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3話 ランス

 俺は、昨夜立ち寄った酒場に再び足を踏み入れた。まだ朝ではあるが、中は賑わいを見せている。夜明け前に船をだしていた街の漁師たちが一仕事終えて戻ってきたのだろう。


「おぉ、アルセル様! 早速飲みに来られましたか。一緒に飲みませんかい?」


 入り口手前の席に座る漁師の一団が声を掛けて来た。相当飲んでいるようで、彼らの吐く息だけでも酔ってしまいそうだ。


 俺が丁重に断ると、彼らはポカンと口を開けている。予想外の丁寧な答えに面食らっているらしい。


 そんな彼らは放っておいて、俺は目的の人物を捜した。


 程なく目的の人物を見つけ出した。その男は店の一番奥の席に座っている。彼も例にもれず既に酔っ払っている。


「朝から酒浸りか、ランス?」


 声を掛けると、ランスは上機嫌に俺を見上げてきた。彼は俺につき従っている配下の一人だ。


「王子、この街の酒は最高ですよ! 王都のように気取っちゃいない。いっそのことここに暮らしちまいしょうかね。な、リース?」


 ランスは彼の肩に抱き着いている女性に同意を求めた。そのリースと呼ばれた女性も緑色の髪と眼が特徴の風の精霊だった。


 彼らは人目を憚ることなくイチャイチャしている。


「相変わらず精霊にゾッコンか。気持ちはわかるが、人間の女を愛せなくなるぞ」


 精霊は並みの人間の女よりも美しい。だから、彼女たちにのめり込むと人間の女では満足できなくなる事がある。


 リースが手にしたグラスから一口に飲み干すと、ランスは満足下に唸った。


「俺は生涯リースだけを愛し続けることに決めているのです。で、何か用があってわざわざお越し下さったのでしょう?」


 俺はテーブルに腰かけ、改めてランスを見やる。


「あぁ。その愛しの精霊とちょいと旅行してきてくれないか?」

「ほう、どこに?」

「バナへイル王国南岸地域」

「一体どういう事情で?」


 ランスは身を乗り出してきた。その顔は真顔に戻っている。


「ある危険な連中が動いている可能性がある。俺もラヴェンナを先程向かわせたが、さすがに街の中までは入れないからな。お前に調べて来て欲しいんだよ、あの地域の動きを」


 逡巡しながら背を逸らすランス。彼の表情には戸惑いが浮かんでいた。


「バナへイルだったら、こっちの人間も大勢渡航しているでしょう。わざわざ俺を行かせなくても――」


 俺はランスの言葉を遮った。


「ダメだ。今バナへイルにいるヤツらはみんな父上か兄上の指示で動いている。まだ父上たちには報せたくない。確固とした証拠があるわけじゃないからな」


「ははぁ、なるほど。しかしその情報はどこから仕入れたもんです?」


 それは答えに詰まる問いだ。


 夢で観たなんて、未来視の巫女じゃあるまいしな。


「詳しくは言えない。それに確かな情報とも言えないしな」


「ふむ。訳ありってことですか。承知しました。このランス、リース共々バナへイルに行って参ります」


 ランスは畏まって頭を下げた。


「もし、何もないようならそれでいい。ってか、そうあって欲しい。その時はゆっくりと旅行を楽しみな、その娘とな」


 するとランスは目を見開き、あからさまに仰け反った。


「えぇ!? あの王子がそんな言葉をおっしゃるなんて! こりゃ、今日は外に出ない方がいいですね。空から槍の雨が降ってくるかもしれませんぜ」


「おいっ――」


「ハハッ、冗談ですよ。できるだけ急いだ方がよろしいですよね? 一旦北上してハシヤ港から海を渡ります」


 俺は頷いて、懐から袋を取り出した。中には硬貨を詰めてある。


「これで旅費は十分に賄える。余った分は好きに使え」


「へへっ、ありがとうございます」


 袋を受け取ったランスは席を立ち、店の出口へと向かった。俺はその背に呼びかけた。


「ランス!」

「はい?」

「……気を付けろよ」


 ランスは無言で頷いて出て行った。


 一杯飲んだ後、俺も酒場を出た。


 情報が集まるまではどうしようもない。ラヴェンナなら遅くとも今日の夕刻までには戻って来るはずだ。なので、とりあえずどこかで待とうと考えていた。しかし、突如不穏な鐘の音が街全体に響き渡った。


