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月の宮殿

 その銀髪の女神様は、白くて光沢のある石でできた椅子に座ってカミラを見ていた。ただ座って微笑んでいるだけなのに、群青色の瞳はどこまでも深くて飲み込まれそうな感じがする。


 着ている服は、カミラが着ている島の伝統衣装によく似ていた。真っ白な生地で作られたそれは、彼女の清らかさを一層引き立てている。


 カミラはゆっくりとベッドから起き上がった。どこも痛いところはないし、気分も悪くない。座ったまま、カミラはどう言って挨拶をしたら良いか考えた。少し悩んで、おずおずと口を開く。


「えっと、こんばんは、カミラです。十歳です。……うちのルカが、いつもお世話になってます」


 何か言おうと迷って、カミラはお母さんの挨拶をまねた。お母さんは近所のおばさんや友達のお母さんに挨拶をするとき、いつもこう言うのだ。「うちのカミラが、いつも世話んなってるね」と。


 何かおかしかったのか、女神様は楽しげに笑った。そして楽しげな笑顔のまま、カミラに向かって挨拶をする。


「こんばんは、カミラ。わたくしはルアニカ。月の女神よ。こちらこそ、ルカが面倒をかけているわね」


 やっぱり月の女神ルアニカだったか。

 カミラはそう納得すると同時に、はっと居住まいを正した。月の女神様相手にこの態度はなんだ。


 今度は丁寧に両膝をついて、伸ばした腕を床にぴったりと沿わす。頭をしっかり下げて、お祈りの姿勢をとった。


「月の女神ルアニカ様。先程はごめんなさい。そしてお誕生日、おめでとうございます」

「ありがとう。でも頭を上げてちょうだい。姿勢も戻していいわ。あなたはお客さんなのだし、堅苦しいのは儀式だけで充分」


 カミラがそっと頭を上げると、女神様が美しい笑顔で見下ろしていた。


 しかし島の教えでは、神様の像を前にしたら祈りの姿勢にならなくてはいけないと言われている。本物の神様を前にしても然りだろう。カミラは困ってしまって、視線を彷徨わせた。


「カミラ、普通に座っちゃえよ。おいら、神官のやつがずっと祈ってて足腰痛めてたの知ってるぞ」


 確かに太陽の神ケーコアに仕える神官は、太陽が昇る東の砂浜でいつも祈ってばかりいる。神様に仕えるのだから当然なのだけれど、あれを長時間やるのはかなりきついだろうと思った。


 ルカが後ろからそう言うのを聞いて、カミラは立ち上がってベッドの淵に座った。柔らかいベッドが、カミラのおしりを沈めていく。


 姿勢を戻したカミラを満足そうに見て、女神様は椅子から立ち上がった。そして歌を歌うように、艶のある声でカミラとルカに語りかける。


「まあこんなところに居ても仕方ないもの。大広間へいらっしゃい。今日はわたくしの生誕パーティーよ」


 颯爽と部屋を出ていく女神様を追って、カミラとルカも廊下へ出ていく。廊下にはうさぎがずらりと並んで、先程のカミラと同じ祈りの姿勢で女神様の道を作っていた。


 女神様に聞こえないくらいの声で、ルカにこっそりと話しかける。


「ねえ、ここはどこなの? 女神様のお城なのは分かるけど、私はどうしてここにいるの?」


 焦って色々質問したがるカミラを、ルカがぴょんぴょん飛び跳ねながら宥める。女神様は背が高くて一歩の幅が大きいから、うさぎのルカは頑張って追いかけないと置いて行かれてしまうのだ。


「落ち着けカミラ。ここは月の宮殿で、ルアニカ様が住んでいるんだ。ルアニカ様が人間の女の子を城に招きたがったから、おいらがカミラを連れてきたってわけ」


 ルカの説明を理解する前に、私たち一行は廊下を抜けた。天井が無い大広間は、たくさんの大きな星が手に届きそうなほど近くに見える。


 大広間ではたくさんのうさぎ達が、楽器を演奏したり歌や踊りを披露したりと、街のお祭りと同じように女神様の生誕を祝っているようだった。


「カミラ、今回は無理矢理連れてきてしまったようで申し訳なかったわね。一度人間と直接話してみたいっていうわたくしの我儘を、ルカが聞いてくれたのよ」

「そ、そうなんですか」

 

