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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

不遇姫シリーズ

死んだと思ったら異世界で、しかも美少女の中で、歌姫をすることになりました

作者: 姫崎しう

TSF・流血描写・残酷描写・非人道的描写に加え、特に女性には見ていられないような描写を含む恐れがあります。

苦手な人は、ブラウザバックをお願いいたします。


序盤からダークな話ですが、それでも良ければお付き合いください。

 異世界に転生するとしたら、幼少期はイージーモードで、成長するにしたがって強大な敵が現れてハードモードになるというのがお約束だと思う。最初から最後まで、イージーだったものもあるかもしれないけれど。

 そして生まれは、その世界の上流階級、せめて一般家庭の生まれではないだろうか。

 貧しいながらも、温かい家庭の中で、のし上がっていくというのもあるかもしれない。


 まあ、少なくとも、「自分自身の体」は持っているものだ。

 僕、いや、わたしのように誰かと共用なんてことは、そうそう起こるものではない。

 それ自体に文句はない。でも、性別は一緒のほうがよかった。自分が女の子になるというのは、違和感が半端なかったから。

 でも、違和感は慣れれば何とかなるし、女の子もとても可愛らしい見た目をしているから、役得なのだろう。精神的には男のつもりだけれど、長い女の子生活のせいで、だいぶ中性的になってきた自覚はある。


 では、なぜこんな話をしたのかといえば、上流階級に生まれたはずのこの少女が、生まれながらにひどい人生を歩んでいたからに他ならない。

 壊れた枷が転がる馬車の中、全く持ってご機嫌な乗り心地なので“歌”でも歌いながら、思い返してみるとしよう。





 転生初日。

 死んだと思っていた僕が、意識を取り戻した時、初めて感じたのは冷たさだった。

 それは、空気が冷たいというのもあったし、身動ぎした時に鳴るジャラ……という音が冷たいのもあったし、何より体に触れているものすべてが冷たかった。

 それから、声を上げようにも上げることができず、体を動かそうとしても動かせなくて、まるで自分の体ではないかのような感じがして、パニックになっていた。


 どれくらいの時間が過ぎたのかわからないけれど、ようやく落ち着いて、状況把握をしようと思ったらふいに視界が高くなった。

 まるで空を飛んでいるような感覚で、自分を俯瞰している形なのだけれど、そこで見た自分は生まれて間もないような赤ん坊だった。

 またも混乱しかけた思考を、生まれ変わったのだと無理やり納得させて、さらに広い視野で自分を見る。


 自分の体は、石でできたベッドの上で、薄い白い布切れを着せられた状態で寝かされていて、その両手両足には、枷がつけられている。

 枷から伸びている鎖は、ベッドに沿うように地面にたらされて、杭で床に固定されていた。

 部屋全体としては、冷たい石の床と壁、一面だけ鉄格子がされていて、まんま牢屋だといっていいだろう。


 牢屋の外はどうなっているのか確認しようとも思ったが、体からは離れられないらしく、格子の隙間から覗くのがやっと。しかも、見えたのは廊下と向かいの牢屋くらい。

 どう考えても赤ん坊が寝かせられている場所じゃないし、状況ではない。

 生まれ変われたのは良いとして、またすぐ死んでしまうのではないだろうか。どうしようもない運命に、怒りよりも諦めのほうが先に出てきた。


 シルクのような白い肌に、光を湛えたかのような金色の髪、深い青の瞳をしていて、我ながら可愛い赤ん坊だと思うのだけれど、と体のほうを見てみると自分自身と目が合った。

 たまたま目が合ったというわけではなく、澄んだ空のような青い瞳は、意識してこちらに向けられているように感じる。

 ジャラ……と鎖が鳴ったので、驚いてそちらを見たら、小さい手をこちらに伸ばそうとしていた。しかし、鎖の重さのためか、少しだけ上がった腕はすぐにベッドに縫い付けられる。


 いま、僕の意識は体を抜け出して――といいうのも変な話だけれど――いる。だとしたら、体に意識があるはずがない。

 それなのに、意識を持ったように、じっとこちらを見ている。

 そうして、ようやく気が付いた。僕は生まれ変わったというよりも、この子に取り憑いた存在らしい。なるほど、本当にこの体は僕のものではなかったわけだ。

 だとしたら、この子には、この子の意識がちゃんとあって、それなのにこんな仕打ちを受けているというのか。


 コツン……コツン……と、急に牢屋の外から異質な音がして、思考を止めてそちらを見る。

 少しずつ大きくなる音は、格子の前でぴたりと止まった。そこにいたのは、赤い豪奢な服を着た、まるで貴族然とした男。

 茶色の髪はきちんと整えられていて、彫の深い顔のおかげか、伸ばした髭がよく似合っている。30歳から40歳といった感じの男は、荘厳な顔つきとは不釣り合いな下卑た笑みを浮かべて、格子の戸を開けて中に入ってきた。


 赤子と並んでみると、その青い目がそっくりなので、父親なのだろうがどうにも安心できない。

 むしろ、危機感は高まっているといっていい。

 ぼそぼそと、何かをつぶやいているのだけれど、日本語ではないらしくまるで何を言っているのかわからない。とにかく、嫌悪感が、僕の中に渦巻いている。


 男はニィ……と、口の端を吊り上げると、赤子の手を取った。

 次の瞬間、右腕――赤子が取られた方の手――に、激しい痛みが走った。

 思わず右腕に目をやったけれど、そこには石の壁と床が見えるだけで、右手は存在していなかった。むしろ、体すら存在していない。それなのに、焼けるような痛みが、右腕を苛んでいる。


 痛みをこらえて、赤子を見ると、その手が真っ赤に染まっていた。

 綺麗な紅色が、無機質な牢屋の床に流れていく様を、放心したまま見ていたが、次第に頭の中まで真っ赤になっていく。

 そんな僕のことはお構いなしに、男はガラスでできた水筒のようなものをとりだし、中にある透明な液体を、赤子の傷口に流し始めた。


 すべての液体が流れ終わったところで、男は傷口に手を当て、何かをつぶやいたかと思うと淡い光がその手の向こうから漏れ出し、たちまち傷口がふさがっていった。

 男は一連の作業中、全く泣かない赤子に、歓喜したよう声を上げ、興奮気味のまま牢屋を出て行った。


 残された赤子は、静かに眠り始めたが、僕は今の光景が頭から離れなかった。

 それから、何とかこの子を守れないのかと、ぐるぐる考え始めた。



 男は毎日牢屋にやってきては、赤子の体の1か所に刃を入れ、液体を流していった。

 吐き気を催すような光景に、何もできない自分が腹立たしくなってきたが、どうやらあの液体は食事の代わりらしい。というのも、ほかに何も与えられていないはずなのに、死ぬことがないから。

 それから、汗などの老廃物も、白い布が勝手に浄化するらしい。傷口が治っていく様を見せられた時からわかってはいたが、この世界には魔法があるようだ。液体も魔法で、血管の中に入って行っていたのだろう。今思うと、流した液体はそのほとんどが床に到達していなかった。


 今の僕は、幽霊ではなく赤子の二重人格的なポジションにあるらしい。寝ているときに体を動かせないかとやってみたら、簡単に動かすことができた。この調子なら、もしかしたら魔法が使えるかもしれない。

 でも、赤子の負担になるのもよくないので、様子を見ながら体を貸してもらうことにする。

 あと、赤ん坊は女の子だった。男が布をはぎ取り、腹を裂いて液体を流しいれていた時に気が付いたが、その時はそれどころではなかった。


 男は毎日やってくるが、僕にも、日課のようなことができた。それは歌うこと。

 もともと歌うのが好きだったので、現実逃避気味に歌ってみたのだが、女の子には聞こえていたらしくキャッキャと笑ったのだ。

 何もできないと思っていた中で、女の子を笑わせることができた僕は、調子に乗って毎日飽きもせずに歌うことにした。女の子の体を借りない状態だと、せいぜい周りを見るくらいしかできないが、声を伝えることはできる様子だし、何よりずっと歌っていても喉が痛くならない。


