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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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007 美濃の新興勢力④






男たちは自称『窯焼職人』だった。

なんでも下石(おろし)郷(現在の土岐市下石町)の窯元で職人働きをしていたそうで、昨年末の安政の地揺れで窯崩れが起こって以来、失職状態であるのだという。

下石の窯は現在復旧して生産を開始し始めているのだが、彼らの雇用主である平助という窯大将が資金繰りに行き詰まって『焼株』(特定の窯で『焼くことのできる』権利株のこと)を質流れさせてしまったらしい。

株を質入れしていた時点で相当に資金繰りが厳しかったのであろう。テンパッていたところに窯崩れ、そして納入予定の商品が全滅して利息を払えずバンザイという流れであるのだろう。

男たちはその下石郷の農民であった。焼物業界というのは基本農閑期に活動が活発となり、周辺の手空き農民たちの賃仕事の場となる。いわゆる『半農半工』という者たちである。


「ここで雇ってもらえるって聞いてきたんやわ。窯崩れで仕事がのうなって、ほんに困っとるんや」

「頼むし、わしらを雇ったってくれ!」


最初は根本の代官所へ行ったらしい。

最近の《天領窯》関係の仕事で忙しいお役人たちは、「そういうのなら、窯場へ行け。そこに勘定役の者がいる」と、ほとんど手拍子でこちらへとキラーパスを放ったようだ。


(…まあ《天領窯》の財布を握ってんのはぼくやからしかたないんやけど)


そのときの様子が目に浮かぶようだ。

お役人たちはいたずらを仕掛けた子供みたいにいやらしい目をしていたに違いない。最近この近郊の村々でネタ扱いされる自分という存在を草太は自覚している。

どうせこの男たちも、ここに来てすぐには誰がその『勘定役』なのか分からなかったのであろう。だからあんな窯場の入口でそわそわ立ちんぼうになっていたのだ。

《天領窯株仲間》の勘定方、林草太としては、正直身元不明の人間を大切な窯場に近づけたくはない。タイムリーなことに《天領窯株仲間》は西浦屋の妨害を受け始めたところである。美濃焼業界関係者はイコール西浦屋関係者でもある。


(あのクソじじいがこっちに送り込んできたスパイである可能性はぜんぜん大有りだ)


人の出入りが激しいときに息のかかった人間を紛れ込ませて、こっちの内情を探るとか窯の工事に欠陥を仕込まれたりとか、嫌過ぎる可能性が頭をよぎる。

断るのは簡単だが、しかしそれではなんだかあのクソじじいに負けたような気がする。こちらの肝っ玉が小さいと陰口を叩かれたらそれも業腹なことだ。

それにもしもまったく偶然の求職であるなら、窯焚きの経験者として期待できる有望な人材である。《天領窯》は今現在絶賛人材不足であるのだ。

草太は男たちの回りをぐるぐるしながら思案していたが、ややして腹をくくったように彼らの正面に立った。


「ええよ、雇ってあげる」


男たちが骨ばった顔に血の気を登らせてわっと沸き立つのを片手で制して、草太は言葉の穂を継いだ。


「ただし」


わずかな兆しさえも見逃すまいと、ヤンキー坐りで土下座の男たちと目線を合わせた草太は、さらに目に力をこめた。


「はっきり言っとくけど、ここの窯はあの『西浦屋』に目をつけられてるから。ここで一度でも働いたら、もうほかの窯では使ってもらえなくなるかもしれんよ」

「…ッ!」

「下石の窯でまた働けるようになるかもしれないのに、それでもここで働いてみたいと思う?」


草太の提示したのはあからさまな『踏み絵』であった。

ただ単純に日々の糊口をしのぐ賃仕事を求めてやってきたのなら、西浦屋との敵対関係をほのめかしただけであっけなく逃げ出すであろう。美濃焼業界のビッグボス西浦屋ににらまれることが、この狭い地域社会で致命的であることは彼らも知っていることだろう。

