026 ハンティングに行こう
さて、ここからが正念場である。
片道48里(約200キロ)という気の遠くなりそうな遠地までやってくることになったその目的をいまこそ達成せねばならない。
池田屋というなかなかにネタ臭のある宿屋に草鞋を脱ぎ、翌日の行動に向けての英気を養うべく早々に就寝した草太であったが……予想はしていたのだがまったく一睡もできなかった。
『京の都で友禅絵師をつかまえ雇い入れる』という、短い字面にすればいとも容易くミッションコンプリートといきそうな感じであるのだが……言い出しっぺの草太自身がそれを言ってはお終いなのだけれど……そう簡単にはいくまいとどこかで確信している自分がいる。
逡巡の原因は至って分かりやすい。
おそらくそうなのだろうなあと予想している、職人引き抜きに必要な報酬がどれほど高騰するのか、現時点ではまだ想像もついていないからである。
たとえば年収500万ほどのそれなりに食っていけている工房の職人たちに、余所からやってきた怪しげな子供が、年収条件550万を提示して「ウチに来てよ」と唐突にスカウトをする状況を想像してほしい。
まずは怪しい。さらに言うなら信用がまるでない。
約束する賃金アップもしょっぱいうえに、何をさせようとしているのかも分かりづらい。焼物の絵付け? 聞いたこともない畑違いの仕事になにそれおいしいのと鼻で笑われる情景が自然と脳裏にもたげてくる。
さらに悪条件なのが、「会社所在地/美濃」という、とほほな都落ち的転勤条件であったろう。
(…普通こないよな。やっぱ)
職人からしたら、キャリアダウンもはなはだしく、何の旨味もありはしない。
破格の報酬とか用意できるのならそれが手っ取り早いのだが、ゆくゆくは可能であってもいまは無い袖なので振ることはできない。
ただでさえ悪い条件が揃っているのに、交渉担当が6歳児の子供とか、普通なら頭おかしいとか言いたくなる。スカウトの話を持ちだすだけでも相手の職人の反応をうかがわねばならず、交渉はまさに薄氷を踏む思いとなるであろう。
初見でともかく『怪しく』見られないように、接触の仕方にも細心の注意を払わねばならない。
不用意に近付いていらぬ警戒心を呼び起こし、仲間内に『変なやつに気をつけろ』的な警戒情報を拡散されたりしたら、その場で美濃新製による全国制覇の野望は終了である。狭い業界に持ち上がった『悪評』は、驚くほど速やかに広がってしまうものである。
(いきなり条件をぶつけるとかはやっぱ危険すぎるな……回りくどく、遠まわし遠まわしに会話を合わせて、…ここぞという瞬間を見極めてハメ技に……ワンショット・ワンキルだな)
初手の失敗は許されない。
冬眠から目覚めたばかりの危険なクマと対決するマタギのように、森と同化して油断を誘い、一撃必殺で仕留めるのだ。
ヘッドハンティングとは、なかなかに肉食分化な言葉だと思う。
いろいろなアプローチをああでもないこうでもないと検討しているうちに、いつのまにか朝がやってきていた。やっぱりこうなったかと気疲れを拭うように顔を擦って、草太はのろのろと身支度を始めた。
今日この日は、林家の浮沈をかけた戦いの日なのだ。
祖父に無理を言い、伯父たちをここまで引っ張ってきたのは彼であり、あとのことをなんとかするのはもはや草太の義務であっただろう。
こらえ切れぬあくびを噛み砕きつつ、草太は襟元をただし、緩んだ帯を絞めなおした。
室町筋は、池田屋から徒歩3分というところにあった。
近すぎて気持ちを落ち着けるゆとりさえ与えられない。まだ夜が明けてから少ししか経っていないはずだが、そもそも冬の夜明けは遅いもので時間的にはもう朝五ツ(辰ノ刻/8時)くらいであるだろう。
店が開き始める前の、出勤途中の職人を捕まえようと時間を見定めてやってきた室町筋であったが、そこに広がった風景はなかなかに《圧巻》であった。
「…これが室町筋か」
大通りから一本入ったその小路は、けっして道幅が広いわけではなかった。
圧倒されたのは、そこに立ち並ぶ綺羅星のごとき呉服商の豪壮な店構えにであった。
前世の感覚では『呉服屋』と聞くと、どうやって食べていくのだろうと心配になるぐらい、客の姿の見えない作りは立派だが流行ってない店、という刻まれた先入観がある。
昔の景気のよかったときのよすがに違いない古いが立派な店構え……子供心に無駄な立派さとか思っていたが……先祖代々溜め込んだ資産のおかげで食っていけるラッキーな資産家一族なんだろうぐらいに思っていた。
