努力主義の功罪となろう非努力主義小説
その時、僕はとても落ち込んでいた。
専門学校でプログラミング言語を学んでいたのだけど、成績が芳しくなかったからだ。ペーパーテストは上位の成績だったけど、センスがないのか、実践的なプログラミングになるとまるでダメで、中の下といった程度にしか入れなかった。
ペーパーテストは、ぶっちゃけ過去問を真面目にやりさえすれば点数が取れる。でも、プログラミングは何をどうすれば良いのかがよく分からなくて、どんなに努力をしてもまるで実力が上がらなかった。
「……はぁ、こんなんじゃ技術職に就職なんて無理かなぁ?」
溜息をつく。
目の前にはパソコン画面があって、先生がコーディングしたお手本のソースが映っていた。
断っておくけど、別に僕にはゲームを作りたいとかアプリを作りたいとか、そんな大層な夢がある訳じゃない。ただ将来を安定させる為には、やっぱり手に職をつけるのが堅いと思っていただけだ。
僕は要領が良いタイプじゃない。だから明確なスキルが欲しかったのだ。
――でも、このままではスキルは身に付けられないかもしれない。
……どうしよう? 結局、何もならなかったら? 挫折でもしたら、学費を出してくれた両親に悪いし、何より将来設計が崩れる。
思うように技術が身に付けられないでいた僕はそんな強迫観念に駆られていた。産まれつき気が弱い性質なんだよ。
僕は実力が上がらないのは、自分の努力が不足している所為だと思っていた。センスがないことだけが原因じゃない。きっと上位の成績の連中は物凄い努力をしているに違いない。だから、もっとがむしゃらにがんばろうとしていたのだけど、それはとてもつらい事だった。
それで僕は、パソコン画面の前で固まってしまっていたのだ。努力をしなくちゃいけないとは思っているのだけど、どうしても指が動かない。
紐野という友人からダイレクトメールが送られて来たのはそんな時だった。紐野とは高校時代に知り合った。確かどっかのレベルの低い大学に行ったはずだ。何の用かと思ってメールを読んでみると、小説を書いて投稿サイト“なろう”にアップしたから、できれば読んで点数を入れて欲しいとの事だった。
“こっちは、落ち込んで不安いっぱいなんだよ! そんな暇あるか!”
と、その呑気な内容に多少は腹が立ったけれど、同時に現実逃避がしたいという気持ちもあったから、僕はその小説をつい読んでしまったのだった。
正直、読書をする習慣はなかったから、紐野の小説の文章が上手いとか下手とかはよく分からなかったけど、改行や空行が多用されてあるお陰で読み易くはあった。
まぁ、僕がイメージする小説の文章とはちょっと違っていたのだけど。
そして、それは極めてストレスフリーな内容だったのだった。
仕事に疲れた主人公が、何がどうなったのかはよく分からないけど異世界に転生して、そこで神様から送られた“ギフト”と呼ばれる特殊能力で楽々な生活を送るってのが大体の概要だ。努力なんて一ミリもしているようには思えなかった。
何と言うか、不安に駆られ“努力をしなくちゃいけない”という想いに囚われて弱っていた僕の心にそれは沁みた。
プログラミングの技術が上がらないのは僕の努力が足らないからではなく、ただ単に才能に恵まれなかっただけと思えたならどんなに楽だろう? 全ては持って生まれた才能の所為。それは僕の所為でなく、上位の連中は運が良かっただけなんだ。
僕だって、もしも、運良く才能に恵まれていたなら、苦しむ必要なんかなく、楽々と順調な人生が送れる……
そんな生き方を夢想した。
そして紐野の小説を読んで僕は「面白かったかどうかはよく分からないけど、少なくとも楽にはなったよ」と奴に返信をして最高得点を入れてやった。見ると、他にも僕と同じ様に感じた人達がいたのか、たくさんの点数が入っていた。
それを見て、
“そうなんだ……”
と、僕は思った。
どんなに努力をしても実力が身に付かないのなら、“才能がなかった”と考えて諦めた方が良いのかもしれない。
――苦しむ必要なんてなかったんだ。
僕がそう考えたのは、きっと僕と同じ様に感じている人がいると思ったからなのだろう。
だけど、僕のその考えは半分は正しくて半分は間違っていたのだった。
「何を言っているんだ? お前は?」
と、オヤジ先生が言った。
「はい?」とそれに僕。
オヤジ先生は僕の反応を受けると、まじまじと僕を見つめた。
オヤジ先生はまだ20代後半といった年齢で比較的若くて結婚もしていないのだけど、恐らくは単なる無精だろうひげ面が妙に似合っている所為で皆からは“オヤジ先生”というニックネームで呼ばれている。因みに見た目はちょっと怖い。
「お前、ペーパーテストの成績は良いじゃないか。真面目な性格ってのは企業から好まれるからな、就職には有利だよ。それに、プログラミング技術だってこれくらいのレベルなら充分だ。今は情報技術系の人材は不足しているからな」
滔々とオヤジ先生はそう語る。僕はそれを聞いて思わずキョトンとなってしまった。
は?