 次第に女の子が体を使ってリズムを取るようになり、それが嬉しくて、僕のほうが救われたような気持ちになっていた。

 男がやってきた時に女の子が笑っていると、不審がらせてしまう可能性があるため、神経をとがらせていたら、いつの間にか探知魔法のようなことができるようになっていた。

 魔法なのか、単純に感覚が鋭敏になったのかは最初わからなかったが、ずっと使っていると眠らないはずの僕の意識が、いつの間にか途切れてしまったので、魔法だとわかった。魔力が切れて、回復のために強制的に休眠状態に入ったというのがしっくりくる。


 どうやら魔法は、女の子の間近くにいないと使えないようで、試しに主導権はそのままに取り憑くような形で使ってみたら、普段よりも精度が増した。



 女の子もだいぶ成長して、歩き回れるようになったころには、枷が1つに減っていた。

 右足の1つだが、鎖の太さが以前の倍くらいになっている。

 不便ではあるが、歩けないほどではない。女の子と不釣り合いの武骨な金属は、男が彼女を意地でも逃がしたくないという心の表れのようで、見ていて不快感が増してくる。

 そんなに逃がしたくないというのであれば、一歩間違えたら死ぬような状況にせずに、もっと安全なところで依存させてしまえばいいのに。


 このころになると、女の子も簡単な受け答えができるようになったらしく、男と言葉を交わしているところを、度々目にした。

 僕のほうは相変わらず何を言っているのかわからない。子供の学習能力の高さには、感服するというか、自分の学習能力のなさに嫌気がさしてくる。


 言い訳をするならば、このところ女の子に向けて直接的な害意が向けられているので、守るので精一杯なのだ。

 例えば、暗殺でもするように、部屋の角からナイフが飛んできたこともあるし、夜になって女の子が眠った後――眠ったから夜だと判断したともいえる――、大量のネズミが、蛾が、ムカデが、蜘蛛が牢屋の中を埋め尽くしたこともある。


 蜘蛛の時には、途中で女の子が目を覚ましてしまい、トラウマを1つ作らせてしまった。

 しかし気絶して目を覚ました後、自分の体がどうにもなっていないことから、夢だと認識したようで、精神崩壊はしていない。むしろ、トラウマで抑えることができたともいえる。

 体のほんの少し外側に、膜を張るかのように作った結界魔法で守っていたので、とてもとてもリアルだった。女の子と一緒に蜘蛛の大群を見てしまったせいで、僕もまた蜘蛛がトラウマになったといえる。

 見たらたぶん、全力で殺しにかかるだろう。


 そういうわけで、常に気を張っていないといけないし、守ったら守ったで強制休眠が始まるしで、言葉の勉強とはいかなかったのだ。

 正直、女の子よりも、僕のほうが精神状態はヤバかったと思う。

 唯一、歌っているときだけは、女の子が楽しそうにしてくれていたこともあって、気が休まる瞬間だった。女の子の自我も芽生え始めたし、最初は僕の声に驚くのではないかと思ったけれど、英才教育によって、歌には疑問を持たなかったのには、救われたといっていい。

 たぶん、歌に拒絶反応を示されていたら、心が折れていたと思う。


 余談だが、歌っているときに、女の子がたどたどしくも踊りを見せるようになった。

 たどたどしいのは、枷のせいだと思うけれど、幼いながらに整った顔立ちをしている女の子がくるくると踊るのは、とても可愛らしかった。


 そういった害意から女の子を守った後、男がやってきたときには、いつも以上に興奮した様子で、気持ち悪さが増していた。こんなことをせずに黙っていたらモテるだろうに。

 牢屋に入ってきた男は、女の子の服を脱がせ、隅から隅まで何かを確認した後で、満足そうな顔をして帰っていく。

 その様子から、襲撃があったことは知っていたのだとはわかるが、もしかしたらこの男が襲撃の犯人ではないだろうかと思えて仕方がなかった。



 そして、女の子の見た目が5歳を超えたころになると、片手間に警戒することができるようになり、女の子と遊ぶ時間が増えた。遊ぶといっても、歌って踊るだけだけれど。

 歌も地球のそれしか知らないので、演歌が入ったりと、今の状況にはまるであっていないけれど、それでも女の子は飽きもせず踊ってくれていた。


 結界の精度も上がっては来ているのだけれど、唯一男から受ける傷だけは受けてもらうようにしている。

 というのも、いまだに謎の液体に栄養を頼っているから。

 男のほうとしても面倒だろうに、なぜこんな方法を続けるかはわからない。

 1つ言えることは、男の邪魔をすると、女の子が生きていけなくなる可能性があるということだ。


 しかし、唐突にその事件は起こってしまった。

 いつものように、謎の液体を持ってきた男は、今日はまた別の液体を別の容器に入れてきていた。

 いつもの食事、いつもの嫌悪、感覚がリンクしているので、痛みもやってくる。

 だが、この日は、女の子と男が少し長く話していた。


 もしかして、この醜悪な食事が終わるのかなと、心のどこかで期待していたのだけれど、そんなこともなく男が女の子の服をはぎ取り腹を切る。

 痛みには慣れた、といいたいところだが、眉を(ひそ)めずにはいられない。

 よどみない動きで、傷を治した男は、嬉々とした様子でその手を女の子の足に添えた。


 普段だったら、服を着せて帰っていくはずなのに、いったい何をする気なのだろうかと訝しんでいたら、初めて持ってきた粘性のある液体を女の子の下腹部と自分の指につける。

 まさか、と思ったときには、お腹に痛みが走っていた。ナイフで切られる今までの痛みとはまた別ものの、内臓をえぐられるかのような痛みに、声を上げそうになる。頭が真っ白になる。

 僕の意識がぼうっとしている中、男は嬉々として、痛みの証である紅の流れを懐に仕舞っていた試験管のような容器に集めている。愛おしそうにその様子を見つめている男は、狂気じみていて、ここが彼の作り出した地獄なのだと錯覚する。

 その後、女の子に服を着せた男は、焦れたように急ぎ足で牢屋を出て行った。


 残された女の子は、感情のこもっていない目で、男の背中を見送っていたけれど、僕はそんな彼女の様子に気をかけている余裕はなかった。

 真っ白だった頭に色が戻り、今この時、何があったのかを理解していく。それと同時に、女の子を守れなかったという事実が、ありありと存在感を増してきた。

 そもそも、食事の前の会話が長かったのも、男が女の子にこのことを伝えていたからではないだろうか。


 つまり、僕がこの世界の言葉を少しでも理解しようとしていれば、避けられたことかもしれない。

 その事実が、僕に重たくのしかかってくる。


 女の子は今は平気そうな顔をしているけれど、まだ5歳程度でしかないのだ。日ごろから痛みを与えられている彼女にとって、今の痛みがどういったことを意味しているのか、理解しているのかも怪しい。

 もしも、この意味を知った時、彼女が絶望するのではないか、それが心配でたまらない。


――心配だなんて、都合がいい言葉を使うなよ


 心の中で、僕自身がそう言い聞かせてくる。


――守るといいながら守れなかったんだ、謝って済む問題じゃない


 それは、わかってる。わかっているけど、どうしようもないんだ。

 何もできなかった、何もしなかった、現実を見ていなかった。

 謝っても、彼女の純潔は戻ってこないし、それによって男という存在に恐怖するようになれば、人類の半分に恐怖することになる。


 そこにどれだけの平穏があるのか、男だった僕にはわからない。

 わからないからこそ、守らないといけなかったのに。


 思考は堂々巡りを繰り返し、繰り返すたびに僕を責め立てる。


『ごめん……なさい』


 女の子にしか聞こえない声で、謝罪をする。意味がないとわかっていても、声に出さないとつぶされてしまいそうになるから。

 体を持たない僕は、涙を流すこともできないから。

 ただただ謝る。ごめんと、許してほしいと、次こそは必ず守るからと。日本語で話す僕の言葉を、きっと女の子は理解できていないだろう。


 それでも、何度も謝るうちに、気が付いたら意識を失っていた。



 基本的に女の子と僕とは、感覚がリンクしている。

 意識がない状態だと、その辺りが鈍ってしまうらしいのだけど。


 意識は覚醒したけれど、まだ半分眠っているらしい。

 何せ、石造りの牢屋の中なのに、木の香りがするのだから。

 いつも感じていた、冷たい石の感覚はなくて、温かみのある何かに座っているような感じがするから。


 そう思って、あたりを見回すと、部屋の中が本棚に埋め尽くされていた。

 6畳ほどの広さの部屋の壁沿いはもちろん、部屋を半分に仕切るようにも、本棚が設置してある。

 僕がここにいるということは、女の子がここに移されたということなのだけれど、とその姿を探す。


 すぐに女の子は見つけることができたが、その様子に言葉を失った。

 髪は色が落ち真っ白になっていて、けがをしたのかあちらこちらに包帯を巻いている。全身から感じるこの痛みは、慣れたもののようなので、おそらくナイフで切られたのだろう。

