第20話 ハエリス公爵の一日
月明かりもないくすんだ暗い夜、長い茂みの間の闇の中で、ハエリス公爵と彼の黄金の鷲の騎士団は潜伏していた。
彼らはオーウェル川の渡し場の向かい側の森で息を殺して監視していた。
(ビュー)
夜風が一度強く吹き、長い茂みの葉と木の葉がゆらゆらと揺れた。
しかし、彼らは瞳一つ微動だにせず闇と一つになって深く身を深く隠した。
その時、何十もの男たちが遠くから松明を持って木箱を運び歩いていた。
よく訓練された者なのか、重い木箱を分けて持って行ったのに、足音一つも聞こえなかった。
その群れを保護している数十人の武装した人々が、殺伐と周辺を見回しながら警戒していた。
「おい!物を落とさないように気をつけろ!」
群れの首長のような片目だけのな男が、木箱を運び出す部下たちに陰惨な声で警告した。
その片目だけの男は鋭い目つきで周囲を見回しながら緊張を緩めなかった。
その時、ある壮健な男が、片目の男に近づき丁寧に報告した。
「テルマン商団長。もうこれらは船に積めばいいと思います」
「そうか。ヤレン、もしかしたらネズミ共が周りにいるかもしれないから、もう一度よく見回ってこい!」
「はい、分かりました。商団長」
ハエリス公爵は深い闇の中でその男たちを見つめながらひそかに魅惑的な微笑を浮かべた。
その木箱を運んでいる一群の終わりが徐々に目に見えたからだ。
ハエリス公爵の粘り強い追撃の末、ついにルースセンの花とハレンを流通させている他の商団の後を取ることができた。
すでに廃業した「パレオ商団」の商団走の行方は今まで五里霧中だったが、幸いまだベイリオ皇国全域にハレンとルースセンの花を流通する他の商団を見つけることができた。
時が来ると、ハエリス公爵は彼の右手を高く上げて拳を強く握った。
黄金の鷲の騎士団はハエリス公爵の手信号を受け取り、素早く飛んで行き、群れを奇襲した。
「うわぁ!」
黄金の鷲騎士団の奇襲で商団の護衛武士たちがそれぞれ自分たちの腰から鋭い武器を取り出した。
(キン、キィン)
ウォーミングアップのようにお互いに数回剣をぶつけただけなのに、黄金の鷲騎士たちは呼吸も乱れなかったが敵たちは息を合わせて苦しんでいた。
ハエリス公爵は余裕のある表情で、ごった返していた現場に徐々に姿を現した。
かすかに微笑んでいたハエリス公爵が、よく鍛えた彼のロングソードを空高く持ち上げた。
その信号を皮切りに、商団護衛武士たちと黄金の鷲騎士団の熾烈な戦いを始めた。
(キンキン、キィン)
「うわっ!」
「ぐえっ!!」
黄金の鷲騎士団と商団護衛の武士たちは、お互い殺伐とした勢いで剣を戦った。
しかし、精鋭の騎士団を一般の護衛武士に太刀打ちできるはずがなかった。
すぐに黄金の鷲騎士団の騎士たちに腕を切られたり首を切られたりした。
一瞬にしてオーウェル川前の渡し場は修羅場となった。
様々な騎士の中でも、ハエリス公爵の活躍が最も著しかった。
ハエリス公爵はとても流麗で素早い身のこなしで、一刀で敵を処断した。
裏で黄金の鷲の騎士団を密かに襲撃しようとする商団の護衛の武士二人を、青色の揺れる鋭い剣により一撃で首を切った。
(パタタッ)
ハエリス公爵の顔に、彼らの赤い血が不気味にほとばしった。
商団の護衛武士たちの頭がばたばたと地面に落ちてごろごろ転がると、主人のいない体がばたばたと地面に倒れた。
(スルン)
ハエリス公爵は首を回して両目を光らせ、自分を殺気立った目で見つめる「片目の男」を冷ややかな表情で見つめた。
片目の男はとても興奮している様子で、ハエリス公爵にナイフを振りかざしながら襲いかかった。
「いやああっ!」
(キィン!キィン!)