どうやら自分の実力では就職ができないというのは単なる僕の思い込みであったらしい。ホッとして表情が自然と緩んでしまった。そんな僕の頭をオヤジ先生は軽く小突いた。何故、小突かれたのかが分からないで驚いていると、
「お前な、自分の将来を悲観するほどプログラミング技術が上がらない事に悩んでいたなら、さっさと相談しに来い。なんの為に俺らがいると思っているんだ?」
なんて言って来た。
「はあ」とそれに僕。
見た目で敬遠していたけど、どうやら実は案外気さくな先生らしい。
それからオヤジ先生は僕に「取り敢えず、手本となるソースをたくさん読め」と言って、ソースのサンプル集が入ったCDを貸してくれた。
お礼を言った僕に、「分からなかったら気軽に聞きに来いよ」と先生は注意するように言う。
「時々、“苦しまなくちゃ努力じゃない”みたいな考えを持っている奴がいるが、そーいうのは間違っているからな。努力ってのは効率良く楽してやるのが一番なんだよ。苦しむ必要はない」
「楽して?」
「“楽して”って言うと、ちょっと語弊があるがな。まあ、できるだけ楽しめってことだよ。
少なくとも、誰にも相談しないで自分の殻に閉じこもって悶々しているようなこっちゃない」
僕はそれを聞いて“なるほど”と思ったりした。確かに僕は“苦労しなくちゃ、努力じゃない”と無意識に思っていたような気がしないでもない。
僕はもう一度オヤジ先生にお礼を言った。「あいよ」とそれに先生。どうやら少し照れているらしい。
何にせよ、それで僕は随分と楽になり、先生が貸してくれたサンプル集のお陰か、プログラミング技術も並程度には上がったのだった。なんだか悩んでいたのが馬鹿馬鹿しく思えた。正直に言うと、その時僕は紐野の事も紐野の小説の事もほとんど忘れていたのだけど、そろそろ就職活動をし始めようかという時分になって、紐野からこんな内容のメッセージが届いたのだった。
『“なろう”からプロ作家としてデビューする事になったからよろしくな!』
もちろん僕は驚いた。『マジか? あの時、僕が読んだ小説でデビューするのか?』と尋ねると、当にその通りだった。あの小説のお陰で僕は疲れていた心が癒されて、オヤジ先生に相談しに行こうとも思えたのだ。内容自体は薄かったけれど、それくらいの力はある小説だったのかもしれない。
いや、知らないけど。
下世話な好奇心が刺激された僕は、一応、“おめでとう”と祝ってから、どれくらいの収入になるのかを訊いてみた。すると、『50万くらいは入るはずだよ』と返って来た。50万。学生にとってはかなりの大金だ。僕は大いに羨ましがった。紐野もかなり興奮しているらしく、脳汁が出まくっているのが返信内容から容易に察せられた。
どうも紐野はしばらくは作家活動を続けるつもりでいるらしい。就職活動をしなくちゃいけないというプレッシャーを感じていた僕は、「いいなぁ」とまた羨ましく思った。
もちろん、羨ましく思っても、自分で小説を書いてみようなんて気はさらさら起こらなかったのだけど。
就職活動を始めると、抱いていた不安とは裏腹に、僕の就職先は呆気なく決まった。それほど大きくはないけどシステム会社だ。そして、その会社の人に「実践的なプログラミング技術を身に付けている新人は少ないので、期待しています」と言われて、オヤジ先生の言っていた言葉の意味が分かった。実践的なプログラミング技術を教えている学校はどうやら日本では少ないらしい。だから僕程度の技術力でも就職ができると先生は言ったんだろう。
「ははは。良かったじゃないか」
僕が就職が決まった事を報告すると、オヤジ先生は喜んでくれた。そしてこんなアドバイスをしてくれる。
「一応言っておくが、学校と職場は根本から世界が違うからな。同じ様に考えていると絶対に失敗するぞ。
最も大きな違いは、学校の勉強はソロプレイだが、会社の仕事ってのはチームプレイって点だ。つまり、学校では周りは敵だが仕事では味方って事だな。だから必ずしもお前一人で仕事をこなす必要はない。困ったら誰かを頼れ。大体どんな職場にも世話好きな奴が一人はいるもんだから」
僕はそのアドバイスに目を丸くした。
