一、 悪戯好きの妖精
「……ん」
大草原のど真ん中、エルヴァは風を感じて目を開けると、目の前にあったのは綺麗な緑色。心地好くてうつらうつらしながら、再び眠ってしまいたい気持ちにもなった。が、ふと思い出して、一気に意識が覚醒した。
「っ、こ、ここは」
起き上がると、周囲は見渡す限りの広大な草原。自分はアルと同じベッドで眠っていたはず……しかし今いる場所はどう考えても屋外であり、他に人も見かけない。
「っ、そうだ、アルは」
慌てて、いつも隣にいる相棒の姿を探すが見当たらない。魔力を探ってみても、少なくとも近くにはいない。
どうしたものかと頭を掻いてから、エルヴァは立ち上がり周囲を見回す。辺りは見渡す限り草原であり、遠くを見据えても何も見えない。
エルヴァは所持品を確認した。
中には愛刀煉獄しかなく、他の物は一切持っていなかった。
「は?」
何度確認しても、持っていたはずの食糧、道具は、一切持ち合わせていなかった。困ったように頭を掻いていたが、移動時間くらいなら簡単に短縮できるし、街か何かに行くまでの間なら問題はない。いざとなればその辺の動物でも狩ればいいし、草だって食べられないことはない。大切な相棒にもらった服も眼帯も身に着けているし、煉獄さえあればあとはどうでもいい。
次に、魔力は通じるのかと試しに煉獄を振ることにした。濃口を切り、魔力を注ぎながら抜刀する。綺麗に半径一メートルほどの円形の焦げ跡が残った。魔力の流れには特に滞りがなかったので、安堵しながら煉獄を鞘に収める。
息を吐きながら肩を落とし、まずは人を探すことから始めようと、再び魔力を収束させる。
"❘探索"。相棒に教わった、第一の術である。
属性は結で、基本的には周囲の生き物や地形の把握などに使われる。自らの魔力を薄く広げて展開するこの魔術は、基本的には近くの物を探るためのものだ。本来、ここまで広大な草原の向こう側にまで届くものではない。
しかしエルヴァの場合は、持ち合わせている魔力の量が一般人とは異なる。莫大なまでの量の保有魔力を活用し、通常よりもさらに広く範囲を広げて探ることによって、確率をより多く稼いでいる。
「……見つけた」
閉じていた目を開けながら、エルヴァは呟く。
せっかく見つけた人物を見失わないように、エルヴァは走り出した。一般人の目には留まらないスピードであり、尚且つ通り過ぎた場所にはそよ風程度の風しか吹かない。
反応のあった少し手前ほどの距離で急停止、そこからは歩いて行くことにした。五、六キロほどの距離を数秒で到達したエルヴァの息は一切乱れていなかった。伊達に毎日鍛えているわけではない。
目の先には奥の深そうな森の入り口。そこに一人の人間がいるのが見えた。エルヴァはその人物めがけて歩き、声の届くだろう距離まで来たところで声をかけた。
「道に迷った、ここはどの辺りか教えて欲しい」
「っわ、びっくりした」
見た目のわりに声が低く、想像していた声と違ってエルヴァは内心少し驚いた。
中性的な見た目で、一見女のようにも見える。
見たことないような衣装を着ていて、体格も華奢でそんなに力があるようにも思えない。
次に注目したのは髪の色。
(確か、ルイヴォルス……ヨミやセナと同じ、いや、彼らは既に滅びたと、アルが言っていたはず……どういうことだ。まだ生き残りがいたということか?)
