009 はようはよう
《天領窯株仲間》はもはや一個の生き物のように、その一歩を赤子のあやうさで踏み出し始めていた。
最初の一挙手一投足はすべて草太より始まる。が、そこで生み出された組織としての運動エネルギーは、より拡大投影されて片田舎の封建社会全体を波立たせた。
「はようはよう」
誰が口にし始めたのかは分からない。
気がつけば、皆がそう独り言のように口にしている。けっして焦ってなどいないのに、一つ一つの作業が急かされるように手早くこなされていく。
物を運ぶ人足たちはなぜかいつも早足だった。
窯の焼入れをしている職人たちは、そこまで見ている必要もないのに四六時中窯のなかの炎の具合を測っている。
ろくろ職人たちは何度も何度も納得いくまで器をひき潰し、10個作って1個しか残さないほどの厳選のしようなのに、乾燥棚にはすでに数えきれないくらいの器が溢れ返っている。
試料集めくらいしか仕事のないお役人たちさえも、なんだかおちつかなげに窯場をうろうろし、代官様当人さえ日に何度もご検分だと言って顔を出した。
「はようはよう」
窯の焼入れが完了するや、完成祝いもそこそこに誰かが早く窯詰めしようと言い出した。まだ乾燥が甘いとしぶるろくろ職人の言葉など誰も耳を貸さない。軽く火入れして窯の中で乾燥させればよいと、なかなかに難易度の高いことを簡単に言ってぞろぞろと動き出した。難しくはあっても不可能なことではないのでそれを制止する声も弱弱しい。
窯の熱が抜けた明後日には、その腹の中いっぱいに謎の新原料を使った『新製焼』が詰め込まれ、見物人が固唾を呑んで見守るなか火を入れられた。
本焼きの始まった窯のまわりには、それを見物する領民たちで溢れかえっていた。そのなかには、前掛けを泥で真っ白にした草太の姿もあった。彼は小助ら職人たちに器を作らせている一方でいろいろな試料を混ぜ合わせて原料の新配合を模索中であった。
「…窯焚きって、どんくらいかかるもんなんや」
「三日三晩は薪をくべ続ける言うけど、ほしたら中のもんが出来上がるのはその後っちゅうことか」
「まさかわしらの土地で『新製もの(磁器)』なんぞが生まれるやなんて想像もせんかったわ…」
すでにこの《天領窯》で、磁器が焼かれることだけは周知の事実となっていた。草太の用意した新原料配合の粘土が職人たちに提供されたとき、その土の感触ときめ細かさに「こいつは磁器土やぞ」とあっさりと見抜かれていたのだ。
もっとも、本業焼(陶器)ばかりの美濃焼職人たちに、それ以上の洞察は困難であっただろう。あるいは瀬戸の新製焼職人がその土を触っていたならば、その粘土の異質さに気がついたかもしれない。
草太が提供した粘土は、まさに不自然なほどに『真っ白』であったのだ。
ビジュアル的に例えるのなら、少し練って固めた『練り消しゴム』の白さである。自然由来の原料にはおよそありえない無機質な色であった。
「どんなもんが出てくるんやろ…」
「わくわくするわ」
火の入った窯を呆然と眺めている草太の横には、窯頭の小助と例の下石郷からやってきた窯焚き職人が次の指示を待つように立っている。
言葉のない草太を促すように、小助が言葉で軽くつついてきた。
「上は、どこまで引っ張る」
上とは、むろん温度のことである。
まだ摂氏などという温度の概念はないので、のぞき窓から窯の中を見て、赤熱した焼物の色から判断するのが当世流である。
「…中に確認用の柔らかめのゼーゲルコーン【※注1】……じゃなくって、えっと、焼具合の確認用に棚の端にこんな鏃のような三角の粘土を入れておいたから、その先っぽが溶けてへなりと曲がってきた頃合が『目安』かな」
「ぜーげ……なんやそれは」
「いいから、その目印が曲がってきたあたりが合図やって、覚えといて。…それよりも半乾きの器もはいっとるし、焼き始めは窯口も大きく開けて、じっくりと焚いてやって」
「きっちり乾かしてからのほうが具合もええのに、イノシシが多すぎて困るわ。…わかっとるから、そのへんは任しとれ。それよりも、草太…?」
