019 こあくさいガキ
江戸時代の身分制を盾にしたなかなかエグイやり方であるのは自覚していたが、相手があっちの筋であるなら伝家の宝刀を抜くのに躊躇すべきではなかったろう。
この時代の武士階級はとくに下級になるほど生活に困窮していたが、それでも腐っても鯛、武家政治の主役としての威厳はいまだに保っていたりする。なによりその階級だけが所持することを許された刀が、暴力装置として庶民を押し黙らせるのに足りたのだ。
(…こっちのがよっぽどやくざ者だけどね)
やくざ者たちが素直に恐れかしこまるだろうことは確率の高い予想としてあったが、むろんうまくいかないことだってある程度想定できたわけで、草太自身『なるようになるだろう』と他人事のように考えているおのれに苦笑したくなる。
6歳にして人生の荒波のなかであがいているのだ。それなりに肝も据わってこようというものである。
「…おまえたちの言いたいことは分かった。しかしおまえたちのその様子を見るに、別段生活に困っているわけでもあるまい。法度を犯して作りだした借金など、あってないようなものやろう」
草太の突き放すような言いように、平伏していたやくざ者たちの顔色が変わった。
このままだとタダで持ってかれる! 草太の背後に構えるふたりの護衛を気にしつつも、膝を立て反撃の体勢をとろうとするやくざ者たち。その様子に反応して、店内の同輩たちの表情もきついものに変わった。
(…基本は『押して、引く』だ)
やくざ者たちの怒りに濁った眼差しを、目をすがめることでやり過ごす。内心の動揺に心臓がバクバクいっている。
捨て身になったやくざ者が怖いのは今も昔も変わらない。背後でおのれの保護者たちがわずかに刀を抜いたのが音で分かった。まかり間違えば一触即発である。
「…もちろん何もなしに取り上げるような無体をするつもりはない。…これでどうだ……本来私が支払うべきものやないけれど、この際は仕方があるまい」
草太が袖の下に用意していた金を掴み取る。
差し出したその手には、使い込まれて黒っぽく変色している1分銀3枚がある。
「銀3分だ。これだけあれば満足やろう」
1両は4分。25%のディスカウントから開始!
やくざ者たちは若干気勢をそがれた様子で草太の手のひらにある1分銀をまじまじと覗き込んだ。現代の価値なら4万円ほどだろうか。
小遣い銭としては充分だろう。常に遊び金に困っている三下にしたら結構な額のはずである。
が、もともと1両のものが勝手に減額されたのが不満なのだろう、また草太のほうを見て何か言いたそうな顔をしている。
「お武家さんがた、博打とはいえ借金は借金。借りた金はきれいに返すのが筋ってもんじゃぁございませんか」
横から嘉兵衛が口を突っ込んでくるが、
「しかるべく証文をとった上での借金ならばそうであろう。しかしこの場合は単なる口約束に過ぎまい。そもそもおまえたちに本当に借金が1両であったという確たる証拠を出せるのか。北方屋、貴公が公事師【※注1】まがいの保証をすると言うのなら、後にそれが偽りであったときしかるべきところにて詮議させるがよいな」
「いや、公事師などと……そんなつもりは」
「ならばそこで口をつぐんで眺めておるのだな」
ぴしゃりと言ってのけて主人を黙らせると、再びやくざ者たちに向き直る。
「銀3分では不服か…?」
「………」
沈黙が彼らの『不服』を雄弁に伝えてくる。
草太はおのれの中のイメージで、コンロのつまみを中火に上げた。
「過ぎた強欲はためにならぬことを覚えたほうがよいやろう。いま手を打つのなら銀2分だ」
「…えっ」
やくざ者たちが間抜けな声を上げた。
草太は手のひらから1分銀を1枚仕舞ってしまった。
「なんで減るんや!」
「もともと元手などかかってもいない借金やろう。2分でも充分過ぎやろう」
「そっ、そんなたーけたことがあるかッ! 交渉しとってなんで額が減っていくんや! 分かったわ! 銀3分で納得するし!」
「なにをいっとるんや。いまはもう銀2分や。3分の条件はさっきもうなしになった」
「めっちゃくちゃや!」
「なんちゅーガキや!」
「早く決断せんと、もう1枚減らすぞ」
「待てッ! 待てって!」
もう1枚つまみ上げる振りをしたところでやくざ者たちは陥落した。
交渉成立である。半額乙。
その様子を見ていた主人が、横で静かに笑いだした。そしてその笑いはすぐに腹を抱えるような大きな発作になった。