 その状態で地べたに座り、彼女が両手で抱えないと持てないような本を読んでいた。

 パラパラ……と、彼女がページをめくる音だけが、この部屋を支配している。


 その瞳には生気が感じられず、黙々と本を読む機械になったのではないかと誤認してしまいかねない。

 生々しくて、痛々しくて、何よりまた守れなかったという事実に、また気が狂ってしまいそうになる。

 後悔ばかりもしていられない。今の僕にできることは、歌をうたうことだけなのだ。それで、少しでも彼女の気が紛れてくれれば、それでいい。

 何も映っていないような瞳に、こうなるまで助けることができなかった自分への怒りでも浮かべてくれれば、まだ彼女は人としてやり直せる。


 そう信じて、静かな歌を、静寂の中にあって耳障りにならない歌を、できるだけ優しい声で歌おうと声を出す。

 しかし、彼女の現状に感情を揺さぶられていた僕の声もまた、ひどく震えていて、歌にならない。

 情けない。唯一できることも、できなくなってしまったのか。

 だけど、こんな情けない僕に対してなら、彼女もきっと怒りを見せてくれるだろう。


 そう思って彼女を見ると、驚いたように目を見開き、その瞳の両端からは、涙が流れ落ちていた。

 それから、目を細めた彼女は、ゆっくりと口を開く。


「――?」


 鈴を転がすような声は、耳に心地よいのだけれど、何を言われたのかがわからない。

 怒っている様子はなく、何かを尋ねているようなのだけれど、何とかわかるのはそこまでだ。


『……っごめん、わからないよ』


 言葉が違うということに、彼女が気が付いてくれるかはわからないけれど、何も返さないわけにはいかないと思い、喉が詰まりながらも、日本語で返す。

 彼女は2度瞬きしたかと思うと、何かを納得したようにうなずいて、こちらに手を伸ばした。

 幼く小さい彼女の指が、僕に触れると、僕の存在がスッと彼女の中に入って行く。

 彼女に取り憑いているのが自然であるように、今の状態がとても落ち着くのだけれど、彼女の意図はわからない。


 僕という存在をどのように認識しているのかも、自分の境遇をどう思っているのかも。

 だけれど、今日初めて会話した彼女は、見た目以上に大人なのだと感じた。



 部屋が書斎に代わって、彼女は延々と部屋にある本を読み続けていた。

 以前と変わったところがあるとすれば、食事を出されるようになったことだろう。

 牢屋時代は毎日会いに来ていた男は、こちらに移ってからはほとんど姿を見せないようになり、代わりに決められた時間になると、能面でも被ったかのようなバトラー風の男性が、食事を持ってきた。

 最初のうちは食べるのに苦労していたけれど、徐々に食べるという行為に体が慣れてきたのか、今では普通に食べることができる。

 また、食事には、謎の液体が1本はついてきて、他は残そうとも、それは飲まないと食事が終わらない。


 あまりにも拒否を続けると、無理やり飲まされる。顔をつかまれて、無理やり流し込まれるのだ。

 この薬は、どうやら魔力を暴走させるらしく、魔力の扱いを知らない子供が飲むと死んでしまう可能性があるものの、今までさんざん魔力を使ってきた僕としては危険性はまるでなかった。彼女に気づかれないように魔力を操って、暴走が始まる前に収束させる。


 それから、こちらに移って、飲まされる薬以外に危険なこともないので、言葉の勉強が始まった。

 教えてくれるのは、女の子で、僕を取り憑かせた状態で、文字を指さしながら発音をするところから始める。教えてくれるとは言っても、彼女自身勉強中であるため、進度はゆっくり。

 気合を入れて勉強していたつもりでも、理解するまでだいぶ時間がかかってしまった。


 歌とダンスの時間を減らせば、もう少し早く勉強も進んだのだろうけれど、それを失くしてしまうと気が滅入ってしまうのだ。

 何より、女の子の笑顔を見られるのが、心を癒してくれる。

 彼女は、基本的に無表情で冷たい印象があるのだけれど、僕の存在を感じているときには、内に隠された様々な感情を見せてくれる。


 いまだに“女の子”呼び名のは、お互いに名乗っていないから。

 正直、どちらも事情が入り組んでいて、単語だけの会話ではどうしても伝えようがなかったのだ。

 というか、たぶん彼女には名前がない。名前という概念は知っているようだが、自分にそれがあるのかを知らない様子だ。

 少なくとも、たまに顔を見せる男も、能面のバトラーも、彼女の名前を呼んでいない。「おい」とか「お前」とか「それ」とかで呼ばれている。


 こちらも、名乗るとしても、自分がこの世界の人間ではなかった話をしないといけないし、一度死んだのだから、生前の名前を使うのも違うような気がするので、半分名無しのようなものだ。

 いきなり、生前の話をしても混乱させるだろうし、何より彼女に元男だと伝えるのはためらわれる。

 何せ彼女の周りの男性は敵ばかりなのだから。いつかは話すとしても、それはいまではないと思う。

 幸い、僕の声は、彼女には中性的に聞こえているらしいから、女だと嘘はつかないまでも、性別をはぐらかし続けることはできるだろう。


 そうしている内に、表面上平和な時間は過ぎ、改めて女の子と会話をしてみようということになった。

 日本だと小学校に入学したくらいの年齢だろうか。そんな子と面と向き合って、会話するというのもむず痒い。

 この子の場合、とても賢く、大人びているので、むしろこちらが年下に見られないか不安ではある。


「まずは自己紹介をしたいのだけれど……私には名前がないの。それには、気が付いているとは、思うのだけれど。

 だから、そちらから、お願いしていいかしら?」

『とりあえず、わたしのことは「エインセル」、エインと呼んでください』


 この名乗りと一人称は、前々から考えていたこと。下手に男性のみが使う一人称は使えないし、エインセルというのが本名ではないというのも、賢いこの子なら、気が付いているだろう。

 敬語なのも、下手に出ているからではなく、男性としての特徴を出さないための苦肉の策。ただでさえ慣れていない言葉なので、言葉としては違和感が出てくるかもしれないが、男だとばれるよりはましだと思う。


 彼女の言葉も、少したどたどしいので、どっこいどっこいだろう。何せ、僕……いや、わたしと話すとき以外は、最低限しか言葉を話さないから。

 下手すると、今のやり取りだけで、わたし以外との会話の数日分にも匹敵するだろう。


「ねえ、エイン。お互い、色々と話したいことはあると思うの。

 だけれど、その前に、お礼を言わせて。きっと、私が今、私でいられるのはエインが守ってくれていたからでしょう?