小助がそう言ったところまではなんとなく覚えている。
窯詰めまで終わってしまえば、あとはただ結果を待つのみである。幸いに職人の数が増えているものだから窯焚き作業に不安はあまりない。
少し疲れを覚えた草太は、その場に軽くしゃがみ込んだつもりだった。しゃがむつもりが、そのまま尻餅をついてしまった。気味の悪い浮遊感の後、草太の意識は暗転した。
原因は明白である。
自己診断は、過労と栄養失調。睡眠不足も共犯のひとりであるだろう。
不眠と食欲不振は、最近の大の仲良しだった…。
目が覚めたとき、そこは慣れ親しんだ彼の部屋であった。
大部屋のひとつをふすまで仕切っただけの6畳間であったが、天井の板に浮いた染みの形まで覚えているマイルームは、ここ最近トンと縁のなかった安らかなまどろみを彼に与えていた。
頭を少しもたげると、額から濡れた手巾が転がり落ちた。
そうして彼は、枕元にひざを崩して坐っているお幸の姿を発見する。どのくらいの時間看病してくれていたのかはまったく分からないけれど、かくりと首を折って器用に坐ったまま眠るお幸にふと笑みを誘われる。
いちおう草太の小間使いとして雇われている少女であるので、看病に付き添うのはある意味当然のことであったろうが、まっすぐでしかしどこか間の抜けたこの少女の看病が、そうした無味乾燥とした義務によるものでないことはなんとなく信じられるような気がした。
どれくらい気を失っていたんだろう?
時間の感覚がすっかり欠落してしまっている。十分にうろたえているのだが、どうしても切迫感が伴わない。
(…窯はどうなったんだろう)
他人事のようにそう思う。
彼の疑問に答えられるのは、ここには居眠りするお幸以外にはいない。
いましもその彼女の口許から垂れそうになっている涎が気になってぼんやりとそちらを見ていると、不意に障子が開かれて部屋のなかが明るくなった。
「あら、やっとお目覚めですか」
溢れるような光の中に、人の形が浮かび上がる。
そこには、いつもと変わらず屋敷内を掃除してまわる謹厳な祖母の姿があった。
「あまり無理をするからそうなるんです。三日三晩も寝続けて、こんなにも大勢の人間を心配させて」
祖母の後ろには、縁側に胡坐をかいたまま肩越しに振り返っている次郎伯父と、煙管をふかしている父三郎、そして騒ぎを聞きつけたのか隣のふすまが開け放たれて、大広間に雑居していた人々が一様にこちらのほうを見ていた。
一番上座のところで人と話し込んでいた祖父の貞正が、目の前のお膳を押しやるように落ち着きなく立ち上がった。
「目が覚めたか、草太!」
祖父と話し込んでいた猪首のお役人様は、首をすくめて手元のたくあんを口に放り込んだ。代官所与力衆の森様であった。
見ればふすまを開けたのは太郎伯父である。目をあけた草太を見て何かもの言いたげなしわい顔をした後、彼はおのれの父親のはじけた喜びを見て面白くもなさそうに坐り込んだ。
三日三晩…?
理解がなかなか追いついて来ない。
そうか、それなら本焼成は終わったのか…。
ゆっくりとだが、草太のなかに家出中だった理性がわざとらしいコントのように忍び足で戻ってくる。
窯焚きが…終わった。
「窯は…!」
いまさらのように、草太は布団の中から跳ね起きた。
「ぼくの新製焼は!」
うんうんと、破願した貞正が頷いている。
縁側の次郎伯父が、笑っているのか肩を揺らしながら組んだ足を崩して向き直った。
「窯頭が、今日の朝方に火を落とした」
「…ってことは」
ぷかぁと、タバコの煙を吐き出した父三郎が、煙管をわが子に突きつけるように差し伸ばした。かっこつけてんじゃねえと思わず突っ込みそうになった草太であったが。
「窯出しは、明日の朝だ」
父三郎のセリフはなかなかにかっこよかったのであった!
【※注1】……ゼーゲルコーン。粘土でできたとんがり〇―ンみたいな形のもの。立てるとやや傾斜して、焼けると熔けて曲がり出す。曲がり出す温度が決まっているので、窯の内部の温度を視覚的に確認できるというアイテム。




