027 後藤縫殿助
着物を売る商人を『呉服商』と言うのは、ずいぶんと現代的な感覚であったようだ。
正確には、『呉服師』と言うのが正しいらしい。
最初は呉服の仕立て屋であったものが、のちに商いを大きくして商品を大量に扱う問屋としての性格が強くなっていったのだろう。京都の呉服商は全国諸藩の呉服の仕入れを担う『御用商』となることが多く、必然的に地方の同業者よりも大企業化しやすいのだと言う。(お役人wiki)
なるほど、この室町筋の店構えの大きさはそうした売り上げの巨大さがもたらしたものなのだろう。体面を重んじる諸藩にとって、藩御用の呉服商人は格的に『京商人』であることが大事であろうから、一度そうした関係が築かれてしまえばほとんど逃がす心配のない顧客として確保できる。まったく、太く安泰な商売もあったものである。
かくいう『後藤縫殿助』もそうした御用の商人であり、取引先が幕府であったために特に『公儀呉服師』と呼ばれるらしい。家康公の江戸入りに帯同した『後藤縫殿助』の本店は、江戸にあるという。
ということは、目の前にある大店は『後藤縫殿助』商店のいち支店にすぎないということなのだろう。モードの先端地である京都に店を構えることがステータスなのは理解できるのだけれど、今現在資金繰りに四苦八苦しているという内情を知ってしまうと、立派なその作りもなんだか滑稽に見えてくるから不思議である。
「…客がぜんぜんこないなぁ」
防火槽の影に身を潜ませて張り込みを始めた草太であったが、身動きができないのですっかり冷え切ってしまって、毛を膨らませたスズメのように膝を抱えて小さくなってがたがた震えていた。
通りに運送屋っぽい荷駄や行商たちが往来しているというのに、『後藤縫殿助』京都支店の暖簾をくぐる客はほとんどいない。通り抜けだけの町人もわりと見かけるものの、そのほとんどが『後藤縫殿助』商店には見向きもしない。
「まあ他のとこも似たようなもんだけど」
通りの奥を何気に見やると、まあこの小路は基本的に京友禅などを扱う高級店らしく、店頭に小物を並べるというちゃらちゃらした商売とはあまり縁がなさそうであるのだが、少ないなりに取引の業者関係などがぽつぽつと出入りしていて、問屋街としての機能は果たされているようである。
客の出入りは少なくとも、一度の売り買いでがっつりマージンを抜くことで成り立っているのだろう。
ぼんやりと考え込んでいると、年増の女中を連れた夫人が草太の目の前を横切り、『後藤縫殿助』商店の暖簾をくぐって行った。死んだように静かだった店内から、そのときばかりは盛んに人声が漏れ聞こえてきた。
(客単価はどのくらいあるのかな…)
この客の入りでこれだけ立派な京都支店を維持していくのだ。相当にぼらないとやっていけないように思う。
反射的に企業体としての損益分岐をシミュレートしてしまうおのれの習い性に苦笑したくなる。
おそらく注文していた着物の試着などをしに来た客だったのだろう。ほどなくその客が店を出て行くと、その姿が見えなくなるのを待って奉公人が店から駆けだしてきた。客の要望を携えて、商品の製作現場へと走るつもりなのだろう。草太はかじかんだ指先に息を吹きかけながらそっと立ち上がり、尾行を開始した。
室町筋を北へと走る『後藤縫殿助』の奉公人。
そのあとを尾行するちんまい6歳児。
さらにそのあとをやいやいと騒ぎつつついてくるおかしな小集団…。って、おい。
邪魔なので近くの茶屋で待機させていた次郎三郎にお幸、権八、さらには暇人疑惑が浮上中のお役人の姿まで走ってついてきている。
足の長さが違うのですぐに追いつかれ、草太はその珍走団の群れに飲み込まれてしまった。
「ちょっと! なんでおとなしく待っててくれなかったの!」
「そりゃ、暇だからな」
「………」
「そうむくれんな。おまえがこれからなにすんのか、留守番で見逃す手はないと思ってな!」
しれっと高見の見物宣言出たよ。
走って息が上がっているのに、ため息だけはつけてしまう人体の神秘。祖父といいこの伯父といい。何気にハードル上げるのはほんと勘弁して欲しい。
まあそんなことは横に置いておくとして、注意すべきなのは後ろからついてくる江戸出身の暇人であっただろう。
いい笑顔のお役人さまがマジで怖い。自分で蒔いたタネとはいえ、このあとの行動をそのままガン見されたら、歴史がバタフライして素敵にパラドックスしそうで恐ろしいのだけれど。
ほら、うるさくするからつけてる相手に気付かれたじゃんか!