目の前にいる相手の髪色は、現在ではもう全く見なくなったはずの黒色だったのだ。
戦闘民族レイヴォルスとは対になる存在である工作の民、ルイヴォルス。彼らは特別な身体能力を持たない代わりに、他種族にはない手先の器用さと発想能力、小さなものから大きなものまでを工作する技術力を持っている。
そして、その能力を狙って、他種族……特に人族から、日々追われる身にある。だから、自分たちの作った結界装置や、相手を無力化するための道具を作るなど、様々な策を講じた。
でも、敵の諦めは悪かった。自分たちの利益のために、仲間を次々に攫っては高値で取引する。
攫われてしまったら最後、奴隷として堕ちてしまう、それだけ。
だから、戦闘民族であるレイヴォルスに助けを求めた。彼らは快くそれを引き受け、ルイヴォルスが滅びるその瞬間まで、依存し合いながら、友として、仲間として、同志として、共に暮らし続けたという。
「ここはザクロの森の入り口だよ。ラトス大帝国の南部さ」
「……? 聞いたことない名前だな……そんな森あったか……?」
見たことも聞いたこともない名称に、エルヴァは困惑しながら小声で独り言ちる。
黒髪の青年はそんなエルヴァの様子を見て首を傾げるが、笑みを浮かべて続けた。
「もう午後だし、今から近くの町に行っても途中で夜になっちゃうでしょ? 良かったら、うちの集落に泊まっていかない?」
「……ふむ、そうさせてもらうよ」
一応もう一度"探索"をかけてみたが、アルは近くには居ないようだった。あいつのことだから無事でいるだろうとは思うが、やはり一番大切な人が近くにいないのは色んな意味でどうも不安だった。
「後でもう一度試してみるか……」
地面に置かれていた背負い籠を持ち上げて背負い、青年は歩き出す。
「自己紹介、まだだったね。おれはハスティ、見ての通り、ルイヴォルスって種族なんだ。この森の奥で仲間と暮らしてる。あんたは?」
「エルヴァ。まあ、しがない旅人ってところかな」
「旅人かあ。……にしちゃ、あんたの所持品はその刀一本のようだけど……」
「あー、いや、追い剥ぎに遭って、この刀だけは守れたんだが……他の物は、全部持っていかれて、だな」
まさか、気が付いたら草原のど真ん中に倒れていた、などという話、できるわけがなかった。とっさの判断で思いついた作り話をすると、ハスティと名乗った青年は唐突に立ち止まる。
「……嘘はよくないな」
「…………」
ハスティは馬鹿ではないらしい。エルヴァが咄嗟に思いついた作り話をしたことを、今、一瞬で見抜いて、疑いの視線を向けている。
「まあ、人には言えないような事情を抱えている人はたくさんいるし、おれはあんたが悪い人じゃないのをわかってる。だから追及はしない」
以前アルに、こんな話を聞いたことがある。
レイヴォルスは人の感情に敏感に反応する。そんなレイヴォルスと生活をしているルイヴォルスもまた、人の嘘に敏感なのだと。
しかし、彼らの滅びてしまった世界の中で、そんな知識は特に役には立たないと思っていた。本物がエルヴァの目の前に姿を現さない限り。今目の前にその本物がいるのだとしたら、それは確実に当てはまっている。ハスティはどうやら本物らしいと、半分確信した。
(……でも、どうして?)
ハスティの問いに答える前に、どうしてもそちらに思考が向いてしまう。たとえ数は少なくても、生き残りがいるということを、情報に敏感なアルが知らないはずがない。
「さあ、暗くならないうちに行こう」
笑みを浮かべて案内を再開するハスティ。エルヴァは我に返り、追及されなかったことに少し安堵を覚えながら歩き出す。
「ここだ。ここが、おれたちの"家"だ」
「…………」
だいぶ進んだ先で開けたところに出ると、ある程度舗装された地面があり、石や木で建てられた建物が並んでいる、一つの集落と呼べる場所があった。
周囲の木には所謂ツリーハウスも建設されていて、なかなか味のある美しい場所だった。
「人がここを訪ねることはないから宿屋はないけど、長に事情を説明すれば、みんなに説明してくれるはずだ。……あ、ルフ、ただいま」
