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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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016 居場所






「おまえは、バカか」


次郎伯父の第一声がそれでした。

しばし睨み合った後に別室につれていかれ、理由も聞かずにゲンコツを落とされた草太は頭を抱えてうずくまりつつも反省の弁を口にしなかった。

何かを思い決めたようにまっすぐ見つめてくる甥っ子の強情に出会って、次郎伯父はいよいよ冗談ごとではないと声を強めて叱り付けた。


「おまえのその《甘さ》は、いつかおまえの身を滅ぼしてまうぞ」


別室といっても、廊下を挟んだ向かいの空き部屋である。会話はほとんど筒抜けのようで、元いた部屋のほうで父三郎が面白そうにニヤニヤとしているのが見えた。


「ええか、おまえの考えとることぐらいは分かるんやぞ。おまえがあの死んだ娘のことを引きずっとることぐらいは端からお見通しや。…たまたまその代わりになりそうな子供が目に飛び込んできたもんやから、よう考えもせんとつい手が出てまったんやろ」

「お妙ちゃんは……関係ないよ」

「うそこけ。物影からおまえのことだけ熱心にじいーッと見てくるへんがよう似とるやないか。あの子供をみたときのおまえの顔、幽霊に会ったみたいに真っ青やったんやぞ」

「真っ青……って」


そんな自覚などまったくなかった。


「おまえは笑っとるつもりやったかもしれんけど、相手の子供が驚くぐらい引きつっとったんやからな!」


そこから先は、何の反抗もできはせずに。

もう一度ゲンコツを落とされて、


「一度拾っちまったんや。捨てるのはおまえが殺すのと一緒や。…ええか、ひとひとり面倒みるってのがどれだけ大変なことか、たっぷり味わったらええわ!」


ゲンコツがそこまで痛かったわけでもないのに、草太はうずくまったまま、涙目で去っていく伯父の背中を追っていた。

その向こうではあくまで他人事と眺めているだけの父三郎と、唯一頼るべき保護者である草太が折檻されるさまを見て怯える子供の姿があった。

次郎伯父が通り過ぎる隙を突いて、子供はおのれのセーフティゾーンである草太のそばにより添って、しゃがんで上目遣いに覗き込んでくる。

痩せこけた子供の顔が、草太の間近ですんすんと洟をすする。風呂で垢を落としたのであのひどかった体臭も今はほとんど消えて、少女独特の甘酸っぱい匂いがリアルに鼻についた。

洗った髪は若干柔らかさを取り戻したようで、ドレッドぎみのロングヘアとなって肩に流されている。女中さんから譲ってもらったお古の着物はややサイズ過剰気味だったが、先刻よりはよほど人らしさを取り戻していた。

いまさらのように、あの子供が女の子だったのだと実感した。


(お妙ちゃんに……似てなんか…)


そのときなぜだか涙が溢れてきて、草太は恥ずかしさのあまり顔を上げられなくなった。慰めるように頭を撫でてくる手が、なんだか厭わしいのに振り払えなかった。

彼女は彼女というひとりの人間であり、けっしてお妙ちゃんではないのだ。自己嫌悪のあまり、草太は出すものもないのに何度もえずいた。




人の面倒をみる、という言葉にはいろいろなとり方がある。

ただ犬猫を飼うように日々を生きるための餌を与えるだけでも、人は面倒をみているという。餌を与えなくても、人生を生きていく糧としての知識を教え、成長を導いていく教師的な人もまた、生徒の面倒をみているという。

人の失敗の尻拭いをしたときとかも、面倒をみるという。

要は一個の人間、その構成要素である人格や社会的立場、その手に持つ知恵やテクニック(技能)までを含めたもろもろすべてに『面倒をみなければならない』要素があるということだ。


(…そんな簡単に考えてちゃいけなかったのかな)


鵜沼宿を発った一行は、何かしゃべるでもなく黙々と足を動かしていた。

前を次郎・三郎の大人コンビが進み、その後ろを草太が歩いているわけだが、新たな同行者となった少女お(おこう)は、大人組と草太のあいだでお古の着物をうれしげにひらひらさせながら、落ち着きなく右へ行ったり左へ行ったりしていた。