「これは……」


 警報の為の鐘だ。この街に何か危険が迫っているらしい。


 見れば港外れの砂浜の方から多くの人々が逃げて来ている。

 俺はその流れに逆らってそちらの方へと向かった。

 その途中で街の兵士と出くわしたので、ソイツに問い掛けた。


「砂浜に大ウミヘビが現れたとの事です!」


 兵士は慌てた様子で答えた。


 無理もない。大ウミヘビは沖合に生息している魔物だ。こんな沿岸部を襲ってくることなどかつてなかった。


「俺も行く。すまんが一緒に運んでくれないか? 手許に風の精霊がいないんだ」


 兵士は自分の風の精霊を呼び出した。


 風の精霊が手をかざすと、兵士と俺の体が宙に浮きあがる。


「行こう」


 俺たちは風の精霊の力によって空を駆けて行く、そして港外れの砂浜へと向かった。これはまだ精霊魔法のほんの一部だ。これ以上の力を精霊たちは秘めているのだ。


 砂浜が見えてきたのと同時に巨大な化け物が海から這い出て来ているのが確認できた。


 兵士の言った通り、大ウミヘビがその巨体を海から覗かせていた。青い鱗に覆われた体表、太く長い胴、砂浜へと向けられた鎌首。大きな口の間からは鋭い牙が覗いている。


 大ウミヘビは下の砂浜を威嚇している。そこには何十人という兵士たちが身構えていた。彼らの側にはそれぞれ赤髪の女たちが浮かんでいる。火の精霊(サラマンダー)だ。


 兵士たちは一斉に火球を放った。その全てが大ウミヘビに向かっていく。


 大ウミヘビは怒りの咆哮を上げながら身を捩っている。しかし、致命傷は与えられていない。


「あれじゃ、ダメだな。俺がやる。すまないがヤツの真上まで運んでくれ」


「は、はい!」


 兵士が風の精霊に命じて俺たちの体を大ウミヘビの真下へと運ばせた。


「何をされるおつもりです?」


 兵士が不安そうに問い掛けてきた。


「ん? 上から頭を直接狙う。そうすりゃ一撃で倒せる」


「えぇ!? 危険ですよ、王子!」


 俺は背負っていた剣を引き抜いた。鞘を兵士の腕に押し付ける。


「俺を誰だと思っている?」


「あ――」


 兵士は気まずそうに口を噤んだ。


 そんな彼を尻目に俺は2体の精霊の名を呼んだ。


「リサンドラ、ウィリデア」


 すると赤い眼と髪を持つ女と、鳶色の眼に褐色の髪を持つ女が姿を現した。


 前者が火の精霊のリサンドラ、後者が土の精霊(ノーム)のウィリデアである。


「第二界で強化を」


「はいっ!」


 声高くリサンドラが返事し、俺に両手を差し向ける。


火霊の剣サーマリ・グラディウス≫!!


 すると、俺の体に力が漲ってくる。


 リサンドラが施した術は、簡単に言えば俺の総合的な攻撃力を高めてくれる。


「いくよー」


 どこか間延びした声でウィリデアも俺に手を向ける。


土霊の壁ノーリ・モエニア≫!!


 目には見えないが、体の表面に強固な鎧が形成される。


 この術は俺の総合的な防御力を高めてくれている。


「よし、落としていいぞ」


 兵士に合図すると、彼は俺に手を向ける。それまで体を支えていた空気の力が失われ、俺の体は下に落ちていった。


 剣先を真下に構える。大ウミヘビは気配を察したようで、上を向こうとする。だが遅い。


 俺の剣がヤツの脳天に突き刺さる。頭蓋を砕き、その中にまで突き通す。


 落下の勢いに任せて、大ウミヘビの頭をそのまま砂浜に叩きつける。凄まじい衝撃音と共に砂が辺りに飛び散る。剣は叩きつけられた衝撃で根本までヤツの頭に刺し込まれていた。当然息絶えている。宣言通り一撃で仕留めてやった。


