お嬢様ご登校。
国産車の中でもとりわけ最上級の黒塗りのセダン車を運転するのは龍真。
その助手席は当然、政美が座る。
専用の運転手も解雇し、龍真が後部座席の右側に座ってくれと何度嘆願しても聞き入れなかった。
「だって恋人に毎日送り迎えしてもらうのが女学生のステータスじゃないの」
と今日も今日とてのたまう政美。
「私はお嬢様の恋人ではございません」
まっすぐ前を見たまま無慈悲に答える龍真。
「ひっどい!! 超落ち込む!!」
「落ち込む? お嬢様が? まさか」
へっ、と鼻で笑う龍真。
「あ〜なんかもう学校行きたくなくなっちゃったなぁ〜」
校門前には様々な高級車が並んでいる。
政美の戯れ言を聞き流し龍真は守衛に一時駐車の許可をもらっている。
「ちょっと龍真!! 聞いてるの?」
政美がごねている間に龍真は車を降りて助手席に回りドアを開けた。
「さあ、お嬢様お手を拝借」 すっと手を差し伸べられる。
「政美こいよ、って言ってくれなきゃ嫌」
「お嬢様にそんな口はきけません」
「じゃあ行かない」
「では、私は歩いて屋敷に戻ります。お嬢様はそこで頭をお冷やしなさい」
「嫌!!」
「お嬢様、あと三分を切りました。はやく参りましょう」
「だって言って欲しいんだもん」
「言えません」
「言ってくれなきゃ嫌!!」
「お嬢様は監督不行き届きで、私が奥様から解雇されてもよろしいのですね」
「よくない……」
頬を膨らませ瞳になみなみと涙を溜める政美。
「ならば我が儘をお控え下さい」
龍真は跪き、ハンカチを取り出して政美の涙を拭った。
「ゆうべ小豆を水に浸けておきました。お嬢様がお帰りになられる頃に、おはぎを用意して差し上げます」
「……お抹茶も?」
「もちろん立てましょう」
龍真の微笑み(端から見れば極悪)で政美は花も恥じらうほどの笑顔を返す。
「一分三十秒を切りました。遅刻したらおやつ抜きです。さぁ、お走り下さい。よーい、どん!!」
龍真のかけ声に走り出す政美。一度昇降口で振り向き、手を振って校舎の中へと行った。
「お前も大変だなぁ」
前方から声をかけてきたのは、小田原組次期三代目、小田原慶治の付き人、市ノ瀬克美。銀鼠色のスーツに縁なし眼鏡という出で立ちの元・弁護士である。
「克美……さん」
「同級生だろう。さん付けなんか水くせえな」
「なにかご用でしょうか」
「いくら筋モンだからって冷たくするなよ。うちは税金も納めてるキレイな土建屋だぜ」
「いえ。私はお宅の生業をどうとか言うつもりはありません。うちのお嬢様に対する慶治様の言動を警戒しているだけです」
「はっきり言ってくれるじゃねえか。うちの若を愚弄する気なら、俺も黙っちゃらんねえな」
「私もお嬢様の身を傷つけられるようなことがあらば、黙っているわけには参りません」
互いの眼光から守衛も逃げたくなるような戦慄が走る。一秒一秒が永く感じられる睨み合いが続く。
先に口元を綻ばせたのは、市ノ瀬。
「うちにきたら優遇するぜ」
「結構です。お嬢様の下以外に私の存在意義は皆無」
「泣かせるねえ」
「あなたが泣こうと私は一向に構いませぬが、お嬢様が泣くようなことあらば、あなたと若様を赦すことはありません」
「もし、若とお嬢が合意の果てならどうするのだ」
「お嬢様ももう子供ではありませんからね。その場合でしたら、私は口出ししません」
「菓子でつられるような嬢ちゃんがか?」
克美の嘲笑に、龍真の眼が殺意を孕む。
「口を慎め」
「あんた、末期だな」
「何だと?」
「いくら財閥の令嬢だろうが、あの小娘のどこに命を懸ける価値がある? いずれ婿貰って他人の子供を産むんだぜ。お前のモノになるわけじゃねえだろ」
「私はお嬢様を我が物にするために従事しているわけではない」
「だったら病気だ、ビョーキ。ストイック過ぎるのも狂気の沙汰だぜ」
「なんとでも言え。私は生涯自分の信念を変えるつもりはない」
「あんたは割り切れるかも知れない。しかしあのお嬢は違うだろ」
「お嬢様はまだ世間を知らないだけ。いずれ外の世界にも目を向けられます」
克美は肩をすくめ、両手を上げた。
「はぁ〜あ。お嬢には一刻も早く乳母離れして欲しいもんだな。そうすりゃ、うちの若もちったぁ落ち着くんだけどよ」
「お宅の事情など知ったことではありません。あまり他人の家庭事情に首を突っ込まないで戴きたい」
龍真は不機嫌に言い残し車に戻った。
「ありゃ金剛壁だわ。若もエラい女に惚れたもんだ」
克美は薄笑いを浮かべて煙草をくわえ火を点けた。
(その心意気いかほどか見せて貰おうじゃございませんか)
もうもうと煙を吐き出し、ニヤリと口角を上げた。