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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【小天狗起業奮闘編】
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002 笠松郡代






普賢下林家が幕末に向かってその翼を広げたとき、まっさきにその障害となるであろうものは、乏しい資金でも技術的過不足でもないことは、草太も予想はしていたのだけれど。

立ちはだかったのは『人』……多治見郷のビッグファイヤー、西浦円治翁その人だった。

円治翁の初動の速さは、心のどこかでたかをくくっていた草太を鼻白ませるには十分だった。


「笠松郡代様のお呼び出しがあった。…急ぎ出頭せよとのことだ」


祖父からその知らせを聞いて、草太は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。

笠松郡代とは美濃国における幕領の行政府であり、領民の訴えごとや諸々の許認可だけでなく、濃尾三川(木曽・揖斐・長良川)の治水に新田の開発、この当時物流の大動脈であった木曽川水運業の取り締まりまで行ったというから、現代でいう『県庁+県警+地方裁判所』というハイパー公権力の中枢でもあった。

その呼び出しというのは、分かりやすく言えば裁判所から出頭命令が出たようなもの。一般人なら無論びびりまくりのところである。

なにについての呼び出しなのかは不明であったが、ここは人任せにすべきところではなかったであろう。築窯に忙殺されていたところをわざわざ呼び戻されたときに嫌な予感はしていたのだけれど、その呼び出しの《書状》を持ってきたのが多治見郷の庄屋西浦家の下男であったあたりで、草太は近郊に生息する恐るべき人物の存在を思い出していた。


(西浦家キターッ)


がっくりと膝をついた草太に、祖父が気遣わしげに慰労の言葉をかけてくる。違うんです、おじい様。別に体が疲れていたわけではないのです。

そのとき草太の脳裏にフラッシュバックしていたのは、笠松郡代様を手玉にとって、恵那五ヶ村の《窯株》をまんまと吐き出させた先代西浦円治翁の黒い逸話であった。(※【誕生編】019『西浦円治』参照)

祖父から聞かされたあの話でも、先代円治翁は笠松郡代様の威光をかなり便利使いしておのが利益をひねり出してきた。美濃国幕領の最高権威である郡代様の意向は、その支配地においては神の言葉に等しい威力を備えていた。

そうしていま、ここに再び笠松郡代様からのお呼び出しという霹靂の事態が出来(しゅったい)した。

その書状を持ってきたのが西浦家の人間というだけで、その裏に潜む滴るような悪意を感じずにおれようものか。


「どのような話だと思うか」祖父の問いに、

「十中八九、我が家の《新窯》の経営に楔を打ち込むものであるだろうことはなんとなく分かります」


ってか、それしかありえないし。

こういう大事なポイントで、物を知らない人間を代理に立てるなど怖すぎて小心者には耐えられない。築窯の諸事は小助どんにとりあえず丸投げして、草太は急ぎ笠松陣屋までお伺いすることとなった。

もちろん行くのは彼だけではない。江吉良林家領内のことでもあるので、なんと代官様自らが出頭することになっている。移動は馬で。もちろん草太は同行のお役人様の馬に同乗することになった。




笠松、といえば岐阜の地方競馬場のある場所といえばピンと来る人も少なくないだろう。あの《オグリキャップ》伝説が始まったところだと言えばもう少し興味を持ってもらえるだろうか。

水量豊かな木曽川が美濃国に入り大きく東に折れ曲がるその口許の辺りが、古くは傘町、やがて転じて笠松の地名で知られるようになる。明治初期、岐阜県という大きなグループでまとめられる前の時代、美濃国の幕領をまとめた『笠松県』の県庁所在地がこの郡代陣屋の所在する笠松であった。

《多治見本郷高帳》には「当村より笠松御役所へ十里御座候」とある。

名古屋までが下街道で七里であったから、それよりも12キロも遠いことになる。多治見という町は、すでにこの時代から岐阜よりも名古屋の商圏に飲み込まれる運命にあったといえるだろう。