しかし目の前の光景は、草太のつまらない常識をあっさりと打ち砕いてしまった。
「店、でけぇな…おい…」
日本全国津々浦々、国民総和服時代の呉服商のバブリーさをなめていました。
しかもここは京の都。キモノの集散地にして超高級製品の発信地である。一体どれほどの富を全国の和服フリークから吸い上げているのだろう。
次郎伯父も父三郎も、ぽかんとしたまま固まっている。現実に圧倒されている田舎者たちを見て、薬売りの権八が意趣返しにとばかりにドヤ顔でニヤついている。
「天子様のおわします都やし、んなのあったり前やちゃね」
くそ。権八のくせに。なんか負けたようで悔しいじゃないか。
手入れの行き届いた真っ白な漆喰塗りの壁。長く張りだした瓦葺きの軒先と、高く伸びるうだつ(※注1)。そして高級感というオーラをむんむんと放っているのは鮮やかな藍染めのたっぷりした暖簾であろうか。
小路に一歩足を踏み入れた瞬間、古い箪笥に染み込んだ樟脳のような香りが鼻につく。前世の岐阜ではおなじみの、衣料品問屋のそれと近い臭いだ。
看板にある店名を追ってみる。
万屋市兵衛、山田屋三郎兵衛……なぜかフルネーム(?)っぽい店名が目立つ。
あれか。『万屋市兵衛商店』みたいなノリなのか。
草太は気を飲まれたままになるのを嫌って両手でぴしゃりと頬をはたいて、懐から紙片を取り出した。そこに書かれているのは、道すがらのリサーチで見出した、出来のいい染物製品の販売者の名が記されている。
(三島屋吉兵衛……こっちはみしま……ええっと、旭屋庄右衛門……あさひやもチェックはあとで…)
ともかくこの筋を終点まで歩いてみよう。
なんだ、あの『後藤縫殿助』って。ぬいどのすけって読むのかね。たまに見るおかしな店名に苦笑しつつ、目に付いた店は地道にチェックを入れていく。
まだ店は開いていないものの、店構えの立派さは重要な手掛かりのひとつになるだろう。経営母体の大きい呉服商ほど、抱える職人集団が大きく職人ひとりに対する束縛が弱い可能性があるためだ。
聞き込んだ話によれば、紺屋(染物屋)とその職人たちは、販売元である呉服師(呉服商のこと)の絶大な影響下にあり、おそらく後日決済の売掛金など資金的な束縛を受け、囲い込まれている可能性が高いと思われる。
どの時代もお金を握っているほうが不当に強くなるもので、彼が生前経営していた製陶工場もご他聞に漏れず、似たような利権構造の下に埋没していたからよく分かる。
裏切ったら支払われていない売掛金を人質にとられるわけだ。下請けはたいてい抱える職人の手当てですっからかんの自転車操業であり、支払い金を止められるだけであっという間にアップアップになる。そういうえげつないやり方をする元請けほど大儲けして身代を大きくしていくのだから、これほどやってられないこともない。
「…それで、どの店を狙うんです?」
忙しくし思案している草太の耳元に、語りかけてくる声がある。
声音で誰かは分かっていたのでしばらく聞こえない振りしていると、今度はとんとんと肩を叩かれた。
「聞こえてないふりはいいですから」
「…なんですか」
不承不承応える草太に、お役人が腰をかがめて面白そうに耳打ちする。
「職人引き抜く相手を見定めようっていうのでしたら、ひとついいことを教えて差し上げましょう」
「いいことって、なにを…」
「さっき見かけた大店、『後藤縫殿助』か『茶屋四郎次郎』が狙い目ですよ」
「…ッ! どうしてそんなことが分かって」
「そのふたつは将軍家御用の呉服師でして、昔からの豪商なんだそうですけど、吉宗公以降厳しくなるばかりの幕府の倹約令のせいで干上がってしまって、いまじゃいつ倒れてもおかしくないぐらい左前だそうです」
「………」
「金のまわらないところに、下請けを縛るだけの力があると思いますか?」
このお役人、ほんと何者?
草太は嬉しさのあまり思わず握手を求めてしまった。小さな両手でがっしりと掴んで、感心するままにシェイクハンド。あとで昼ご飯おごりますから。
「…おい、草太」
次郎伯父がやや青くなっているが、当のお役人様が役に立ったことがうれしいらしくで「照れますね」と頭を掻いてるくらいなので問題はないだろう。
さあ、それじゃいきますか!
とりあえずターゲットは『後藤縫殿助』商店、こいつに決めた!
草太はくだんの『後藤縫殿助』商店のところまで来ると、裏の勝手口に回り、防火槽の物陰に静かに身を潜めたのだった。
ミッションはスタートした。