「なんですか、それ? そんな事、授業では一言も教えてくれなかったじゃないですか!」
何でも自分でできなくちゃいけないと思っていたからこそ、僕は必死に勉強していたのだ。その僕の文句を聞くと「これを言ったら、お前なんかは、絶対に真面目に勉強をやっていなかっただろうが?」と面倒くさそうにオヤジ先生は返す。確かに楽ができるのなら怠けている自信が僕にはあった。
「本当は言うつもりもなかったんだがな、お前は自分一人で抱え込んで自爆するタイプみたいだから、気を付けた方が良いと思って忠告してやったんだよ。ありがたく思え。
それと、もし誰か頼れる奴がいなかったら、俺に相談しに来い。もう生徒じゃないからボランティアだが、それくらいなら協力してやる」
僕はその温かい言葉に多少感動を覚えた。
「ありがとうございます!」
と、お礼を言うと、先生は「その代わり、この学校の宣伝はしておけよ」と言って快活に笑った。
それから間もなくして、僕は学校を卒業して仕事を始めた。幸いにも、と言うべきなのかどうかは分からないけど、オヤジ先生を頼るような事態にはならなかった。僕にとって未知のシステム会社の仕事は緊張したが、運良くホワイトな職場に就職できたのか、それとも業界全体がこれで普通なのかは分からないけど、精神的に追い込まれるような職場ではなかったのだ。
聞いた話だと、“働き方改革”の波を受けて、システムエンジニアの仕事も随分と労働環境が良くなったのだそうだ。昔は過酷な労働で自律神経をやられてしまう人とか、職場を逃げ出してしまう人とかも珍しくなかったらしいのだけど。
何にせよ、多分僕は恵まれているのだろう。
オヤジ先生を頼りはしなかったけれど、先生のアドバイスは活かせていた。先生の言った通り、仕事の成績はチームプレイで決まる。だからこそ、楽な面もあるのだけど、気を付けなくちゃいけない事も色々とある。
「――もし、お前の間違いを指摘してくれる人がいたら、絶対にお礼を言えよ?」
オヤジ先生は僕にそんなアドバイスもしてくれた。
「間違いを指摘されるとさ、人ってのは思わずムカついちまうもんだが、有効なアドバイスとして捉えた方が良い場合の方が多い。
バグを抱えたままリリースをしたら、困るのは本人だろう? だから、当然、それはありがたい事なんだよ。これは重要なチームプレイのメリットの一つと言っても良い。
が、そうは思えない奴もいる。若い場合は尚更だな。だから気を付けるんだ」
それを言われた時は、なんとなく聞いていたけど、働き始めてその意味が分かった。間違いを指摘されると、確かに思わずムッとしてしまうけど、その間違いに気づかないままでいる方が僕にとって悪い結果になるのは言うまでもない。
だから、お礼はきちんと言うべきだ。そうしたら、その人は次も間違いを指摘してくれるかもしれない。
“良好な人間関係を保つ”とか、そういう理由だけじゃなく、まぁ、“批判をアドバイスとして受け取る”というのは必要なスキルなのだと思う。
そんな事を実感した辺りの頃だった。また紐野からメッセージが届いたのだ。もっとも、僕に何か用があった訳じゃなく、それは単なる愚痴だったのだけど。
『僕の小説を批判する奴がいるんだよ! むかつく!』
これを読んだ僕が、職場での経験から“批判は有効なアドバイスとして捉えた方が良い”と思ったのは言うまでもない。
だからそう返信してみたのだけど、紐野は納得しなかった。
『アドバイスなんて良心的なものじゃないんだよ! 悪意があってやっているようにしか思えない』
そう言われて、その批判を見てみたのだけど、確かに明らかに紐野を…… と言うかなろう系作家全般を攻撃している内容だった。紐野が怒る理由も分かる気がする。ただ、気になる点もあった。
『このレビュー、人気あるみたいだけど?』
それは動画投稿サイトに投稿されたレビューで、アクセス数は数万を超えていたし、動画に対するコメント内容もレビューに好意的なものが多かったのだ。
『そうなんだよ。困ったもんだ』
紐野はそう返して来たけど、それはつまりは批判レビューどうこうの前に、そもそも紐野の作品が嫌われているという事になるのじゃないだろうか?
