011 なぞの白磁
焼きあがった500点余の器のうち、草太の検品をパスしたのはわずかに70点ほどだった。
割り砕いたボーンチャイナの艶々しい砕片がいまはひとところに集められ、穴を掘っただけの『捨て場』に遺棄された。この国で初めて生産された貴重な磁器も、その製品としての機能が破壊されればもはやそのへんの石くれよりも無価値なものとなる。その残骸たちに冥福を祈るように手を合わせる職人たちを横目に、割った本人である草太はわれ関せずの体で、厳しい選考をパスした器たちを前に難しい顔をして唸っている。
(500個中成功が70個とか……成功率はだいたい14%くらいか。それだけの器を作るのに必要だった骨灰が30キロ……立ち上げ当初の非効率は致し方ないとしても、現在の手持ちの骨灰量から逆算すれば、試し焼きも最大あと2回。成功率を徐々に引き上げたとしても、おそらく20%アベレージがせいぜいだろうな。…とすれば、最低限『売り物』として計算できるのは3回あわせて300個ぐらいか)
草太は経営者である。
しかも夢はあれど資本力のない、いろいろな意味でベンチャーな経営者である。いついかなるときに倒れるか分からない砂上の楼閣の上に立つおのれを自覚するがゆえに、その限りある資産の『限界』もシビアに見極めている。
おのれの手元にあるキャッシュの残高と、市場でキャッシュに還元可能な企業生産物、《天領窯株仲間》であるならば価値付けされた『根本新製焼』商品が、ある程度流動資産として計算できる。
(《天領窯株仲間》が企業として普通に活動を維持していくためには、半月に一度の窯焚きで人件費1両2分、原料費が骨灰4両その他粘土に薪代もあわせて5両、尾張までの運搬経費も考えれば企業としての営利分も含めて最低でも10両ぐらいの売り上げが必要か…)
一度の窯焚きで売り物になる器が100個。それがすべて売り上げとなって10両と換算すれば、卸値で1個銀6匁(600文)で売れないと赤字になりそうな勢いである。
(1個5000円かー。ティーセットなら受け皿も込みだから1セット1万とか。なまなかなものじゃ誰も買ってくれないだろうな)
はい焼けました、出来ましたじゃこの商売は成り立たない。
誰もが一目見て物欲に駆られるくらいの魅力と有無を言わせぬ高級感、それらが一定以上充足されなければ、卸値を口にしただけで物笑いの種になってしまうだろう。
ボーンチャイナの透明感のある素地は高級感があるが、むろんそれだけで1個銀6匁とか異常な価値付けの根拠には弱いだろう。やはりそれ以外の要素で理想に詰め寄らねばならない。
「草太様」
声をかけられて、草太は顔を上げた。
見れば絵師の牛醐が立っている。
「先生…」
「さっそく見せてもらいましたが、こらまたきれいな磁器ですな。淡雪のような肌色が触ったら解けてしまいそうで、手に取るのもおっかなびっくりでしたわ」
「これは他産地の磁器とは材料が違うもんやし。白いだけやないよ……こうして陽の光を透かしてみれば分かるけど、透明感が違うし」
「そうなんですわ。そのえもいわれん透明感で、おんなじ白でも光を含んだみたいにほんのり輝いとるんです。こんな乳みたいな白は初めて見ましたわ」
「瀬戸にも有田にもない、ここだけの『白』やと思うよ。…どうです、なにかイメージ……完成の絵面は浮かびましたか?」
牛醐はおのれの押し抱いていた手帳をさっと広げ、ほとばしるようにおのれの見解をまくし立て始めた。
基本、プレゼンなどという説得相手を客観的に想定した話し方などできるはずもなく、一方的にあれがいい、この組み合わせもいいと主観オンリーのマシンガントークは、見事なまでに上滑りしてほとんどが草太の耳に入ってはこない。
眉間を押さえながらそれを手で制した草太は、質問の形式を変えることにした。
「先生はこの器のどのへんに、どんな感じで絵を付けたらいいと思いますか」
いま手にしているのは、例の一番最初に窯出しされた貝殻の形をした小皿である。『お題』を与えられた牛醐は皿を手にしてにらめっこを始める。
「…この皿やったら、大昔の『貝合わせ』【※注1】みたいにかるた絵を入れてみるのも面白そうですけど、あんまり大きく絵を入れたらこのきれいな白が台無しになってしまうし、貝殻から連想して漁村の風景とかを……いやいや、無用な絵は重過ぎるかも知れへん…」
牛醐の出した答えは、波などを意匠化した伝統的な文様を、縁取りのように配するもの。突飛なものではなく手堅い回答が出て、草太はうれしくなってしまった。
