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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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029 1両の重み






草太の手の中には、スカウトの見せ金用に持って来た1両小判がある。

いわゆる《純金》ではないらしいのだが、この国最高の流通金貨であり、庶民の感覚的にも手に持ったら少し落ち着きをなくしかねないそれなりの大金である。

これ一枚あればそのへんの労働者を余裕で1ヶ月は雇うことができる。ひと家族がひと月普通に暮らしていくだけの貨幣価値があるということなのだけれど、一歩『普通でない』世界に足を踏み入れると、相対価値が急落して、つまらない小銭でも掴まされたような気分にさせられることが今回よく分かった。




「ぼうの友達らしいんやけど、こんなつまらん工房になんぞ用でもあったんか」


けっして悪気があっての発言ではなかったであろう。

所在なさげに落ち着かない草太の様子を見かねて、西川きよし似の父親が軽く尋ねてきたのだけれど。

まさか人材引き抜きに来たとも言えないので、草太は事前に用意していたそれらしいネタ振りで、誤魔化し半分情報を引き出そうと試みた。


「おとうちゃんが腕のいい職人やって話が出たから、ちょうどいいやって入らせてもらったんやけど。…ここ、友禅染めの工房なんやよね?」

「ああ、そうや」

「実は故郷の母上に土産のひとつも買って帰ろうと思ってたんやけど……あっちで少し探しとって、有名な京染めもええなあって……そしたらその子に会って親が染物職人や言うし、ちょっとばかし興味あったから…」

「ほうか、土産もんにか」


感心したようにぼうの親父は鼻をスンと鳴らすと、


「あっちとかって、この室町筋の店にでも行ったのか。そりゃあまた豪儀なこっちゃな。それでどうやった? 何ぞ具合のええもんは見つかったのか」


実際に店に入ったわけではないので少し言いよどんで言葉を選ぼうとした草太を見て、親父は勘違いしたのか、かっかと笑った。


「目ン玉飛び出るくらい高かったやろ。物を知らんのはほんまに強いこっちゃ。京の小金持ちでも室町筋は避けて通るってのに、田舎に買って帰る土産物探して回ったって……ぼうはなんぼで買うつもりやったんや?」


京の小金持ちでも室町筋は避けて通るって、そんなボッタくり小路だったのか。背中にいやな汗が浮き上がるのを抑えることができない。

今後のこともあるので、ただの田舎者と思われないようハッタリをかましてみる。

見せ金で使っていた1両を袖の裏から取り出して示して見せた。

どうだ! 6歳児が持つような小銭じゃないぞ!

鏡はないので自分を客観視できはしないが、おそらく相当にドヤ顔であったんだろう。親父はその1両にわずかに目を見開いたのみで、工房の奥の居間に上がる框にドスンと腰をおろして、そのまま後ろ手に半紙にきれいに折りたたまれた物を引き寄せた。

半紙のなかから出てきたのは、おそらく子供用のものだろう帯であった。


「こいつは見本で預かった、うちで頼まれた振袖に合わす帯なんやけど、いくらやと思う?」

「…これでは買えんの?」

「店売りなら、こいつだけで5両は下らんやろ」

「………」


着物本体ですらなく。

オプションの帯だけで……むろん華やいだ緋色の帯はきめ細かな模様が編みこまれて明らかに高級品そうだったが……たったそれだけで1両では遠く及ばないOBゾーンとは。なら本体の着物はいくらするって言うんだろうか。

親父は草太を見て疲れたように笑った。

室町筋の顧客は公家や高家、諸大名家に、あとは金回りのいい大店の旦那衆ぐらいで、いい着物になると一着で立派な屋敷が建つぐらいの値になるのだという。


「…さっきも店に呼ばれて、お客の小うるさい注文いろいろとつけられとったんやけどな。そらもう完成して納品するまで、何度も何度も手直し手直しで、一着作るのにふた月はかかるしな…」


それなりの値段を取っても、やはりそれなりの手間がかかるのでけっして法外な値段ではないといいたいのだろう。

たしかに一幅の絵画のように美しく華やいだ友禅は、絹地の高価さも相まってそれ相応の価値があるのかも知れない。なによりまだ家内制手工業の時代であり、量産化技術も確立されてはいないのだから、一着一着がまさに同じものはひとつとてないレアアイテムに等しい。


「最近は、始めの請け金だけじゃ鼻血も出ん仕事が多なってなぁ。うちが付き合っとる『後藤』は江戸の大店なんやが、本家が上納金やとかでがっつり抜きよるもんやから、わしらの請け金がどんどん下がりよってなあ……ぼうみたいな子供にこんなこと言ってもしゃあないんやけどなぁ」


言葉の最後の方は尻すぼみでほとんど聞き取れなかったが、こういう下請けの悲哀とかは草太にも分かりすぎるほど伝わってくるので、最後まで聞かずとも「分かってるさ、ドンマイ」と肩を叩いてやる。