そう言って、ハスティは近くにいた戦闘員らしい白銀の髪を持つ青年に話しかけた。ルフと呼ばれた青年はハスティを自分の背後に追いやり、エルヴァの前に立つ。
「客人か? ……レイヴォルス、ではないようだが」
ルフはエルヴァの白くなった毛先をちらりと見て、少し警戒したような視線を向ける。
「オレはレイヴォルスじゃねえよ。迷惑なら出ていくけど」
「あ、待って、エルヴァは悪い人じゃないよ。おれが誘ったんだ。追い剥ぎに遭ってから道に迷ってたらしくて、でも、今からバラットの町に行ったって途中で夜になっちゃうでしょ? だから一晩くらいは泊めてもいいんじゃないかって、長のところに行こうとしてたところなんだ」
「…………」
エルヴァはじっくり返事を待つことにした。なんなら別に寝なくても平気なので、追い出されるなら追い出されるでも別に構わなかった。
ただ、屋内で寝るか屋外で寝るかの違いだ。
「ハスティ、長を呼んできてくれ。俺は待ってるから」
「あ、うん、わかった」
うなずいて、ハスティは走り去っていった。
「……なあ、お前、もしかして俺たちの仲間を知っているか」
「あ? 仲間?」
彼らの言う仲間とは、おそらく同族のことだろう。ただし、エルヴァはアル……彼らと同じレイヴォルスである相棒のことを話すつもりはなかった。
アルは同族が嫌い……というよりは、苦手だ。
アルは純血の美しい白銀の髪と、そこへさらに深い海のような青い目を持っている。青目とは、レイヴォルスの中でもかなり重宝される戦闘員の証であり、ただでさえ珍しい青い目を、稀少な種族であるレイヴォルスが持っていたらどうなるか。火を見るより明らかだった。
だから、同族は過保護にもアルを自分たちの目の届くところで確保しようとしてくるのだ。仲間を、同志を、みんなで護るために。
誰かに縛られるのが大嫌いなアルにとって、それは地獄でしかないのだ。だから、あまり同族とは関わろうとしない。自分を想ってくれているのはしっかりわかっているのだが、やはり過保護な同族を持っているとこうなってしまうのか。
「知らねえよ。第一、お前らみたいな稀少な種族、見かけるだけでも珍しいってのに」
「……? 稀少?」
青年はエルヴァの言葉を聞いて、不思議そうに首を傾げる。それを見て、エルヴァも疑問符を浮かべた。
エルヴァはアルという相棒以外のレイヴォルスを見たことがない。彼らの末裔であるレイヴァなら知っているが、興味がないので覚えていない。
それでも数が少ないことに変わりはないはずなのだ。純血のアルでさえ、現在も世界中に散らばっているというレイヴァの集落のほとんどを把握していない。
(……まったく、妙に現実感のある夢だな)
とうとう、訳が分からな過ぎて夢なのではないかと疑い始めた。
聞いたことのない地名、消えたはずのルイヴォルスの存在、レイヴォルス、所持品の損失、アルの失踪……どう考えても夢としか思えなかったが、当然のように植物がこれだけ生き生きとしているところを見ると、"水"には困っていないようだ。
アルが死んでいれば水はなくなる、つまり、人も植物も、土さえも、生きてはいられない環境になってしまう。
しかし今ここには人も植物も土も、見える限りでは水路さえもあるようだ。つまり、アルは無事でいるということだ。死にかけているわけでもなさそうなので、とりあえずは安堵していいかも知れない。
アル本人を見つけるまで、油断するつもりは微塵もないが。
「ルフ、任務ご苦労」
「っ、労いのお言葉、感謝いたします」
背後からハスティと共に歩いてきた長老らしき老人に、ルフは敬礼をする。エルヴァは両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、軽く会釈した。
その老人の髪は白かったが、歳もそれなりに取っている様子なので、種族がレイヴォルスなのか、それともルイヴォルスなのか、見た目からでは判断がつかなかった。
「ご報告します。ハスティがどうやら、部外者を連れてきたようなので、見張りをしておりましたところ、妙なことを言い出しまして……」
