030 猛省
後藤縫殿助冒頭の欠落箇所、遅まきながら対応いたしました。
ご指摘ありがとうございます。
感想もたくさんいただきまして、ガス欠気味の炉の燃料となっております。応援ありがとうございます(^^)
人の動きが比較的自由な都会なら、職人のヘッドハンティングもしやすかろう……そんなふうに簡単に考えていた頃もありました。
若気のいたりと言うか。もろに子供なんだけど……精神チートを気取っていた前世のおっさんが脳内で激しく反省中である。
(業界の結束、はんぱねぇな…)
せっせと寄せられる権八からの情報を頼りに、草太はそれらしい職人に片っ端からアプローチをかけ続けたわけだが、京の人間がこれほど保守的で《地元大好き人間》だとは露にも想像してはいなかった。
まず染物業界からの転職というだけで難色を示し、ついで遠地への転居の話に至るともはやそれ以上の交渉は不可能…。
たしかにいままで辛い思いをして蓄積してきた友禅の技術を、いきなり他業種に生かしてみないかと言われても、まったくその状況を想像もできないというのは理解できる。致命的であったのは、京の人間が地方の……ことに文化の色の薄い田舎をことのほか軽く見るふうが非常に顕著であったことだ。
けっして直接的な表現をしない京の人々であったが、美濃と聞いただけで決まって話の腰をうまく折られてしまう。ようは『論外』ということなのだろう。
(美濃は田舎だけどさ……たしかに改めて思い返してみてもなんもないとこだけど……自然も地味に豊かでそれなりにいいとこなんだよ)
ふうと心の澱を吐き出すようにため息をつく。
まったくこの数日で、『厳しい現実』という痛烈なボディブローを何発喰らい続けたことか。草太は燃え尽きて灰になりそうな気分だった。
朝から晩までしゃにむに人材確保に駆け回った。
最初は様子を伺いつつやんわり接触していたのだけれど、数をこなす必要から途中で構ってられなくなってしまった。当たるを幸い口説き始めて、目線のエアぶぶ漬けをスウェイでかわしつつ、パンチの連打でコーナーに追い詰めていく。あらん限りに言葉を尽くした。
そうして結局は獲物を取り逃がし続けて、すべてが空振りのまま一日が終る……そんな生産性のない不毛な日々を思い返すと、溶けてなくなってしまいたいほどの気鬱が入った。
なにが現代知識チートだ。
数日がんばって京都じゅうのそれらしい職人をしらみつぶしにした結果がこれだ。ヘッドハンティング界のハルウOラになるつもりかっての。自信満々だった数日前の自分をぼこ殴りにしたい。
あーあ。
ほんと、明日からどうしようか…。
(まさか京都くんだりまできて何の成果もあげずに故郷に帰るなんてのは想定してなかったなぁ)
まずもって期待して送りだしてくれた祖父母に申し訳が立たないし、何より出資者である『浅貞』の主人にどんな顔をして報告に上がればよいというのか。
地元に戻って、近郊の下絵師でも引き抜くしかないか…。
そうして偉そうなことを言っていた口を拭って、瀬戸新製焼の二番煎じとかマジでありえないことする破目になるのか。
新しい美濃焼の顔となる『美濃新製』は、ペリー提督も生唾飲んで黙り込ませた新発見東洋の神秘! 豪華絢爛上絵付け金彩入り奇跡のティーセット! みたいなノリであるべきである。
そのぐらいでないと新ブランドとしてのインパクトに欠けるし、とうてい大成功などおぼつきはしないであろう。第一、現代の高品質を知る草太自身が納得できない。
坐り込んだ鴨川のほとりで、水面に小石を投げ入れる。
とりたてて意味もない行動であったが、いい知れぬうら寂しさが喉元にのぼってきて、草太は紛らわすように鼻の頭を手のひらで擦った。
***
「草太」
隣にしゃがみ込み、草太と同じ目線になった次郎伯父が夕日に染まった顔に苦味のある笑みを作ってつぶやいた。
「…地元に帰るか」
草太の無力を責めるものではない。
それは甥の苦境を思いやってのやさしい言葉であったろう。
どうしても人材確保が厳しいのなら、さっさと割り切って故郷に帰って、天領窯周辺の拠点整備でも、江戸本家との交渉でも、やれることならなんだってやったらいい。
ずるずると京に居続けることで、滞在経費はかさむし権八への報酬だって吐き出し続けることになる。成果が見込めないのならば経営者のけじめとして早々に見切りをつけるべきなのだろう。
そんな理屈は分かっているのだ。
ただ、草太のなかの安っぽいプライドがなかなかがえんじないだけで。
「オレたちのことはもうずいぶんと知れ渡っちまったようだし、昨日今日なんかオレたちの姿をみただけで追い払おうとする職人なんかもいたしなぁ」
友禅染という『狭い業界』にヘッドハンティングの噂はあっという間に広がってしまい、ターゲットに接近するのも難しくなってしまっている。
技術系の業界は、どこも手に職を持った職人がすべてであり、工房も卸しの呉服商も自己防衛のために草太のような『外敵』を一致協力して排除した。明日にはその筋の人間から通りすがりに唾を吐かれているかもしれない。
京友禅の職人を引っ張る、という当初の路線を変更すべき時がきていることは明らかだった。
「少しひとりで考えたい…」
「そうか」