 それに、頭の中に聞こえてくる、貴方の歌がなければ、私はとっくに生きることを諦めていたかもしれないの。

 だから、ありがとう、エインセル。今まで言えずにごめんなさい」

『……』


 彼女の言葉に、転生してから今までの苦労が、すべて報われたような気がした。

 だけれど、同時にその言葉を受け取れるような人物でもないことも、自覚している。

 感動と罪悪感と、反する2つの感情がわたしの中でぶつかり合い、まるで言葉が出てこない。下手すると、あの時のように、延々と謝り続けてしまいそうだ。

 しかし、彼女が心配そうに「……エイン?」と首をかしげるので、何か返事をしなくては、と口を開く。


『わたしは、貴女を守り切れませんでした。ですから、その言葉を受けとる資格はないのです』

「それこそありえないの。少なくともあなたの歌は、私の心を癒してくれたのだから」

『それでも……っ。一生消えない傷を、貴女に与えてしまった。守れたはずなのに、わたしが、もっとあの男を警戒していれば……っ』


 敬語も忘れたわたしの慟哭に、彼女は首を左右に振って否定する。

 まるですべてを許すかのように微笑むと、桜色の唇で言葉を紡ぎ始めた。


「エインセル。私の優しい人。あれは、仕方がなかったの。

 貴方がいくら守ってくれても、父は、あの男は諦めなかったはずだから。

 あれが、あの人の目的だったから。機嫌を損ねれば、殺されてもおかしくはなったのだから、あれでよかったの。エインがあの男に知られなくて、本当に良かった」

『ですが』

「もちろん、これが理由で、女性として足を引っ張ることになるのは、わかっているの。

 まだ実感はできていないだけなのかもしれないけれどね。

 でもこのまま、この家にいては女性としてどころか、人として生きていけるかも怪しいもの」


 確かにこの家にいては、本来いくつ命があっても足りない。

 何の力もない赤子なら、1日に1回は死んでいるかもしれない。

 その屋敷の中にあって、屋敷の主人の目的が彼女の純潔であったなら、その目的を達するまでは、決して彼女を外に出すことはないだろう。

 そういう意味では、確かに必要な儀式だったのかもしれないけれど、受け入れられるものでもない。


「それよりも、エインにお願いがあるの」

『わたしにお願いですか?』


 急な話題変更は、彼女が気を利かせたのだろう。やはり、この子は聡い。

 というか、わたしが会話が下手なのかもしれない。こうやってまともに会話するのは、数年ぶりだし、使い慣れていない言葉だし。


「私の名前を、考えてほしいの」

『名前……ですか』

「エインセルも、エインが考えた名前なのだと思うから、できなくはないと思うのよ」

『やはり、ばれてましたか』

「エインも、隠す気なかったみたいだもの。でも、理由は聞かないから、安心して」


 そう言って、彼女はくすくすと笑う。

 下手に話を広げられても、困るところではあるので、黙って名前を考えることにする。

 この子を見ていて印象的なのは、真っ白になってしまった髪と、宝石のような青い目だろうか。

 青と白、この2つから思い浮かぶのは、やはり空や海。シースカイなんて言うのは、あまり可愛らしくないし……


『シエルメールはどうでしょうか?』

「シエルメール……だとしたら、シエルと呼んでもらうのがいいのね。

 これからよろしくね、エイン」

『もちろんです。シエル』


 気分だけだが、互いに微笑みあう。

 こうした穏やかな時間は、ここ数年で初めてではないだろうか。

 歌っているときは楽しかったけれど、それとはまた違う。話せるようになった今、こういった日が増えるといいのだけれど。


『それで、シエルは今後どうしたいんですか?』

「どうしたいってどういうこと?」

『シエルがその気なら、この屋敷から逃げる方法を探そうかなと考えているんです』

「ええ、もちろん。エインは力を貸してくれる?」

『シエルのためなら、いくらでも貸しますよ』


 たぶん、屋敷を出るだけなら、わたしの魔法をうまく使えばできなくはないだろう。

 探知があれば見つからないように動けるし、仮に見つかっても、結界で身を守れる。そのあとは、体の小ささを生かせば、やってやれないこともないだろう。

 しかし、問題は逃げ出した後、追っ手を差し向けられた場合だ。逃げ続けるのは、シエルもわたしも、ものを知らなすぎる。


 それに屋敷の外が安全だとも限らない。魔法がある世界だ、魔物とかいるかもしれない。

 そうなると、それらを倒すための戦闘力も必要になる。今のように守る一辺倒だと、じり貧だろうし。


 理想は、屋敷の主人から、シエルが捨てられるというものだろうか。興味を失くして、放っておいてくれるのが、現段階では最も確実だ。

 もしくは、死んだふりをするかだが、屋敷の中にいては、簡単にできることではない。

 計画を練るにも、この世界の情報が必要なのだ。


「ねえ、エイン。逃げる話も大事だけれど、まずはお互いの話をするべきだと思うの」

『ですが、いつまで安全かわかりませんよ? 今の生活を安全といってしまっていいかは、わかりませんが』

「それなら大丈夫よ。少なくとも、私が10歳になるまでは、いまのままの生活が続くはずだもの」

『どうしてそう言い切れるんですか?』


 自信たっぷりに話すシエルが話すが、その根拠が見えてこない。

 この世界に関しては、すでに言葉を理解できていたシエルのほうが詳しいから、その辺が理由だろうけれど。


「エインは、あの男がいま何を目的にしているかわかる?」

『いいえ、わかりません。

 以前はシエルの破瓜の血を目的にしていたんですよね』

「うん。それで、うまくいかなかったから、今度は私を魔法関係の“姫"にしようとしているの。

 そうすることで、新しく実験をするときに、より大規模なものを楽に行えるようになるから」

『えっと、姫……というのは、何なのでしょう?』

「あ、そうよね。エインは、わからないかもしれないものね。

 エインは、職業(ジョブ)って知っているかしら?」


 職業といえば、教師とか、消防士とか、会社員とかそういったことを思い浮かべるけれど、たぶんそういったことではないのだろう。

 日本では、ある程度ゲームも嗜んでいた身としては、予想できなくもないけれど、ここで知っているかのようにふるまって、情報に齟齬があっては困るので、正直に『わかりません』と返す。


「職業はね、10歳になると神様から授けられるもので、その内容によって得意なこととかが決まるの。

 例えば、職業が"剣士"になれば、剣の扱いが飛躍的に伸びるわけね」

『つまり、主人はシエルに魔法が得意になるような職業を取らせようとしているのですね。

 今まで、シエルにしていたことが、魔法的何かに関することなら、今後同じことを繰り返すときに、助手にしてこき使えるってことですか。

 職業は、自分で選べるものなのですか?』

「はっきりとは、決められないみたい。10歳になった時に、神様が勝手に決めちゃうらしいんだけど、何か得意なことがあれば、それにまつわる職業になることが多いらしいの。

 毎日剣術をしていた子のほうが、全くしていなかった子よりも、剣にまつわる職業になりやすいって、研究結果をこの部屋のどこかでみたのよ」

『食事の時の魔力を暴走させる薬は、少しでもシエルを魔法関係の職業にする可能性を上げるためということなんですね』


 謎の液体の理由がわかって少しすっきりしたけれど、だからといって死ぬ可能性のあるものを飲ませるのはどうかと思う。

 やっぱり、あの日を境に、屋敷の主人のシエルに対する態度が、大きく変わったといっていいだろう。

 牢屋時代も確かに死にかけることは多かったけれど、あのときにはシエルに死んでほしくはないという意図が感じられた。

 だけれど、今はシエルが死んだら死んだで構わない、といった感じがする。


『では、"姫"とは何ですか?』

「同じような職業でも、色々あるの……っていったらわかる?」

『剣士の中でも、上級や下級があるってことでしょうか』

「えっと、そんな感じで大丈夫だと思う。

 全部が全部に言えるわけじゃないそうなのだけれど、女性だったら"姫"が、男性だったら"王"が付いていると、いいみたい。でも、職業が絶対ってわけじゃなくって、剣士が剣王に勝ったって記述も見かけたの」


 下剋上が起こらないほどの差ではないと。だが、かなり大きな差ではありそうだ。その差が微々たるものだった場合、死ぬほどの薬を与えてまで、職業を決めさせようとはしないだろう。