「ほう? 妙な?」
「?」
妙なことと聞いて、エルヴァはちらりとルフを見る。別に変なことを言った覚えはないのだが。
「はい。彼から、我が同志の香りを感じたため、仲間のことを知っているかと問いました。……しかし、ただでさえ稀少な我らのことなど、見ることも珍しいと」
ちらりとエルヴァを見ながら、ルフは続けた。
「しかし、悪人ではないようです。追い剥ぎに遭ったとハスティが言っていましたが、それに関しては真実かどうか」
エルヴァはじっとその会話を聞いていたが、表情は一切動いていなかった。正直、ここに泊めてもらおうがそうでなかろうが、どうでもよかった。
ただ、一番傍に居て欲しい人物が近くにいないので、どうしても落ち着きがないのは確かだった。
「お客人、初めまして。この集落の長をしとります、エイジです。立ち話も何でしょう、中にお入りください」
「いいのか?」
「はい、あなた様からは、時の妖精・クロノス=プリンセスの魔力と、我らが同志、レイヴォルスの気配を感じます。信頼に値するお方だと、私は判断したまででございます」
「時の妖精……クロノス=プリンセス?」
レイヴォルスの気配というのは、確実にアルのことだろう。だがもう一つ、意外な言葉を聞いたエルヴァは、さらに困惑する。
時の妖精・クロノス=プリンセス。
確か、いたずら好きの時の妖精で、時間操作の能力を持っているとか。時の神クロノスの一人娘であり、いたずらに人を攫っては時空の穴へ放り込んでしまうという。ただの悪戯なので、満足したらしっかり元の場所に戻してはくれるらしいが。
以前、アルの図書館で本を読み漁っていた時に見かけたことがあるのをエルヴァは思い出していた。
聞いたことのない地名、消えたはずのルイヴォルスの存在、レイヴォルス、所持品の損失、アルの失踪、時の妖精・クロノス=プリンセス、稀少という言葉に首を傾げたルフの反応。
以前は、レイヴォルスというのは、街を歩いていれば普通に見かけられたという話をアルに聞いたことがあった。稀少なんてそんなものじゃない、人よりは少ないけれど、今に比べたらたくさんのレイヴォルスがいたと。
(……まさか)
もうほとんど確信しているのに、信じたくない自分が真の確信を
妨げる。
もしこれが事実なら、アルは? アルはいったいどこにいて、何をしているのだろう?
一番知っている人物に接触したいが、アルについては、ほとんどはぐらかされていたからあまり知らない。こんなことになるなら、ちゃんと聞いておけば良かったと今更後悔する。
でも急かすのは良くないし、本人が話したがらないところを見ると、自分はそれまでの人間だった、ただそれだけのことと割り切るしかなかった。
「お客人、どうぞこちらです」
「っあ、ああ、助かる」
エイジの言葉で我に返ったエルヴァは、案内されるまま歩き出した。
既に噂が広まったのか、集落に暮らすレイヴォルスやルイヴォルス達が、エイジと共に歩くエルヴァに対し好奇心の視線を向けていた。
見たことのない構造の建物が綺麗に並んでいて、地面も石畳で綺麗に舗装されている。森の奥の方であるはずなのに、周囲が木に囲まれただけの一つの小さな村のようにも思えた。
特に外壁などはないが、空を見上げてみると、薄らと一つの結界が見えるのが分かった。
「人避けの結界です。我らはここが人に見つからぬよう、結界によって隠れ家を作ったのです。それでも突破してきた者は、先ほどのルフのように、戦闘員である我らレイヴォルスがお相手をするのですよ」
「へえ」
なるほどな、とエルヴァはうなずく。
我らレイヴォルス、ということは、このエイジはレイヴォルスなのだろう。ルイヴォルスならば、わざわざ自分がレイヴォルスであると名乗るような言い方はしないだろうし、何よりも、歳を感じさせない堂々とした佇まい、一般人にはない武人のその気配が何よりも物語っていた。
そういえば自分はまだ名乗っていなかったと思い出し、さすがに失礼だと感じたエルヴァはエイジに対して話しかけた。
「まだ名乗ってなかったな。オレはエルヴァ、よろしく」