十里(40キロ)をたった一刻で走破した早馬の画期的移動速度は、上方行を経験した草太にはまるで新幹線に乗ったような気分であった。

笠松陣屋に到着した草太たちは、すぐに中へと通されて、郡代岩田様に拝謁した。代官様が畳に額をこすり付けて平伏する後ろで、草太もまた同じように丸く小さくなった。

『郡代』と『代官』という肩書きだけを見れば身分的に接近しているように見えなくもないが、実際のところ役職としての貫目はえらく違う。直臣と陪臣でそもそも比べる物差しが食い違っているのだが、イメージ的には『郡代』は県知事、林家領『代官』は田舎町長ぐらいの差がある。


(…まあ貫目負け歴然だから、いつもの代官様の威光とかは無理っぽいな……うーん、どうしよっかな…)


陣屋のなかに客として案内されたのだから、そんな悪いことを言われるとは思えないんだけれど。頭ごなしに『新窯』の存在を違法と決め付けて罪人を裁く感じなら、部屋内ではなく訴状吟味のお白洲に連れて行かれたことであろう。

この『郡代』さまは領民の争議を裁断する裁判官でもあるのだ。当然ながら訴状の詮議であるなら奉行所のようにお白洲でということになっただろう。

面を上げられよと促されて代官様が顔を上げた気配がしたが、草太はなおも平伏したまま周囲の会話を拾うことに全力を傾けていた。


「…まさか林丹波殿の代官自ら参られようとは思いもせなんだ。それほど急ぐものでもなかったのだがな」


軽く苦笑したふうの郡代岩田様の言葉遣いに、その人物像に想いをめぐらせる。

もちろん幕末の歴史好きでも『笠松郡代様』の名前など耳にしたこともない。どうせ全国各地の『~奉行』よろしく、有力旗本たちの出世ポストのひとつという程度の役職であるのだろう。ひとをこんなに慌てさせているというのに、どこか暢気そうなその口調に切迫感などかけらもない。


「…わたしのほうもそれほど詳しくはないのだが、林丹波殿の領内で新しく『窯』の建築が始まったとか。前任の柴田殿にはむろん届けがあったのだろうが、懇意にしておる西浦屋から『祝いもの』が届いてはじめて知ったというのもなかなか恥ずかしい話なのだが、一度わたし自身で確認をしたほうがよかろう……そう思ったのだ」

「郡代様へのご報告は、窯再建がなってからと考えておりました。ご報告が遅れましたこと、ひらにご容赦のほどを」

「いやいやお顔を上げられよ。そのようなつもりでここへ呼んだのではない。…それよりもあの地揺れで崩れた窯は数多い。瀬戸のほうでは尾張様のご援助があって復旧も進んでいると伝え聞くが、いち旗本の独力で家産復興に乗り出す林丹波殿の並々ならぬお覚悟、この岩田鍬三郎、同じ旗本としてまことに敬服しておるのだ。郡代とはいえ差し許された予算では濃州復興もままならず、心配事ばかりで気鬱の抜けぬこのごろに、ようやく春の薫風が届いたかのように心が晴れた思いなのだ」

「…西浦屋より『祝いもの』とは、はて……当家とは特別に行き来もない御仁なのですが」


代官様が草太の疑問を代弁するようにつぶやいた。

問題はそこなのだ。商売を脅かす新興勢力が頭をもたげ始めようとしているのに、『祝いもの』とは何事なのだろう。なんとも搦め手臭くて想像をたくましくしてしまう。


「西浦屋の主人とは以前から何かと行き来があってな、此度の件もあの者の『進物』がなければいまだにわたしの知るところではなかったであろうな。…先日のあの地揺れで美濃焼を支える東美濃23筋の窯にも由々しき被害が出ておるのだが、手当てすべき幕領が多すぎて正直いまだに十分の手が回っておらぬ。その美濃焼が天災の打撃にあえぐなか、新たな窯が立ち上がることは美濃焼の将来に新たな火をくべいれるような慶事である、とあの者がそう申すのでな」