 剣王に勝ったという剣士は、それこそ人をやめるレベルで修業をしたに違いない。

 そこまでして育てるよりは、よりランクの高い職業の子供探したほうが楽そうだ。


 だがこれで、10歳までは今のままという理由もわかった。

 それと同時に、この屋敷から抜け出せる可能性も見えてきた。


『10歳まで大丈夫というのは、シエルの職業がはっきりするまでってことですね』

「わかってくれたのなら、今度こそお互いのことを話したいのだけれど」

『そうですね。いま焦っても、何か変わるわけでもなさそうです。

 それでは、何から話せばいいでしょうか』

「まずエインに聞きたいのだけれど、エインは神様ではないのよね?」

『違いますが、どうしてわたしが神だと思ったんですか?』

「あの男が赤ん坊だった私にかけた術が、神様を宿らせて私を神様にするためのものだったみたいなの。

 でも、エインが違うなら、やっぱり失敗したのね」


 いきなり話のスケールが大きくなった。確かに、神から職業を与えられると考えられているのなら、その存在も身近に感じられるだろうけれど。

 娘に宿らせようとはどういった了見なのだろうか。話から察するに、シエルの意識は乗っ取られるのが前提のようだから、生贄にしているも同じではないだろうか。


『あの男が、以前は歪でもシエルを大切にしているように見えたのは、神が宿っていると思っていたからですか。

 何度も襲撃したのも、神が宿っているから大丈夫だと考えていたからでしょうね。

 それで死んでしまえば、神はいない、生きていたら神がいる可能性が高い。そう考えると、あの男の喜びようも、わからなくはありません』

「それで、間違いないのよ。食事がなかったのも、人の食べ物を食べさせて、私が神様でなくなってしまうことを恐れたからみたい」

『欲しかったのも、シエルの破瓜の血ではなくて、神の破瓜の血だったってことですね』


 シエルが頷くのを、複雑な表情で眺める。

 神の血となると、とても強力の力がありそうだし、一生に一度しか得られないようなものなのだから、下手したら人が生き返るレベルの奇跡が起こせるといわれても、納得できる。

 あの男にも、それほどの願いがあったのかもしれない。だからといって、シエルにしてきた仕打ちが許されるわけでもない。


 ある程度事情を想像できるところまでやって来て、怒りが収まったかといえば、そんなことはない。

 むしろ、今までは得体のしれない気持ち悪さがあって、気味悪かったのだけれど、それが薄まって、より怒りが湧き出してくる。


「あの日、私が神様ではないと気が付いて、いまの部屋に連れてこられて、10歳になるまでにここにある本をすべて読むように言われたのよ」


 シエルは詳しくは言わなかったけれど、目が覚めたときにあちらこちらを怪我していたのは、神ではないとわかったシエルに、男が八つ当たりをしたからだろう。

 食事に関しても、彼基準ではわざわざ直接血管に流し込む手間のかかる方法をとる必要も、なくなったわけだ。


「私のことを話しちゃったけど、次はエインについて教えてくれる?」

『まず、私自身どうして、シエルと一緒にいるのかというのはわかりません。

 たぶん、神を宿らせる何かに、引き寄せられたのかもしれませんね。シエルが生まれたときに、一緒に生まれたという可能性もありますが』

「それは、えっと、エインはぼんやり光っている人ではないってことなのよね?」

『そうですね。本来は、シエルの中に一緒にいるのが、正しい状態です。

 シエルの体に、シエルとわたしの2つの魂があるといった感じでしょうか』

「あの、だったら、私の体はエインのものでもあるってことなの?」


 シエルが、珍しく伏し目がちになる。

 言われてみれば、確かにシエルの体は、わたしの体であるともいえるかもしれない。

 だからこそわたしに対して、シエルが申し訳なくなっているのも理解できる。

 だけれど、わたしとしては、シエルの中にいさせてもらっているという印象でしかない。たまに、体を借りるけれど、シエルの体はシエルのものだという感覚が強い。


『いえ、わたしはあくまでも、シエルの体を借りているだけですよ。

 何せ、わたしはすでに死んでいるはずの人間ですから』

「……エインは死んでいるの?」

『どういえばいいのかはわかりませんが、わたしは確かに1度死にました。

 どのように死んだのかも、ちゃんと覚えていますから、間違いないです。

 死んで魂だけになってしまったところを、例の実験で、シエルに宿らせたのかもしれませんね。

 ですから、シエルの体は、シエルのものですよ』

「えっと、そう……なのね。私の体を借りるってことは、エインも私の体を動かせるの?」

『シエルが寝ているときには、普通にできましたけれど、起きているとどうなのでしょうか。

 やってみますか?』

「ふふ、ちょっと楽しみかも」


 少し落ち込んでいたシエルが、元気を取り戻して、笑顔を見せる。

 まあ、自分が動かす気がないのに、勝手に体が動くというというのは、なかなか体験できることではない。今後、わたしとの入れ替わりがスムーズである必要も出てくるだろうし、慣れておくことに越したことはないか。


 一度、シエルの中に入って、試してみるがうまく動かせない。

 まるで、体全体が変に力んでいて固まってしまっているかのような、変な感覚だ。


『シエル、目を瞑って、力を抜いてみてくれませんか』

「わかった」


 こちらの指示にシエルはすぐに従って、目を閉じ、全身を弛緩させる。

 先ほどまでかかっていたような力はなくなり、わたしの思った通りに、シエルの体が動き出す。

 ただ、寝ているときほどスムーズでもなくて、全身に重りが付いているかのようだ。


 体の動きは鈍くても、魔法を使う上では、普段と同じ感覚だから、現状でも使えなくはない。

 動きを確認する程度で終えて、シエルに体を返した。


「とっても、不思議な感覚……」

『何か、嫌な感じはしませんでしたか?』

「ううん。楽しかったのよ。

 それで、エインは魔法が使えるのよね?」

『周りの状況をなんとなく把握するものと、身を守るものしか使えませんけどね』

「じゃあ、魔力の暴走を抑えていてくれたのも、エインだったのね。

 私の体を使って、どうにかしてくれたのでしょう? ありがとう、エイン」

『当然のことをしただけです』


 まっすぐなシエルのお礼が照れくさくて、そっけない返しになってしまう。

 でも、以前と違って、お礼を受け入れられるようになったのは、シエルとの距離が縮まったと感じたからだろうか。今まで、至らないところはたくさんあったけれど、シエルが拒まない限りは、守り続けていきたい。

 そのためには、シエルが10歳になるまでに、やらないといけないことを1つずつこなしていかなければ。

 さしあたっては、職業についてだろう。


『これからのことですが、まずは職業について調べていきましょう。

 どういったものがあるのか、その中で評価が高いものは何か、逆に低いものは何か、などでしょうか』

「今まで、本を読んでいた時間で、職業について書かれたものを優先的に読めばいいのね。

 幸い、ここには職業の本とか、神様の本とか、魔法の本が多いから、すぐに見つかるのではないかしら」

『あとは、いつも通りに過ごしましょう』

「それは歌ってくれるってこと?」

『嫌でしたか?』

「いいえ、楽しみなのよ」


 期待に満ちた顔でシエルはそう返すと、職業の本を探し始めた。



 長い時間をかけて、狙った職業を授かる方法を探してみたけれど、最初にシエルが言った程度しか情報は出てこなかった。

 それは予想できていたし、そんなことができれば、シエルの職業は屋敷の主人の望むものになり、さらに屋敷に縛り付けられることになるだろう。


 職業についてだと、もう1点。職業は、神が魔物に対抗するために与えたものらしい。

 はい、魔物いました。いまでも人々の生活を脅かしているため、職業は戦闘向きのものほど、良いものだとされている。

 逆に戦いに役に立ちそうにない職業は、"王"や"姫"が付いていても、冷遇されるかもしれない。

 実例だと、道化王という職業に就いた男性が、大成することもなく、冷笑され続けた結果、職業を隠して生活することになった、といったものがある。


 道化王だったなら、路上でパフォーマンスしているだけでも、お金を稼げそうなものだけれど。

 それはともかくとして、“姫”にもそんな不遇職業が存在している。

 存在しているというか、どんなものでも職業になるらしい。珍しい話ではあるが、職業の数は増え続けているとみていいだろう。

 下手すれば、石の扱いに長けた“石ころ姫”なんて出てきても、わたしは驚かない。


 どんな職業でも使いようではあると思うけれど、戦闘職が花形で、鍛冶などそれに携わるものが次点、農業関係など生活に関わってくるものが、日本でいうところのサラリーマン的立ち位置だと感じる。