多分、紐野は“批判レビューの所為で自分の作品の人気が下がっている”と主張したいのだろうけど、実際は逆で“嫌われている作品だから、批判レビューが出る”が正しいのだと思う。
状況を正しく認識できなければ、対処方法だって間違える。これは指摘してやるべきだろう。ただ、そう言ったら紐野は怒るに違いない。直接的な表現じゃ駄目だ。工夫しないと。
そこで僕は少し考えてから他のなろう作品を調べてみた。すると、似たような題材を扱っていても、ほとんど批判されていなくて、しかも人気のある作品もたくさんあった。
『あのさ、嫌われていない作品もちゃんとあるみたいだから、そういうのを参考にしてみれば良いのじゃない? そうすれば批判もされなくなると思うよ?』
だからそう言ってみたのだ。批判者に対して怒り続けて喧嘩をするよりも、自分の作品を改善した方がずっと建設的だ。世の中にとっても、紐野自身にとっても。
それに紐野は何も返しては来なかった。きっと僕の意図は通じていない。問題に向き合いたくないから、無視をしたのだろう。ちょっと紐野が心配になった。
それからしばらくが経った。
ある日、僕は職場で不思議な感覚を味わった。ちょっとした調査依頼があり、ソースを直に読んでいたのだけど、以前は難しくて読むのに時間がかかっていたその内容がスムーズに頭に入って来るのだ。
仕事をし始めてから、僕は色々な人にプログラミング技術を教わって来た。様々な知識やコーディングのコツ、見本にするべきプログラミングなどなど。そういう学習をし続けるうち、いつの間にか僕のプログラミング技術はどうやら上がっていたらしい。
もちろん、僕は喜びを覚えた。
そしてその興奮が抑え切れず、思わずその喜びをいつもお世話になっている職場の人に語ってしまったのだ。
するとその人は、穏やかな様子で、「アハハハ。良かったじゃないか」と僕を祝福してくれた。
「僕、学生時代はコンプレックスを持っていたんですよ。自分にはプログラミングの才能がないって。だから、特別に嬉しいんです!」
その僕の言葉に軽く頷くと、その人は「そういう勘違いってのはあるもんだよね」なんて言って来るのだった。
「勘違い?」
「そう。勘違い。
学習曲線って知っているかな? 人によって学習が伸びるパターンってのは色々あってね。少し努力しただけで一気に学習するが、それから後は中々伸びないって人もいれば、長い間努力してようやく伸び始める人もいる。君は恐らくは後者のパターンだったのさ。それで才能がないって勘違いしていたのじゃないかな?」
僕はその説明に頷いた。
つまり、やっぱり、努力と才能は不可分って事なんだろう。努力しないと才能は開花しない。紐野が書いたなろう小説のキャラやゲームの一部のチートキャラみたいに、才能さえあれば努力しなくても実力を身に付けられるなんて事は起こり得ないんだ。そして場合によっては今の僕みたいに、才能を開花させる為には長時間の努力が要求される。
“苦しめば良いってもんじゃない。でもそれは、努力が無意味って事じゃない。努力主義はやっぱり重要なのじゃないか?”
