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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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037 騒動は続くよどこまでも






「こやつらはここで開放したほうが世話はないがの…」


星厳先生は髭をいじりながら草太のほうを見る。

明らかに年長者で、この場の大多数の人間に指示できる有力者であるというのに、一件の主導権をすべて草太に預けるつもりであるらしい。

この老人の前で猫をかぶったことなどありはしなかったので、草太の行状の異常さにさすがに気づいているのだろう。他の大人たちと同じ役立たずのギャラリー化しそうな雰囲気である。


「おまえさんはどうするべきと思うかの? さらわれたのはおまえさんの小間使いじゃし、一番の迷惑をこうむったのが誰か、それを考えればお前さんの胸三寸で決めてもよいと思うがの」

「そんなのもうどうでも…」


すっかりくたびれてしまって、座り込んでしまいたい衝動に抗っている草太はそのように投げ捨てかけて……いや、と寸前で踏みとどまる。

ほんの少し呼吸を整えて、目の前にある物事を脳裏で並べ立てる。

偶然であるとはいえ、お幸ちゃん失踪騒ぎの主犯として無宿人たちが捕まえられ、そこから新たなコネクションが浮上しつつある。

非人小屋の名主……まさしくこれから『骨灰』の入手をめぐって交渉に行かねばならな方面の相手であった。ならばいま捕まえている無宿人たちはひとつの交渉材料になりえるし、正体の不明な組織に闇雲に接触する危険を考えれば、いまお幸ちゃん捜索騒ぎで巻き込む形になっている星厳先生一門は、うまくすれば交渉時の『背景勢力』として利用できるかもしれない。何よりこの人数が姿を見せるだけで、相手にプレッシャーを与えることができるだろう。

後日に回せば、同行を頼むことも難しくなるだろう人々である。今を狙わなければもったいないというものだ。

この騒動のドサクサで、そのまま『骨灰』入手交渉まで引っ張ってしまおう。

疲れでうつむきがちであった草太の口元に生来の黒い笑みが浮かぶ。


「京の街の平和を乱す輩を放置するわけにはいかないと思う。この際だから、その『名主』さんに規律を引き締めてもらったほうがいいし……ここまで多大な助力をいただいていてとても恐縮なんやけど、毒を食らわば皿までっていうし、いま少しばかりお時間をもらって、一件の落着まで付き合ってくれると助かります…」


草太のよどみない口上に耳を傾けていた星厳先生は、


「よかろう」


即答で合意してくれた。

ただそれは京の街の治安がどうのというレベルの話ではなく、純粋に草太が引っ張っていく事態の結末を見逃すことなどありえまい、という興味本位のものであったらしい。


「おもしろそうじゃから」


はっきりと言うし。

人間って、歳を食うほどに子供帰りするよね。恥ずかしいこと平気で口にできるし。さすがに前世おっさんでもそこまではまだ人生割り切れない。


「奇貨居くべし【※注1】、…かの呂公も、邯鄲の都ではこんな気分じゃったのだろうな」

「そういう恐れ多いことはいいですから、あの無宿人たちに先導させてください」

「恐れ多いか! なるほど、その歳でもうある程度の故事には通じておるようじゃな。そらんじるばかりでなくその意を汲んでおるとは感心感心、どうじゃ、明日にでも時間があるなら呂氏春秋の…」

「あー、明日は予定でいっぱいです」


正直、暇な時間があるなら自己啓発のために漢詩のひとつでも習いたいところなのだが、あいにくと現状の林家は家産を飛躍させるための大事の時期、よそ見などしているときではなかった。

にべもなく誘いを断った草太に門弟たちが気色ばんだが、当の星厳先生の大笑でそれらを吹き飛ばしてしまった。

連れてこられた無宿人たちが、希望を甦らせたかのように率先して案内に立つと、その後ろを草太が、さらにその後ろを大人という名の野次馬たちがぞろぞろとついて歩く格好となった。そしてさらにその後ろを「所司代の犬」の方たちがついてくる。傍目からしたら異様な集団である。


「お幸、お前は宿に帰ってるんだ」


当然のように彼の少し後ろを歩くお幸に、草太はそう命じたが、彼女は口を引き結んで首を横に振る。主人がなにか危険な場所に向かっているのが分かっているので、離れるなどもってのほかと思っているようだ。

まあ今回は後ろの役立たずたちがその数に物を言わせてるので、身の危険などはさほどのこともないだろう。それに伯父たちもついて来ているので、宿には誰も居ないことになる。知らぬ土地でひとりで留守番とか、それこそ彼女を不安にさせるかもしれない。連れて行ってもそれほど問題はないのかもしれない。

草太は案内の無宿人たちの背中を見上げつつ、こぶしを握った。

『美濃新製』には必須のリン酸カルシウム……『骨灰』の安定供給が必要である。だがその原料の取り出し方が時代的要因から「骨を処理」することでしか手に入らないために、供給先はあまりにも限られていた。