 確かにこの場にいるのは、女神様とカミラの他にはうさぎばかりである。皆ルカのように言葉は話せるのだろうけれど、人間と話してみたくなるのは当然かもしれない。


 一匹の白いうさぎが、女神様とカミラとルカが大広間に入ってきたことに気づいたらしい。畏まった立ち方で、大広間中に響く大きな声で宣言する。


「ルアニカ様が、人間の少女とともにお戻りになったぞ!」

「うおおお!」

「ルアニカ様、万歳!」

「万歳!!」


 うさぎ達は、可愛い見かけによらず暑苦しい声で万歳と叫んでいる。


 最初は数人しか叫んでいなかったのに、万歳の輪はあっという間に大広間全体に広がった。膨れ上がった熱気を鎮めるように、ルカがよく通る声で語る。


「皆、静かにしてくれ。こいつはカミラ。おいらが連れてきた、人間の女の子だ」


 ルカの語りには、心が凪いでいくような不思議な効果があった。うさぎ達は長い耳をこちらに向けて、じっとルカの話を聞いている。


「知っての通り、ルアニカ様はカミラを客としてお迎えになっている。月うさぎの威信に懸けて、一晩の間全力でおもてなしするぞ!」

「うおおおお!」


 途中までは良かったのに、最後に台無しである。あれよあれよと言う間に、カミラは女神様の隣にある立派な椅子に座らされた。


 そしてうさぎ達が一列に並んで、次々とごちそうを運んでくる。ちなみにルカも、一緒にその列に並んで女神様に甲斐甲斐しく世話を焼いていた。


 夕飯は味見したスープとププタキのジュースだけだったから、食べ物の匂いを嗅いだだけでお腹がぐーっと鳴った。月の料理は、どんな味がするのだろう。


「こちら、星屑の包み焼きです」

「こちらは揚げた銀月芋でございます」

「満月飴をどうぞ」


 次々と出される料理を、カミラは夢中で頬張った。どれも島で食べたものと同じような見た目だけれど、味はずっとこっちの方が美味しい。


 食べながら、カミラは女神様とお喋りをする。いつも島では神様にお祈りをしていたけれど、こんな風に同じ目線で話せる日が来るなんて思ってもいなかった。


「島でもわたくしの生誕祭を盛大に祝ってくれているようね。今年もたっぷり煙が届いて、とても嬉しいわ」

「そんな、当たり前ですよ。月の女神ルアニカは、太陽の神ケーコアと同じくらい大事な神様だから」


 太陽の神ケーコアの生誕祭は、夏の一番暑い日の昼間に行われる。娘達の歌や踊りの奉納が中心のこの祭りとは違って、男達の剣舞や武闘が奉納される祭りは、夏ということも相まってとても暑くて熱い日になるのだ。


「きっと世界中どこでも、今日は月の女神様の生誕祭をやってるはずです!」

「あら。……実はね、そんなこと無いのよ」


 女神様の美しい夜空色の瞳が、悲しい色に曇った。


「どう説明したら良いかしら……。太陽の神ケーコアと月の女神ルアニカという最高神の存在はね、今はもうマカララ島でしか信じられていないの」

「……?」


 カミラには、女神様の言っていることがよく分からなかった。信じる信じないも何も、世界を創ったのは太陽の神と月の女神だ。その二柱の神様を中心に、たくさんの神様が協力して世界は回っている。


「世界の他の場所ではね、一人の神様だけを信じている人や、わたくしやケーコアとは違う神様を最高神と仰ぐ人もいるのよ。わたくし達を神として信じる人はどんどんいなくなって……。それでとうとう、マカララ島の人々だけになってしまったわ」


 どうやらカミラが思っていたよりも、世界というのは複雑なものらしかった。そして何より他の神様を信じている人ばかりだということに、カミラは頭を殴られたような衝撃を受けた。


「でもこうして、ルアニカ様は女神としているじゃないですか。いるのに信じないって、他の島の人はなんか変だと思います。」


 世界の最高神はケーコアとルアニカだ。だって現に、女神様はこうして神様としてここに座ってカミラと話をしているのだから。


 混乱したカミラを前に、女神様は悲しげに笑った。


「わたくし達神々はね、信じる人にしか見えないの」

「え……?」


 女神様が語る言葉は、カミラが知るはずもなかったこの世の真実だ。


「カミラはわたくしの存在を信じているから、わたくしの姿が見える。でももし他の神様を信じている人の前にわたくしが行っても、わたくしの姿は見えないのよ」


次回の投稿は2/12の夜8時です。

あと1話で完結します。

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