少し驚いたように顔を上げた親父は、草太の「分かります」的な生暖かい眼差しにさらされてがっくりとうなだれたのだった…。




1両。

この小判1両でそわそわする普賢下林家の経済規模が、全国平均的に非常に残念な辺りにあることは予想していたとはいえ、正直少しショックだったりする。

小判を見てまるで動揺しなかったあの職人頭は、たぶん草太の用意しえる額ぐらいでは転がすこともできないだろう。

工房を出てから俯きがちであった草太が暗い気分で目を転じようとすると、そばに気遣わしげなお幸ちゃんの目と、彼の持つ小判にやや脂っこい眼差しをそそいでいる権八の目に気がついた。

このふたりは旅の途中からの参加なので、この一行の不審な動きに律儀に付き合っているものの、彼のやろうとしていることについてはいまひとつ理解が及んではいないだろう。

お幸ちゃんのすがるような眼差しは、その頼るべき『保護者』である草太の気分に引きずられてさらに不安げに揺れている。「大丈夫だよ」と言ってやりたいところだけれど、ふたりの距離は微妙に離れていて、それがそのまま彼女のなかにある心の距離感をあらわしているのかもしれない。

一行で身分を気にしている人間なんかいないというのに、当の本人が一番神経質になってしまっているのがなんともやるせない。

権八のほうは、単純に薬種行李と懸場帳を見失わないためについてきているだけであろう。いまや彼の飯のタネは、お幸ちゃんの薬販売のサポート歩合であるのだから当然と言えば当然なのだが……単純なもの欲しさばかりでない色をその視線に感じて、首筋がざわざわとしてくる。


(あれだ……雀荘でマージャンやってるときに、他の客に手牌を『(けん)』されてるみたいな感じに近い……こんな普通の子供観察したって面白くもなんともないだろうに…)


まっとうな『行商人』でないことは薄々分かってはいる。薄気味悪いなあと首のあたりを掻いていた草太であったが、そこではたと天啓に打たれたように、名案を思いついた。

たしかこいつ、旅慣れてて京の都にも多少は詳しいんだよな。

ならギャラリーさせとくのももったいないし…。

この怪しげな男についてなんとなく心に引っかかっている疑問も、これをやらせれば何らかの解答を得られるかも知れない。


「ねえねえ、これ欲しいの?」


無邪気さを装って、草太は権八によく見えるように小判をちらつかせる。

もともとそれをガン見していた権八は、ばつが悪そうに頭を掻くが、どこまでも人を食ったものでまったく否定しようともしない。まあ懸場帳を買い戻すのに5両を吹っ掛けているわけだから、お金は喉から手が出るほどに欲しいところだろう。

のちのち懸場帳の売り買いで戻ってくることになるのだ。少しばかり投資のつもりでこの男を使ってみてもいいのかもしれない。

なにかとおのれの行動に対するギャラリーが多いなか、草太はそれらを振り切るように権八を物影に引っ張っていって、こそこそと耳打ちした。


「…こいつに見合う仕事をして見せたら、支払ってあげるよ。これが欲しいんでしょ」


1両を鼻先にちらつかせる。

我ながらいやらしいなと思うが、この男にはこういう接し方が正しいように感じられるのだ。

すぐに権八が食いついてきた。


「…なんや、ばれとんのか」


すぐに尻尾を出すあたり、実際はたいしたことはないのだろうけれど。

それでも予想が当たったことにはビビリが入る。心の半分は「危険フラグキター」と夕日に輝く海原に叫んでいる。


「…京の都にあるめぼしい染物職人を洗い出して欲しい。分かってるとは思うけど、『腕がよくて引き抜けそうな人材』のいるとこを重点的に。…一軒につき……そうやな、歩合で1朱(1両の16分の1)払う。引き抜きに成功したら、別途報奨に1両払う」

「安うみんなや。1軒1分(1両の4分の1)やわ。成功報酬は10両」


うわっ、いきなり吹っ掛けてきやがった!

負けるもんかと押し返す。


「1軒につき1朱は譲らない。クズみたいな情報集められたらかなわんし。成功報酬は2両」

「…ちっ、食えんガキやな」


権八は悪態をつきつつも、口の端は笑っている。


「なら1軒1朱でええけど、成功報酬は10両や」

「これから使わないかんところがいっぱいあるし、無駄遣いはできん。成功で3両。それでダメなら、この話はなしやわ」

「…ほんと、こあくさいガキやなぁ」


権八の手がさっと動いたかと思うと、いきなりばちんと背中を叩かれた。あれだ、もみじ刑。

むせて咳き込む草太をみて笑いながら、権八は右手の小指を差し出してきた。

嘘ついたら針千本というやつだろう。これは遊び半分ではなく、約束をたがえたら報復が待っていて、本当に針を千本飲ますつもりと思っておいたほうがいいだろう。

草太は権八の小指におのれのそれを絡ませて、わざとらしく歯を見せて笑った。

毒をくらわば皿までである。



「期限は3日やよ」

「約束、忘れんなや」


富山の売薬商人にはあっちの筋の人が混ざっていたと言う話は本当であったらしい。

ほとんど足音も立てずに遠ざかっていく権八の背中を見送りながら、草太は前世の伝説的長寿シリーズ『水戸黄門』の風車な名脇役を思い出していた。


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