その可能性のある相手と、この時期このタイミングで交渉することになるなど、ただの偶然とは思えなかった。


天の時。


そういうなにか神様のような高次存在によって用意されたチャンスのように思えてしまう。

彼は現代人的な感覚で神様など信じてもいなかったが、この瞬間だけは「もしかしたら居るのかもしれない」と思ってしまっていた。もう物事は動き出してしまっているのだから、その流れに身を任そう……そういう流れであるなら乗ってしまえばいい……彼は割り切ることにした。

京の市街を突っ切り、都の華々しさが薄れた庶民の長屋が視界を埋め始める辺りで、盆地の地勢的に山裾にぶつかった。そこからは参道であるのだろう、土留めの丸太で組んだ階段が、山の裾野にいくつかのお堂を抱え込んだ大きな寺へと続いていた。

ここか。

そう思った草太は階段を上ろうと近寄ったが、どうやら無宿人たちの向かう場所は階段を上らない場所にあるらしかった。

寺の敷地を回りこむようにしていくと、小さな小川にぶつかった。その川に架かる小さな橋を渡るのかと思いきや、今度は道を外れ、川岸の小道へと折れていく。

盆地いっぱいに市街を広げるこの都では、山の斜面のある程度まで家屋が散在する。その小川の対岸にも家並みがまだ続いていた。

そうして目的地はまだかと若干不安になりつつある草太の背後に、近寄ってきた気配があった。


「おまん、わざわざ出向いてきたんけ」


口調は潜めていたが、声で分かった。権八である。


「…っていうか、みつかっとんのけ! この小娘!」


草太の後ろに従うお幸の姿を見つけて、低く声を荒げた。

迷惑かけやがってと掴み掛かりそうな勢いの権八を目で抑えて、小声で手短に問いを発する。


「…ここの小屋には、何人くらい居るの」


偶然にも先に調べにやらせていた権八が、タイミングよくここで現れる。探しにやった先が一致していただけでも驚きであるのに、目的地の手前で接触できるとか本当にすべてができすぎのような気がした。


「だいたい30人ほどやちゃ。五つほど小屋があって、一番奥のふたまわりは大きい小屋が、『小屋名主』って呼ばれる顔役の家やわ」

「30人か…」

「女子供もかぞえとっし、力のある男はそんなおらんやろ。…やけどおまんの捜しとった小娘はもうみつかっとんのに、何でこんなとこまでわざわざ…」

「ありがと……あとはこっちでやるから。『権八』は万一のためにその辺に潜んで、変な動きを押さえとって」

「おまん……ああ、わかった」


はじめてその名を、しかも呼び捨てて見せた草太の様子を伺って、この怪しげな出自の男も目の前の6歳児になにながしかの大きな変化があったことに気づいたようだった。

無駄な言葉を飲み込んで、権八の姿は藪の中に消えていった。

草太と権八のやり取りをはたで見ていたお幸も、改めて草太という主人が見た目以上に「上手の人物」になったのだと再確認したように、頬に血の気を上らせてじいっと見つめている。


「この先が小屋やわ……だれぞ名主様を呼んでくれ! 三条橋の三吉や」


無宿人のひとりがそのように呼ばわると、木立の向こうに人の気配がざわりと立った。

にわかにいくつかの明かりがまたたき、それが小屋の木戸の開け閉めによるものと分かると、そこに小集落があるのがなんとなく見えるようになってきた。

そこは寺の敷地の一部であるのか、林の一部が切り開かれ、差し渡し数十メートルほどの開けた土地があり、その広場を囲うように小屋が並んでいた。

左側には寺の中心へと向かうのだろう緩やかな上り坂が、右には洗濯場と思しき小川へと下る坂が見える。

正面奥の一番大きな小屋が、『名主』のものなのだろう。

そうして草太一行が広場になだれ込んだのと時を同じくして、小屋の中から男たちが何人か現れた。

そのなかに草太が街中で見かけた顔がいくつかあった。


「こんな夜更けに、何もんや!」


当然の誰何に、連行中の無宿人らがべらべらとあることないことを言い始めた。いわく、無実の罪を着せられたと。この無法者たちから何とか救ってくれ、などと。

目の前におのれの仲間を見たために、とっさに自己正当化をはじめたのだろうが…。


「だまれ! 恥知らずの人攫いが!」


次郎伯父の一喝でそんな彼らの陳腐な言い訳は吹き飛ばされてしまった。

そうしてその怒鳴り声がなかにまで届いたのか、やや遅れて名主の小屋からひとりの初老の男がおっとり姿を現した。

その男だけは、なんだか他の男たちと印象が食い違った。

遠目にも分かるかなりの肉付きの良さ。高田の一升徳利のような体格だと草太は思った。その男が、じろりとこちらをねめつけて、目配せだけで「こっちにこい」と促してきた。

無論、交渉の中心人物は草太である。

草太はひとつ呼吸を整えて、足を踏み出した。


(天の時だ)


そう思った。






【※注1】……奇貨居(きかお)くべし。春秋戦国時代の末期、秦の商人、呂不韋(りょふい)が、他国で不遇の人質生活を送る秦の王子子楚(しそ)を見出し、その権威回復に尽力することでその後の巨利を得ようとした『史記』呂不韋伝の故事による。珍しい品物は買っておけば、あとで大きな利益をあげる材料になるかもしれない。期せず好機を得たならば逃さずに利用するべきだ、という意。


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