表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/62

神原陽葵の休日

「ふわぁ」

鳥が朝を教える頃。間の抜けたあくびとともに、神原陽葵(みはらひまり)は起床した。寝ぼけ(まなこ)を擦り、ベッドから這い出でる。


「起きなきゃ」

自分に言い聞かせるようにこぼし、洗面所へ向かった。


陽葵は洗顔を終えると、キッチンに向かった。朝食を作るためだ。


「今日の献立は……いつも通りでいっか」

栗色の髪を後ろで一つにまとめた少女は、冷蔵庫から卵とベーコン、収納から少し小さめのフライパンを取り出した。慣れた手つきで油をひいていく。


「……榎本さん、何食べてるのかな」


陽葵はここ最近、気づけば四つ隣の部屋に住む少年のことを考えている。


「夜ご飯は作ってるけど、朝とお昼ご飯とか大丈夫かな……」

卵を割りながら、そうこぼした。朝の冷えた体が、少しずつ熱を帯びていくのを自覚する。

その少年はひと月ほど前、このアパートの近くで自分を助けてくれた。今も昨日のことのように思い出せる。


西谷高校の女子が、彼氏をとられたなどとのたまい、複数人で問い詰めてきたのだ。もちろん陽葵はそんなことをした覚えなどない。ただのとばっちりである。


あの時助けてくれた少年を、陽葵は長い時間をかけて探した。

学年も名前もわからず、わかるのは身体的特徴と、同じ学校の生徒ということだけ。


それから三週間が経ち、さすがの陽葵も諦めようとしたとき。校庭の中央広場で昼食をとっているその人を見つけたのは、本当に偶然だった。

名前と同じ学年だということを友達から聞き、帰り道の校門で待ち伏せたときの彼の驚き顔は傑作だった。思い返せば、今でもクスりと笑ってしまうほどに。


「榎本さん、何食べてるのかな……」

栗色の髪を揺らす少女は、ぽけーっとした様子で、独り言を繰り返した。




「何しよっかな」

朝食をとった陽葵は呟いた。

陽葵は計画を立てるのが苦手で、毎週土日にはこんなことを言っている。要の前で言おうものなら、「勉強しろ」と呆れた顔をされるのだろう。


「……勉強しよっかな」


それは勉強嫌いの陽葵の小ぶりな口から出るには、久しぶりの言葉だった。

昨日、要と勉強をしたのが効いたのだろうか。しかし発言と反して、表情はあまり気乗りしていない様子である。

神原は暫しの葛藤のあと、根を張ったように重い腰をあげて自室へと向かった。



「……あれ?」

目を覚ました陽葵は顔をあげた。壁掛け時計の長い針が、いつの間にか二周している。勉強をしているうちに、うとうとしてしまったらしい。寝返りをうったのか、ノートにはシワができていた。


やはりやる気がないときに勉強など、するものでない。それを再確認し、陽葵はリビングへと足を運んだ。寝ているうちに乾いた喉を潤すためだ。


もう一度時計を確認した。時刻は十一時を少し過ぎたくらいだ。この後昼食をとり、午後には買い物に行かなくてはならない。


「榎本さん、なすが嫌いって言ってたな……」

陽葵は買い物メモを作る手を止め、記憶を蘇らせる。

あの時は好き嫌いは考慮しないと言っていたのだが、しっかり入れないようにしている。あれからなすを買う頻度が少なからず減った。


「準備完了! しゅっぱつ!」


意気込んだ陽葵は長い髪を揺らし、最寄りのスーパーまでの道を急いだ。



「ええっと、野菜は……」

自分にしか聞こえない声量で呟くと、陽葵はスマホを取り出した。ロックを解除して、メモアプリを開く。


思えばここは、要と来た場所だ。あの時は卵をふたパック買うために呼んだのだが、正直来てくれるとは思っていなかったのだ。


そのせいか陽葵は、買うわけでもないのに、商品の方向を見ることがある。冷凍食品や桃の缶詰の方だ。


「あと買うものは……」

メモアプリの項目とカゴの中を照らし合わせて、買い忘れがないかを確認する。特にないようだ。


カゴの中身は野菜に豚肉、パンといった主婦的なものだ。もちろんなすは入っていない。

陽葵はレジに着くと、カートに吊るしていた兎の刺繍(ししゅう)が入ったエコバッグを提示した。とことん主婦的である。

商品をバッグに詰めてくれた店員に笑顔で一礼し、陽葵はスーパーをあとにした。


外に出てみれば日は少しずつ傾き始めていた。六月にもなったが、まだまだ涼しい。

重い荷物を玄関口の廊下によっこらせと下ろす。買う予定ではなかったものも入っているので、少々重くなってしまった。


時計の短い針は4から少し進んだところを指している。夕飯の支度を始めるにはまだ早い時間だ。


「榎本さん、何してるかな……」

陽葵は505号室の方に目を向ける。しかしその目には無機質な壁が入るばかりである。


「……今日は、ちょっと早めに行ってみよっかな」

あの人のことだから、どうせ勉強しているか寝ているとかだろう。

(行っても迷惑とかじゃ……ないよね?)


陽葵はくよくよしても仕方がないと言わんばかりに頭を振った。それに従って、長い髪もバサバサと揺れる。


要の部屋に持ち込む物とそうでないものを手早く仕分ける。それを終えると前者を持ち、部屋に鍵をかけ、505号室の戸を(たた)いた。暫く待っていると、ガチャという解錠音に次いで榎本要が姿を現す。


陽葵は自然にこぼれた笑みとともに、口を開いた。


「こんにちは、榎本さん! やることがなかったので、早めに来ました!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