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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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020 薬売り始めました






元富山の薬売り、得体は知れないが間抜けなことは分かっているこの男、名は権八というらしい。

生まれは砺波(となみ)の山奥で、そちらで薬種問屋に出入りしていた父親のコネで出入りの行商となり、仲間内の縁で廃業する老人から顧客を引き継ぐ形で薬売りを本業とするようになったという。


「越中富山のはんごんたん、はなくそ丸めて万金丹、それを呑むやつあんぽんたん、…んなの聞いたことあらへんけ? 若様のお屋敷にもあったと思うけど、これがその有名な反魂丹やちゃ。腹痛によう効くええ薬や」


薬種行李を開けると、中には紙で仕分けられた丸薬が整然と詰め込まれていた。そのひとつを取り出して、手のひらに乗せた丸薬に鼻を近づけると、あのえもいわれぬ湿気っぽい薬くささが鼻を突いた。あれだ、ラッパのマークの万能薬の匂いに近い。

行李の中には他のものも入っている。


「そっちの茶色の袋にはいっとるのが熊胆丸、黄色い袋は千金丹やちゃ。…それからほっちが…」


なるほど、反魂丹だけじゃなくいろいろな薬を取り扱っているらしい。まあ腹痛薬の反魂丹だけでは需要に充分には応えられないだろう。千金丹は頭痛薬、実母散とかいうのは冷え性の薬のようだ。

草太は男の説明をこと細かに書きとめていく。書きながらも、警戒は緩めない。何気に次郎伯父たちには廊下に面したあたりに陣取ってもらい、強奪の危険に備えている。

何ゆえこの男が率先して薬の内容を草太たちに教えているのかというと、純然たる取引の結果であった。

結局次郎伯父に襟首掴まれて路上に放り出された男であったが、宿泊費にも事欠いているようで、涙目で哀れっぽく訴えかけてくる。

周囲の目が痛かったこともあったが、宿の中に姿を消そうとすると大声でわめき始めるものだからほんの少しだけ仏心が……当たり前のように疼くはずもなく、草太はうっとうしさを払うついでに男から薬売りのノウハウをサルベージすることにしたのだ。

普賢下の林家にも配置薬はあったし、薬の種類もそれなりに知ってはいたのだが、もしかしたら有用なネタが眠っているのかもしれない。

なので一泊分の宿泊費を対価として、レクチャーをさせてみたのだが。


「なんやの、その手は」

「こっから先の知識は、こっちも生活かかっとんのやし、別料金やちゃ」

「追加料金を? ふーん」

「魚心あればナンとやらやないんけ? タダでそいつを手に入れようやなんて甘い甘い」


この男、やはりなかなか油断できない。

たちの悪いタケノコ剥ぎ詐欺にあったみたいな状況である。中途半端な知識で余計に興味をそそられて、いわれるままに追加料金を払ってしまいそうだ。

岡っ引き役の谷幹一【※注1】みたいな愛嬌のある顔をしているというのに、表情を作ると途端に悪っぽい雰囲気になる。歯でも見せて笑われた日には、一対一のサシだったらビビッて逃げ出しているところだ。

これからの道中、薬売りの副業で小銭を稼ぐつもりなので、少々の銭を惜しんで知っておかねばならない情報を手に入れられないというバカなことは避けておきたい。男の言うなりに金を吐き出させられるのは癪な話であったが、基本的には避け得ない必要経費といえただろう。

だがしかし、草太は素直に追加料金を払う気になれなかった。

なんとなくだが、男の様子に違和感を感じていたからだ。

男はこっちのほうを注視しているのだが、ふとした一瞬、薬種行李のほうをチラ見している。わずかずつだが、膝をずって近付こうとしている雰囲気である。

なにを気にしているのだろう、この男は。

そのときふと目に付いた油紙で巻いた包み。行李の端に差し込むように仕舞ってあったその包みに草太は手を伸ばした。

彼がそれを手にした瞬間、男が小さく悲鳴を上げた。


「なんやろうな、これ…」


手に取って、包み紙をはがしていく。

出てきたのは大福帳のような帳面だった。これ見よがしに草太はその帳面を手に取って、ぱらぱらとめくってみた。

そうしてちらりと男の様子をうかがった。

やった、ビンゴっぽい。


「それはさわっちゃいかんて! やめとかれ!」


おお、うろたえてる、うろたえてる(笑)。

そのよく使い込まれて黄ばんだ帳面には、懸場帳(かけばちょう)と筆書きしてある。中身は顧客情報を記した管理帳のようだった。ぱらぱらとめくっていると、中ほどから半分に折りたたまれた紙片が出てきた。

それを抜きだしたとき男の顔色がさらに青くなった。


「なんやこれ……免礼? 当領内の薬業之儀、差し許し候、万一…」

「わーっ! うわーっ!」

「やかましいわ! しずかにせぇ!」


叫びだした男にじっと静観していた次郎伯父が怒鳴りつけた。

もうすでに日も暮れた遅い時間である。隣の部屋はふすまで仕切られただけなのでもしも寝付いていたなら安眠妨害もはなはだしい。

結局その紙の正体は、商売先の藩の販売許可証であるらしい。そして帳面自体は数代に渡り受け継がれてきた顧客データであると同時に、なんとそれ自体が売薬商人として営業できる権利証書に等しいものだった。

