あたしはねえさまの猫なので、聖女にはなりません
※単独で読めるつもりですが。前作を読んでないとなんのこっちゃかもしれません。すみません。
さみしそうなひと。
それが、ねえさまとあったとき、あたしのあたまに、いちばんに浮かんだことば。
どうしてかな? じぶんでもよくわからない。
だって、ねえさまにもお母さんはいないけれど、この公爵家には、ねえさまのお父さんもお兄さんもいて、いっぱいお世話するひともいて、お姫さまであるねえさまはいつも人に囲まれている。
たったひとりの家族だったお母さんがいなくなっちゃった、こ児のあたしのほうがよっぽどひとりぼっちだ。
ねえさまは、とてもきれいなひと。
つやつやした黒い髪と真っ白い雪のような肌、赤い唇はお化粧をした母さんよりもずっときれいな色。そして、透きとおった紫いろをしたひとみは、眼というより宝石みたい。
ほんとうにそういう宝石があって、アメジストというのだと教わった。
きれいなねえさまは、おとなのひとみたいに笑う。
公爵さまやお兄さまのまえでは、すてきなレディのようにほほえんで。お世話がかりのじ女やじゅう者には、女主人として、ほめるために笑って。こんやく者やおともだちとあそぶときは女王さまみたいに高らかに声を上げて。
でも、あたしの前では口元をゆがめるだけ。
ねえさまは、あたしには、いつも怒っている。
怒るとお顔がまっ白くなって、ますますお人形みたい。それか大理石でできたびじゅつ品みたいになって、とてもきれいでとてもこわい。こわいけど、きれい。
ここにきて、あたしはきれいなものをいっぱい知った。
お母さんが死んで、公爵さまに引き取っていただくことになったときは、ほんとうはかなしかった。おとなりのマーサおばあといっしょに暮らすんだとおもっていたから。マーサおばあはリュウマチもちでお年よりだから、あたしみたいな子どもでもいっしょにいたら助けになる。そういってくれてたのに。
公爵さまのほうがお金もちで、おいしいごはんもきれいなものもいっぱいあって、いいところだからっていう。あたしがいやいやって首をふると、最後には「あんたがいけば、あたしは公爵さまからほうびをもらえるんだよ、だからとっとといっちまいな」って。
赤くなった目で怒ったみたいなかおをして、マーサおばあは、あたしのお尻をたたくようにして、家をおいだした。
おとなのひとは、ときどき、思ってもいないことを言って、やりたくないことをやる。
ねえさまも、そう。あたしと半年しか年がちがわないのに、すごくおとなみたい。
ねえさまは、あたしみたいな、うすぎたない子が妹になるなんて、みとめないっていう。
あたしが変なことばをつかうと、とっても怒る。あたしが居てはいけないところにいたり、さわっちゃいけないものにさわったときも怒って、そして、がっこうのせんせいみたいにムチでバツをあたえる。
ほかの人は、おいしいごはんときれいなお洋服とベッドをくれて。でも、それだけ。
公爵さまはおしごとでいつもお留守みたいで、ごちゃくなんのお兄様はおべんきょうでいそがしい。
この広いおやしきの中で、たぶんほんとうにあたしを見ているのは、ねえさまだけだった。
ねえさまには、おともだちが多い。
でも、女の子はいなくて、男の子だけ。男の子だけど、みんなすごくきれいな子。でも、やっぱり貴族でも、男の子はすこし子どもで、ねえさまといると、女王さまとけらいみたい。
いちど、そのあそびに声をかけられたことがある。おいかけっこだ。ただし逃げるのはあたしだけで、手でつかまえるのではなく、投げられたものを当てられたら、あたしの負け。
ねえさまに言われて、下女のかっこうになった。これなら汚れても、こまらない。
下町そだちのあたしは、けっこううまく逃げられた。けど耳元を大きな石がかすめたり、それであたしが悲鳴をあげると、どんどん息を荒くしていく男の子たちに追いかけられるのは、こわかった。ねえさまが、そんなかれらを羊を追う犬みたいにうまくまとめてくれる。
さいご、おたがいに疲れきって走れなくなる前に、ねえさまのこんやく者だという王子さまのなげた石が、腰のところにあたった。あたった腰より、転んでしまって打ったひざが痛い。
かっさいをあげる男の子たちをしり目に、泥だらけになったあたしは、そそくさとはなれる。ねえさまの目が、あそびはおしまいだと言っていたから。
そうしてキズも泥もいっぱいついたけど、ねえさまの思うとおりにちゃんとできて、あたしはうれしかった。
