遺骨
「お、出てきたぞ」
からり。
それは、黒ずんだ骨だった。
エルは一本の骨を掻き出すと、再び巣穴の中に杖を入れる。軽い音が、森中に響き続ける。
(ほね……? 何の?)
エルはここに霊魔がいると言っていた。ならば、この骨の正体など、一つしかありえない。
ルーパス神のものだ。
(いや、でも、どうして。だって……)
「神が死ぬわけがない、とでも思ったか? そんなわけがない。私は言ったはずだ。神などと持て囃されてはいるが、霊魔と言うものはそこら辺の魔物と大差はない、とな」
確かに霊魔は頭がいい魔物みたいなものだとエルは言っていたな、とノノイは働かない頭でぼうっと考えた。だからと言って、納得できるものでもないが。
ノノイはエルに何か問い詰めてやろうと思ったが、見た目が子供のエルが神様の頭蓋骨を掻き出しているという異様な光景に閉口してしまった。
あんなに誰かと話すことを夢見ていたはずなのに、あの冷たい瞳が今度はこちらへと向かうのではないかと思うとノノイはどうしても話しかけることができなかったのだ。
そんなノノイの心配とは裏腹にエルは一仕事終えたとため息をついた。
「これで一通り集まったな」
エルはどこか事務的に骨を持ってきていた袋の中に詰めた。
「……依頼完了だ。帰るぞ」
エルは満足げな様子であるが、ノノイはまだ事態が飲み込めて居なかった。
(ルーパス神が死んでる? じゃあどうしてこの村に魔物が……?)
死んだこと自体が信じられないが、もし本当に死んだのであれば村に魔物が発生したことに説明がつかない。ルーパス神がこの土地に加護を与えたのではなかったのだろうか。
先ほどまで地面に散らばっていた無惨な残骸からは、かつての姿は想像できなかった。これが本当にかつては神であったものなのだろうか。
エルは神云々の話はもう既に終わったと言わんばかりの様子だった。
「ノノイ、帰るんだから先を歩け。……聞いているのか?」
(もし生きていたら、どんな美しい姿をしてたのかしら?)
きっと毛皮は月の光を反射して鈍く銀色がかっており、瞳は金色で、らんらんと先を見据えていたのだろう。
いつだかルーパス神の縄張りの近くで遊んだ時に感じた雰囲気に、ノノイは懐かしさと同時に心臓の辺りを掴まれているような緊迫感を感じた。ただの幻覚だというのに、こんなにも心を揺さぶるものなのか。
ふと、ノノイはその幻影がエルのことを憎々しげに見つめていることに気がついた。そして、その違和感にも。
(……違う! これ、幻影なんかじゃないっ!)
半透明な、だがノノイと比べると明らかな生気がある、神々しい姿。もしかしたら、これが精霊というものなのかもしれない。
エルは言っていたではないか、霊魔は精霊が肉体を得た存在であると。
とするとこのオオカミは、肉体を捨てただけで、精霊としてまだ生きていたのだ。
オオカミはただエルのことばかり見て、ノノイには目もくれない。幽霊であるノノイを見ることはできないのだろう。
そして睨まれている当のエルは、驚きに固まって動けないノノイのことを警戒してオオカミの存在に気がつく様子は無かった。すぐ後ろに神が居るというのに、呑気なものだ。
ノノイが何か言葉を発そうとしながらも、驚きと恐怖で喉をつっかえさせていると、オオカミが体を大きく後ろに引くのがわかった。まるで、足に力を溜めているかのような仕草だ。
(不味い!! 襲われるっ!)
『エルっ!!!』
自分でもよく分からないうちに、ノノイは身を踊り出していた。
薄弱な体を精一杯に広げて、エルまでオオカミの爪を届かせまいと通せんぼをしたのだ。
ノノイは知っていた。己が非力であることを。エルに信用されていないことを。
だから、こんな行動は全く無意味だ。
エルに襲い掛かろうとするオオカミは止められないし、得体の知れない精霊の攻撃を受ければ死ぬかもしれない。ノノイを信用していないエルは、ノノイが急に襲いかかって来たと勘違いして殺そうとするかもしれない。
(でも、それでもっ!!)
ほんの小さな間だったとしても、久しぶりに人と話した。
疎まれていたとしても、ここまで殺されはしなかった。
だから、ノノイにできる精一杯を、エルに捧げるのも良いのではないかと思ったのだ。
(ここでエルに死なれるのなんていやよ! また誰とも話せなくなるじゃない!)
目の前にオオカミの鋭い爪が迫っている。風のようなものがノノイの頬を撫でた時、彼女はその爪に尋常ならざる力が宿っていることを悟った。いつか魔法を打たれた時や、エルに杖を向けられた時のような抵抗が確かにその爪にはあった。
そして今まさに薄いノノイの体を掻き切らんとし——
「——なんだ、まだ生きていたのか」
こんな時にも、エルの態度は変わらなかった。単調で、つまらなさそうな声。
ノノイは不意に襟首を掴まれ、気がつけば地面に転がっていた。
(助かった、の?)
見上げると、杖を構えたエルがすっくと立っていた。
「お前は馬鹿なのか? 霊体が盾になれる訳がないだろう。すぐに引き裂かれて終わりだ」
エルの若草色の瞳は冷たくオオカミを見据える。