技法に慣れ、市場も手堅い商品に飽きてきたら変化球もアリだが、理解を得られていない初期は古来の美意識に沿ったほうがリスクが少ない。
それに磁肌の『白』の美しさを損なってはならないとブレーキが利いたこともこの絵師に対する評価を上げさせた。せっかくの美しい白を無粋な絵で覆ってしまうのは愚の骨頂である。
草太が追加的な要望を告げると、牛醐は興奮に顔を真っ赤にして、絵付け小屋に駆け出していった。絵師には最善の完成形を目指して死ぬほど試行錯誤してもらいたい。デザイナーではない草太には、ある一定以上の審美眼はあれど、それを作り出す能力などはまったくないのだから。
(『浅貞』から取り寄せた金泥も、もう少し在庫を用意したほうがいいかな……きらきらにしてくれとか言ってしまったし)
この時代、金製品はすべて幕府の統制化にあり、金箔なども含め江戸の金座で作られていたらしい。むろん信用のある商人しか金座には出入りできないので、《天領窯株仲間》は取引先である『浅貞』から購入するしかない。
当然ながらすべてが割高になった。
器の絵付けが成功すれば、『根本新製焼』の商品価値は急上昇する。うまくゆけばよいのだけれど、うまくいかなかったときの場合を経営者である草太は想定しなくてはならない。正直、胃薬がほしいです。
でも思考硬直して立ち止まっているわけにはいかない。
天命を待つ前に人事を尽くすべく、草太は動き出した。
「…これが『あの窯』の焼物か」
《天領窯》の磁片は、その注目度の高さもあいまって速やかに業界関係者の間に拡散していった。
ある者はその見事な白さに瞠目し。
またある者はおのれの窯で再現すべく原材料の検討に入った。
またある者は歪みの大きさから瀬戸新製にも及ばずと鼻で笑って捨て置き。
またある者はその磁器がいかような価値を持つものかと算盤勘定した。
「…こりゃ、相当なもんやぞ」
「まさかこんなしろもんが出てくるとは思わへんかったわ」
「磁器やけど……少し様子が違うみたいやな」
そこは西浦家のお膝元。
かつて草太が出入りしていた多治見郷の三窯のひとつ、『西窯』である。
手に入れた磁片を回し見ながら、職人たちがそれを透かしてみたり、指先で弾いてみたりした。磁器自体を知らぬわけではなかったが、美濃焼業界はこの時分、まだ磁器焼に手を染めるものは少なかった。
未知の領域の、未知の原料に理解が及ぶべくもない。
「この新製を、あの大原の庄屋様の孫が考え出したんやって聞いたんやけど。 …あのぼうはまた7歳(数え)やぞ! 冗談でもありえんて」
誰が漏らしたとも知れぬ悪態を耳にしつつ、弥助はいつまでも執拗に白い磁片をまさぐっていた。
指先から伝わる艶々しさは、器の表面にかかった釉薬のもたらすものであろう。無色透明のそれは、瀬戸でもっぱら使われているというイス灰であるだろうか。
白い素地に、透明の釉薬がかかっただけ。それだけの素っ気のない磁片が、これほどまでに洗練されて感じるのはなぜなのか。
噂ではこの器に、さらに有田でも門外不出といわれる上絵が施されるという。それ用の窯も築かれたというから話の信憑性は高い。
(瀬戸の磁租(民吉)様ですら定着させられなかった有田の上絵技法が、あんなちんちくりんの手で再現なんかできるはずがない…)
瀬戸で『磁租』として敬われている加藤民吉ですら、磁器焼きの技法とともに持ち帰った上絵の技術を、地元に定着させることが出来なかった。
二度焼きの必要がある上絵技法の手間を厭うて下絵付けに走った(下絵付けは一度の焼き上げで完成できるのだ)瀬戸の窯元たちの判断は、最良であったと弥助は考えている。瀬戸・美濃界隈の焼物は十把一絡げの廉価品であり、安いからこそ売れているのだ。すでにそうしたイメージが定着してしまっているこの土地に、高級志向は馴染まない。
だけれども。
弥助の心はすでに磁器の白い輝きの中に吸い込まれてしまっている。
数は焼くが世間的な評価をまったく受けられない美濃焼業界の現実を知るだけに、《天領窯》の試みはまばゆいほどに輝いて見える。
もしもその試みが見事に成功したら……想像しただけで身震いが走る。
弥助は握ったこぶしを噛んで、荒れ狂う感情の嵐を押し殺した。
【※注1】……貝合わせ。古くは平安時代から作られてきた、ハマグリの貝殻を用いた遊び道具。下って江戸時代では高価な嫁入り道具ともなり、その貝殻の内側には金箔などを用いた豪華な蒔絵が施されていた。