「はい、よろしくお願いいたします、エルヴァ殿。今夜は歓迎いたします故、どうぞゆるりとしてらしてください」
嬉しそうに返事をするエイジの顔には、しっかりと笑顔が浮かんでいた。
わざわざ自分から敢えて聞かなかったのは、軽くエルヴァの人柄を試したというのもあるのだろう。
「着きました。ここが、代々受け継がれる長の家です。エルヴァ殿には、ここで今夜をお過ごしいただくことになります。まずは茶でも飲みながら、お話をいたしましょう」
「わかった」
別に話など興味はなかったが、泊めてもらうからにはある程度信用を得た方が良さそうだと判断し、少し付き合うことにした。それに、情報はあった方が損はない。話を聞くことで、色んなことがわかるかも知れない。
他よりも一際大きな建物であるここは、木製であるはずなのに見てわかるほど他よりも頑丈に作られているらしい。木の素材まではわからなかったが、炎を得意として扱うエルヴァの目で見てみて、この木は燃えない素材であることがわかる。
「こちらへどうぞ」
客室らしき部屋に通され、示されたソファにエルヴァは座った。
窓の外には、エルヴァに興味を持った人たちが遠慮なく覗いているのを見ると、警戒心が強いだけでなく、好奇心も旺盛で、仲間間ではこういった振る舞いも許されるのだろうということがわかる。
別に興味はないので放っていると、エイジが向かいのソファに座って、奥さんらしい女性が茶を運んできて机に置き、部屋を出ていく。
「エルヴァ殿、改めて、我らが家、ヘイヴへようこそ。歓迎いたします」
「……さっきから気になってたんだが、敬語はいらないぜ。あと、エルヴァでいい」
「そういうわけにはいかんのですよ。妖精の悪戯を受けた人間には、こうして敬意を払うのが昔からの習わしなのですよ」
ここで初めて表情が少し歪んだエルヴァ。元々敬語を使われるのが苦手なエルヴァにとって、この状況は少し酷だった。しかしレイヴォルスは忠実な性格をしているので、その壁を破ることはできないだろうと判断し、諦めるように溜息を吐いた。
「……で、話って、何を話すんだ?」
「ええ、ではお話いたしましょう。あなたの身に何が起こったか」
「オレの身に何が起こったか?」
「ええ。まずお聞きしたいのは、あなたの暮らしていた場所、今は何年で、何月か」
「オレは定住してない。今は聖歴七百五十年の水無月だろ」
違うんだろうな、と思いながら、エルヴァは淡々とエイジに答えを返した。
ふむ、とエイジは少しだけ考え込む姿勢を見せた後、元の姿勢に戻ってエルヴァに言う。
「落ち着いてお聞きくだされ。あなたは、この時代の人間ではありません」
「まあそうだろうな」
なんとなく察してはいたが、改めてそれを言われると溜息しか出なかった。道理で、アルの魔力を感じないわけだ。
ここがいつの時代なのか定かではないが、少なくとも今のアルとは違う気配だろうから、もしアルがエルヴァの"探索"の範囲内にいたとしても気づかないだろう。
「おそらく、遠い遠い未来からいらしたのだと思います。聞いたことのない暦の数え方ですから」
「ちなみに、ここは今何年で、何月なんだ?」
「神歴二十七年の六月でございます」
「……神、歴? 二十七年?」
どこかで聞いたことある名前だと、エルヴァは思考を巡らせる……までもなかった。すぐに思い出して、もはや思考が停止した。
神歴、それは、大昔の……神話にすら語られなくなった、数千億年も昔の時代に存在した暦である。
そしてそれをよく覚えていた理由。それは……
「……アルの、生まれた暦……」
集落の人たちに歓迎されたエルヴァは、子供たちに囲まれ、遊んでとせがまれたり、戦闘員に模擬戦を申し込まれたり、食べ物を分けてもらったりと、せわしい時間を過ごした。
本当はさっさと眠りに就いてしまいたかったが、抜ける隙が一切なかった辺り、流石、優しい性格を持つと言われる種族だけある。……ただのお節介にも思えたが。
美味い夕食も平らげたエルヴァは、風呂も済ませ、エイジの家族と少し談笑をしたところで、ようやくベッドに潜れた。
「はあ……疲れた」
なんだか今日は色々疲れた気がする。
