土地神の最期
見上げると、杖を構えたエルがすっくと立っていた。
「お前は馬鹿なのか? 霊体が盾になれる訳がないだろう。すぐに引き裂かれて終わりだ」
エルの若草色の瞳は冷たくオオカミを見据える。
オオカミは一度獲物にかわされたことが気に食わなかったようで、フンッと鼻を鳴らして、また直ぐに襲いかかる。
「土よ」
エルが掲げた杖の先に土、というよりは尖った石のようなものが顕現した。
(これって、魔法……?)
ノノイは地面に転がったままぼうっと考えた。
魔法がどういうものかは知っている。昔、ノノイがまだまともな人間だった頃、詠唱を唱えて風を起こしたり、水を出したりして遊んだものだ。ノノイの友人には魔法で土を出せる子供もいたような気がする。
だが、エルが行ったそれはノノイの知るものとは全くと言っていいほど違っていた。
詠唱をまともに唱えていないのに土どころか石が現れ、顕現した石は地面に落ちることなく宙に浮かんでいた。
エルは何をするつもりなのだろうか。今魔法を使ったところで意味があるとは思えない。逃げるか、ナイフなどで切りつけた方がずっと現実的だ。
オオカミはもちろん魔法に怯むことなくエルに爪を立てようとし、そうしてやっとノノイは我を取り戻した。
エルが危ない。
『エル!!』
叫んでも、エルはノノイを見ようともしない。
その時、エルの作った小さな石から軋むような甲高い音がした。それ以外はなんの変化も無い。無いはずなのに、ノノイにはそこに大きな力が溜まっていくのがわかった。
ノノイは口を半開きにしたまま唖然としていた。これはおとぎ話で出てきたような、幼い頃に夢見ていたような、本物の魔法だ——。
不思議な力のこもった石が風を切り裂いて、オオカミもろともに吹っ飛んでいく。
オオカミは背中を木に強く打ち付けて、犬のような鳴き声をあげたかと思うと、それっきり動かなくなってしまった。
オオカミの背中が不自然に曲がっているような気もしたが、犬の死骸にあまり見覚えがないノノイには生死の判別が難しかった。それに、そんなことを確かめる前に、オオカミは消えてしまったのだ。
足先から体が徐々に光の粒へと変じて行き、後には何も残らない。
もはや言い訳の仕様もない。村の神様は死んでしまった。
「結構すぐに死んだな。体を失ったことでやはり弱っていたのか」
エルは高く掲げていた杖を肩にかけて少し体を揺すると、袋の中の骨が軽い音を立てた。
森にこだまするその音は変に耳に付きまとう。
だが、エルはノノイに感傷に浸らせる気などないようだった。
「ノノイ、いつまで寝ているんだ?」
相変わらずの冷たい目でノノイのことを見下ろす。
『……そうね。ちょっとボケてたかも!』
慌てて立ち上がって埃をぱんぱん払うと、エルがノノイの顔を覗き込んできた。
『エル?』
「……お前、頬に少し傷が入っているぞ」
『えぇ、うそっ!』
「本当だ」
手で顔を拭って見ると、ノノイの掌は真っ赤に濡れていた。遅れてやっとズキズキとした痛みが頬を襲う。
(やっぱり、ルーパス神の爪をもろに受けてたら死んでたのね……)
『うわぁ……』
「守れもしないものを守ろうとするからだぞ。今後は控えることだ」
確かに、ノノイの体全てを使って盾になろうと思っても、それは殆ど空気のようなものだ。
だが、結果的にこうして話し相手が生きているのならば、ノノイはそれでいいとも思った。ノノイが危険を知らせなければ、エルは死んでいただろう。
(……ちょっとぐらい礼があっても良いんじゃないかしら?)
