表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
85/288

038 小屋名主






招じ入れられた《名主》の家は、概観からは想像もつかないくらいに『まとも』だった。

というよりも、時代的にいったら相当に豪華な造りであったといえるだろう。

《名主》本人もよく見ればかなり小奇麗にしているし、衣服はぼろきれのように粗末ではあったけれども、肌艶のよいその様子は到底生活に困っているようには見えない。ぶっちゃけ、見ればボロ衣はわざとそうしているとしか思えない。

世間一般の偏見に自ら合わせるように、お決まりのコスチュームを身に着けている、というお仕着せ感さえあった。

土間から板の間に上がると、そこには囲炉裏と車座に敷かれた藁を編みこんだ座布団のようなものが来客を待ち構えていたが、内部を興味深々に眺め回していた草太は、すぐさまいくつもの『違和感』を発見していた。

まず、この板の間の真新しさ。ほとんど使われてもいないように艶も温みもなく、天井もあまり煤けた様子がなかった。囲炉裏の灰も少ない。


(ここはたぶん、ほとんど使ってないな…)


それほど大きな板の間でもないが、これだけしっかりと作られた空間を使わないのはいかにももったいない。まるで大きな屋敷のゲストルームにでも入ってきたかのような『人馴れ』していない空気がある。

どうして使っていないのかは、うすうす察している。


(ここは不意の来客を迎えて、お茶を濁すための空間なんやろう…)


分相応の暮らし。

見栄っ張り階層の『武士』たちが収入もないのに大きな屋敷を維持しているのと同じく、この小屋は住人たちの社会的地位にふさわしいようにわざと『粗末』にされているのだ。

草太の目は、客たちに上座を譲ろうと腰を低くする《名主》の背後にある、わざとらしく薄汚れた襖を見ていた。

大人数を引き連れて絶対優位の立場にある草太は、とてとてと囲炉裏をめぐり、《名主》が目を離したほんの一瞬を突いて奥の襖を開け放った!


「こりゃ! なにしよるんや!」


《名主》が慌てて襖を閉めたが、その場にいたすべての人間が、その奥にある隠された空間を見てしまっていた。

まるで豪華な茶室のような空間……床の間と鎧の置物、畳敷きの床の上には林家でもとっておきの部類になるだろうたっぷりした座布団、部屋の隅には屋根裏への階段もかねる箪笥があり、贅沢品とされる行灯も明かりを灯したまま放置されていた。

そこで座ったまま引き攣った顔をしていたのは、《名主》の奥方かそれとも妾なのか。すぐに閉じられてしまったので、それ以上は分からない。

突然襖を開けて見せた6歳児に、《名主》はどこか表情を険しくさせたが、その他大人数の手前、声を荒げることもなく草太を藁敷きのひとつに追いやっただけだった。


「ほして、あんはんらはどういったご用件でこちらへ?」


《名主》の隠された生活水準の高さは、当然のことながら来客たちの反発心を刺激したことだろう。

むろんこの集落であのような贅沢を許されたのは目の前の《名主》のみであろう。壁際に立つ集落の男たちからは、持たざるものの殺伐とした空気が伝わってくる。

なんとも歪んだ『搾取の構造』だった。

草太はそれだけで吐き気を覚えたが、彼の背中を押すように囲炉裏まわりの座を占めた面々にややして落ち着きを取り戻す。

次郎伯父と父三郎、星厳先生と弟子の源次郎という青年、そしてなぜかいつの間にかもぐりこんでいた小栗様だった。

《名主》は交渉相手を見定めかねて視線をさ迷わせたが、来客たちの視線がなぜかひとりの子供に注がれているのに気づいて瞬きする。当然ながら、それでもこの子供がメインの交渉相手とは認識できなかったのだろう。

見た目に役人の格好をした小栗様を相手を見定めて、《名主》は口を開いた。


「…お役人様とお見受けしましたが、このような下賎な場所に何や御用の向きでもおありでしたか」


言葉を向けられて、小栗様は仕方なくというふうにやってきた用向きを告げた。


「うむ。実はそれがしの知人の小間使いをだな、こともあろうに三条大橋近くの寺でかどわかして、女衒に売り払おうとした不埒者がいたのです。そやつらをさきほど捕縛したんですが、奉行所に突き出すと申したら、『自分らの名主』に話を通してくれと言い張って聞かぬもので」

