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お嬢様たちの密談と大人の茶会。

 龍真が玄関に戻ると、呼び鈴が鳴った。

「ごめん下さいまし」

 張りのある声は、紗耶香の家庭教師、春日涼子のものだ。

 龍真は急ぎ足で門に向かう。

 開門ボタンを押すと重厚な木目調の門がゆっくりと開いた。

「いらっしゃいませ、奥領司様、春日様」

「龍真さん、ご機嫌よう。早くつきすぎましたかしら?」

 紗耶香が困ったような微笑で言う。

 紗耶香の大体の普段着は和服で、今日は麻の葉鹿子の袷。スタンダードな文様だが、薄紅色が少女らしい愛らしさをさらに引き立てている。

「とんでもございません。お嬢様はお待ちかねです。どうぞ中へ。お嬢様は御自室に」

「紗耶香っ!」

「さっそくいらっしゃいました」

 龍真は苦笑して掌で紗耶香と涼子を招く。

「あたしと紗耶香は部屋にいるからね! おやつよろしく!」

「御意」

「紗耶香様、勉強道具をお忘れです」

 咎めるような涼子の声。

「あらごめんなさい」

「えっ」

 いたずらっぽく笑う紗耶香と目を丸くする政美。

「宿題を一緒にする約束で参りましたの」

 と紗耶香は小声で政美にいう。

「それはそれは。奥領司様がご一緒でしたらお嬢様の宿題も捗りましょう」

 龍真が満面の笑みで政美を見る。

「わ、わかってるわよ。ちゃんとするもん。なら紗耶香うちで晩御飯食べていきなよ」

「それは悪いですわ」

「いいじゃない。ねえ春日さん、いいでしょ?」

「そちらにご迷惑をお掛けするわけに参りません」

「どうしてそんなに堅いの? 紗耶香のママにはあたしがお願いするから」

「お嬢様、あまりご無理を強いられますな」

「小さな頃はお泊まりしてたもん」

 政美は唇を尖らせて潤んだ瞳を伏せる。

「私も久しぶりに政美とたくさんお話したいですわ」

「奥様には私から連絡致します」

 涼子の言葉に二人の少女は表情を明るくする。

「じゃあ早く宿題終わらせちゃおう!」

「そうですわね」

 嬉々として屋敷に戻っていく二人を見送って、龍真は涼子に向き直った。

「御手数おかけして申し訳御座いません」

「いいえ。紗耶香様も時には息抜きが必要ですから」

 涼子は淡々と云う。

「うちのお嬢様にもそう言ってみたいものです」

 龍真は苦笑する。

「では、私は奥様に申し伝えを」

「春日様。お時間が許されますなら、粗茶ですが、ご用意させて戴きます。あなた様にも息抜きは必要かと」

「粗茶とは随分なご謙遜を。久遠寺家の御子息ともあろうお方が」

 涼子は龍真を横目で一瞥する。

「私はしがない次男坊です。寺は兄が継ぎました。恥ずかしながら茶も花もまだまだ」

 龍真は、涼子の鋭い視線に臆することもなく、ただ困ったような、柔和な笑みを浮かべた。

「それでは、お言葉に甘えさせて戴きます。その前に、しばし失礼」

 涼子はふいっと顔を逸らして携帯電話を耳に当てる。 龍真は軽く頭を下げ離れに向かった。



「よかった。久しぶりに紗耶香とゆっくりお喋りできる」

「今日は課題が少ない日ですものね」

「うん!!」

