お嬢様のお楽しみ。〜小悪魔はどっちだ!?編〜
高等科進学祝いに父親から贈られた魔法のカード(なんたって限度額無し)は政美の最強の味方である。
それは不定期に、政美の気まぐれと共に、百貨店やセレクトショップで猛威を振るう。
本日は土曜日。朝の勉強を済ませ、昼からは政美お楽しみのショッピングに出かけた。
「ねえ、龍真。今のとさっきのどっちが好き?」
イタリアンメイドのスーツとブリティッシュブランドのスーツで着せかえ人形にされている龍真。
「いいえ。私には不相応なものばかりでございます」
とりあえず試着だけでも付き合わないと政美の機嫌を損ねてしまう。
「今のもさっきのも超素敵だもんね」
「お嬢様、私の話聞いてます?」
「如月様の仰るとおり久遠寺様は何をお召しになられてもよくお似合いです」
女性店員だと空気以下、メタンガスかアンモニア同様の扱いを受けるため、二人の接客は男性店員が担当している。
「でしょー」
「はい」
しかも行く店ごとに龍真の型紙があり、どこのブランドでも既製品は買わない。既製品を試着させ、龍真用に仕立て直すのだ。
「お嬢様、再来週の日曜日が何の日かご存知ですか?」
うんざりしながら、龍真は政美に尋ねた。このイベントだけは外されたくない。
この一年足らずで政美は龍真の為ばかり魔法のカードを利用している。
父、世一からの嫉妬を思い返すと胃がいくつあっても足りない。
「ん〜。やっぱこれとこれだな。あとさっきのスカーフのワインカラーのとロイヤルブルーのね。シャツはさっきのあれとあれ」
「お嬢様」
「あーもーうるさい!! いいから龍真は黙ってて!!」
いつも以上の剣幕に龍真も思わず口を噤んだ。
「お腹空いたね〜」
「……はあ」
龍真は両手両腕一杯に持たされた荷物の隙間から返答する。
「あっ!! あそこ行かなくちゃ!!」
「お嬢様、私はこの荷物を車に積んで参ります」
「ダメよ。龍真も一緒じゃなきゃ」
「お嬢様、恐れながらこのような浪費は感心できませぬ。使用人の衣装蔵があるなど前代未聞ですぞ」
龍真の胃がキリキリと痛み出す。
「恋人を自分色にするなんて、よくある話でしょ」
政美の追い討ちで更に胃がキリキリと痛み出す。
「……私が、お嬢様の恋人になれるわけないでしょう」
あまりの痛みに龍真の顔が青ざめた。
お願いします。御先祖様。どうか、お嬢様が“龍真はあたしの恋人”などと、旦那様の前でいいませんように。
「え?」
いつもと違う答えに政美が振り向いた。
「私は一度車に戻ります。これ以上の無駄遣いはしないでくださいね」
「無駄遣いじゃないもん」
「私の身体は一つしかありません。三年かかっても袖を通せない服など、無駄以外何物でもないでしょう」
「だって、なに見ても龍真に似合いそうなんだもん。だからなに着ても似合う龍真が悪いの」
「お嬢様の審美眼は乏しすぎるんです」
「なに言ってるの、超意味わかんない。じゃあそこのティールームで待ってるから早く戻ってきてね。早くよ」
「畏まりました」
龍真は急ぎ足で屋上駐車場へと向かう。
政美が早く戻れと言えばその通りにしてやりたい。
胃痛の原因は政美だが、嬉しくないわけではない。それだけ政美に懐かれている証拠である。
しかし、世一の嫉妬しているときの笑みが、優しい物腰が、恐ろしいのだ。
別に何をされるわけでもないが、何をされてもおかしくない。
角を曲がればすぐそこにエレベーターというところで人とぶつかってしまった。
早くと強調され、胃痛のせいもあり、いつもより注意力が散漫だった。
「申し訳ございません。お怪我はありませんか」
龍真はビクともしていないが、相手が後方によろめいてしまい、箱を犠牲にして片手で抱き止めた。龍真の反射神経のなせる技である。