「それはほんまのことですか」

「…百聞は一見にしかず。実際にその目で確認すればよいでしょう……誰か、あいつらをここへ!」


小栗様の指示で、縛り上げられた無宿人たちが連れてこられた。その血色の悪い顔が、《名主》の姿を見つけて激しく変化した。


「《名主》様! 三条橋の三吉ですわ! なんやらようわからんうちにこんなんされてまって……《名主》さまのお力でどうぞお助けください!」

「わしらなんも悪いことは…!」


最後の命の綱であるからだろう。事情を知る者が聞いたら気が触れたとしか思えないような自己弁護を始める無宿人たち。

だがその様子に激しく苛立った次郎伯父が一番うるさい無宿人の男のふくらはぎを殴りつけて強制的に黙らせた。


「このものたちに見覚えは?」

「…見たことがない、とは申しまへんが、正直《小屋名主》とゆうてもこのお寺さんの庇護下にあるこの小屋の取り締まり役に過ぎへんし。約定を破って小屋を飛び出していたやつらの面倒まではとうてい見切れまへんな」

「《名主》様ぁ!」


無宿人たちが泡を食ったように騒ぎ始めが、どうやらこの《名主》、あっさりとこの無宿人たちを切り捨てる気らしい。まあ小屋を飛び出し勝手をしていたというのなら、それも仕方がないのかもしれない。約定が云々というよりも、《名主》に上納金を納めない者など、存在する価値もないのだろう。


「…と、言うことらしいです、どうしますか『林殿』」


そういって、小栗様は予想したとおりにキラーパスを放ってきた。

草太のほうはもうすでに心の準備ができている。軽く気息を整えて、草太は交渉者としての名乗りを上げた。


「分かりました。そういうことなら、このままこの人たちを奉行所に引き渡します。…話を通してくれとうるさかったんで、お身内を必ず守る義侠のような人なのかと思ってたんで肩透かしやけど。それならそれで、めんどくさいんでさっさと終わらせます」

「《名主》様ぁ!」

「お救いくだせぇ!」


無宿人たちが騒げど、《名主》の顔はピクリとも動かない。

が、草太は少しだけ唇をなめてから、その平静な泉に小石を投げてみた。


「…でも、この人たち相当にうそつきで厚かましいから、もしかしたら吟味の最中に薄情な《名主》さんを道連れにしようとするかもね…」

「…ッ!」


《名主》の表情が動いた。

フィーッシュ!


「《名主》さんはお上のお抱えって聞くし、上の評価が下がったらなかなか安泰じゃいられなくなるかもだけど。…まあ大丈夫って言うんなら別に…」

「まっ、待ったッ!」


《名主》が腰を浮かしていた。伸ばした手の指がプルプルと震えている。


「…あの、若様はどちらの方で」

「…『若様』なんて上等なものじゃないけど……かどわかされたのはウチの小間使いだし、奉行所に突き出すも何も全部ぼくの胸三寸やよ」

「直接奉行所に行けばええとこをわざわざこちらまでお越しいただいたということは、なにかこの長兵衛にお話があったんやおへんか」


《名主》は長兵衛という名前であるらしい。

ぎらつく視線を真っ向から受けて、草太は服のすそを払い居住まいを正した。正座して背筋を伸ばし、おもむろに口を開いた。

もはや無宿人たちのことなど脇に放り出して。その話が単なるきっかけ作りに過ぎないことも《名主》長兵衛には通じている。


「…あんたのところに集まってくる牛馬の、骨を買い取りたい」


こちらがいまは一方的に弱みを握っている。

臆することなどまったくなかった。


「あんたが集められる獣の骨を、焼き砕いて売って欲しい。膠を取った後のやつでいい。そいつを集められるだけ集めて欲しい」


そいつを全部買い取ってやる。

この国で手に入る希少な斃牛馬の骨、リン酸カルシウムは林家が独占支配するのだ! 草太の気迫に気圧されたように、場は静まり返った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