012 上絵付け
上絵付け用の絵具として草太が用意したものは、古来から日本画などで使われる無機系の顔料である。これを良く磨り潰して粒子を極限まで細かくし、無色釉に混ぜ合わせて塗布したものを800度ほどの熱で溶かし定着させる。
簡単に『顔料』、といわれてピンとくる人はあまりいないのかもしれない。
絵具には大きく分けて2種類があり、わずかな例外を敢えて棚に上げて極論するなら、無機系を『顔料』、有機系を『染料』と分けることができる。
焼物の上絵付けで色素として使用されるのは、もっぱら『顔料』である。当たり前の話だが、植物由来の有機物である『染料』は炎の高熱には到底耐えられず燃え尽きてしまう。自然の鉱物を砕いた『顔料』でなければ上絵の具として成り立たないのである。
ただし、時代が時代であるから、用意できた色数はお寒い限りである。
・赤色……酸化鉄(赤錆/ベンガラ)、鉛丹
・黄色……黄土、雄黄
・青色……群青、呉須
・白色……鉛白、カオリン
・黒色……酸化鉄(黒錆)
えーっと…。
『浅貞』に依頼して集めてもらった顔料なんですが。
蓋を開けたらびっくり、半分以上が有害な成分でした。
白色の絵具『鉛白』とは、ずばりおしろいのこと。鉛中毒で遊郭の女性が早死にしたというぐらいですから、本来なら鉛顔料とか有害物質は敬遠したいのだが、赤色にも鉛丹があるように、人工顔料など影も形もないこの時代の顔料って、ほとんど選ぶ余地すらなかったりする。
(鉛系は、百歩譲ってカップの外側とか、成分が溶け出す部分での使用禁止を徹底するしかないか…)
実際、この鉛系の顔料は、昭和の高度成長期ぐらいまでへっちゃらに使われていたりするのだが。この時代にはありえない前世知識を持つがゆえの罪悪感に草太は身もだえした。
黄色の『雄黄』などは有害度で鉛さえしのぐ凶悪なブツである。ヒ素の硫化鉱物といえばその凶悪さが分かろうというもの。色はきれいなレモン色を発色するので捨てがたいのだが……ここは自重すべきところだろう。
「あ、絵具をつけるときは、器をなるべく触らないようにせなあかんよ」
「…って、そらなんでや」
「手脂がつくと絵具を弾いてまうし……ああっ、そうやって指で触ったら! あ~あ~汚れにして引っ張っちゃった!」
「仕方ないやろが。触っちまったもんはしょうがねえよ」
「…しょうがないって……あのさ、言いにくいけど、辰吉どんにはやっぱり無理やって。手先の細かい小助どんだって線引くだけでいっぱいいっぱいやのに」
「絵師の先生はあんな簡単そうに塗っとるのに、上絵っちゅうのは意外と難しいもんなんやなぁ」
上絵の具が揃ったところで、どうせ教えるならばと窯場の職人たちを集めて上絵付け講習を行ったのだけれど、なかなかに皆さん手先が不器用でいらっしゃる。適正試験をかねた講習だっただけに、草太はため息を隠せない。
「まあ、しかたあらへん思いますわ。手を紙に触れずに絵を描くのは絵師なら当たり前の技ですけど、簡単そうに見えてこれがなかなか身に着けるのに修練がいります……まずはこうやって肩と肘を使って…」
やり方の手本を絵師の牛醐が示して見せるのだが、こういった地味な基礎技術は一朝一夕で身につくほど簡単なものではない。
草太も前世において日本画の『線』の難しさに触れているので、無責任に厳しいことを言うつもりはない。草太はおのれの中のあった甘い見込みを捨て去ると、手先の器用さだけに絞って人材を抽出することを決意する。
(割と周助が小器用とか、世の中分からんもんだなぁ)
意外なことに、絵付けに才能の片鱗を示したのはいつもきゃんきゃんうるさいバカ犬周助だった。こういった細かい作業に熱中できる性質なのだろう、器を作業台に置いたまま自分の立ち位置をくるくると変えて細かな絵付けを熱心に続けている。
牛醐をつかまえて「…先生、見込みのある者はいますか」と、そっと耳打ちすると、
「すぐにはなんとも言えまへんけど、2、3人は」
という答えが返ってくる。
牛醐の視線を追うに、やはり候補の一人は周助であるらしい。
「それよりも、この上絵付けいうんは、実際やってみるとなかなか色を乗せるのに手間がかかりますねえ。紙みたいに水を吸わへんから、乾くのを待って何度ものっけんときれいに塗られへんし」
「そこは幾つかを平行作業して、乾くのを待つまでに次のやつに絵具を乗せていけばいいんです。他のを塗ってるあいだに、ちゃんと乾いてますから」
「…こうしてきれいに塗ったつもりでも、焼くとまた雰囲気が変わってしまうと思うと、この上絵っちゅうのはほんに怖い絵具ですわ」
「そこは何度か焼いて感覚を掴んでもらわんと。ただし厚く塗りすぎても、今度は焼いたときにガラスが多すぎて涎みたいに垂れてしまうし」
「やっぱり加減が肝ですか。…こらあわたしも気合入れて覚えんと、職人さんたちに笑われてしまいますな」
牛醐はとても研究熱心な人間だった。
焼物に関心があると言っていたのも偽りなさそうで、ちゃんと上絵の具の適切な分量というものがあるのを知っていたようだ。筆先の絵の具量を巧みに調整して、薄く何度も重ねていくことできれいな塗りを実現している。
さすがは職業絵師である。
器の上で水性絵具が弾かぬよう、絵具はふのりで練りこみ、さらに濃淡調整では煮詰めた茶を使うことなどなど、ノウハウ的なこともスポンジが水を吸い込むように貪欲に吸収していく。