薬売りたちは厳しい掟により重販(他人の顧客に売りつけること)を禁じており、その懸場帳なる顧客データ帳には顧客自身が「配置薬契約」を結んだ認証さえも揃っていたから、それを所持することは絶対不可侵のエリアマスターになることを意味するのだった。

おいおい、価値がありすぎだろ。5両でも安かったようだ。


「…まあいいし。5両もってきたらこいつはちゃんと返してあげるから。べつに本格的に薬売りをやるつもりはないし」

「ほんまやな? 約束とちごたら許されんぞ」

「はいはい。約束したげるから、もったいぶらずに全部教えてもらえる? 追加料金はなしの方向で(笑)」

「ほんにこあくさいガキじゃ~」


かくしてにわか薬売りとしての心得をゲットした草太一行は、翌日から副業をしつつの旅路と相成ったのだったが…。




「…なあ、草太」

「…なに?」

「ぜんぜん売れんなあ、薬」


そんなこと言われなくたって分かってるよ! 

だからいま解決策を考えてるんじゃないか。

持った感じ十キロ以上はありそうな薬種行李を背中に背負って、お幸ちゃんは割合に平気そうに歩いているのだけれど。売れなければ単に余分な大荷物を運んでいるのと変わらない。元持ち主の権八が同行しているのでお幸ちゃんは気を回してやや先行気味である。まだ奪われると疑っているらしい。

そのお幸ちゃんの様子を見て権八がゲジゲジ眉毛を寄せてにたにた笑っているのが癇に障る。

薬売りのプロとして、素人がなかなか商売に成功しないさまに自尊心をくすぐられているのだろう。草太と目が合うと、さらにうれしそうな顔になる。

こいつ、マジでうざいな。

大街道である中山道であるから、通行人の姿が途切れることはない。旅人が多いのだから、薬の需要だってけして少なくはないと思うのだが、なかなか販売に結びつきそうもない。

一度峠の茶屋前で休憩中の旅人たちを狙って声をかけてみたのだけれど、やはり反応は芳しくない。この時代、軽装を旨とする旅人たちは、必要のない余分な荷物を増やすことを嫌うようだった。

思い余って現代人的な感覚でディスカウントを始めようとして、とうとう権八に叱られてしまった。


「安売りなんてしたらあかんて! 同業者同士で値段の取り決め守らんとあかんし、そんなとこ見つかったら揉め事になっちゃ」


現代でいう価格カルテルと言うやつである。

現代では自由競争を損なうインチキとして法律で罰されるが、この時代ではむしろ利口な商売方法として堂々と成り立っているようだ。

ならば値引きなしで素人がどうやって商売をしていけばいいのだろう。

露店? それとも配置薬だから型どおり訪問販売でもしたほうがいいのだろうか。

『薬』という商品性を考えるに、やはり健康状態が損なわれているその瞬間、需要と供給がマッチングする瞬間でこそ商売は成り立つのだろう。

目に見える怪我だけでなく、腹痛とか持病の心痛とか、目に見えない商機がきっとこうして歩いているあいだにも静かに行過ぎているのだろう。

冷静に薬種行李を背負ったお幸ちゃんを見て、そしていままさに通り過ぎた旅人の様子を見る。旅人の男は、長旅に慣れているのかひたすら前だけを見て黙々と歩いている。


(これはまず認知されないと始まらないよな…)


こちらも歩いているあいだはただの旅の一行ぐらいにしか見えない。

独特の格好をしている権八ならいざしらず、お古の着物を着たお幸ちゃんが行李を抱えていても誰も薬売りなどとは思わないだろう。

よし、ならば。

草太は汗拭き用の手ぬぐいを懐から出して、荷物持ちの父三郎からは矢立てを出してもらう。矢立ては旅人必携の筆記用具だ。


『薬有ります』


大きく書き殴って、それを道端から切り取った竹の先に紐で吊るしてみた。

簡易な看板である。


「お幸ちゃん、重くない?」

「ん。…軽い」


立ち止まったお幸ちゃんの背に、その竹竿をさしてみた。

歩くたび、風が吹くたびに揺れる手ぬぐいがなかなかに目立つようだ。

おっ、いま通った人こっち見てたよ。おお、見てる見てる!

ふと権八のことが気になってそちらのほうを見ると、あいつつまらなそうに舌打ちしてやんの。やり方としてはまずくないようだ。

さあ、気合入れて稼ぎますか!






【※注1】……谷幹一(たにかんいち。1932年11月21日~2007年6月25日)。俳優の方です。作者的にはナンバー1『岡っ引き』役者です。江戸を斬るでうっかり八兵衛で有名な高橋源太郎と『岡っ引き』競演をしております。


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