006 美濃の新興勢力③
「先方が、急に蛙目土は売れないと言ってきた」
錦窯作りに何人かの人足たちと話し合っていた草太は、そこに居心地悪そうにたたずんでいる代官所の小役人、若尾様の青白い顔を見つけた。
神経質そうな細い面をさらに血色悪くさせて、草太を見つめながら不安そうに手を揉んでいる。
「理由は?」
「たずねても何も答えてくれん。どうしてなんかさっぱり分からへんが、もうここには顔出さんでくれとまで言われてまった…」
代官の坂崎様を仲間に引きずり込んだ草太は、代官所の眠れる人員をフル活用しつつある。もともと天領窯の試料集めに代官所の役人たちは各産地を行き来していたらしく、その頃のパイプも健在である。
本来なら各窯元の秘中の秘となるであろう土を購うことができたのは、こちらが小領なりとはいえ権威ある代官所であったことが大きいだろう。
使えるものはなんだって最大限使ってやる。身命を賭している草太に「相手は役人だから」などという躊躇はなかった。
「坂崎様にはもうご報告されたの?」
「いや、まだやわ。ご報告差し上げる前に、善後策を含めておまえさんの考えを少し貰っとこう思ってな」
『代官所』としての用向きであるならそんなことはしなかったであろうが、《天領窯株仲間》関連のこととなると、最近はこの若尾様ばかりでなくみな草太の意向を聞きにやってくるようになった。指示を出すキーマン、扇の要とみなされているようである。
久尻の蛙目粘土は若尾様担当だった。
その報告を受けながら、草太の脳裏に浮かんだのはあの美濃焼業界のビッグボス、背景を炎に包まれた西浦円治翁の姿である。
若尾様いわく、受け渡しの日時さえ決まっていた取引を急に白紙に戻され、何かに見つかるのを恐れるように集落からも急かすように追い出されてしまったという。懇意にしていた窯大将は顔も見せてくれず、食い下がることもできなかったらしい。
「先払い金は回収できたの?」
「前回の後払い分と相殺してくれと言われた。…わたしに落ち度などないのだぞ。一方的に言われて…」
「若尾様のせいやないと思うよ、たぶん。…事情は分かったし。久尻への遣いでお疲れやと思うけど、このあと代官様以外にも、関係者各位にひと通り事情を伝えてあげてください。ぼくが大丈夫やと言っていたと、添えていただいてもらってもかまいません」
それほど草太が慌てなかったことに若尾様も気分が落ち着いたのか、「理由が分かっているのか?」と尋ねてきた。
「《美濃焼総取締役》の西浦屋の御大が裏から手を回したんやと思います。そろそろ何かやってくると思ってたから、かまいません。ある程度は想定済みです」
「西浦屋がそのような悪さを……もしも不正があるのなら、代官所でしかるべく対応せねばならんな…」
「あ、そういうのはやめといてください。相手もそこまで馬鹿じゃないだろうし、邪魔した証拠なんてのはたぶん何も出てこんと思います。窯元は独占蔵元の西浦屋に首根っこを完全に掴まれてるし、理由をつけて『取引停止』とでもささやかれたら、カラスの色だって白って言いかねないよ」
「しかしだな…」
「早めに備蓄分をだいぶ買ってあったから、しばらくは大丈夫やと思う。…ご苦労様です」
おぬしがそう言うなら、と不服そうに立ち去っていく若尾様を見送って、草太は肺の空気を絞るようにため息をつく。
さあいよいよ西浦屋が腰を入れ始めたようだ。
笠松郡代様に断りを入れてそれほど時間はたっていないのに、もう裏で動き始めているということは、監視をつけるなりしてこちらの動向に気を配っているのだろう。おのれの繰り出した一手に対するこちらの対応を読み取って、とうとう業務に差し障るような妨害の挙に出たらしい。
《天領窯株仲間》の背後には、直参旗本江吉良林家2000石と、根本代官所が公然と控えている。これが半農半士の普賢下林家単体の事業であったなら、もっとあからさまにえげつないやり方も採り得たであろうが、小なりとも代官所を設置し現地武力を有する『小藩』的な林家に、いち商人が喧嘩を吹っかけるわけにはいかない。