そんな感想を僕は持った。
努力主義の功罪。何事にもメリットもデメリットもあるのが普通で、それは努力主義にも当て嵌められるのだろう。そのデメリットを和らげる為に、紐野の小説みたいな逃避手段は必要なのかもしれない。
――でも、飽くまでそれは一時的なもので、それに頼り続けちゃいけない気がする。
もちろん、無意味な努力をし続けるのは駄目だろう。“意味のある努力”を効率的にやらないと。
僕の場合、それができたのは、もちろん、この職場のお陰だ。
「皆さんのお陰です。ありがとうございます」
と僕はお礼を言った。
その人は「うん」と言う。
「まあ、君が成長してくれないとこっちも困るからね。
こんな話を知っているかな?
卵をたくさん産む雌鶏を品種改良によって作り出そうとした。それで、卵をたくさん産む雌鶏を選んだ。ところが、するとなんと喧嘩ばかりする雌鶏ができてしまったのだよ。
要するに、卵を多く産む雌鶏は、他の仲間の餌を横取りする雌鶏だったのさ。
そこで今度は檻単位…… つまり、集団単位で雌鶏を選んでみた。すると今度は問題なく卵をたくさん産む雌鶏の集団が作り出せた。
個人の成績を重視する事は、必ずしも集団全体の成績になるとは限らない。“チーム単位で育てる”って発想が必要なんだな。僕らが君を育てるのも同じ発想だよ。
シリコンバレーの技術者達が何故成長できたのかと言うと、時にはライバル企業の垣根さえも乗り越えて互いに技術を教え合ったからなんだそうだ。日本のプロ格闘ゲーマーの間でも似たような事が起こっている。ライバル同士で互いに教え合った結果、レベルがとても高くなっている。
大いに教訓にするべきだよね」
僕はその話に感動を覚えてまた頷いた。
何とも言えない達成感。人間ってのは集団で生きる生き物なんだ。
そこで僕はふと紐野を思い出した。
あいつにはこんな発想はないだろうと思って連想をしたんだ。
あいつも今年は大学を卒業している。ただ、就職はしていない。なろう作家をし続けているようだ。どんなつもりでいるのかは分からないけど、もしかしたらこのまま就職する気はないのかもしれない。
“久しぶりに連絡を取ってみようかな……”
と、それで僕はそう思ったのだった。
『順調だよ。先日、新しい小説のシリーズが出版されたばかりさ。まあ、取り敢えず、電子書籍版だけだけど』
近況を尋ねるメッセージを送ってみると、紐野はそんな返信をして来た。『おめでとう』と僕は返し、早速、その出版されたという小説を検索してみた。確かに出版されている。ただ、あまり売れていないのか、レビューや評価はほとんど付いていなかった。しかもその数少ないレビューには、“パクりじゃないのか?”という批判が書き込まれてあった。
パクり?
軽く読んでみると、似たような設定、似たようなキャラクター、似たような話の筋の作品が他にもあるのだそうだ。
気を悪くさせるかもと不安に思いながら、その事を紐野に伝えてみる。ところが奴は“それがどうした?”と言わばんかりの感じで、
『なろう作品への批判ではよくあるんだよ。気にしたら負けだな』
なんて返して来るのだった。
僕が点数を入れた一作目にも“テンプレ”って批判があったのそうだ。僕は紐野が以前の批判とは違ってあまり気にしていないようだったのだが不思議だった。
『だって、意図して似たような作品を書いているからな。なろう読者は保守的でさ、似たような作品じゃないとポイントがあまり付かないんだよ。偶に新しいのが上位に入るが、よっぽど運が良かった場合だけだな』
へー とそれに僕。どうもそんなもんであるらしい。ただ、同時に奇妙にも思った。
『どうしてなろう読者を気にする必要があるんだ? デビューできたんなら、なろうに投稿しなくても、出版社が次の作品を出版させてくれるんだろう?』
普通、“デビュー”って言ったらそういうもんだと思っていたのだ。ところが奴は馬鹿にした感じでこう返して来るのだった。
『そりゃ、普通の小説家の場合だけだよ。普通の作家を目指している奴もなろうにはいるらしいが、滅多に上位には出て来ない。なろう作家は常に読者のニーズに応えなくちゃいけない厳しい職業だ。なろうでトップ層にランクインしないと、出版してくれないんだ。
なろうは“作家”にファンが付くのじゃなくて、“作品”にファンが付くってケースが大半だからな』
はー とそれに僕。なんだかかなり不安定な職業に聞こえる。
それから僕は紐野の生活を心配した。この程度の売上げだったら、充分な収入にはなっていないのじゃないかと思ったからだ。
『まぁ、確かに小説の売上げだけじゃきついよ』と奴はそれを認めた。
『ただ、コミカライズが決まって、良い漫画家に当たれば売れるはずだ。そうなれば収入が期待できるから、それ狙いだな』
――なにそれ? まるでギャンブルじゃん。
なんだかなー と僕は思った。少なくともこのままじゃ紐野はいけない気がする。
『それさぁ…… “なろう作家”じゃなくて、普通の作家になるのを目指すべきなのじゃないのか?』
だからそう言ってみた。
小説にあまり興味のない僕でも知っている。なろう出身で、今では普通の作家やラノベ作家になっている人達もいるって。ところが紐野はそれに『簡単に言うな』と怒って来るのだった。
まあ、確かに、よく知りもしないのにテキトーに言ってしまったかもしれない。
『なろう読者じゃない一般層に作品が刺さるようにするには、根本から大幅に作品を改変しなくちゃ駄目なんだぞ? 労力がかかり過ぎる。もし、それに失敗して大コケしたら、それこそ収入がなくなるだろうが!
