聞き込み
シチューを運んできて台所に戻ろうとするナナをエルは引き止めた。
「ご婦人、ここでは魔物が急に大量発生しているのだったよな? それについて何か心当たりはないか?」
「そりゃま、ルーパス様のおかげだろうね。今年の祭りの贄が、なかなか珍しいやつだったんだよ。そいつが気に入ったんじゃないかって、村の中では話題になってるんだ」
ナナは忙しいはずなのだが、エルの可愛らしい容貌のせいか嫌な顔一つすることなく丁寧に話を聞いていた。
「ルーパス様とは?」
「この村の守り神みたいな存在だよ。見たことはないが、狼のような見た目をしているらしいね。いやあ、まさか神様がこの村に加護を与えるなんて、初めは驚いたよ!」
ナナは嬉しそうに話す。
実は、村人が害獣駆除がてら狩った魔物を商人やら冒険者やらが買い取ったりしているのだ。お陰で村全体が潤っている。
特に誰かが言い出したことではないのだが、この魔物はルーパス神のお恵みだという話は村人の間でもよく話されている。
「……ほう? いい贄をやったらその狼が喜び、魔物が発生したと言うことか? して、その贄とはどのようなものなのだ?」
エルが興味津々で小さな体を乗り出すと、ナナは実に微笑ましいものを見たような顔をしていた。
ノノイもエルの動作を見てかわいいと思ったが、ノノイに対する態度が酷いので、微妙な気分になった。
(ナナ! きっと騙されてるわよ!)
「青白い鳥だったね。形はキジに似てたけど……」
「……ふむ。なるほどな」
エルは顎に手を当てて考え込み出した。
エルのそんな様子を見とめたナナはさっと料理を運んでいたお盆を小脇に抱えた。
「じゃ、私は他の仕事があるから」
「そうか、引き止めて悪かったな」
「いんや。気にしなくていいさ」
ナナがテーブルから居なくなると、エルは上の空でパンを食みはじめた。きっとまだ考え事をしているのだろう。
しばらくの間ノノイはただ黙ってそれを見ていたが、だんだんと落ち着かなくなってきた。やっと人間とお話ができるのだ。それなのにこんなふうに無視され続けるのはどうも辛抱ならなかったのだ。
『ねえエル、ご飯美味かった?』
沈黙に耐えきれずにノノイが尋ねても、エルはちらっとこちらを見るきりなんの反応も示そうとしない。
エルは口元を拭ってから手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
二人して黙ったまま食事が終わってしまった。
それからエルは寝るために部屋に入り、ノノイはなぜか締め出された。
あほなノノイとて自分がエルに疎まれていることは何となく理解していた。であれば、エルが寝床にまで押しかけられるのを嫌がることはわかる。
だが、それだけではないのだ。
物理的に入れない。
幽霊が物理を語るのもおかしな話であるが、何故かノノイの体が壁をすり抜けることができなかったのだ。
さっきからエルのいる部屋に体当たりをかけているのだが、びくともしない。指先分だってノノイの体は入っていかなかった。
『エルーー! なんで入れないのよーー!!』
騒いでも、部屋の中から物音が聞こえることはなかった。
(もしかして、聞こえてすらないとか?)
それから大声で何度かトライしたが芳しくなかった。
流石のノノイも疲れてくる。どうやら幽霊にも体力という概念はあるらしい。
(……よく考えたら、他人の部屋に無理やり押し入るのって非常識だったかも)
そうして今更ながらノノイは自分の間違いに気がついた。
誰にも見えない壁をすり抜けることをいいことに他人のプライベートも何も知ったこっちゃ無いような生活を長い間送ってきたノノイからすれば、それも仕方のないことなのかもしれない。話し相手の登場にまともな思考回路でなかったのも一因か。
(まあいいわ。エルもきっと今頃寝てるでしょうし、私も自分の墓で大人くしてようかしら)
やっと諦めてノノイはふよふよと飛んでいく。
ノノイの墓は、この宿の裏庭にこじんまりと立っていた。石にはぎっしりと人の名前が刻まれている。
毎日夜になると、ノノイは決まってその中から自分の名前を探す。
自分の体が石の中に入り込んでいかないようにそっと表面をなぞって、既に輪郭が曖昧となったそれを確かめる。そしてその下に、父や母、兄弟の名前も刻まれていた。
ノノイは字が読めなかったが、その位置に刻まれたものが誰の名前かぐらいは覚えていた。
(よし、今日もちゃんとあったわね。みんなの名前も!)
ノノイは地面に寝転がって夜空を見上げた。寝ることはないので、ただずっと眺めているだけだ。
長年の習慣なので、星の配置もほとんど覚えてしまった。
(今日はきっとついてるわね、霊感ある子に会えたんだもの)
どこかで聞いたことのあるような世間話や、子供の遊びを傍観するばかりだった普段に比べれば、今日は何と素晴らしい日だったのか。
(明日は、きっと仲良くなって見せるわ!)
そんなことを考えながら、ノノイはエルの姿を思い出して星空に映し出した。
ノノイは少し前から疑っていたが、どうやらエルは見た目どうりの年齢ではないようである。耳も普通の人間に比べてとても長いし、緑色の目に桃色の髪というのもあまり見ない色だ。獣人のようなどこかの特殊な少数民族なのだろう。
ノノイが一人でぼうっとしていると、裏口のドアが軋む音がした。
「まだ居たのか」
見上げると、エルが冷たい目でノノイを見下ろしていた。