奉公人もまさか自分がつけられている本人とは思ってもいなかっただろう。振り返って怪訝そうに首を傾げただけで、すぐに注意はそれていく。
2町(1町/100メートルぐらい)ほど走った奉公人は、室町筋から少し入った小路の町家に飛び込んで行った。見ると小さな看板で『染匠』と描かれている。
奉公人が入っていったまま開け放たれた家の中をのぞくと、反物らしき布地をハンモックのように広げて何かを塗りつけている職人の姿が見える。その脇では桶の中に手を突っ込んで揉み洗う人の姿もある。
明らかに染物職人の工房である。
(よっしゃ、発見した!)
飛び込んでいった奉公人は、すぐに工房の頭らしき初老の職人を連れてもと来た道を引き返して行く。どうやら『後藤縫殿助』商店に呼ばれているらしい。さっきのお客の着物について打ち合わせでもするのだろう。
その様子を悪目立ちしながら影から見送った草太一味は、充分に距離が開くのを待ってから衣を払って立ち上がり、通行人の振りをして工房の中をじろりとのぞきこんでいった。むろんそれだけでは中の全貌が分からないのでもう一度Uターンして内部を観察しつつ職人の人数をカウントする。
集団不審者とか、前世ならソッコーで警察呼ばれていたに違いない。江戸時代のおおらかさに乾杯したい。
(…職人はさっきの頭を入れて4人か……意外と少ないけど、奥にもまだいるのかな)
商品の並ぶ店ではないので、客の振りして侵入とかは無理である。頭のなかでめまぐるしく思案を繰り返しつつ、腕組みしたままの草太は工房の裏手へと回ってみる。
京都の町屋は別名『ウナギの寝床』と呼ばれるほど奥に向かって細長い造りをしているものである。ひと一人がぎりぎり通れるくらいの細い裏道を建物の隙間に発見する。住民しか使わないような狭小な生活道。
入るのが子供の草太ひとりなら誰も気にも止めなかったであろうが、そのあとをぞろぞろと大人数がついて行くので、出会った近所の老人とかがぎょっと硬直している。
草太は愛想笑いで誤魔化しつつその場をスルーし、その生活道に侵入。少し入ったところで工房の裏手と思しきところに出た。少しだけスペースが広くなったあたりの排水溝の蓋の上に、誰のものか羊歯の青々しい盆栽が放置されている。
と、その物陰で、ひとり一心に地面を掘っている子供を見つけた。
草太よりもまだ年下ぐらいの、小さな男の子である。
なんでそこに穴を掘っているのか、明確な理由など本人も持ってはいないだろう。ただそこに地面があった。掘り出したら止まらなくなった。
そういう無心状態に簡単になれる年頃なのだろう。
不審者集団の大人構成員を手で制して、その場待機を指示すると、草太は一度深呼吸をしてからゆっくりと子供に近付いていった。
軽い賭けのようなものである。
「なにしとんの」
自然に漏れたようなつぶやき。
草太の問いに、子供が顔を上げ。洟水をすすった。
「穴」
端的な答えだ。
それは言われなくても分かる。
雰囲気からあまりしゃべりの得意な子供ではないと推察し、擦れからした大人判断で体当たり戦術を選択する。
草太は無言で子供のそばに坐り込むと、同じように穴を掘り出した。草太のほうは、割れていた羽目板の一部をスコップ代わりにして掘ったので、あっという間に子供の穴を規模で上回った。
相手の子供の目に闘志が宿ったのを草太は見た。あっさりと醸成されたライバル関係がすぐに友人感覚に昇華していく。
「おまえ、そこの紺屋の子?」
「ん」
はい、と言う肯定なのだろうか。
子供は穴掘りに熱中して顔を上げない。
「おまえのとーちゃん、腕いいのか」
「ん」
「一等いいのか」
「ええよ」
よーし、職人の子供確定。
内心ほくそ笑みつつも、会話の持っていきようにしばし黙考する。
「お金いっぱい稼げるのか」
「………」
「腕がいいんなら給金も多いんだろ」
いやらしい話の持っていきようだが、子供なら許される。たぶん。
すこし挑発するように荒い言葉遣いをしてみたら、子供がようやく反応した。
4歳ぐらいの子供だが、キッと強く睨みつけられて草太も思わず手を止めてしまった。
「1日150文ももろてるし、白米かて食っとる」
『白米』というあたりで力が篭る。
1日150文? いきなり予想もしていなかった重要な手掛かりが子供の口から転がり出てきた。
手を下に降ろしたまま、地味にガッツポーズをする草太であった。