なろうでトップ層に入ろうと思ったら、とにかく、流行を掴んで、たくさん作品を書いて、“数打てば当たる”作戦が基本なんだ。作品を大幅に直している暇はない』
そこまでの紐野の話を聞いて、僕はどうにも違和感と言うか、疑問を覚えてしまった。紐野の語る小説家と僕の考える小説家のイメージがあまりにもかけ離れていたからだ。
『あのさー 紐野。僕は小説なんかあんまり詳しくないけどさ、小説家ってのは、経験とか知識とかから自分なりの思想や世界観を構築して、それを作品世界にぶつけるってもんなんじゃないのか?
――そういう作品こそが、世の中に広く読ませる価値があるのだと僕は思うんだが』
だからこそ独自性が出来て、ファンが作家に付き、他で真似できないからこそ作家の収入ってのは安定するのだろう。紐野みたいな作家活動(?)をした方が、確かになろうでは効率が良いのだろうが、作家自身にはあまりファンが付きそうにもない。似たような作品を書く作家は他にもたくさんいるのだから。
『それは理想論だろう? こっちはシビアにビジネスとして小説家をやっているんだよ。そういう作品はなろうじゃ、大抵、埋もれる』
僕の疑問に奴はそんな風に“ドヤ!”って感じで返して来た。でも、普通の作家の方がなろう作家よりは稼いでいる気がするのだけど。少なくとも書店の店頭で平積みされているのは普通の作家の作品の方が圧倒的に多い。
『でも、そんな売り方じゃ、いつまで経っても不安定なままだろう?』
『それを安定させる為に、僕は宣伝力の強化に力を入れているんだよ』
『宣伝力の強化?』
『SNSでのフォロアー獲得だな。作品の宣伝をする時は、複数アカウントでリツイート数の水増しも忘れない』
は? と、それに僕。なんか、しれっととんでもない事を言っている。
『それって、“有り”なのか?』
『“有り”に決まっているだろう? なろうでは、複数アカウントでのポイントの不正加算は禁じられているが、宣伝活動では禁止されていないんだから』
いや、そーいう事じゃなくって……
僕が絶句していると、紐野はこんなふざけた事を言って来た。
『そろそろ良いか? ゲームの続きをしなくちゃいけないんだよ』
『ゲーム? 小説は書かなくて良いのか?』
『ゲームも創作活動の一環なんだよ。なろう読者はゲーム好きが多い。需要を掴めるし、宣伝力も上がるし、ゲームを通してゲーム関連の業界人なんかとの繋がりもできる。
それに、最近、効率良く小説を書く技術を身に付けたんだ。執筆にそんなに時間はかからない』
『何? そんな手段があるのか?』
『AIだよ。AIでの自動執筆。設定やジャンルをセットして、ある程度内容を書いてからボタンを押すだけで小説が出来上がるんだ。
もちろん、使いこなすのにはコツがいるし、AIが書いたのを修正しなくちゃいけないんだが、効率は段違いだ』
その話に驚いて検索をかけてみたのだけど、本当にそんな機能を提供しているサイトがあった。“なろう小説風になる事が多い”との説明がある。
世の中、ここまで進歩していたのか……
僕は素直に感心した。
『これだけ話せば分かるだろう? なろうで生き残るのには、設定のアイデアと宣伝力勝負なんだよ』
僕は少し考えるとこう尋ねた。
『あのさ、それって楽しいのか?』
『楽しい訳ないだろう? もっと自分の書きたい小説を書きたいよ。流行りを追いかけるのじゃなくって』
“じゃ、何の為にお前はなろう作家なんかやっているんだ?”