道端に霜柱を見つけては踏み砕きに行き、氷の張った水溜りがあるとわざわざ割りに行く。ほとんどしゃべらない無口な少女だったが、その地に足の付いていないような浮かれっぷりは、彼女が生きていくための居場所を手に入れたうれしさの表れなのだろう。

枯れススキを折り取って振り回していたかと思うと、道端の小さな祠を見つけて当たり前そうに供え物の干からびた餅をさっと懐に隠してしまう。

子供がひとりで生きていくためには仕方のない習い性であったのかもしれないが、本来旅の無事を祈ってお参りする祠であるから、それでバチを当てられてどこかで難渋するはめになるのはとうてい受け入れられなかった。


「手癖の悪い小猿みたいやな」


悪気があって言ってるわけではないのだろうが、次郎伯父のつぶやきが胸に突き刺さる。

旅をしながらでもいくばくか資金を稼ぐ手はないかとそぞろに思案していた草太は、『面倒をみる』ためにお幸の帯を掴んで動きを止めてから、懐に隠した餅を差し出すように言った。

彼の目を見て黙って首を横に振るお幸に、草太はなおも強く言った。


「だめやよ。それは仏様のもんやから、とっちゃダメなんや」

「……ッ」


宿でたらふく朝餉を掻き込んでいたというのに、その干からびた餅がまるで命の綱ででもあるかのように、それを捨てろという草太に反抗的な目を向ける。その愚か者を見るような目に、草太は一瞬かっとなったが、その瞬間沸騰の底の浅い怒りを飲み込んで言葉を押しだした。


「仏様の供え物盗るような悪い子は、もう飯を食べさせてあげないよ」

「!」

「だって、そこに自分の飯を手に入れたんやろ。ならもういらないやんか」


宿の朝餉を極上の馳走のように破顔して食していた少女にとって、次の食事はなによりも楽しみなイベントであっただろう。ものすごく分かりやすく、それはまずいという顔をした。

そうして草太の差し出した手のひらに、カビの生えた丸餅が渡された。

それを確認して草太は満足げに笑んで、やや高いところにあるお幸の頭を背伸びして撫でた。


「ご飯はちゃんと食べさして上げるから、こういうことはもうやっちゃいかんよ。分かった?」


頭を撫でられてまんざらでもなさそうなお幸がこくこくと頷いた。

むろんなでポ発動というものではない。犬猫のしつけに近い感じで、そう思うおのれに少し気分が沈んでくる。

見ると少し先で立ち止まってふたりを見返してくる次郎三郎コンビのドヤ顔が、「それみたことか」と言っているようでさらにテンションが下がった。

たしかにこうやって現実に彼らの足を止めてしまって、旅を遅延させているのだ。いいわけもなにもあったものではない。

足のけがは痛んだけれど、それを理由に休むまいと心に思い決めて、草太はお幸の肩を押すように先を促した。

なんとかこの子の《居場所》を確固として作ってやらなければ。

人間、周囲に必要とされて初めて本当の《居場所》を見つけるものだ。彼女の役割、彼女の存在意義を与えられれば、そこでようやく彼女は仲間として認識されるに違いない。

旅路は平野部に移り、道もなだらかになったことから昨日までと違ってはかが進んでいる。ほとんどの旅人がそのペースを上げる区間のようで、次の宿場町である加納宿は4里(16キロ)と普通の倍の距離があったが、昼前には半ばの休憩宿である新加納を過ぎて、旅程はすこぶる順調である。

加納宿は前世的には岐阜市にあり、美濃で一番の繁華な宿場町であるという。なんせ加納藩の城下町でもあるから、そこには大勢の人とたくさんの情報があふれていることだろう。

そこで資金稼ぎの手掛かりが見つかるかもしれないと、漠然とは期待している。

お幸の役割と、新しい稼ぎ口。それをひねりだすのは彼に課せられた義務であったろう。想像するだけでため息が漏れてくる

自業自得とはいえ、なかなかに厄介な宿題を抱えてしまったようだった。


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