だからその日も、男の子たちがやってくると知って、もしかしたら呼んでもらえるかな、とおもったのだ。それでつい、目にとまるように中庭をうろうろしていたら、ねえさまが怒ったかおでやってきた。
しまった、と気づいたときにはもうおそい。
こんなところで何をしているの、と平手で頬を打たれ、そして両手でおもいっきり押される。いつものように転ばせようとしたのだろう。けれど、わるいことにそこは池のふちで。ぐらっとあたしの体は水に向かってたおれた。
そのとき、せかいが、ゆっくりと流れていった。
目の前で、アメジストの目を見ひらいたねえさまが、小さく声をあげる。すると、その体がとつぜん炎に包まれた――気がして、あたしはとっさに手をのばしてねえさまをつかみ。水の中へひっぱりこんだ。
ガンッ、と強い衝撃とともに、池の底深くで頭を打ったあたしは、不思議な夢を見た。
そこは、きらびやかなパーティー会場だった。
その中央で美しい黒髪のお姫様のようなひとが、怒りに顔を白くして叫んでいる。
騎士の恰好をした青年が、お姫様を犯罪者を取り押さえるみたいに、床に倒しているのだ。
酷い。
その青年以外にも複数の男の人達が取り囲んでいる。ちょうどあたしの前にもひとり立っていて、お姫様の目からあたしを遮ろうとする。
顔の見えない男の人達。どこかで会ったことがあるような気がする彼らの、憎々しげな声が響く。
「そのドレス、その宝石。そのひとつだけでも餓えた民をどれだけ助けられると思っているのですか。ただ身を飾るためだけに浪費を繰り返し、何一つ施さず何一つ与えない。だからあなたは公爵家の毒姫と呼ばれるんですよ」
「我が家に仕える侍女はみな出ていくといっているよ、お前の傲慢な行いに嫌気がさしたそうだ。それに、ほんのわずかなミスひとつで血が出るほど鞭打たれる。私たちは奴隷ではないといってね」
「彼女がお前に何をした。学院ではみな平等。その原則を無視し身分をかさにきて弱きものを虐げるとは。彼女の美しさを妬んだか、それとも心の清らかさを憎んだのか。どれほど着飾りどれほど取り繕おうと、貴様の正体は醜い毒だ。この悪女が!」
一方的な断罪のことばに対して、怒りにみちた叫びが発せられる。
「私は公爵家の娘として当然の装いをしているだけです。それを他家の貴方に非難される筋合いはないわ!」
「お兄様、何を言っているの! 間違いをおかしたものを叱り、罰するのは、上に立つ者としての当然の義務でしょう?」
「ひとの婚約者をたぶらかし、この国の有力な子息たちを毒しているその女こそ毒婦というのではなくって!?」
憎しみにあふれた声、怒りに満ちた叫び、そのどちらが正しいのか、あたしにはわからない。
けれどそのお姫様の怒りに白くなった顔と紫色の美しい瞳とが、あまりにも鮮やかで。すべてが敵のなかで、己のプライドだけをよすがに叫ぶその姿が、あまりにも痛々しく哀しくて。
思わず近づこうとしたけれど、男たちにはばまれて一歩たりとも動けない。そんな自分が情けなかった。
そこからはさらなる悪夢だった。
ただ一人の味方も得られないままお姫様は引き立てられ、そのまま牢に押し込められる。彼女にはある女性を殺そうとした罪があるという。けれど、それに対する捜査も証拠もなく、正式な裁判さえ行われた気配ない。ただすべては決められた流れのようにどんどん進んでいく。
そしてその日、そまつな囚人服を着せられた彼女は、怒り狂う民衆の前に引き出される。広場の中央に据えられた柱に縛り付けられ、そして火が放たれる。浄化の火だとだれかがいう。悪女にふさわしい末路だとだれかがわらう。
怒声を浴びせられ、それといっしょにどんどん勢いを増す炎の中、はくはくと彼女が口を動かすのが見える。あわれにも空気を求めているのだろうと言う愚かな人もいるけれど、あたしにはわかる。そんなんじゃない、あれは。ごめんなさい、ごめんなさいと、まるで子どもみたいに。
——やめて!!
思わず叫んだとき、ぱっと世界が反転した。
目の前に、ねえさまのお顔があった。
アメジストのひとみがのぞきこむように、あたしを見つめている。その奥には、あずまやの天井。そのことに、びっくりする。あれ、ねえさまのおひざに、ねかされている?
「お、ねえ、さま……?」
「なあに、ミネット」
なまえ、を、よばれた。
びっくりして動けないでいると、ふんわりと宙にうかびあがる。まほう、だ。
ねえさまが、あたしに、まほうをかけた?
わけがわからない。
水に落ちたのはゆめじゃない。きっと、たすけてくださったのだろう。からだはかわいて、痛いところもない。
それも、まほう?