そう言葉が出かかったけど、僕はそれ以上は何も言わなかった。挨拶をして会話を切り上げる。
ちょっと僕の中の常識とは違い過ぎて、どうアドバイスをすれば良いのかも分からなかったからだ。
まぁ、そもそも僕は素人なのだけど。
ただ、時間が経って、“やっぱり、紐野の方法じゃ駄目なのじゃないか?”と僕は考え始めた。
便利な“AIの小説自動生成ツール”があって、効率良くなろう小説が書けるのであれば、もっとライバルは多くなるのだろう。作家の独自性という武器がないのなら、どの作品が出版まで行けるのかは運の要素が更に高くなってしまう。
しかも、なろう小説家なんて職業は潰しがきかないだろう。もし、完全に挫折をしたら、それから先、奴はどう生きていくつもりなのだろう?
調べてみると、平均的ななろう作家の収入は僕の半分以下っぽかった。副業として小遣い稼ぎでやる分には問題ないが、これ一本では流石にきつい。
紐野が“なろう作家”として、それなりの努力をしているのは分かる。でも、その努力のやり方はやはり間違っているのじゃないだろうか?
“努力は効率良く、意味のあるようにしなくちゃいけないんだ”
少なくとも、まずは真っ当な就職先を見つけてからなろう作家をやるべきだ。
しかも、奴はなろう作家は面白くないと言っていたんだ。
――これって、一体、誰得なんだ?
世の中に広く読ませるべき作品がポイント稼ぎに特化した作品の所為で埋もれて、読者だってもっと多種多様なタイプの作品を読みたいだろうに読めなくて、なろうサイトは多様性がなくなる事で脆弱になり、そしてなろう作家自身も楽しんでいない(いや、楽しめている人もいるのかもしれないが。
……まぁ、もちろん、僕なんかが問題提起をしても、運営が大きく動かない限り現状は変わらないのだろうけど。
それからしばらくが経って、紐野の作品がコミカライズされた。ただ、巧い漫画家に当たらなかったのか、人気は今一つだったようであまり収入にはならなかったようだ。
流石に奴も落ち込んでいて、僕も心配をした。それで奴は流石に生き方を修正しようと考え始めたようだった。
まぁ、紐野には、小説によって自分の考えを訴えたいとかはなくて、『ビジネスとしてやっている』と言っていた訳だから、儲からないと分かれば別の道を進むのは当然だろう。ただ、問題は“なろう作家は潰しがきかない”という点だ。
他の仕事に就けるような努力を紐野はして来なかった。
果たして、どうするつもりなのだろう? 下手すれば路頭に迷いかねない。
ところが、その僕の心配はまったくの杞憂だったのだった。
『就職が決まったよ』
と、報告をして来たのだ。
驚いて、『一体、何処に?』と質問すると、『ゲーム会社の宣伝部だよ』と返して来た。
『小説宣伝の為にSNSでフォロアーを増やし続けて来た甲斐があったよ。なろう小説による宣伝も含めて、僕の宣伝力が認められたんだ。ゲーム関連のコネも役に立った』
“なるほど”
と、それを受けて僕は思った。
紐野の努力は“作家になる”という意味じゃ、あまり効率の良いやり方ではなかったのかもしれない。
けど、“宣伝力を上げる”という意味じゃ、効率が良かったんだ。
やっぱり、努力は重要で、努力主義は世の中に必要なのじゃないか? とそれで僕は思ったりなんかしたのだった。
作中で書いたAIの自動小説作成システムは存在します。
「AIのべりすと」というサイト(検索すれば簡単にヒットします)。
ただ、実際にどこまで実用的なのかは、まだそれほど試していません。
少なくとも、僕が普段書いているタイプの小説は不向きっぽい。
例えば、当にこの小説なんかは書けないと思います。
もっとも、なろうから書籍されている内、最低の品質の作品よりは良いものを書いてくれそうですが。