それを分かってなおお気楽に雇ってくれといってきたならば、こいつらは完全に『黒』である。裏で安全の保証を得ていなければできない自殺行為であった。

男たちがてきめんに落ち着きを失った。


「…そんな、西浦屋はんににらまれとるとか、ひとっことも聞いとらんぞ!」

「そりゃあまずいやろ。やっぱやめようて」

「…でももう米買う金ものうなってまっとるし、ほかに当てなんかないやろ」


最前まで土下座していたことなど忘れたように手を突いて立ち上がり、仲間内で喧々諤々言い合いをはじめた男たち。その様子をじっと見定めていた草太は、そこでようやく納得したようにうなずいて、からりと微笑んだ。


「うちはまだ窯元としては新参者に過ぎないけど、瀬戸の新製ものにも負けん新しい焼物を目指して汗を流してる。いずれは日の本に《天領窯》ありと知る人ぞ知る名窯にさせるつもりや。…やから、いまは腕のいい職人なら大歓迎やよ。給金もちゃんと、あんたたちが相応の職人技を見せてくれて正式な雇いいれってことになったら、1日100文……確実に払ってあげる」

「1日…100文!」

「そいつぁ、すげえ!」


日給100文。

現代の貨幣価値で例えるなら、1200円ほどであろうか。

現代人の感覚ではしょぼいの一言に尽きるが、国民年間所得が数千ドル程度の後進国水準だとするなら、やや少ないながらも妥当な数字……それが江戸の高所得者たちもひっくるめた平均であるとするなら、田舎の農民の賃仕事としてはまさに破格なものであっただろう。

そのぐらいの報酬がなければ、いまはまだ泥舟に等しい《天領窯株仲間》に人を惹きつけることなどできない。実績皆無の新参業者なのだから。


「ちなみにあんたたちはなにができるの?」

「おれは釉薬(うわぐすり)の粉を薬研(やげん)ですりつぶしたり、粘土の練り置きとかやっとった」

「おれっちのほうはスイヒの手伝いばっかやったけど、もうひとりで全部面倒見れるし役に立つと思うわ」

「わしゃ窯番やれるし! 何日だって寝ずに番できるぞ!」


早速乗り気なのか、売込みが始まった。

彼らの持つ知識は『補助』的なものに偏ってはいたけれども、どれも経験がなければなりたたない工程である。できれば染め付けや施釉の職人がほしいところなのだが、そういった核心技術はやはり窯専属の専業職人の手業として窯元の強い管理下にあるのだろう。

草太はふーんと売り込みを聞き流しながら、思案し続けている。

下石の窯なら『徳利』が得意なのかもしれない。まあ時代的に本業焼(陶器)から新製焼(磁器)へと生産がシフトしていく変革のときである。現状の生産品目がどのようになっているのかは想像するしかないが、瀬戸よりもブランド化が立ち遅れ、安物の生活雑器を淡々と生産し続けたのだろうこの時代の美濃焼の悲哀はそこにも確実に存在したに違いない。

摺り絵技法が時代的に確立されていないので、安物に絵をつけるなどという余分な工程ははしょられているだろうから、『絵付師』などという職人はおそらくいないであろう。だが、彼らが職にあぶれた窯では、より専門職に近い職人たちも職を失っているはずで、ここは雑魚で満足せず大魚を一本釣りしたいところだ。


「将来に関わる大事な話だから、一度家に帰って家族とじっくり相談したほうがえーよ。そのうえで、改めて来やあ」


焦って取り込むよりも、一度リリースしてより大物を引き込んできてくれることを願って。


「…腕の立つ職人とかおったら、一緒に誘ってきてくれるとありがたいし」

「そうやな! こまっとる奴は他にもようけおるし、いっぺん誘ってみるわ」

「なんせ日に100文やからな!」


男たちは草太に空気を入れられて、意気揚々と帰途についた。

その後姿を見送りながら、草太は乾いた唇をぺろりとなめた。

いま焼物業界は、先の地揺れで多くの窯が操業に難を背負っている。彼らと同じような苦境にある職人たちが数多くいるだろうし、こういった『うまい話』はまたたくまに噂となって駆け巡るだろう。

いずれやってくるであろう魚群に思いを馳せて、草太は軽く身震いした。


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