いっぱいいろんなことを考えて、何もうごけないでいると、そんなあたしをおかしそうに、ねえさまが目をほそめて、それから、あたしの首をくすぐった。そのやさしいふれ方に、おもわず、へんな声をあげてしまう。
すると、ねえさまが笑った。
レディのようでも女主人のようでも女王さまのようでもなく、ただ、すこし年上のおねえさんのように、笑っていた。
ぽーとしているうちに、あたしはいつのまにかまほうで運ばれ、どこかの部屋の中にいた。
ここどこ?
きょろきょろと見回して、それから自分がきれいなシーツのかかったベッドにのっていることに気がついて、あわてておりる。よごしてはいけない。
どうやら、ねえさまの寝室のようだ。ひそかにあこがれていた、あの、ねえさまの匂いがする。
ぜったいに入っちゃいけない、といわれていた場所に、ねえさまが入れてくれた……?
大きな部屋だった。昔住んでいたあたしの家が、すっぽりとおさまりそう。けれど、誰もいない。
壁にきれいな女の人の絵がかかっているほかは、あんまりモノもなくて、がらんとしている。
その絵はきっとねえさまの、お母さまだろう。きれいなひとで、ねえさまにそっくりだから。それに、あの燃やされてしまったお姫様にも、そっくり……。
なんだかこわくなって床でふるえていたら、ねえさまがきてくれた。
あたしに、これからはずっとここにいていいと言う。わけがわからなくてびっくりしていると、ねえさまはアメジストの目でじっと見つめて、もういちど、せつめいしてくれる。
このねえさまの部屋が、今日からあたしの家で世界。
今度はすんなりと、理解できた。
それからねえさまはほんのすこし姿を消したかとおもうと、すぐにもどってきて、プレゼントをくれた。小さな石のついたチョーカーだ。ねえさまがふれると、その石はアメジスト色にかわった。きれい。
みとれていると、ねえさまがなでてくれる。いつのまにかあたまのうえにはえていた耳をつかまれて、あたしはちょっとどきどきする。
「これをつけると、けものになれるのよ。もっとまりょくをこめれば、みもこころも、かんぜんに、ねこになれるの。そうしたい?」
ねえさまがなにか、いっているけど、よくわからない。それがかなしい、ねえさまのことばが分からなくなるのはいや、と首をふると、そっとねえさまが手をはなす。
「ほんとうの猫みたいに鳴けるようになるのよ?」
そう言うねえさまがすこし残念そうだったので、だから、鳴いてみた。ミャア、と、母ねこを呼ぶ子ねこのように、すこし高い甘えた声で。
すると、ねえさまはとってもうれしそうに笑って、あたしの首にまたやさしくふれてくれた。
それがとてもやさしくて、とてもうれしくて、なんだか泣き出しそうになってしまって。ついついミャアミャアと、くりかえす。ねえさまはそんなあたしの甘えをゆるしてくれて、ベッドのうえへあげてくれた。
ねえさまのあたたかい体が、ぴったりとあたしを抱きしめる。あたしの胸のあたりに顔をよせたねえさまは、まるでお母さんに甘えるときのあたしみたい。
とっても、どきどきする。
どうしてかな? この家にきて、はじめてひとに抱きしめてもらったから?
それとも、いつもさみしそうだったねえさまが、あたしといて、しあわせそうだから?
わからないけれど、とてもいい気持ちで、あたしはねえさまといっしょに眠る。
「ねえ、ミネット」
夢うつつに、ねえさまの声がする。
「あなたはほんとうは、世界を救う聖女様なのよ。素晴らしい才能と優しい心の持ち主であるあなたは、いろんなところでいろんな人の心を救って、世界中の国という国を助けて、そして皆からたたえられるの。聖女ってね」
「でも、それでは私がこまるの。だってあなたがヒロインになったら、私は悪役になるしかない。世界を毒する悪女。さいごには断罪されて火にくべられてしまう、そんな役割しか残らない」
「だからもう、そんなことはさせないの。聖女になるはずのあなたをここに閉じ込めて、だれにも出会わせない。あなたはずっとここで、たったひとり、私のためだけに、わたしの猫として生きていくのよ」
すてきでしょう?と尋ねられたから、ええ、おねえさま、とうなずいた。
「ふふ、なにもわかっていないのね、かわいいわたしのミネット。かわいくておろかな、私のいもうと」
いいえ、わかっているわ。
せかいを救っても、ねえさまは救われない。正しいこともわるいことも、ねえさまを救わない。
だったら、あたし、ねえさまの猫がいい。
ねえさまの猫として、ねえさまのさみしさをすこしでも埋めてさしあげたい。
そのために、あたしはあのときせかいをひっくり返した。
だからもう、ごめんなさい、なんて言わないでいいんだよ、イヴェット。
読んでくださり、ありがとうございました
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