ゆえに西浦屋の妨害は搦め手にならざるを得ない。
『同じ美濃焼なのだから販売権はうちにある』と、尾張藩の権力をかさに着た脅しも、先に郡代様から引っ張り出した『美濃焼にあらず』の御免状がうまく抑え込んでいる。
現状西浦屋としては、いまだ駆け出しの《天領窯株仲間》の足腰の弱さに付け入るのが良手であったろう。焼物に必須の原材料の流れを、産地に圧力をかけてストップさせる。これは商売上の特権と膨大な資金力を背景に美濃地域の窯元を支配する西浦屋であればこその荒業である。
販売窓口を独占するがゆえに、窯元は阿諛追従するしか道はなかった。
(現代だったら間違いなく公取(公正取引委員会)が入って排除勧告ものだけど…)
こういう『特権商人』が公然と支配力を振るうのもまた江戸時代ならではの状況であったのかもしれない。
それに経営が傾く窯元が多い中、借金なしでいられるところがあるとも思えない。貧乏人ばかりの田舎で窯元が借金できる相手はその納入先である蔵元しかないわけで、これは想像だが、かつかつの窯元はどこもどっぷり借金地獄に漬かっているものと思われる。焼物の売掛金すら入ったり入らなかったり、おそらく絵に描いたような自転車操業っぷりであるだろう。
(売り掛けの代金を人質に脅しすかしも当たり前……元請け絶対の構図は時代が変わっても同じなんだよな…)
いつの時代も下請けの悲哀は尽きないもの。
取引先からの借金は、海で遭難した人間が、のどの渇きに耐えられず海水を飲んでしまうようなものである。それは将来自分が手にするであろう収入を前借しているだけで、どんどんとおのれの首が絞まっていくあの感覚は生き地獄である。
とりあえずこうなるだろうことを予想して、すでに蛙目土は1000貫(約3トン)ほど買ってあるからしばらくは困らないだろうけど、やっぱり『浅貞』の主人に頼んで、瀬戸ルートで千倉石メインに軸足を移していくべきか…。
倉庫にあった試料としての千倉石は、すでに実験として水簸【※注1】工程にかけてある。彼の見立てでは割合にうまくいっていると思う。
そろそろ痺れを切らしているだろう『浅貞』の主人にも、進捗報告を上げにいかねばならないだろう。ほかにも『浅貞』でいろいろと用立ててもらわねばならないものもある。
(星厳先生からの文だと、あとひと月ほどで絵師本人が京に戻ってくるらしいから、そこから計算してふた月後ぐらいにはここにやってくるだろう。それまでに絵付け小屋と道具類をひと揃いそろえないと……上絵具とふのりと、あと金襴手させるなら金泥とかも何とかしなくちゃ)
円山応挙門下の吉村蘭陵の弟子、母里牛醐……門派の流れ的には楽しみな人材であるのだけれど、放浪癖のある人物らしいので管理に振り回されるかもしれない。
腰の軽い人物が長居してくれそうな、快適な作業環境を用意せねばならないだろう。道具にもうるさかろうから、なるべくよいものをそろえないとならない。
そんな物思いにとらわれていた草太は、そのとき間近に声をかけられて弾かれたように顔を上げた。
「草太様!」
声をかけたのはそばにいた人足の一人だった。
つかの間呆然とした草太ではあったが、すぐに意識を立て直して背筋を伸ばす。
「…どうしたの?」
「あそこに、だれぞお客が来られたみたいやけど…」
そう言って指し示したあたりに、こちらのほうを見て落ち着きなく囁きあっている数人の男たちの姿があった。つぎはぎだらけの服に手入れの行き届かない無精ひげ、それに肉の落ちて骨ばった様子が、彼らの日々の困窮ぶりをたやすく連想させた。
見たことのない顔だった。
草太の視線が向けられたのを知った男たちのなかの一人が、一歩前に進み出ていきなりがばっと土下座体勢になった!
そうしてほかの男たちも次々に地に平伏した!
「わしらを《天領窯》で使うてくれッ!」
今度こそ草太は絶句した。
【※注1】……水簸。自然の粘土がそのまま焼物に使えるケースは多くはありません。細かく突き砕き、水の中で沈殿分離させます。磁器土などは特に採掘時点で『石』のように硬い塊いため、この工程が不可欠となります。