 つまり、多くの人は農民や商人、それに連なる職業になるわけだ。

 道化のように、娯楽に関する職業を得た人は、カースト下位者になり、その職業を隠して生きていくことが多いとされる。


 また職業には、“炎魔法師”や“氷魔法師”といった、その分野の中でも1つに特化したものもあれば、“魔法師”のように分野全体を包括したものもある。

 魔法師は、炎魔法師ほど火に関する魔法が得意ではないが、多くの属性の魔法を操れる。いわば器用貧乏タイプといっていいだろう。

 まあ、炎魔法師であっても、ほかの属性の魔法を覚えられないわけでもないし、どちらがいいかはその人がどのような人生を歩んでいくかで変わるに違いない。


 この職業だけれど、知るには特別な道具が必要になる。

 お金持ちは個人で所有できるものだけれど、一般に広まっているわけではないので、普通は各地域ごとに10歳になった子供を集めて、まとめて行うことになっている。

 この屋敷だと、個人で持っているだろうから、こっそり調べてシエルの扱いを決めるのだろう。


 それから、この世界についてだけれど、階級制度がある世界で間違いないようだ。

 つまり、王族がいて、貴族がいる。王族は神から選ばれている家系で、代々職業が"王族"になるという。

 この辺りは、王族について調べられないのか、記述は少ないが、王族は職業としてのポテンシャルもかなり高いらしい。


 貴族だが、こちらは職業は関係がなく、かつて高い魔力を持ち、王族を支えてきた者たちとなる。

 その多くがいまでも高い魔力を持っていて、魔法に精通しているが、中には代を重ねるごとに魔力が減ってしまった家もある。

 貴族から平民に落ちる人もいるため、平民の中にも魔力を持った人は少なくない。しかし、一般的な貴族程の魔力量を持つ人物は、そうそう現れないとされる。

 また、貴族のほうが、平民よりもポテンシャルの高い職業につきやすいとされるが、それは幼いころからどれだけ教育できたのかが、大きな違いになっているようだ。


 で、この屋敷の主人なのだか、貴族なのは当然として、持っている爵位は公爵という大貴族なのだ。

 こんな権力の塊のような家から、追われることになるのは、何としても避けたい。

 うまく事が運んでくれればいいのだけれど。


 そして今日は、シエルが10歳になる日であり、職業を授かる日でもある。

 この部屋から出ることを許されていないシエルのもとに、男が職業を調べる道具もってやってくると、能面バトラーが言っていた。

 せっかくの誕生日なのに、シエルは無表情で男が来るのを待っている。


『緊張しているんですか?』

「緊張はしていないのよ。ただ、あの男が来るとわかっているだけで、どんな顔していいのかわからなくて」

『シエルはすごいですね。わたしは緊張で、死んでしまいそうです』

「じゃあ、いまエインと変わったら、心臓が壊れてしまうわね」


 くすくすと笑うシエルは、とても女らしくなってきた。

 身長は大人にはまだ及ばないものの、胸も膨らみかけてきているし、体全体が丸みを帯びつつある。

 特にその表情は顕著で、わたしをからかうときなど、10歳がどうしてそんな顔ができるのだと思うほど蠱惑的な笑みを浮かべるのだ。その片鱗自体は昔からあったような気もするけれど。

 わたしとしては、シエルと話すことで、緊張をどうにかしたかったのだけれど、残念ながら探知に何かが引っかかった。


『来たみたいです』

「面倒ね、とは言ってはダメかしら」

『いくらでも言っていいと思いますよ。実際、面倒であることに違いはありませんから』

「いっそ、私の存在なんて、忘れてしまって居ればよかったのに」


 本当に嫌そうにため息をついたシエルは、一度目を閉じて、感情をすべて閉じ込める。

 そうしたところで、無遠慮に扉が開かれた。

 部屋に入ってきた男の手には、何やら厚めの紙のようなものが握られていて、その表情は笑顔に覆い隠されている。

 最初からこの笑顔を見せられれば、実はいい人なのでは、と思ってしまいそうだけれど今となっては、うさん臭さしかない。

 貴族として、感情を表に出さないときの表情なんだな、くらいの感想しか出てこない。


「今日、お前の職業が決まる。今日まで、ここにおいてやっていた意味、分かっているだろうな」

「はい」

「使い方は簡単だ。この紙に、魔力を流せばいい。まさか、やり方がわからないとは言うまい」

「大丈夫です」

「じゃあ、さっさと始めろ」


 聞いているだけで、感情を逆なでられる。彼はわたしを怒らせる天才なのだろうか。

 わたしの苛立ちは、お構いなしに、男が持ってきていた紙をシエルの足元に投げ捨てた。

 シエルは無表情のままに、紙を拾うと、両手で持って魔力を流す。

 これって、魔力を持たない平民はどうなるのだろうかと思ったが、たぶん別の方法があるのだろう。


 魔力を流された紙は、全体が淡く光始めた。

 やがて、紙にまとわりついていた光が、ふわりふわりと宙に浮き、何かの形を作っていく。

 光に動きがなくなった時、それは文字を表していた。


【シエルメール 職業 舞姫】


 たった1行しかない文字に、わたしは思わず笑みを作ってしまう。

 あくまでイメージだけれど、表に出ているのがわたしだったら、男に笑顔を見せてしまっていたかもしれない。

 そんなわたしの気持ちとは対照的に、男の表情は険しくなっていく。


「お前は本当に役に立たないな」

「申し訳ありません」

「申し訳ないで済むと思っているのか?

 この数年間、遊んでいただけなのだろう?」


 男は感情を抑えずに、大きな舌打ちをしたかと思うと、踵を返す。

 その時に「"歌姫"ではなかっただけ、まだ使い道はあるか」とつぶやいているのが聞こえた。

 理想は、この場で「出ていけ」と屋敷を追い出されることだったのだけれど、何やら雲行きが怪しくなってきた。

 とりあえずは、男の興味からシエルを外せただけ、良しとする。


 男が部屋を出て行って、わたしの探索範囲から離れて行ったのを確認してもまだ、シエルが紙を見つめているので『どうかしましたか?』と声をかける。

 シエルは、好奇心を目に宿したのか、爛々とした瞳で正面にいるわたしを見た。


「これ、エインがやったらどうなるのかしら?」

『同じ結果になるのではないでしょうか』

「でも、私とエインは違うもの。エインだって、職業を授かっていると思うのよ」


 男の様子が気にかかりはしたものの、やって損はないだろう。

『やってみるので、体を貸してくださいね』と声をかけてから、自分の意思で紙を見る。

 やっぱり、この紙は厚い。触感が変なフェルトを持っているみたいだ。シエルの魔力が抜けたのか、光はすでに散っている。改めて、今度はわたしの魔力を流してみると、同じように光が宙を舞い始めた。


【エインセル 職業 歌姫】


 そして、先ほどとは違う結果を表した。

 わたしは唖然としていたが、シエルはこうなるのがわかっていたのか『やっぱりね』といっているのが聞こえる。

 体をシエルに返すと、開口一番「これで、不遇姫仲間ね」と、シエルが嬉しそうに笑った。

 つられて『そうですね』と返す。


 歌姫と舞姫だが、どちらも歴史上何度も確認されている職業で、不遇姫とか、外れ姫と蔑称で呼ばれている。特に歌姫は不遇姫の代名詞ともいわれるほどだ。

 その力は、強力な支援職。歌を歌うことで、兵達の士気を上げることもできるし、防御力や攻撃力といった直接的な能力も上げることができる。

 ただし、効果範囲は歌が聞こえているところすべて。そこに、敵も味方も存在しないし、歌っている間しか効果を発揮できない。


 自分たちが強くなった分、敵も強くなるのだから、いる意味が全くないどころか、歌姫自身は戦闘職ではないため足を引っ張る。

 そのため、重用されることはまずなく、職業を捨てて生きるか、路上で歌って小遣いを稼ぐかしかできない。一応、歌姫の力を使い、大きな事件を起こした人もいるけれど、歌姫自身死ぬ覚悟が必要になる。