この調子であるなら牛醐自身は割合に早く上絵付けをものにできるかもしれない。今後は経験値を積ませるためにも、損を覚悟で何度か錦窯を焼かせてみなくてはならないだろう。歩留まりが悪いところに試験での空費とか、考えただけでも血の気が引いてくるけれど、覚悟を決めて押し通らねばならない茨の道である。
講習会を終えて、草太はふたりの上絵師候補を選抜した。
ひとりは下石郷からやってきた勝蔵という中年の釉掛け職人と、窯頭小助どんの息子周助である。例のごとく周助がきゃんきゃんとうるさかったが、技術指南役の強権をもってトップダウン人事発動である。二人は牛醐の下について、絵付けの基礎から習い覚えることとなった…。
***
「おい」
ぶっきらぼうな声がかかる。
まさかそれがおのれを呼ぶものだなどと露にも思わない草太は、反応を返すこともなくお堂の幅広い濡れ縁の上で、絵師の描き散らした図案を並べて首をひねっている。
「おい、ちんちくりん」
また声がかかる。
今度の「ちんちくりん」には若干の聞き覚えがある。
雑然とした図案を比較検討しながらめんどくさそうに顔を上げた草太に、顔を真っ赤にした子供がさらに声を荒げた。
「気付いとるなら返事せえよ! 気分悪いわ」
「…何か用?」
そこは安政の大地震の時に大原郷の住民たちの避難先となった、林家の菩提寺でもある普賢寺のお堂である。あの当時は大勢の人々が起居し異常なほどの活気のなかにあったが、いまはもう本来の静けさを取り戻し、春の青々とした新緑の中にたたずんでいる。
寺のお堂というのは、その濡れ縁も存外に高いところにある。
やや年上とはいえ子供であることに変わりのない弥助の身長では、頭ひとつ出るのがやっとの高さである。
声の正体を見て、草太はふっと肩の力を抜いた。
「よ、用とかがあるわけじゃねえんやけど、その、…おまえと少し話したいことがあってな」
「なに? 急に改まって」
「…前におまえ、西窯に何度も顔出しとったときがあったやろう。覚えとるか」
何が言いたいんだと眉間に梅干のようにしわを寄せる草太をみて、弥助は落ち着きなく着物のすそで手のひらを拭うそぶりをした。
「おまえあんときに、ただおもしろ半分にきとったわけやなかったんやな」
「………」
「もうあんときには、あの真っ白い新製を焼く目論見があって、下調べにきとったんやな。…どこでこんな焼物を探してきたんかは分からんけど、なかなかええ新製ものやないか」
話の流れを読めば、弥助がなにを意図してここに来たかは薄々察せられる。
所在無く手指をわきわきとさせて、弥助は大原郷の鬼っ子をきっと見上げた。
「あの磁器を焼く土を、分けてくれ」
「無理」
激しく応じるわけでもなく、日常のささいなやり取りの一幕のようにあっさりと草太は拒絶した。
「いいやないか、少しぐらい」
「なに言い出すのかと思ったら……そんなの、ダメにきまっとるやんか」
「……やっぱり、ダメか」
俯いた弥助が、袖のなかに手を引っ込めてごそごそとやりだしたかと思ったら、次の瞬間その手のひらに紐でくくった一文銭の束が現れた。
ぱっと見100文以上。大人であればそれなりの金額であっても、弥助ぐらいの子供が持ち歩くような金額では無論なかった。
「これで売ってくれんか。150文ある」
どう考えても、それは弥助が少ない給金のなかから爪に火を灯すように貯めたなけなしのお金である。
さすがに草太も態度をやや改めて、居住まいを正した。
150文もあれば、たしかに普通の粘土ならばある程度の量を購えるだろう。普通にそのあたりで産する粘土であったならば。
「無理」
「…ッ、なんでや」
「あの土は、《天領窯》の命綱やし。《天領窯》が天下にのし上がっていくための秘中の秘を、そんな簡単に渡すわけないやんか。……それに、そんな安いもんでもないし」
「…やっぱり、安くないんか」
「その辺を掘れば出てくるような土やないし。それっぱかしじゃ、赤ん坊のこぶしぐらいの量も譲れんよ」
「そうか……やっぱダメか」
悄然と、踵を返した弥助の小さな背中に、草太は湧き上がる感情のままに予想もしなかった言葉を口にしていた。
「これからの時代は、『磁器』やよ。いつまでも『本業(陶器)』にしがみついとったら、いずれその窯は終わってく」
立ち止まった弥助は、しかし振り向かない。が、聞き耳を立てているのは間違いない。
おそらく弥助の働く西窯も、他の美濃焼窯と同じく底なしの廉価品商売にあえいでいることだろう。磁器に乗り換えつつある瀬戸の後塵を拝したまま、じわじわと衰弱していく地元産業の悲哀を思わず弥助の背中に重ねてしまったのかもしれない。
いずれ美濃焼は、明治維新後の自由化を経て、その廉価品多売の商法で息を吹き返すことになるのだが、まだその明治維新までには20年近い時間がある。おとなしく時代の流れに身を任せれば、弥助もまた草太と同じくその貴重な青春時代を無為に過ごすはめになるだろう。
それは耐え難い鬱屈を生む。
「がんばりゃあ」
背中をおののかせ、袖口で何度も顔を拭うそぶりを見せた弥助は、またゆっくりと普賢寺の境内を出て行った。
それを見送りつつ、草太は手元の上絵図案に目を落とした。
いまひとつピンと来ないその図案の数々に、「がんばらなかんのはオレの方やろ」とぼやくように草太はつぶやいた。