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お帰りなさいませ、お嬢様。〜痴話喧嘩と感傷編〜

 帰りのHR終了後、政美は弾丸のように教室を飛び出した。

 紗耶香は一度家に戻り、着替えてくるという。

 背後から、廊下を走らない! と叱咤されてもお構いなしだ。

 元々龍真以外の小言になど傾ける耳は持ち合わせていない。


 校門に行けば見慣れた、龍真に見合うと政美が選んだ黒塗りのセダン車が待っている。

「ただいま龍真!!」

 たとえ自宅でなくとも政美は龍真の顔を見るなり言う。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 龍真は微笑みながら、助手席のドアを開く。周囲の空気が警戒を孕んだが、二人は気づいていない。

「あのねあのね」

 政美は龍真の腕を引っ張る。

「後ろがつかえておりますので、中に」

 後ろには柄の極悪な小田原組の男衆がこちらに睨みを利かせている。

「ゴラァッちんたらしとったらグハァッ!!」

「毎朝爪先からうちのキャシーの餌にすんぞコラ」

 政美たちに怒号を浴びせ、小田原の鉄拳制裁を喰らった日の浅いチンピラがコンクリートに倒れた。

 ちなみにキャシーとは小田原が飼っている白鰐の名前だ。

「テメェら誰を睨んでんだ〜? あ?」

「若ッッ!!!! お疲れ様ッしたッッ!!!!」

 七人のいかつい男達が両手を膝に置き、深く頭を下げた。

「お騒がせしてごめんね〜ハニィ」

 目を丸くして此方を見ている政美に小田原はヘラヘラ笑いながら手を振る。


「う、うん」

 政美は少し引き気味に手を振り返す。

「俺の黒猫ちゃんが吃驚しちまったじゃね〜かバ〜カ」

 小田原は舌打ちし、克美が開くロールスロイスに滑り込んだ。


「相変わらず凄いなあの家は」

「御言葉遣いが悪うございます。お嬢様」

 車を発進させながら龍真は注意する。

「なに言ってんの今更」

 一度笑い飛ばして、

「もしかして龍真もやっぱり大和撫子が好き??」 と神妙な顔つきに変わる。

 その表情の変わりように思わず笑みがこぼれた。

「そうですね。ですが思わず撫でて愛でたくなるような、と言えばお嬢様は充分です」

「本当?!」

 政美の表情が一層明るくなった。

「しかし、もう少し恥じらいと節度を持っていただきたいですね」

 と釘を刺すのも忘れず。

 しかし、政美の耳には届いていない。

「思わず撫でて愛でたくなるようなら、今すぐ実行しなさい」

「そういえば、お嬢様。先ほど何か言いかけませんでした」

 話をはぐらかされた腹立たしさが一瞬よぎったが、政美は気を取り直した。

「そうそう今日ね。紗耶香が遊びにくるの。紗耶香にも龍真のおはぎ食べさせたいから」

「そうですか……」

 言い淀む龍真と反対に政美はにやついている。

「あたしと二人きりが良かった?」

「いいえ。紗耶香様がいらっしゃるなら、来客用の信楽焼を御用意しようかと思案しておりました」

 龍真の言葉に政美の機嫌が一気に悪くなる。素早くそれを感知し、続けた。

「お嬢様の大切な御友人ですから、丁重におもてなししなければと思いまして。静岡から玄米茶を取り寄せております。個人的に抹茶よりもそれがおすすめですが、お嬢様は如何でしょうか」

「龍真はあたしと二人きりが厭なのね」

 話をすり替えてくれる気はないようだ。政美は時々頑なになる。こうなったらしっかり受け答えしなければ、いつまでも機嫌が悪い。一週間口を利かなくなり、どういう訳か、仕舞には熱を出す。