「え、ええ。大丈夫です……」
同い年くらいの女性が目を丸くしている。
「大変失礼致しました」
不慮の事故といえ、何年振りかに女の腰を抱いて龍真は狼狽した。
しかも相手は、かなりの美女。
短い髪で引き立てられ、さらに羽のような睫に縁取られた猫っぽい瞳でじっと見つめられ、忘れかけていた男の性が疼いた。
美女もとっさに掴んだままの龍真の腕を離さない。
「あ、えと、大変失礼致しました」
龍真は、手を離して美女から距離を置いた。
「こちらこそぼんやりしてすみません。お荷物大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
と言ったものの、落とした箱は政美が一目惚れで購入した山折れ帽子。龍真が荷物を拾おうと屈むと、美女が手伝ってくれた。
「重ね重ね申し訳ありません。本当にありがとうございました」
龍真はお礼を述べる。
「こちらこそ。まるでドラマみたいな瞬間をありがとうございました」
美女は、冗談っぽく笑いながら会釈を返した。
「お荷物大変そうですね。顔色も優れないようですけれど……」
と心配そうにのぞき込まれる。
「いいえ。いつものことですから」
龍真がそう答えると美女はわざわざエレベーターを開けてくれた。
一人荷物に埋もれながら静かなエレベーター内で、先ほどの美女を思い返す。
なんだか落ち着かない。
むしろ何か腑に落ちない。
もどかしい。
龍真は唸りながら思う。
さっきの女性と面識があるのだろうか?
どうしても気になる。
あの印象的な瞳。
一度直面したら忘れられないだろうに。
なのに、頭の中は靄がかかったように漠然としているのだ。
車のトランクに荷物を積み終え、政美の待つティールームへ急ぐ。
己にかまけている時間はない。
「遅い」
案の定、仏頂面の政美が、口を尖らせて龍真をなじった。
「申し訳ありません。お嬢様」
龍真は苦笑する。
そして合点がいった。
そうか。先ほどの美女は、お嬢様に似ているのだ。
「着物屋さんに行ったらお昼ね」
軽くなった腕に政美が手を絡めた。
「人に見られたら、誤解されますよ」
政美に前を歩かせるように装い、さり気なく腕を離す。
「誤解じゃないもん。見られたって別にいいじゃない」
「そうは参りません」
龍真は、世一のやけに優しい笑顔を思い浮かべ、背筋を震わせた。
ああ。胃が痛い。
「ねえ、龍真」
「はい。お嬢様」
「びっくりしてね」
「……きっとします」
龍真の返答に政美が満足げに笑う。 つい、その笑顔に絆され、胃痛も和らぐ。
「龍真に絶対似合うと思ったんだ」
そう連れられた呉服屋で、龍真は予想以上に愕然とした。
備長炭染めの結城紬の着物を仕立てたというのだ。
悔しいが、これは素直に嬉しい。
結城紬は龍真にとって恋い焦がれる高嶺の花の一つ。ぐうの音も出ない。
「お嬢様。本日私に与えてくださった服の全て返品させて頂きます」
「なんで!?!?」
「私はこれ以外何もいりません」
「やだ!! あれも着てもらう」
「いいえ。これだけは譲れません」
「も〜〜やだ〜〜」
「お嬢様。我が儘は承知です。お願いします。お許し下さい」
龍真は政美ににじり寄り、両手を握りしめた。
政美は真っ赤になりながら、思わず目を逸らす。
「あ〜……もぅ、仕方ないなぁ〜……今回だけだからね」
「いえ。浪費を今回だけにして下さい。もう私は服も小物もいりません」「唯一あたしの楽しみだからダメ!!!」
周りも無視して不毛な言い合いを三十分繰り返したあと、龍真は手際よく品物を返品していった。
政美は、ゴネにゴネあげ、謎のスーツが入った紙袋だけは死守したという。