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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
72/288

025 入京






これやこの

行くも帰るも分かれつつ

知るも知らぬも逢坂の関



子供のころ、作者名が変というだけでネタ的に覚えた人も多いに違いない。詠み手は蝉丸。たしか小倉百人一首の中のひとつだったと思う。

そこで登場する有名な『逢坂の関』は、「大阪の関」ではなく「逢坂山の関所」という意味で、ここ大津宿の西の辺りにその山はあった。

それほど高い山ではない。

ただ大街道が京の都へと収斂する超要所にあったためにそこに作られた関所は、いにしえの《三関》のひとつに数えられる。

おっさんの豆知識として、この『逢坂の関』の西と東で『関西』『関東』と呼び分けたのが始まりだったとか。厳密な意味で西日本・東日本の境目となる関所であった。

もっとも、大津宿の宿屋の亭主に聞いた所によると、この時代にはすでに関所もなく、ずいぶんと賑やかな場所であるとかないとか。

そうして翌日大津宿を発った草太たちは、西行してほどなく逢坂の地に至ったのだが、大津宿から西へ1里ほどのあたりで街道の両脇に店がひしめいている異様に賑やかな界隈にぶつかった。

逢坂山の山裾にある狭隘な谷間道に、商魂たくましい露天商が旅人相手の店を出し、それがいつしか町並みにまで育ってしまったという感じの不思議な風景である。ただでさえ狭い谷間道なので、通行人の密度も自然と上がりまくり、ぱっと見の印象的には闇市が前身のアメ横に近いのかも知れない。

京都~大津間はもはやひと続きの町並みになってしまっているらしい。

そこからはもはや田舎的な要素は見当たらなくなっていた。逢坂、山科と賑やかな街道筋を冷やかしつつ進むと、やがて山科の盆地に差し掛かり、山というほどでもないが薄墨を溶かしたような深い緑に覆われた丘陵が、行く手の街道を山間に飲み込んでいく。巨大な盆地である京都は概して外地と山で隔てられている観がある。その丘陵の向こうが目指す京の都なのだろう。

ゴールが近いものだから余裕の出てきた一行は、長旅の終焉というカタルシスを前にはやる気持ちを落ち着けて、山科の茶屋で休憩することにした。

宇治茶を一服、そのすっきりした香りを楽しみつつ、おまけで出てきた京野菜の漬物に舌鼓を打つ。


「これは大根かと思ったら(かぶら)ですね」


言葉は丁寧なのに、その食べ方はなんとも粗野で江戸っ子っぽい。指でつまんで口の中に放り込む感じだ。

丁寧に楊枝でつついているほかの客が眉をひそめているのだが、特に気にしたふうもない。江戸と上方、その文化の違いというヤツなのだろう。


「変わった蕪ですが、地のものなんでしょうか…」

「たぶん聖護院かぶら…」


お役人様のつぶやきに、つい応じてしまって草太は手で口をふさぐようにする。やばいやばい。

漬物の正体は、京野菜の代表格、あの丸い大根みたいな大きな蕪であった。

有名な《千枚漬》みたいな薄切りではなく荒っぽいざく切りであり、昆布出汁も利いていないので、おそらくはそんな上等なものではなく、この茶屋の家庭の味レベルのものなのだろう。

よしよし、いまのはお役人には拾われなかったようだ。口を滑らしたときは急がず慌てずなるたけノーリアクションでやり過ごすのがベスト…。


「…へえ、聖護院かぶらというのですか」


ぼそっとお役人様がつぶやいてニヤニヤしだす。だんだん殺意らしきものが芽生えてくる6歳児であった。

聖護院かぶらの塩漬け。

それはささやかではあるが京の味覚に接した最初ひとコマであったろう。腹が空いていたこともあって、争うように手を伸ばして漬物は瞬く間になくなってしまった。

おかわりギブミーともの欲しそうに、茶屋の娘に秋波を送る女たらしブラザーズであったが、そういうナンパはこっちではあまり流行らないものらしく、ふんとそっぽを向かれて終いだった。

おまけとはいえ漬物にもコストはかかるのだから当たり前のことではある。無視されてショックを受けたらしい父三郎たちの強張った笑みをみて、リア充ざまあとか思ったのはまあ秘密である。

休憩中も荷物を抱えたまま座ることをかたくなに拒み続けているお幸ちゃんもいることなので、一行は腰を上げて最後の行程を削って行くことにした。

そうして草太たちは竹やぶの多い冬枯れた丘陵部を急ぐこともなく抜けて、江戸時代に《三都》と称された三大都市のひとつ、京の都に足を踏み入れたのだった。




その辺りは、南禅寺のある界隈らしかった。

盆地に入ったとたん視野いっぱいに広がった古都の賑わいは、なかなかのものだった。

前世の記憶にある京都旅行の記憶と照らし合わせれば、建物の大きさや人いきれの過密感はそれほどではないものの、寺社仏閣の本山が集中する市街地は立派で、地元近い名古屋と比してもさらに数倍の大きさがある。

江戸が100万人というなら、50万人ぐらいの規模はありそうである。南禅寺参りを謳うのぼりなどを見てどれが南禅寺なのだろうとそわそわ目で探しつつ、一行はおのぼりさんよろしくあたりを見回しながら、残りわずかな中山道を刻んで行く。