「私はいつもあなた様と居ります。私にとってかけがえのない日常です」

「でも、いいえって言った」

「申し訳ありません。しかしそれは言葉のあや」

「紗耶香は名前で呼ぶのにあたしには“お嬢様”とか他人行儀だし」

「あまり私を困らせないで下さい。私にはあなたのお傍以外に居場所はありません」

「龍真なら、お茶やお花の先生になれるじゃない。剣道も空手も、どっかの企業顧問弁護士にだって……」

 内心焦りながら、龍真は口を開く。政美が泣くと胸が痛む。自分が原因ならば殊更。

「……政美様。意地悪を仰らないで下さい」

「意地悪は龍真だもん」

「申し訳ありません。私の失言でした」

「じゃあキスして」

 政美は両手の指を組んで上目遣いに龍真を見た。

「お嬢様はおやつ抜きです!」

 龍真は、凛々しい右眉をひくつかせピシャリと言い放った。

「え〜〜〜ヤダヤダヤダ!!!」

「存じません」

「龍真ごめんってばぁ〜」

「運転中です。袖を引っ張らないで下さい」

「りゅ〜し〜ん〜。ごめんなさ〜い」

 政美は本気で泣きそうになりながら龍真に謝る。しかし、龍真は、存じませんの一点張り。

「龍真」

「はい」

「ごめんなさい」

「お嬢様はおやつが大事なのでしょう。調理係に御命令されればよろしいではありませんか」

「龍真が作ってくれたのじゃなきゃ嫌」

「わがまま召されるな」

「りゅうしんごめんなさい」

 幼き日の口調そのままに政美が鼻声になった。

 これには流石の龍真も心が折れそうになる。

 自惚れではなく、政美には自分以外いない。


 政美は如月家の長女ではあるが、初等科から一人で別邸に住まわされている。

 一人といえど、龍真を筆頭に、女給十名、護衛・庭師・その他に男三名。

 しかし、政美が唯一心を許せるのは龍真のみ。

 いくら父親の世一が合間を縫って会いに来ようとも、年行事以外、政美は家族と疎遠にされていた。


 右目を失い、母親である公子から将来を絶望された。政美が並外れた容姿を持つ故に顔の傷は際立った。

 父は政美に自立した女性に成ってほしいと願い、公子に言われるまま別邸を与えたが、公子の思惑は違うところにあった。

 公子は、政美に婿入りする物好きはいないと断定し、龍真に責任を取らせ跡取りは別につくると決めた。

 政美には五歳離れた妹・美姫がいる。

 その美姫の婿に家督を継がせる腹づもりなのだ。


「死んで詫びるなら、あなたの生涯を政美に捧げなさい。一生懸命という言葉を具現化して見せなさい」

 あの日の公子の言葉はこう続いた。

「龍真、あなたに政美を与えるわ。そうすれば私は安心して新たな希望を産みだせるもの」

 政美は実の母親に厄介払いされたのだ。

 そして、そうさせた己の不甲斐なさ。あのとき死んでも政美を庇いきれたなら……。

 生涯拭い切れぬであろう後悔が、龍真の胸を重く支配していく。

「……お嬢様。私も意地を張りすぎてしまいました……。分も弁えず申し訳ありません」

 龍真は、左手をそっと政美の震える右手に重ねた。

 政美の小さく柔らかい手のひらが返り、龍真の手を握る。

「よかった。龍真許してくれた」

 目尻に涙を弾かせながらも破顔する政美。

 その無邪気さに龍真の胸中がざわめき立つ。

(なんと、いじらしい)

 名残惜しく思いながらも龍真は手を離した。

「到着致しました。お嬢様」

「うん……。あのね龍真?」

「はい」

「……あたしも、おはぎ食べていい?」

 不安げな眼差しで小首を傾げる様に、思わず口元が弛む。

「少々作りすぎました。他の従者に配っても余ってしまいます故、お嬢様に召し上がって頂けなければ困ります」

 我ながら矛盾しているなと思う。しかし、そう言うしかない。

 あんなおはぎごときで政美の笑顔が戻るならば安いものだ。


 玄関前まで車をまわし、先に政美を降ろした。

 駐車場につくと、龍真は一人うなだれた。左手に残る柔らかな感触。


『あんた、末期だな』


 克美の言葉が頭をよぎる。


『いずれ婿貰って他人の子供を産むんだぜ。お前のモノになるわけじゃねえだろ』


『だったら病気だ、ビョーキ。ストイック過ぎるのも狂気の沙汰だぜ』


『あんたは割り切れるかも知れない。しかしあのお嬢は違うだろ』


 逐一痛いところを突いてくる。しかし、我がモノにしたい訳ではない。躾も教育も、あくまで自分好みに育て上げるつもりでしている訳ではない。

 いつかこの手を離れていくものだと解っている。

 自分が望むのは、近い将来婿など宛にしなくとも政美自身が如月家を継ぐこと。

 最初から自分の手が届く相手ではない。


「自惚れるな」

 龍真は自分に言い聞かせる。

 ルームミラーで己を確認しコームで髪型を整え、車を後にした。

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