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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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039 夜の終わり






順風満帆だった林草太の長くもない6年の人生において、その夜は特別に感慨深いものとなった。

いままでがうまく行き過ぎていたのかもしれない。わりあいお気楽に『絵師』を求めて京の都までやってきたのだが、上洛後の彼は当初の甘い見通しにいささか運にも見放され、にっちもさっちも行かないところにまで追い詰められてしまっていた。

それがたった一晩に起こったいろいろな出来事が、まるで崖から転がり落ちるように彼の周辺状況を激変させてしまったのだった。


(嵐のような一夜だったな…)


まだ熱に浮かされているような感覚がある。

お幸の失踪から星厳先生との出会い、女衒からの身柄奪還に続いて最後は通常ならば接触することさえかなわなかったであろう《小屋名主》との取引交渉……あのあと《小屋名主》との交渉は長々と夜半まで続き……結局は《小屋名主》程度ではとてもではないが確約などできない、という結論にまで行き着いてとうとう果てたのだった。

斃牛馬の死骸処理はここよりも大阪に近い西のほうで《座》というものがあり、そこでを集中的に行われているのだという。そこの座の長がそれらの決定権を持っており、さらには『柴屋』という大阪商人が市場への窓口として独占的にかれらの産品を取り扱っているという。

実際の取引契約を交わすとなれば、その『柴屋』を仲介として仕入れることとなるだろう。

できれば仕入れ値を抑えるために直接取引をしたかったが、これは《名主》自身から馬鹿らしいこととたしなめられてしまった。この時代の一般的な社会通念として、考えなしに彼らと商取引を行うことはいろいろな問題を伴うということなのだろう。

どのような形の取引になるかはまだわからないけれども、ともかく賽は投げられた格好になった。草太の申し出は《小屋名主》長兵衛預かりとなって、後日《座》の評議にかけられるという。

とりあえずそちらの道筋はつけた。あとは結果を待つだけである。

交渉を終えて《小屋》の外へと退出した草太は、頭上に輝くこぼれるような星空を見上げて、腹の底から大きく息を吐き出した。星座にとくに詳しくはない草太でも、くっきりと見えるオリオン座ぐらいは判別できる。


(『骨灰』はとりあえずこれでつぶした……あとは『絵師』だけか…)


やっと少しだけ肩の荷が降りた気がした。まだ確定的なものなど何ひとつありはしなかったけれども、頭上に広がっていた美しい星空にそうして気付けるだけの冷静さがおのれに戻ってきていることを感じただけで、下腹をぎゅっと絞るような緊張がほどけて緩んでいった。


(『骨灰』だけでも手に入ったなら、苦労して京に来たかいもあったんじゃなかろうか…)


わずかな前進で満足してしまっているおのれの卑小さにはため息が出るが、いまはもうこれ以上おのれに鞭打ち叱咤しようとする気持ちも半ば失せていた。

今日はちゃんと朝まで寝られるかもしれない。体力もいい感じに限界っぽい。

倒れたらそのまま爆睡できる自信がある。

外でじっと待っていたお幸が駆け寄ってくるのを見つけて、草太は手をさし伸ばした。手を繋いでとかそんなものではなく、たんに引いて歩いてほしいというお子様要望に過ぎない。

繋いだお幸の手は、とても暖かかった…。




よい子はとっくにおねむの時間であったが、草太を6歳児という外見で判断する大人たちはそこにはほとんどいなかったという…。

《小屋名主》との交渉のあと市街地へと退散してきた大人たちは、熱が覚めやらぬままに暖簾を下ろそうとしていた小料理屋になだれ込み、なぜだか知らないけれども草太を真ん中に酒を飲みつつ質問大会となり……飲んだくれたちの酔いがエスカレートするにしたがって《査問会》のような雰囲気になっていったのはなかなかに彼を疲弊させた。


「…んで、ぼうずのいう、その焼いた骨をだな、…いってえなんに使う気なんでえ」

「そうじゃそうじゃ、骨など集めて……ひっく、どうするつもりなんじゃ」

「…そろそろお酒はやめて」

「…そうやっての、すぐに話の腰を折ろうとするしの……そういうところが、ほんとに怪しいんじゃ!」

「漢方医が、骨を煎じて使うとは聞いたことがあるが……んぐっ、その程度のことでそんなたくさんの量が必要なわけがねえわな。ありえねえって」

「…あーっ、それはですね」

「ちょっ、待て待て……オレが当ててやる!」


言えっていったり、言うなっていったり。

ほんと酔っ払いの付き合いは精神力を削られる。


「ぼうやは美濃の出身とかいったな……美濃といや『半紙』、そうか、その材料に混ぜて使うとか!」


ああ、なるほど『美濃半紙』ですね。

ケント紙や画用紙とかの不透明な紙は、紙の『裏抜け(透かし)』を防ぎかつ美しい純白の仕上がりとするために、鉱物由来の白色填料(はくしょくてんりょう)を使うことがある。胃カメラのときに飲むバリウムとか、磁器の原料となるカオリンとか使われるケースがあるので、あるいは《骨灰》を混ぜるのもありなのかもしれない。