エルはしばらく考え込むようにしてこちらを見ていたが、ノノイが不思議に思って視線を返すとふいと目を逸らしてしまった。
「……帰るか」
『そうね! ……ちゃんと私が案内したげるんだから、もう杖で突いたりしないでよね! 私、一応怪我人なのよ!』
「……わかった」
ノノイは道案内などと言いながらも、来た道をその通りに辿れる自信などなかった。何せ暗い森の中である。目印など殆ど無いに等しい。
(あれ、こっちだったっけ……?)
まあ、行ってみればわかる話かと、ノノイはあまり躊躇わなかった。
「違う、右の道だ」
『あ、そうなのね』
ノノイが何度道を間違っても、エルが杖を使うことはなかった。獲物を仕留めて機嫌がいいのだろうか、素直に後をついてくる。ノノイはなんだか拍子抜けな気分であった。
(さっきまではあんなにぶっ叩いてきたのに……)
『にしても、どうしてルーパス神は死んでたのかしら?』
「さあな。戻ったらまた調べねばなるまい」
『分からないの? でもさっき、ルーパス神が死んでるの知ってたみたいじゃない』
「まあ、急に村に魔物が出現し始めたと言う話だ。死んだと考えるのが妥当だろう」
エルは当たり前だと言わんばかりだ。
『……何を言ってるのか全く分からないわ』
エルははああっと面倒臭そうにため息をついたが、一応説明をする気はあるらしい。
「……精霊、霊魔、魔物、その他魔を操る才のあるものの墓には皆魔物が集まる。魔の才というものはその血肉に宿るものだ。それを喰えば才は引き継がれる」
『つまり?』
「……先のオオカミを食った奴らが魔物になったと言うことだ。これでいいか?」
『なるほど!』
あやふやながらも、エルが先ほどよりもわかりやすく物を言ったので、ノノイはなんとなく分かった気になった。
(ま、詳しいことには興味ないし、なんとなく分かればそれで良いわね!)
内容はどうであろうと、こうやって会話できるだけでもありがたいものだ。
ノノイはエルに会えたことを神様に感謝しようと思ったが、肝心の神様はエルが殺してしまったことを思い出して微妙な気分になった。
「おい、よそ見しながら歩くな。獣道からずれてるぞ」
『ほんとだ、ごめん!』
まごつきつつも、ノノイはやっと自分の家までエルを案内し終えた。
森から出ると、思ったよりも空は明るく、それが月や星の光のみで無いことは明白であった。ノノイが光源を求めて東の方を望み見ると、山を縁取るように陽の光が漏れ出ていた。いつの間にやら、朝になっていたらしい。
「あれ、おはよう。エルちゃんは早起きね」
家の前ではいつものようにナナが墓に水やりをしていた。
「ああ。おはよう」
エルは特に誤解を解こうともせず、すたすたとノノイの横を通り過ぎて行った。
(あれ……、なんだろ。変な感じ)
だが、悪くはない。見慣れぬエルの後ろ姿は、小さくて可愛らしいものだった。
「ナナ、ここの墓は?」
「一族代々のものさ。それがどうしたんだい?」
「いや、ここの村でも墓は一家の敷地の中に建てるのだなと思ってな。私の故郷では死骸は灰にして撒いていたが、故郷の外はどうやらこれが主流のようだ」
なかなか興味深いと、エルは顎を摩ってしゃがみ込んだ。
「はぁーっ、撒くの……」
「やはり、外の者からしたらかなり異端だろうな」
エルは手を軽く擦り合わせた。ノノイは存外に嬉しい気持ちになった。自分とその血族を悼んでくれるのはやはり有り難いものだ。
「む、これは……?」
どうしたのか、エルは足元の草むらをかき分けた。
その視線の先には一匹の甲虫がいた。
「珍しい虫だね」
「…………」
ナナの言葉に、エルは口をへの字に曲げて返事をしなかった。
その虫はテントウムシのようなフォルムをしながらも、全身が青白かった。
(そういえば、贄にあげた鳥も青白かったっけ)
ノノイはそんなことを思い出してしきりに感心した。