でもまだ、このまま寝るわけにはいかなかった。
(今後のことを考えなきゃな……)
仰向けに寝転がって天井を見つめながら、エルヴァは思考を巡らせる。そして、夕方頃のエイジとの話を思い出す。
アルについてしっかりと知っておきたかったエルヴァは、アルの生まれた年を聞いたことがある。何なら、アルがその時代からずっと大切に保管している本を読み漁って、正確な情報を得ていた。
その時代に何が起こって、どんな流行があったのか。その内容をすべて記憶しているくらいには夢中で読んだ。
神歴二十七年ということは、今のこの時代にいるアルは七歳。まだ、子供の時代だ。
(……奴隷商が盛んな時代だったな。だから、レイヴォルスやルイヴォルスといった、技術の高い種族は高値で売られていた。アルはそんな時代を、餓鬼の頃に過ごしている。……無事で、いるのかな)
今の時代こそ自分と共に幸せに過ごしているものの、彼の人生は波乱しかない。心配になるのも当然だが、ここで自分がアルに接触すれば、未来に何か支障が起こるかとも思い、会いに行くのはやめた。
(いや、オレがここにいる時点でもう既に色々とやばそうなんだけど)
時の妖精・クロノス=プリンセスが、今回の鍵を握っているらしい。明日からは、彼女を探して、元の時代に戻してもらうよう説得するしかない。
(……今頃、アルは何をしてるんだろうな。いなくなったオレのこと、心配してる、かな)
遥か遠い未来にいる自分の相棒のことを想いながら、エルヴァはゆっくりと目を閉じた。
やることはひとつ、クロノス=プリンセスを見つけ出し、元の世界に還ること。明日から、それを開始する。
(時の妖精についての情報がないから、手探りになりそうだけどな)
まずは情報が必要だった。では、その情報を得るためにはどうすればいいか? ここよりも情報が集まる、人の多い場所に行かねばならない。つまり……
(最初に目指すのは王都、か)
明日、自分はここを発つことになるだろう。世話になったので、きちんと礼を言って出ていくことにした。
お金は持っていないので、言葉だけの礼になりそうではあるが……。
(……仕方ない、か)
払えと言われたら稼いでくるし、手伝いでもしようと考えていた。世話になっておいて何もしないほど、エルヴァは腐ってはいない。
そんなことを考えながら、少しずつ、眠りに就いて行った。
「それならば、二日後に出る馬車に乗っていけばよろしいでしょう」
翌朝、エルヴァは王都に発ちたいとエイジに伝えた。すると、王都へ商品を降ろしに行くというので、そこに乗せて行ってもらえと言われたのだ。
確かに、こんなに昔の時代の地図なんかわからないし、王都がどこにあるのか聞いて向かうよりも確実で早い。なるほど、と思ったエルヴァは、遠慮なく乗せて行ってもらうことにした。
その間、自分に出来ることをした。お金がない自分を世話してくれた人たちに対して、何か形のある礼をしたかった。
子供たちと遊んだり、特訓に付き合ったりはもちろん、畑や家畜の世話、荷物運び、薪の調達、狩りなど、自然を相手に暮らす彼らにとって、役割分担をしながらみんなで寄り添って暮らしている。
そんな風にして、二日間を過ごした。
「じゃあ、行くか」
「ああ、頼む」
見送りに来ていた集落の人々に礼を言い、エイジにも頭を下げ、別れを告げた。
「よろしくね、エルヴァ」
「ああ」
馬車に乗るハスティにそう言われ、返事を返すエルヴァ。王都までは一か月もかかるらしい。乗せてもらう代わりに、仲間のレイヴォルスたちと共に馬車や中のルイヴォルスたちの護衛をすることになった。そして、彼らの集落については一切口外しないという約束だ。
まあ、別に金儲けなどには興味ないし、わざわざ彼らを危険な目に遭わせるなどということにも興味はない。
(一か月……か。長いな)
先は長そうだが、途中で立ち寄る町や村でも情報は集まると思うし、その過程で時の妖精に会うことが出来たならば、それはそれで好都合だし、とりあえずはのんびり短い旅を楽しむとしよう、と、穏やかに晴れた空を見上げながら、馬車に揺られるのだった。