「くっくっ、てえした若様じゃねえか!」
なぜか笑い転げている主人に気にいられたようである。
ひとしきり笑ってから居住まいを正した主人に名前を聞かれたので、現代人の習性みたいなもので反射的に偽名を使いそうになったが、この時代名前を騙った犯罪など知れたものだろうと一転して正直に名乗ることにした。
林、と名乗っても、地方の旗本領主など少し土地を離れれば知名度などあってなきが如しである。案の定、主人も「林家」がどこの家なのか分からなかったらしい。
だが「林草太」という名前だけはしっかりと頭に刻んでくれたらしい。
食事にも誘ってくれたが、それはさすがに次郎伯父がやんわりと断った。
「困ったことがあればいつでも頼ってきな。その度胸とよく回る舌先は想像するだけで末恐ろしいもんだが、きっとなにか大きなことをやり遂げる大人物になるにちげえねえ。この北方屋の名を忘れなさんな!」
腹を割って話せばなかなか話の分かる主人だった。
そう言えば長州の高杉晋作も、身が危なくなったときやくざの親分さんに頼って身を隠していた時期があったっけ。もしかしたらこのコネは手に入れた薬種行李よりもずっと貴重なものであったのかもしれない。
手に入れた行李をさっそく店の外で待たせていたお幸に背負わせると、ややサイズが大きいものの楽々と背負ってみせた。お幸の馬力はほんとに半端なさそうだ。その変わった荷物を背負っているのが面白かったのか、彼女は通りすがりの者たちに見せびらかして回っている。
最前の一件でいろいろと言いたそうな目で見下ろしてくる保護者二人の視線を気づかぬげに、草太は意気揚々とおのれの泊まる宿へと向かったのだったが…。
北方屋から宿へと向かう道すがら、一行の人数はいつの間にかひとり増えていたりする。
「あのー…」
正体は分かっている。
この薬種行李の元オーナー、博打で身を滅ぼした愚か者の商人である。
どうやら北方屋の外でひそかにチャンスをうかがっていたのだろう、草太たちが交渉の末に行李を手に店から出てくると、目を潤ませて「きのどくなー、ほんにきのどくなー(きのどくな/「ありがとう」の意)」と近寄ってきたのだが、草太の反応は「あっ、いたんだ」程度のもの。
別段この商人のために交渉したわけでもなし、無言で荷の引渡しを要求する商人に愛想笑いのみを残して立ち去ろうとしたのだが。
まあある意味人生がかかってる商人が、ちょっとやそっとのことで諦めるはずもない。
「返してくれんと、ほとんこまっちゃ! 頼むし返してくれちゃ!」
すでに手に入れた薬の商いについて草太に聞かされていた次郎伯父は、相手が一線を越えたら武力制圧も辞さない雰囲気だし、父三郎は立場の弱い相手を面白そうに眺めて寄りつきもしない。
荷を背負ったお幸は隙あらば荷を奪い返そうという商人の気配を察してか、だいぶ前のほうを足早に歩いている。人間厳しい環境で生き抜いていると、勘のほうも冴えてくるものだ。お幸ちゃんグッジョブである。
宿の中にまで「連れ」の振りをして上がり込もうとしてきたときに、さすがに次郎伯父の鉄拳がうなりを上げた。が、商人は意外なほどの素早さで拳をかいくぐり、すでに一行の中心的な人物と見抜いたのだろう草太の前にぬうっと立った。
「若様、返してくれんと困るんやちゃ」
一瞬何か殺気のようなものを感じて口をつぐんだ草太であったが、薬売り商人の得体の知れなさを感じつつも、博打で負けて荷物を奪われた間抜けな光景を知っているだけに、「得体は知れないけれど、その程度の人物」と見切っていたため、すぐに気持ちを立て直すことができた。
「返してくれちゃ」
「5両」
草太は言った。
「5両耳揃えて払ってくれたら、返してあげる」
「…銀2分の間違いやろ」しっかり交渉の内容を聞いていたらしい商人であったが、
「これは『商売』やよ」
草太は小揺るぎもしなかった。尾張の大店相手に100両をむしりとった6歳児なのだ。
「んな、バッカな!」
「仕入れ値に利ざやを乗せる。あんたも商売人なら、それが常識なことぐらい分かるでしょ?」
「利ざや……なんちゅうこあくさいガキじゃ」
草太はにこやかに愛想笑いしつつ、トドメの一言を言い放ったのだった。
「素寒貧に用はないし」
【※注1】……公事師。この時代の公証人。ヨーロッパのそれのような権威あるものではなかったようです。
※ちなみにタイトルにもある「こあくさい」は、「悪賢い」的な意味です。