 舞姫はあらゆる踊りを行うことができる職業だといえる。エンターテイメントとしてのダンス以外にも、雨ごいの儀式における舞などもできるため、歌姫ほど扱いが悪いわけではない。

 この世界には剣を使って踊るように戦う剣舞というものもあるので、戦闘で全く役に立たないわけではない。問題があるとすれば、舞姫の力を十二分に引き出すためには、相応の場が必要になることだ。殊更、音楽が重要になる。


 魔物と戦うにあたって、楽器やそれを演奏する人を連れて行くわけにはいかないので、十分な力を発揮できない。

 催事であっても、雨ごいなどしなくても、水が必要になったら水魔法使いが用意してしまう。

 だから、舞姫は必要ない、といわれてしまうわけだ。


 不遇姫と呼ばれているのはわかっていたけれど、わたしたちは舞姫を狙っていた。

 十分に力が発揮できずとも、ある程度は戦えるだけのポテンシャルがあり、確実に男が興味を失くしてくれると思っていたから。ある程度はわたしの魔法で守れるだろうから、戦闘面で絶対的に不利というわけでもないだろうし。

 そして何より、シエルは赤子の時から、わたしの歌に合わせて体を動かしていた。最近は、おもわず歌うのを忘れてしまうほど、綺麗な舞を見せてくれる。

 それで予定通り、舞姫を授かれたのだから、毎日同じ生活をしてきた甲斐があったというものだ。


 わたしの歌姫は、思わぬ副産物だったけれど、あって困るものではないし、もしかしたら逃げるときに役立つかもしれない。

 とりあえず、どうなるかは、男の次の行動次第になるだろう。

 職業を判別した紙は、隠し持っていたら逃げ出した後で売れるかなとも思ったけれど、あとからやってきた能面バトラーに持っていかれてしまった。



 次に男がやってきたのは、職業が判別されてから、数日が経ってから。

 男とは対照的な、だらしのない体をしたブタのような男を引き連れていた。

 屋敷の主人と身長は変わらないのに、横幅は2倍ほどもあり、顔も丸く油が浮いている。

 地球にいたときでも、あまり近づきたくない感じの人物だが、いまとなっては、さらに嫌悪感が増している。これが生理的に無理というやつなのだろうか。

 豚男が、なめるかのようにシエルの全身を見るのも、気持ち悪さに拍車がかかっている。


「この娘が"舞姫"の娘なのですかな?」

「そうだ。拾ってやったはいいが、私には使い道がなくてな」

「それで、わたくしめに売っていただけると」

「金は持ってきたんだろうな」

「それは確かに。ですが、ここまで見た目が良いとなると、持ってきた金額で足りるかどうか……」


 豚男は(へつら)いながら、指を3本立てて、主人の顔をうかがう。

 主人は睨むように豚男を見ると、ふんと鼻を鳴らした。


「その倍は持ってきているのであろう? それで売ろう」

「それはそれは、手順を踏めばさらに倍は堅いと思いますが」

「差額は口止め料だ。嫌だとは言うまい?」


 主人がこの前のとはまた違った紙を取り出した。特殊なインクを使っているのか、書かれている文字にうっすらと魔力を感じる。そこに、主人が何かを書き加えて、豚男に渡した。

 豚男はかかれていることを確認してから、「もちろんですとも」と短く何かを書く。

 すると、紙に書かれていた文字が光だし、その光は2人に吸い込まれて行った。


「これで商談は成立だ。さっさと、これを持って行ってくれ」

「それでは失礼いたします」


 豚男は頭を下げてから、部屋を後にする。

 入れ替わりに、能面バトラーがやってきたかと思うと、主人が顎で何かを指示した。

 サッとバトラーはシエルに近づき、荷物でも運ぶかのように、肩に担いで歩き出す。

 そのまま、屋敷の外に出されたかと思うと、豚男が乗ってきたであろう馬車の荷台に乗せられ、両手足に枷を嵌められた。


 枷を嵌められるのも、なんだか懐かしい。

 と、益体もないことを考えている場合ではない。

 状況を改めるまでもないが、館の主人が豚男に、シエルを売ったのだろう。

 予定とはだいぶ変わってきたけれど、逃げるチャンスであることに違いない。


『シエル、枷を何とかできますか?』

『少し時間がかかるけど、何とかなりそう。硬いけど、魔力を封じるものではないみたいだし、侮ってくれたのかしら』


 シエルも伊達に、魔法や神、職業について書かれた本の中で埋もれて生活してきたわけではない。

 シエルは、あの部屋にあった本をすべて読みつくしているし、その内容もほとんど把握している。

 その過程で、魔法も扱えるようになった。わたしと違って、たくさんの魔法を使うことができる。その中には、金属でできた枷をどうにかできるものもあるのだ。


 魔法使い対策に、魔法が効果がない枷というのもあるけれど、それ自体が非常に高価であるため、主人がケチったのだろう。

 魔法の研究をするにも、タダとはいかず、より高度な実験をするには、伴ってお金もたくさんかかるものだ。神降ろしなんてした主人は、貴族とは言え、大金を失ったのだろう。新しく実験するにも、お金が必要なのだろう。

 さらに、シエルが舞姫になったことで、魔法使い用の枷を使う必要を感じなかったのかもしれない。


 それから、すぐに馬車が動き出した。





 そういうわけで、中身が見えないように幌で覆われた馬車に乗せられたご機嫌なわたしは、シエルの体を使わせてもらって、ご機嫌な歌を歌っている。

 それが2人いる御者にも聞こえていたのか、感心している声が聞こえてきた。


「へえ、声も悪くねえじゃねえか」

「のんきに歌っているところを見るに、頭は弱そうだけどな」

「いいんじゃないか、頭弱いくらいが。どうせ、伯爵のベッドの上で、最終的には馬鹿になるんだからな」

「違いねえ。しかも、"舞姫"って話だしな」

「舞姫は、ベッドの上の舞も一品ってやつか。間違いなく、気に入られるな。さあて、何日もつやら」

「賭けでもするか?」

「負けたら、酒場の一番高い酒驕りな。俺は10日と見た」

「しゃあねえな。じゃあ、オレは5日だ。あの声で鳴かれたら、伯爵1日たりとも離さないぜ」

「ッチ、そういえばそうだったな。もったいねえよな。俺だったら、10年は可愛がってやるのに」


 感心しているかと思ったら、なんともまあ、下衆い話が聞こえてきたものだ。

 これをシエルにも聞かせていると思うと、殺意さえわいてくる。

 おそらく、シエルは何を言っているのかわかっているだろうから、なおたちが悪い。私がもともと男だったと、伝えられるか、怪しくなってきた。


 そんな御者の話も意に介さずに歌い続けていたら、急に馬車が止まった。

 そっと、馬車の幌の隙間から外を見ると、緑色をした醜悪な小人が、ボロボロになった武器をもって、馬車の一行を囲んでいる。

 これが、魔物というやつか。初めて見たけれど、あまり長く見ていたいものではない。

 緑の小人は、馬車の護衛にすぐに退治されたが、黒い血が飛び散っていく様は、元日本人にはショックが大きかった。


 その後も、何度か魔物に襲われ、護衛達も消耗していったため、予定よりも早く休憩が始まった。

 とはいっても、わたしは変わらず馬車の中だけれど。

 外からは、明らかに魔物の数が多くなっているという話が聞こえてくるが、それも当然というものだ。


「シエル。本当にいいんですね?」

『どんな相手が来ても、私とエインなら大丈夫よ』

「わかりました。続けますね」


 馬車が必要以上に襲われている原因はわたし。

 かつて、とある歌姫は、迫害の末に生活に耐えられなくなって、王都へと向かった。

 歌を歌いながら。その後ろに、たくさんの魔物を引き連れながら。

 王都にたどり着く前に、歌姫は自ら呼び寄せた魔物に殺されたが、集まった魔物たちはそのまま王都を襲い、大規模な被害を与えた。


 つまり、歌姫は声が聞こえる範囲において、魔物を引き寄せることもできる。

 今回は、シエルに手伝ってもらって、より遠くの魔物にまで聞こえるようにしてもらっているので、王都に被害を及ぼすまでは行かずとも、狩りつくして周囲の魔物がいなくなるということはない。