たったそれだけで、次郎伯父は腰を上げた。橋のたもとの屋台であぶらを売っていた父三郎を捕まえて、そのまま逗留先の池田屋に向かって歩いて行く。
父三郎も少しは気にかけてくれているのか、ちらりとこちらのほうを見てくる。保護者ふたりがいなくなると、草太の周囲はいよいよ寂しくなった。
権八はまだ小遣い稼ぎをするらしく町を飛び回っているし、あの傍迷惑なお役人様も、京都二日目ぐらいにはギャラリーに飽きたのか「それがしも少し所用がありまして」と名残惜しみつつも起居の場所を京都所司代屋敷に移していった。
草太のそはにはお幸ちゃんがひとり立っているのみ。
薬種行李を背負いのぼりを立てているものの、店も多い町の中でそうそう配置薬など捌けるはずもなく、物言わぬ随行者のようになってしまっている。
「お幸ちゃんも宿に帰って休んだらいいよ」
「……っ」
ひとりになりたい彼の提案に、ただ首を振るばかり。
おそらくは彼女にも心配されてしまっているのだ。精神年齢30歳オーバーのおっさんとしてはなんとも情けないていである。
草太は動こうとしないお幸ちゃんの説得を諦めて、おのれがこの場所を去るべく歩き出した。冷たい夜の風に息が白く舞い上がったが、身体が冷えることへの忌避感はあまり湧いてこない。そのまま冷え切って死んでしまってもいまなら悔いがないかも知れない。
友禅がダメなら、西陣の織物職人はどうだろう。それとも浮世絵の原画絵師とか……そんならちもないことを考えている。
とりとめもない思惟がぐるぐると脳内を巡る。若干空回り気味のそれが奇跡的な名案をひねりだすことなどまったく期待もできないのだけれど、そうした前向きな思考をやめてしまったときにやってくる虚無感が怖くて、思考を投げ出せない。
絵付け作業はこちらでやるとして、元になる原画だけをアウトソーシング的に発注するとかどうだろうか。それならば引き抜く必要もないし、相手も選べる。
それはなかなかに良い考えかもしれない……そうした思い付きが単なる『逃げ』でしかないことを自覚しつつも、なかなか振り払えない。
アウトソーシング……苦手なことを得意な外注先に委託するやり方はいかにも現代的であるが、前世で会社を切り盛りしていたおっさんの経験則が、「そいつは絶対ダメ」と激しく否定をする。
単純作業を発注するのならまだしも、焼物の絵付けのデザインとか、商品性の核心部分の外開発はたいていうまくなどいかないものだからだ。出来のいいデザインは作った側の都合で出し惜しみされやすいし、ひとの口に戸は立てられないのでデザインそのものもたぶん簡単に流出してしまう。資金を出して案出させたものにライバルがタダ乗りしてくるとか、馬鹿げた状態になる可能性だってある。
この時代には特許や版権などの法的防御手段が皆無なのだ。デザインの内製は必須であった。
ブツブツとつぶやきながら下を向いて歩いていた草太は、まわりをよく見ていなかったために道端にできていた人垣に正面からぶつかってしまった。
(…なんだ)
たたらを踏んで、立ち止まる。
夜も近く行き交う人の顔にもどこか余裕のなさがある忙しない時間帯……そんなときに出来上がった人垣が、辻説法や大道芸でできたものであるはずがない。
喧嘩だろうか。それにしては人垣があまりにも静かである。
何も見えないので野次馬たちのひそひそ話に耳を傾けると、断片的な情報が伝わってくる。
「…倒れてきた材木の下敷きにねえ」
「飛州(飛騨)から出稼ぎに来ていたおひとらしいわ。それじゃあ身寄りに連絡も取れへんなぁ」
「あれらが来たってことはどこか寺にでも仏さんを運ぼうっちゅうことかいな……おお、こっちくるみたいやで」
(仏さんって、人死に…?)
そのとき人垣が割れて、大八車を曳いた男たちの一団が人垣の中から現れる。
荷車の上に筵をかけられて盛り上がる何かは、おそらく死亡した人足の亡骸なのだろう。
木屋町の材木商のところで働いていた人足の労災事故らしかった。
亡骸を運ぶ男たちには、なぜか見た覚えがあった。
少しばかり記憶を探っているうちに、京入り前に見かけた斃牛馬を運びだしていた男たちのそれと一致することに思い至った。
そこで反射的にお幸ちゃんの姿を探してしまったことが失敗だったのかもしれない。
「運ぶだけで手間賃をえらいぎょうさん持ってくんやろ……まったく、ええ商売もあったもんやわ」
「あの汚いなりも仲間内で取り決めてわざと汚しとるらしいがな。稼ぎがええのをやっかまれんようにやて……こちとら白い飯も我慢して薄商いしとるっちゅうのに、業腹なこっちゃ」
「O△×どもが…!」
身分制が絶対の時代のあけすけな侮蔑の言葉が草太の耳を打った。
草太を追っていたお幸ちゃんの目が、無意識に言葉の出何処を追って移ろい、そして悲しげに揺らめいた。
けっしてそれらはお幸ちゃんに向けられたものではなかったというのに。
気遣う彼にお幸ちゃんは気丈に笑んで見せて、「さき、帰っとるね」とふわりとつぶやいた。踵を返す少女の背中をどこか現実感のないままに見送ってしまった草太は、本当にそのときどうかしていたに違いない。
そのあと、ひとり池田屋に戻った草太は、突きつけられた現実に言葉を失った。
お幸ちゃんは宿に戻ってなんかいなかったのだ。