大概の大人の体重ほどの重い宝刀が、ハエリス公爵に休む暇もなく切り下ろされた。
ハエリス公爵は彼の鋭い剣で重い男の宝刀をふさいだ。
重い宝刀とよく鍛えた剣の刃がぶつかるたびに、青色の火花が真っ暗なオーウェル川の渡し場で輝いた。
自分の攻撃が効かないことを悟った片目の男は、今度は力でハエリス公爵を力いっぱい追い込んだ。
宝刀を防いだハエリス公爵の鋭い刃に、いつの間にか宝刀にはひびが入り折れ始めた。
ハエリス公爵はわざと右足を後ろにそらして隙を見せるようにした。
片目の男が自信満々な表情でハエリス公爵の首を切りにその隙に入ってきた。
にやりと微笑んだハエリス公爵が、その場で体を丸くして半周した。
片目の男は困惑した表情でハエリス公爵を見つめた。
いつの間にか、彼が持っていた重い宝刀が地面にどさっと落ちた。
あっという間にハエリス公爵の鋭い剣が片目の商団主の首に向けられた。
「君がザランスの商団長テルマンで合ってるのか?」
ハエリス公爵の鋭い刃が片目の男の肌に潜り込むと、その男の首から赤い血がぽたぽたと流れた。
さっきの血気盛んな姿はどこへ行ったのか、片目の男は非常に恐ろしげな表情でハエリス公爵を見つめた。
ますます肌に食い入るような涼しげな剣刃に、片目の男が切羽詰ってうなずいた。
ハエリス公爵は魅惑的な笑みを浮かべ、その片目の男に話しかけた。
「今まで君を長い間探していたよ。こうやって会うことになってとても嬉しいな…」
ハエリス公爵は自分の捕虜となったザランスの商団長テルマンとその部下達を見た。
彼らの中で半数以上が全員ハエリス公爵と黄金の鷲の騎士団によって殺された。
いつの間にか深い夜が過ぎ、青白い夜明けが明けて来ていた。
黄金の鷲の騎士団は彼らが運んでいた木箱をいちいち壊した。
「主君。やはりハレンです」
黄金の鷲の騎士団の1人が短いパイプのキセルを持ってきてハエリス公爵に丁寧に渡した。
その品を受け取ったハエリス公爵があちこち見回したが、見かけは普通のパイプ煙草とそっくりだった。
回収した30個もの箱の中にはハレンがいっぱい詰まってたが、数量ではおよそ4000個以上あった。
多様な味を出す「ハレン」という物は、ベイリオ皇国貴族が密かに吸っている不法煙草だった。
エレインのおかげでベイリオ皇国では、この「ハレン」という煙草に大きな問題があることを把握し、全面輸入禁止を取ることができた。
しかしこの「ハレン」の味を覚えたベイリオ皇国の貴族たちは簡単に断つことができなかった。
ハレンに含まれた煙草には中毒性のあるヤル薬の幻覚剤が多く含まれていたためだった。
それでこのように不法に闇市場で密かに流通し、結局ハエリス公爵にしっぽをつかまれてしまったのだ。
ハエリス公爵はそのうちトカゲの胴体を捕まえられるような気がした。
「それではこのハレンはどうしたらいいですか?主君」
黄金の鷲の騎士団の団長のジェイクが彼のそばに来て尋ねた。
「一箱だけ回収して、残りは全部燃やしてしまえ」
「はい、かしこまりました。主君」
ハエリス公爵は黄金の鷲の騎士団に後始末を任せ、一晩中馬に乗って早朝に彼の邸宅に着いた。
ベル執事はまるでハエリス公爵が到着すると分かっていたかのように正門に出てきて彼を歓迎した。
ハエリス公爵の鎧と全身には赤黒い血が絡まっていた。
ベル執事はハエリス公爵の鎧と剣を受け取り、静かに寝室から出ていった。
彼は疲れた体を引きずってシャワー室に行き、冷水で簡単にシャワーを浴びた。
(サアアアアア)
ハエリス公爵はシャワーからあふれ出る水に打たれ、彼の疲れた精神を呼び覚ました。
良く鍛えられてる彼の上半身の筋肉に赤い水がぽたぽたと流れた。
いつの間にか彼の足下には赤い絵の具を溶いたような真っ赤な血が溜まっていた。
ハエリス公爵はシャワーを浴びた後、タオルで体を拭いていた。
ベル執事がハンガーにかけた柄のないシンプルな白いシャツに、黒いスーツを着ていた。
シンプルで手軽に着こなしたが、着崩れのない洗練された姿だった。
ハエリス公爵は彼の寝室とつながっている部屋のドアを開けて自分の執務室に向かった。
執務室の中に入ると、広い机の上にはたくさんの書類が山のように積まれていた。
ハエリス公爵はしばらく自分の執務室の椅子にもたれて座り、疲れたように目を閉じた。
今日、必ずつかみたかったルースセンの花とハレンを流通した商団を掴んだので気分はそれほど悪くなかったが、彼の心はなぜか満たされない空虚さで物足りなかった。
彼が本当に探したいエレインの知らせがまだ聞こえてこないためだった。
もう10日が過ぎたようだが、どこに消えたのかエレインの消息がまだ分からない。
ハエリス公爵家の消息通によると、エレインは様々な職業安定所に履歴書を出したという。
しかし、どこにも彼女の痕跡を見つけることができなかった。
その為、彼は最近心が乱れてどんな仕事でも手につかなくなった。
ずっと仕事を後回しにし、いつの間にか書類が執務室の広い机を越えて床にまで山のように積み上げられていた。
「ふぅ…」
ハエリス公爵は今まで生きてきて、初めて後悔という感情を抱くことができた。
今までの人生で、一度も彼が感じたことのない感情だった。
ふと、彼の心の中に正体の知れないとある不安な感情がもくもくと立ち上った。
もう2度とエレインに会えないかもしれないという思いが蠢くたびに、何とも言えない恐怖を抱き始めた。
彼は自分のこのような気持ちを、自ら完璧に理解できなかった。
ただエレインがどこかにいるという知らせを聞いたらひとしお安心しそうだった。
空虚な表情のハエリス公爵は、閉じていた目を再び開けた。
ハエリス公爵は、苦労して重い心を整理し、これまで滞っていた書類を取り上げ業務を始めた。
仕事の途中、ベル執事が簡単に用意したサンドイッチで食事を済ましてから、そして時間がどれくらい経っただろうか?