「いやいや、練りこんで『おしろい』というのも手じゃぞ。化粧品はなかなかによい商売になるらしいでな……ひっく」

「もしかして最近左官屋が噂してる『新漆喰』やあらへんか? ふつうよりも白がきれいに出る新しいのが出まわっとるいうし」


源次郎さんも赤ら顔のくせにしっかりしたろれつで参加してきたりする。

まあ《骨灰》の使用法については、企業秘密であるのだけど。美濃の有名な特産といえば、やはりおのずと『美濃焼』の名が挙がってきてしまうのは避けられない。

すでに草太たちが『絵師』を求めて京までやってきた経緯も、あの察しのよすぎるお役人様に知れてしまっていたわけで。友禅の絵師を求めるあたり、それが焼き物の絵付けであることなどすぐに関連付けられる。


「…ずばり、『美濃焼』の材料なのではないですか」


小栗様が予想通りずばりと切り込んできた。その炯炯と輝く眼差しに見つめられて、かなりしびれた草太であったが。前世のおっさんスキルが発動してその顔には内心とは相反するにこやかな笑みが浮かんだ。


「骨など焼いたら灰になってしまうものですが、釉薬(うわぐすり)に混ぜるとか粘土に練りこむとかいろいろと…」

「あー、小栗様?」

「ちょっと待て。もう少しでいい答えが出てきそうです…」

「『林家』の新たな家産につながる秘事ですので……(空気を読んで)それ以上の詮索はご容赦ください」


まあ実際は普賢下林家の家産であって、江戸の江吉良林家2000石のことではないのだけれど。

いろいろと言いたそうではあったけれけども、小栗様は(空気を読んで)結局押し黙ってくれた。この幕末の幕府を背負って立つことになる異才は、実務方面ですこぶる有能であったというから、『江吉良林家』という美濃に領を持つ大身の旗本ぐらい当然ながら知っているのかもしれない。

江戸の本家とはまだ天領窯の所有権交渉の途中であるので、正直この絡みは勘弁してほしいところなのだけど。あっ、腕組みしちゃって少しふてくされてるよこの人。そんなにジッちゃんの名に懸けて名推理をご拝聴してほしいのか…。

そうして小料理屋の亭主がさすがに閉店だと耳打ちしてきたのをきりとして、ようやくその日は散会となったわけだが。

腰を直角に曲げる営業お辞儀で関係各位に挨拶して回った草太を、いい加減へろへろに酔っ払った星厳先生がヘッドロック気味に捕まえて、酒臭い息を盛大に吐きかけてきた。

どうして酔っ払いの口臭は『スパゲッティ・ナポリ○ン』の臭いに似てるのか、そんなどうでもよいことを考えていた草太であったが、次の瞬間、星厳先生の言葉の置き土産に驚きのあまり言葉を失ってしまった。


「『絵師』ならば、心当たりがなくはないぞ」


自慢の髭も酒がついてべたべたになってしまっている。もうまともに立っていられないのか、すとんと地面に尻をついてしまった師匠を、弟子たちが両脇から助け起こす。

しらふでない老人の言葉を信じてよいものかどうか迷うところであったが、そばにいた源次郎青年が「もしかしてあの男ですか」と応じたのに気持ちを強くして、


「それって、ほんとうですか…」


草太はやや呆然とした格好であったが問いを返した。

べたべたの髭をしごいていた星厳先生は、いたずらが成功した子供のように歯を見せてにたりと笑った。


「紹介してやってもよいがな…」

「あの! ぜひ紹介してください!」

「これこれ! 服を引っ張るでない! 慌てずともわしは逃げたりせん! …まあそうじゃな、お前さんの求めとる方向の『絵師』ではないかもしれんが、昔から付き合っとる古仲間の弟子じゃ、是非にというのなら紹介するのもやぶさかではないがのう…」


頼山陽と双璧とまでいわれる文人である星厳先生に、同じ『風流人』として有名な『絵師』が知り合いにいてもまったくおかしくはない。文人墨客仲間の豊かなコネクションがあるのだろう。


「…話は変わるが、おまえさん、ウチに入門せんか」

「…はっ?」


頭をぐりぐりとかき回されながら、間抜けないらえを返した草太に、星厳先生はなぜだか眼力5割増の眼差しを向けている。


「最近暑っ苦しいがさつな輩ばかりで辟易しとるんじゃ。もっとこう、気の利いた会話のできるかわいげのある弟子が欲しくってのう……入門せんか?」

「…っ、それは…」

「…じゃなきゃ、紹介してやらん」

「………」

「その気になったら、わしの家に来るがええ! まっとるぞ!」


ふぉっふぉっふぉと高笑いして揺れる背中を向けた星厳先生は、手をひらひらと振りながら弟子に介添えされて帰っていく。


「紹介…」

「まっとるぞ!」


そんな、漢詩とか習ってる暇なんてないんだけど。実際に予定外の長逗留で、ありえないほど資金が目減りしているっていうのに。

涙目の草太であったが、その肩を次郎伯父がぽんと叩いて、


「上方くんだりまで出てきて、もう四の五のいっとる場合やないぞ…」


といろいろと悟りきったふうにつぶやいた。

甲子園で一回戦負けを食らった高校球児のように、草太はその場にがっくりと膝を付いたのだった。


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