 立ち上がり砂浜に展開していた兵士たちに目を向ける。彼らはみな呆然とコチラを眺めていた。


 俺は大ウミヘビの死体を指し示した。


「悪いな、お前らの獲物を上から掻っ攫っちまって」


 呆然としていた兵士たちの顔が、しだいに安堵の表情へと変化していく。歓声を上げ、にこやかにはしゃいでいた。街の危機は過ぎ去ったのだ。


 俺は海の方に向き直り、胡坐をかいて座った。


 水平線の先にバナへイル王国の島が見える。


「ラヴェンナのことなら心配いりません。アイツはしっかりしていますから!」


 背後からの声に振り返ると、リサンドラが後ろに控えていた。朝陽にその真っ赤な髪が輝いている。


「そうだな……」


 そう答えたものの、底知れぬ不安感は時が経つ毎に増加している。


 視線を大ウミヘビの死体へと向けた。兵士たちが後処理を開始している。解体すれば色々と使い道があるだろう。それもあって兵士たちの顔は明るい。だが、俺にはあの大ウミヘビが不吉な予兆にしか思えなかった。


 ――なぜ、沖合の大ウミヘビがこんな沿岸までやって来た?




 ◆鬼人の刻◆




 転生鬼人衆の1人であるパラケルススは、紺色のローブを纏ったまま腰まで海に浸かって何やら熱心に唱えていた。


 潮風に薄い白髪が弄られるのにも構わず彼は前方の海面に見入っている。


 しかし、彼の儀式は一声で中断させられた。


「パラケルスス殿」


 背後から凛とした若い女性の声が彼を呼びかけた。


 砂浜に立つ女性は色白の肌に艶のある長い黒髪の持ち主であった。彼女もパラケルスス同様に紺色のローブを身に纏っていた。


「おぉ、これはこれは小町殿!」


 パラケルススは首だけを捻って彼女に笑いかけた。その彼女、小町も転生鬼人衆の1人だ。


 小野小町。パラケルススが聞いたこともない名だった。


「いかがされましたか?」

「シャミハナ殿がお呼びです」

「おや、小鳥が囀りましたかな……」

「どういう意味です?」


 小町は首を傾げた。


「シャミハナ殿は計画を少し変更させるということです」


 彼らの言うシャミハナとは、アルセル王子が【義眼の魔術師】と呼ぶ人物の事だ。つまり、転生鬼人衆を創りだした張本人である。彼らにはシャミハナ・カゲロウと名乗ってはいたが、それが本名かどうかは誰にもわからない。


 パラケルススの言葉に小町は無表情に頷いた。


「思ったよりも面倒なことになりそうですね。……ところであなたは何をされておる?」


 再び小町が首を傾げた。彼女の眼に、パラケルススの行いはさぞ奇異に見えたであろう。


「ワシですか? いえね、ちょっとした実験ですじゃ。ほれ、驚きなさるなよ」


 パラケルススは海に向き直り、またもブツブツと唱え始めた。


 すると、沖合の方で何やら巨大な物体が飛び出して来た。


「あれは……」


 小町は驚き目を見開いた。


 それは彼女が今まで見たこともない生物であった。青い鱗に覆われた鱗、太く長い胴、大きく開いた口からは牙が飛び出している。


「ヒヒヒ、これは大ウミヘビという魔物だそうです。大分扱いが慣れてきましたわ。ほれ!」


 パラケルススがさらに唱えると、いくつもの水柱が立ち上がり、合計十体もの大ウミヘビが姿を現した。


「その気になればもっと呼び出せますぞ。そうそう、既に何十体か、海向こうのアルタイア王国に差し向けました。どのような状況になっておるか楽しみですのぉ。ヒヒヒ」


 薄気味悪い笑みを浮かべるパラケルススに対して小町は顔を顰めた。


「悪趣味な……」


 そう呟いて彼女は踵を返して立ち去って行く。


「遊びはそこまでにして、早くシャミハナ殿の所にお出でなさい」


 小町は振り返りもせずに言った。


 そんな彼女の後ろ姿をパラケルススは舐め回すように眺めた。


「……ふん、俺好みの良い女だぜ」


 その声は彼女の耳に届かない程小さなモノであった。


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