 おびき寄せるので、わたしたち自身も危ないのだけれど、魔物に殺されたとあの男に伝わってほしいので、やむを得ない。


 そうしてわたしが歌い続けていると、探知魔法に大きな反応が引っかかった。

 バキバキと木々をなぎ倒しながら、まっすぐこちらにやってきたそれは、護衛の倍近い身長がある一つ目の巨人。頭には角が生えていて、手には気を荒く削ったこん棒のようなものを持っている。

 その姿を見た護衛達は、この世の終わりのような顔をして、「なんでこんなところにいるんだよ」とつぶやいていた。


 次の瞬間には、護衛の1人が巨人のこん棒でつぶされた。

 グチャとも、バキッともつかない音で、地面には真っ赤な水たまりが生まれ、周囲には血と肉の嫌なにおいがぶちまかれる。

 護衛以外の休んでいた者たちは、我先にと逃げ出し、その途中で数人が命を落とした。

 護衛は果敢にも巨人に挑んではいたが、分厚い皮膚は剣を通さず、あちらからは一撃必殺であるうえに、これまでの戦闘で消耗していたのもあって、ほどなく全員が血の花を咲かせた。


 どうやら大物を釣ってしまったらしい。心臓が壊れるほどに鼓動する。背中が冷や汗で冷たくなる。

 唖然としていたら、『エイン守っていてね』という言葉とともに、勝手に体が動き出した。

 外に出ると既に、この場に生きている人間はわたしたちしかいないようで、先ほどの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。

 かと思うと、背後の馬車が大きな音を立てて、崩れる。


 どうやら、巨人が馬車を1台1台壊すつもりらしい。シエルが動いてくれて助かった。

 しかし、外に出たことで、巨人に気づかれてしまった。

 1つしかない、ぎょろりとした大きな目が、こちらをとらえて離さない。探知で感じた速度から考えると、逃げるというのは現実的じゃない。戦うのも無謀だとは思うが、シエルは後者を選んだらしい。


 シエルは、覚悟を決めたように表情を引き締めると、ゆらりと円を描くように下から上へと、両手を持ち上げる。

 その手に合わせて、真っ赤な炎が生まれ追随する。その軌跡は、人が見れば見惚れるほどの優雅さがあっただろう。しかし、残念ながら、今日の客は魔物が1匹。

 見惚れるわけもなく、振り上げたこん棒を、振り下ろしてくる。シエルは、綺麗な弧を描くようにバク中をしてかわすと、巨人がやったのとはまるで違う、優雅な動きで手を振り下ろし、宙に遊ばせていた炎を飛ばす。


 狙うのは、大きなその目。相手もそれはわかっていたのだろう、こん棒を持っていないほうの手で、簡単に防がれてしまった。

 シエルはすぐに、新しい炎を躍らせる。今度は、次から次に、炎を繰り出し、繰り出された炎は意思を持ったようにくるくると回りながら、巨人を取り囲み、1つの巨大な炎になる。


 相手が人であれば、まず助からないであろう一撃ではあったけれど、巨人は巨大なこん棒をぶん回し、炎をすべて払ってしまった。

 体中火傷がみられるが、全く倒れそうもない。

 シエルは、相手が無事なのを確認すると、すぐに距離を取って肩をすくめる。


「いまのでダメなら、困ってしまうのよね」

『逃げますか? 魔法で撹乱しながらなら、逃げられるかもしれませんよ』

「それもいいんだけれど、私ね、気が付いたことがあるの」

『何ですか?』

「私はよく踊っていたけれど、いまみたいに一人で踊っていることって、なかったのよ。

 できれば、いつもみたいに踊りたいの」


 それは、わたしに歌えということなのだろうか。わたしの職業は歌姫。敵味方を問わず、わたしの声を聴いたもの全員に、何かしらの効果を与える不遇な職業。

 だけれど……とりあえずやってみる価値はあるか。


 いまのシエルに足りないのは、一撃一撃の威力だ。だから、シエルの心を燃え上がらせるような激しい曲を、強い想いを叩きつけるような曲を歌う。

 速さはいらない、とにかく情熱的なダンスを、シエルには踊ってもらおう。


 知っている曲の中でも、1.2を争う熱い曲。きっとシエルはこの歌詞がどういう意味かは分からないと思うけれど、それでもきっと伝わるはず。

 今までたくさん歌ってきたけれど、たぶん歌うのは初めてではないだろうか。

 シエルは、驚いたように目を丸くしたあと、すぐに目を細めて、口角を上げた。


 シエルがリズムをとるように、タタンと地面を踏みしめる。

 すると、それに呼応するように、シエルの周りに炎が噴き出し、圧縮されて、やがて球状で留まった。

 そのあとは、いつも通りのわたしとシエルの楽しい時間が始まる。

 わたしの歌に合わせて、シエルがステップを踏む。情熱的な今日は、繊細さを捨て、やりすぎるくらいに、手を、脚を振り回す。鞭のようにしなやかな手足は、ヒュンヒュンと風を切り裂く。

 踏みしめる足も、砂埃を巻き上げるほどに力が入っているけれど、粗野な感じは全くしない。


 真っ白な髪が激しく、別の生き物のように動き、青い瞳には確かな意思を感じさせる。

 5分にも満たない短い時間だったけれど、シエルが踊り終わった時、巨人は全身に穴をあけて倒れていた。

 何せ、シエルが踊っている間、炎の球が何度も何度も、巨人を貫いていたから。

 まるでシエルと踊るように、巨人のリズムに合わせるように何もさせず、的確に巨人にダメージを与えていたのだ。


 フィニッシュで、心臓をつらぬいたそれは、何事もなかったように消えてしまった。

 これもまた、シエルの"舞姫"としての力の一端だったのだろう。


 シエルが満足げに、ふふんと笑う。


「やっぱり、エインと一緒なら、問題なかったわね」

『シエルは、気が付いていたんですか?』

「"歌姫"のことなら、そうじゃないかなって、思っていたのよ」


 そう、本来的味方問わずに発揮される支援効果だけれど、いまのわたしの声は、シエルにしか届かない。

 だから、支援効果はシエルにしか行かずに、歌姫としての能力を存分に発揮できたのかもしれない。

 しかし、貴族が雇った護衛を軽々と倒した相手を、10歳でしかないシエルが一方的に殲滅できたことには違和感を覚える。

 ということは、やはりわたしとシエルは最高に相性がいいということになるのだろう。


『わたしの歌が、舞姫の舞台装置としても働いたんですね』

「こっちは、私も予想外だったけれど、私とエインが一緒なら、何も怖くないことが証明されたのね」

『正直、できすぎだとは思いますが』

「できすぎじゃないのよ。だって、私達は、生まれてすぐのころから、ずっと一緒に歌って踊ってきたのだもの。相性がいいのは、当たり前なのよ」


 シエルが、満面の笑みを浮かべて、わたしのほうを見る。

 普段に比べると、とてもテンションが高いけれど、それが年相応のようで、とても魅力的な彼女に『そうですね』と優しい声を返す。


「きっと、こうしてエインと巡り会えたのは、運命なのよ。

 だから、これからもずっと、ずっと、一緒にいてくれる?」

『わたしの方こそ、これからも、よろしくお願いします』


 運命だと感じるのは、わたしも同じだから。シエルを守ってきたようでいて、実際はわたしもシエルに守られて来たのだから。

 だから、いまこうやって、一緒に笑えることは運命なのだ。

 これから先、どうなるかはわからないけれど、ともかく今は新しい日々に向けて、一歩を踏み出せたのだ。

お付き合いありがとうございました。

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[良い点] キャラや設定、雰囲気や話の流れなど。 [気になる点] 最初にシエルと目が合うわけですけど、エインのことはどう見えていたのだろうか、という点。自分の一部って感じで第六感かなにかで見抜いたのだ…
[気になる点] 堀の深い顔のおかげか→彫りの?(自信はないので確認お願いします。)、それはいまではないと思う→今ではない?、ただでさえなれていない→慣れていない?、見ほれるほどの→見惚れる?、シエル…
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