そうしてしばらくして割と大きな川のほとりに行き着いた。

そこに架かるゆるい山形の木造橋が、あの有名な、街道の終点となる三条大橋であるらしい。

他の旅人たちも、渡るのをいったん控えて感慨深げにこの橋を眺めている。登山者が頂上を前に目的地であった最高地点を見入るあの感じに近いかもしれない。

この橋が三条大橋であるならば、この下を流れる川は前世ほど護岸工事が進んでいないけれども鴨川ということなのだろう。カメラがあれば鉄板で記念撮影でもしたに違いないが、代わりに矢立てを取り出して草太参上と落書きをしてみる。

落書きはダメだって? いやいや、いたるところに護符みたいなシールを貼ってあるし、落書きの数も尋常じゃないですから。

寺の山門とかにやたらめったら紙やシールが貼ってあるアレ、無粋な感はあるものの、一応民草のささやかな自己顕示行動のひとつなのに違いない。ほら、他の旅人たちもやってるし。もちろんこっそりとだから橋げたのほうにだけど。

まあともかく。

まだ日も高いし宿屋を決めるのも尚早だろう。

草太は忙しく行き交う町人を捕まえては観光旅行にやってきた外人のように「ユウゼン! トンヤガイ!」と単語を連呼して相手を閉口させまくった。旅の恥は掻き捨て、それは鉄則です。

さすがは都会人、田舎者の相手をしてくれるほどのお人よしは少なく、目線だけで『エアぶぶ漬け』を何度も出された。もっとも、面の皮の厚さに定評のある6歳児がその程度でへこたれるはずもなく。納得が得られるまで執拗に繰り返されることとなる。

そうして手に入れた情報の断片を統合整理すると、どうやらこの通りをもう少し行ったところの右手の小路がそれに該当し、友禅問屋が集まる室町筋であるらしい。

意外と近そうである。


「室町筋はこっちやって!」


草太は後続の保護者たちを誘導しようと振り返ったが、いかんせん誘惑の多いこの界隈は大人組には目の毒のようだ。

祇園が近いためか芸舞妓さんがそこいらに散見されるし、船曳人夫がやいやいと騒がしく小船を曳いて歩いている小さな運河は、京都旅行でおなじみの木屋町の小さな川だろう。材木屋が立ち並ぶなかに小料理屋っぽい店も多く、見ただけでおなかがぐうぐうと鳴った。

いかんいかん。手綱を緩めたらあいつら一瞬で姿を消しそうだ。

次郎三郎の尻を蹴っ飛ばして方向修正しつつ、一行の心のリーダーとして他の人間の動向も目で追っていく。

権八は旅慣れているせいか、舞い上がるわけでもなく人通りの邪魔にならない隅っこで草太たちの動きを見定めようとしている。その権八の目線の先には、あまりの人込みの多さに呆然としているお幸ちゃんの姿があり、背中に背負った大きな行李とあいまってなかなかに交通障害になっているようだ。

とりあえず宿を決めて、荷物を置いてから歩いたほうがいいのかもしれない。

大街道の基点となる界隈であるから、別段苦労することなくいくつかの宿屋を発見する。


「草太! そこの宿屋がいいらしいぞ!」


ちゃっかり現地の人間を捕まえてリサーチしたらしい次郎伯父が指差したその先には、たしかに繁盛してそうな宿屋が一軒あって……って、ありゃ有名な『池田屋』じゃん!

池田屋襲撃事件の現場がリアルにあるよ!

いま(前世)じゃ普通の商業ビルになっちまってるってのに、まだ立派に営業中しちゃってるよ。当たり前だけど。

このあと10年も経たずして、御所焼打ちしようっていう謀議中の志士がここで大量虐殺されるわけか。おおっ、背筋がぶるっときた。歴史スペクタクルだよ。

まあまだ事件が起こるずっと前だし、ここに寝泊りするのもいい思い出になるかもしれん。というか絶対に泊まりたい。


「今日の泊まりはその宿ですか」


って、お役人様、あんたも泊まる気ですか。

そっちを見て口をパクパクさせている草太に、お役人さまは不機嫌そうに口を尖らせた。


「なんですか。まるでそれがしが泊まっちゃまずいみたいな顔は。…ここまで一緒に来たんです、坊やの野望がどうなるのかを見届けておきたいじゃないですか」


いえいえ、見届けなくてけっこうですから。

京都なら幕府の出先機関もあるし、公儀のお役人様ならそっちに泊まるのが普通でしょうが。所司代のとことか、同心が大勢詰めてるからアポなし突撃したって寝泊りするぐらいどうとでもなるだろうに。

…結局、お役人様もここで草鞋を脱ぐらしく。軽いめまいを覚える。

泊まる振りしてエスケープ作戦は、さっさと上がりこんでしまった大人組のせいではなから実行困難状態である。

いろいろなものを諦めつつ草太が池田屋に入ろうとしたその後ろで、お幸ちゃんがまたぞろ神経質そうに『自分なんかがこんないい宿屋に泊まっていいのか』的にモジモジしている。

草太は小さくため息をつくと、下腹に気合を入れて、お幸ちゃんの手を掴んで引っ張った。


「入ろ」


彼女が本来の調子を取り戻すのはいつのことだろう。

引っ張れば従いはするけれども、お幸ちゃんの目から怯みの色は消えない。

肩越しに振り返った草太の目に、悲しげな少女の黒目と、そのやや後ろで宿の看板を見上げて難しい顔をしている権八の姿が映る。

目が合った権八は、瞬間芸のようにおどけたような笑みを顔に貼り付けて、二人を追い越すように宿屋の中に消えていった。

こっちもなかなかに正体の怪しい薬売りだよな、まったく。


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[気になる点] 主人公、迂闊にも程がない?前世で本当に経営者だったの?というか成人してたの?
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