 政美の部屋は和室でいつも塵一つ落ちていない。

 藺草の香りと女給が焚きしめた白檀の香りが仄かに漂う。

勉強用の机を出して二人は数学の問題集を広げた。

 政美も決して成績が悪いわけではない。すこし集中してやれば、課題などすぐに終わる。


 その頃、龍真と涼子は茶室で正座をして対面していた。

「スーツで茶室とはなんとも無粋なものですね」

「まぁ。正式な場でもないですし。私相手に畏まる必要もございますまい」

 龍真は笑いながら涼子を宥めた。ちゃっかり自分はスーツから和服に着替えている。利休鼠に藍鼠の帯を腰の低いところで締めている。

「……」

 涼子はじっと龍真の姿を見つめ、すっと手元に視線を移した。

「お喋りもしましょう。ここでは無礼講と参りませんか」

 滑らかな動き、隙のない動作で茶を立てていく。互いに視線も合わせないまま。

「讃岐和三宝糖のお干菓子があるんですよ」

 龍真は嬉しそうに漆塗りの盆に載せた千代紙に飾られた茶菓子箱を涼子の前に差し出した。

「久遠寺殿……」

 ようやく涼子が口を開いた。

「はい。なんでしょう春日様」

 涼子の頬がほのかに赤く染まっている。

「恥ずかしながら、私は茶の席の作法を知りません。華道や茶道とは無縁の環境で育ったものですから」

「お気になさらず。今私は茶の師範ではありません」

「しかし」

「茶も菓子も胃に納めてしまえば終わりです。食に尽くす礼儀は食物に対するもの。茶や菓子に尽くす礼儀はこれらを作った職人たちに対する礼儀だと、私は思っております」

 龍真は、茶菓子箱の蓋を開けた。

 箱の中には、椿や菖蒲、梅や松を象った淡い色彩とりどりの小さな砂糖菓子が詰まっている。

「きれいですね」

「でしょう」

「食べてしまうのが勿体無いくらい……」

 涼子の“小さいもの好き心”が擽られる。

「そうして見て愛でて下されば、菓子も本望でしょう」

 龍真は抹茶を涼子の前に差し出した。

「これは私の勝手な要望なのですが、茶を飲む前にその干菓子をお召し上がり下さい」

 涼子は云われるまま、牡丹の形の干菓子を口に運んだ。

 舌に乗せると、唾液にほどけて溶けた。さらさらと、尚且つ、とろりとした甘味が舌にまとわりつく。砂糖の豊かな香りが鼻腔を抜けた。淡白ながら後を引く。繊細なざらつきが舌に残っているような気がする。

「……癖になりそうです」

 淡く恍惚とした表情で涼子は呟いた。

 龍真は微かに頷く。

「お口汚しですが」

 勧められるまま涼子は茶碗をとり、抹茶を一口啜った。

 さらりとした茶の苦味と香りが舌を洗う。かと思えばその甘味が干菓子の旨味に絡む。

「美味しい……」

 涼子はふと龍真に視線を向けた。

 そっと目を伏せ両手は膝に置き、正座している。ただそれだけだというのに。空気が違う。一本筋が通った男の佇まい、そこに静謐な色香を見た。

 竹林の清々しさに似て、雨が降る前の不穏さも入り混じっている。頬傷のせいなのか。

 太い首の上には、細くはないが鋭利な顎。薄く大きめの肉色の唇。凛々しい眉毛、意外と彫りが深い。切れ長なのに垂れた目尻。袖から出た腕の逞しさ。きっとそれに続く肩も胸板も厚い。