(コンコン、コンコン)
ベル執事が執務室に入ってきた。
ハエリス公爵は書類とにらめっこしている途中、ふと頭を上げてベル執事を眺めた。
何故かベル執事の顔は、笑いの花が咲いたように明るかった。
ハエリス公爵は不思議な表情でベル執事をじっと見つめた。
「どうしたんだ?」
「ああ…、はい!公爵閣下。以前、公爵家の邸で働いていたエレインさんが公爵に会いに来ていますが、どうしますか? 一度会ってみますか?」
一瞬、ハエリス公爵の手にかかっていた書類が机の上にばらばらと落ちた。
彼の黒真珠のような黒い瞳孔はひどく左右に揺れていた。
ベル執事はその姿を見つめながら目立たないように微笑んだ。
「こほん、公爵閣下。そのまま帰れと言っておきます。ずいぶん不埒なメイドでしょうか?厚かましくもハエリス公爵に会いに来るとは叱らなければならないですね」
ベル執事は意地悪な表情でハエリス公爵に頭を下げ、背中を向けてドアの外に出ようとした。
「ちょっと待て!」
慌ててハエリス公爵がベル執事を呼び止めた。
ベル執事はにっこり微笑み、後ろ向いてハエリス公爵を見つめた。
「はい。公爵閣下。どうぞ」
「上がるように伝えてくれ…」
「はい、分かりました。公爵閣下」
ベル執事は見えない微笑を浮かべ、ハエリス公爵の執務室の外に出た。
ハエリス公爵は突然どうしたらいいか途方に暮れてきた。
突然、心臓が鼓動する音が彼の耳元で大きく鳴り響くようだった。
エレインに会って何を話すべきか、なぜ彼女が訪ねてきたのか、数え切れないほどのケースを代入して考えた。
「はぁ」
ハエリス公爵は震える自分の心をやっと静めた。
彼はまるで誰かを切なく待っていないかのように無心に書類を几帳面に読んだ。
(コンコン)
(ギイィ)
心臓が張り裂けるように速く走ったその時、ハエリス公爵の執務室のドアが開かれた。
ハエリス公爵は頭を上げて、エレインの顔を見たかったが、我慢した。
彼は自分のこのような気持ちを彼女に見られたくなかった。
(コツコツ、コツコツ)
エレインの足音が静かに彼の執務室に響き渡った。
彼女はハエリス公爵の執務室の机の前まで来られないまま、真ん中に立った。
「こんにちは…、ハエリス公爵閣下。公爵邸で働いていたエレインと申します」
エレインは透き通った声でハエリス公爵に丁重な挨拶をした。
やっとハエリス公爵は顔を上げて自分の目の前に立っているエレインをじっと見つめた。
彼は食い入るような目つきで、公爵家の元メイドであるエレインの姿をくまなく見渡した。
エレインはかなり緊張していたようで、両手が細かくふ震えていた。
彼女は真っ白できちんとしたワンピースを着てアップスタイルをしていたが、アップスタイルのお陰か、真っ白な襟足の綺麗なラインが爽やかに見えた。
とても淑やかでおとなしい身なりをしていたはずなのに、彼は彼女の無防備な襟が気になっていた。
他の男に彼女の首筋を見つめられると思うと、急に不愉快に感じた。
そして、ふとハエリス公爵の視線がエレインの分厚い唇に視線が向いた。
ピンク色に塗られている彼女の唇はとても魅力的に見えた。
おいしそうな唇を見ると、ハチミツのように甘かった彼女の唇の味が思い浮かんだ。
ハエリス公爵とエレインの両目が虚空で相対した。
きっとハエリス公爵を恐れて震えているに違いないが、エレインは彼の目を避けなかった。
ハエリス公爵の口元はエレインに気づかれないほど微細に上がっていた。




