さん?私の目が可笑しいのかな?何でハエリス兄様はすごく気分が悪そうなんだろう?今日のエレインはすごく上手じゃなかった?」
「そうですよね?追い出した小鳥が思ったより多才でもったいなくて怒ったんでしょうかね?それとも…見たくなくて追い払った小鳥を再び見て気分が悪いのでしょうか?カルロス皇太子殿下はどう思いますか?」
セレナが気になって聞くと、カルロス皇太子は困った表情でセレナとグレース皇太子を眺めた。
「そうだな…、それは私もよく分からないな。あのハエリス公爵の心中は誰にも分からないさ。ああ、あそこに次の人たちが出てくるよ」
カルロス皇太子が新しい舞台に集中すると二人は首をかしげたが、新しい舞台に集中し始めた。
舞台に出てきた女声合唱団の合唱が始まり、美しい女声がスタジオ宮殿に響き渡った。
ふとカルロス皇太子がハエリス公爵の去った場所をじっと眺め、落ち着かない表情で再び舞台に顔を向けた。