 きっと和服を脱がしても期待を裏切らない。

 涼子は、無礼を承知で龍真を眺め回した。

「春日様?」

 不意に名を呼ばれ、我に返る。

「不調法な私でも、このお茶とお干菓子の美味しさはわかりました」

 内心慌てつつ、取り乱した様子も見せずに応えた。

「それは恐縮です」

 龍真は短く頭を下げ、涼子を見た。

「そろそろお嬢様方の集中力が切れた頃かも知れません。私はあちらのお茶を用意して参ります。どうぞ足を崩して御寛ぎ下さい」

 そう言い残して退室した。

 涼子は膝を崩し、横座りに脚を延ばした。ふう、と吐息を漏らす。初夏といえども最近は暑い。

 知らずに身体が火照っていた。

 素肌が汗ばんでいる。タイトなスーツの生地に圧迫された肉感的な胸周りや腰回りが、少し湿っぽい。

 龍真の居た座布団の近くに扇子が置いてあった。

 ややのぼせてしまった顔を扇ぐと、微かな香が舞う。

 苔むした早朝の森林のような香り。先ほど感じたイメージはこのせいだったのかと涼子は扇子に顔を寄せた。


「終わった〜〜!!」

 政美はごろりと畳に仰向けになる。

「あ〜あ。龍真はどうしたら振り向いてくれるかなぁ」

 今し方課題を終わらせた二人の関心は、さっそく本命の課題(恋バナ)に向っている。

「残念ながら私は殿方の事はさっぱり……。龍真さんのことならやはり一番近い政美がよくご存知じゃなくて?」

「う〜ん。龍真の好みとか全然解らない。龍真が女をほめるのを見たことがない……」

 政美は、ハッとする。

「あっ!! 一人いた!」

「えぇ!? 意外ですわ」

「天皇妃殿下!」

「政美……。それは今わたくしたちが話している異性として誉めたのではないと思いますわよ」

「そうなの? 良かった! あたしには絶対無理だもん」

 政美は胸をなで下ろしている。

「紗耶香、膝枕して」

 返答も待たずに政美は紗耶香の膝に頭を乗せる。

「もう。政美ったら、猫みたいですわね」

「えへへ」

 寝返りを打ち、紗耶香の腰を抱きすくめるように細い両腕を回す。

「だってなんか気持ちいいんだもん」

 絹に包まれた太ももに頬をすりつける。

 紗耶香は白魚の指で政美の黒髪を梳いてやる。くすぐったそうに、破顔しながらその指にじゃれつく。

「お嬢様、失礼致します」

 襖に黒い影が差し、政美の大好きな少し掠れた低音がした。

「ふぁ〜い」

 紗耶香の膝で指に戯れたまま返事をすると、静かに襖が引かれた。

「宿題は捗られましたか……」

 瞬時に龍真が面食らった表情に変わる。

 ついでに信楽焼の湯呑みも落とした。

 幸い中身はまだ急須の中。

 しかし、それもそのはず、政美は紗耶香の指を甘噛みしているのだった。

「何をなさっておられるのですか!?」

「猫ごっこ」

 飄々と答え、政美は紗耶香の指をねこじゃらしのように扱っている。

「まったくとんだ御戯れを。早くお嬢様もお着替え下さい。いつまで制服姿でいら」

「別に悪いことしてないもん。ねぇ〜紗耶香」


 白熱しそうな小言を政美は遮る。

「奥領司様にご迷惑ですよ」

「ふふふ。そんなことありませんわ」

「ほら!!」

「まったく……。ちょっと湯呑みを代えてきますから大人しくしていて下さいねお嬢様」

 龍真は引き返しながら、急遽予定を変更して備前焼を用意することにした。

「もしかしてヤキモチかな?」

 龍真の忠告も忘れ、引き続き紗耶香の膝枕を堪能している。

 紗耶香の柔らかな膝の上に、ひどく懐かしい安堵を感じるのだ。やはり、誰かの体温は心地良い。

「だと良いですわね」

 紗耶香は微笑みながら政美の髪を撫でる。

「あたしが男だったら紗耶香をお嫁にしたいな」

「あら。光栄ですわ」

 紗耶香はまた柔らかな笑みを零す。

 短すぎる制服のスカートから伸びた政美の素足に、傾きかけた陽射しが照りつける。

 その白さに紗耶香は目を細めた。

「龍真さんが赤面していらっしゃいましたわね」

 ポツリと呟く。

「えー……?」

 うたた寝を始めた政美の耳にはよく届いていないようだった。

「政美、“ちらりずむ”ですわ」

「ん〜……? ポリリズム〜……?」

「違います。龍真さんに有効そうな作戦です」

 紗耶香の言葉に飛び起きる。

「なになに!?」

「龍真さんはきっと大胆にこられるよりも、少し小出しにされた方がお好きなのではないかと思うのです」

 紗耶香が大真面目な顔で説く。政美も大真面目な顔で頷いている。

「そっかぁ、ようし!」

 政美は腕まくりの振りをして、拳を握る。

「頑張るぞ!!」


 そして、夕餉を済ませ紗耶香と涼子が帰宅した後、間違った“ちらりずむ”を披露した政美は、龍真に大目玉を喰らうことになる。


「りゅ〜うしんっ」

「はい。なんでしょうかお嬢様」

 就寝前の写経をしている龍真。

 政美が襖から顔だけ出している。

 またよからぬ事をお考えになられているなと思いつつ、廊下にでる。初夏とはいえ夜は冷える。

「夜の冷気はお身体に障ります」

「みてみて〜。はいっ」

 と言い、わざわざ箪笥の奥から引っ張り出した寝間着の浴衣の胸元をはだけてみせた。

 ほぼ同時に龍真の手により閉じられる。

「……お嬢様」

 龍真の低い声がさらに低くなり、風呂上がりで手ぬぐいを巻いた額に青筋が浮いている。

「いい加減になされよ!! うら若き乙女が無闇に異性の前で肌を晒すなど言語道断!! だいたいお嬢様には自覚が足りぬのです!! 如月家のご令嬢が」

「はいはいごめんなさいごめんなさい」

 また始まったと言わんばかりに耳を押さえながら政美はきびすを返す。

「いいえ、今夜こそは許しません」

「やだ。龍真の助平」

「お嬢様!!」

「まぁ、さっきのは今晩のオカズにしてねん」

 ひらひらと手を振り、一気に駆け出す。

「一体どこでそのような言葉を仕入れてくるんですかあなた様は!!」

「学校〜」

 勿論、出典元は小田原である。

 しかし政美は本当の意味を解っていない。

 龍真はその後、怒りを静めるために、一時間ほど仏壇に愚痴り倒し、安らかに就寝したという。


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