うわっ。ハメ手臭がぷんぷんする。

我慢しきれず草太が顔を上げかけたとき、郡代様が手を叩いた。

はっと思わず顔を上げてしまった草太を別段とがめるでもなく、役人がささげ持ってきた膳のようなものをふたりの前に置いて、


「丹波殿の『新窯』をわたしの名において『美濃焼《24筋》』のひとつと正式に差し許そうと思う……幕府にはすでに認められておる丹波殿の窯だが、聞けば私的な向きもあるゆえ確たる販路も決められてはおらぬとか。ならばわたしが正式に認可を与えれば、もはや誰の顔を気にすることもなくその産物を販売することでできるようになるであろう」

「…えっ?」


目の前の膳の上には、それらしき折りたたまれた書状が置かれている。

その間抜けな応えは、代官様のものであったか、それとも草太のものであったか。

そうして草太は西浦屋のたくらみをようやくにして理解した。


(やられた!)


悔しさのあまり全身の血が駆け回って体が熱を発した。

正体不明の新勢力を前に、西浦円治は攻撃するのではなくむしろ彼らをそっくり飲み込もうとしたのだ。

正体が分からぬのなら、郡代という権威者によって正体を『確定』させてしまえばいい。正式に『美濃焼窯』として認定させてしまえば、自然とその産物の販路は《美濃焼総取締役》たる西浦家の手中に納まる、というたくらみであったのだ。

訴状としてこちらを攻撃するのではなく、『祝いもの』などと持って回った攻め方をしたので、郡代様も西浦屋の『好意』を疑ってもいない。

どうしたらよい、と代官様が目配せしてきたので、草太はかしこまりつつも発言の許可を願い出た。

郡代様は最初から客のひとりとなっていた6歳児が気になっていたらしく、あっさりと発言を許可してくれた。

草太は下腹に気合をこめて、びっと郡代様をまっすぐに見据えた。


「お初にお目にかかります。《天領窯株仲間》筆頭取締役林貞正が孫、林草太にございます。まだ7歳(数え)にしかならぬ身なれど、《天領窯株仲間》勘定方兼技術指南の役方を負っております」

「なんと」


やはり郡代様も草太の大人びた口上にたまげられたようである。

まあ普通に考えてそれは当たり前のことなのだけれど。

頭ごなしに否定されなかったのは、やはり草太の『林姓』のおかげであっただろう。林丹波守、江吉良林家の当主の流れであると認識されたゆえに、それ以上無用な説明をする必要もなかった。200年も前に分かれた傍流の子であるなどと説明し出したらきりがなくなるところだ。


「《天領窯株仲間》は林家ご当主丹波守様も含めまして株仲間による合議にて動く取り決めが設けられております。ここにおられる坂崎様……代官様もその株仲間のおひとり……そのように取り決められておりますよね?」

「むろん」

「…郡代様、たとえこちらの代官様といえども、《天領窯株仲間》に関しては一存で決めるわけにもいきませぬ。販売に関してもそれらは勘定方である自分の職域のことではありますが、やはりいったんは株仲間の合議にかけねばなりません」


草太は立派なもみ上げと髭を蓄えた郡代岩田様を見据えて、現代人の得意技を発動した。


(だが、断る!)


…などと、はっきり言えないのはもちろんのこと。


「いったん(社に)持ち帰りまして、合議ののちに改めまして御回答させていただいてよろしいでしょうか」


即断せずお持ち帰り。

特に普賢下林家が主導権を確立していない組織であるので、責任は組織全体でとってもらわなくては。この際貫目負けしないためにも筆頭株主である江吉良林家に矢面に立ってもらったほうが何かと都合がいいだろう。




郡代様の後ろでくっくっくと黒い笑いを浮かべている西浦翁を幻視して、草太はぎりりと奥歯を噛み締めたのだった。


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