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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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015 迷わずやってみよう






大原郷を発ってまだわずか二日。

三日坊主ではないけれど、二日目にしてこれほどの憂鬱をかこつことになるとは……無謀な決断をしたおのれに、「この大馬鹿者め」とののしりたくなってくる。

ゴール地点は百数十キロ先の京の都。

かたや故郷を発して二日、たった5、6里を歩いただけで先行きの不透明感にため息が止まらない6歳児がひとり。天井を見上げたまままんじりともできない夜を鬱々と過ごしていた。

長旅だからいろいろなことがあるだろうと想像はしていたのだが、所詮それはどこまでいっても想像にしか過ぎないもので。


(足痛ってぇ…)


足の裏にもうひとつ心臓があるのじゃないかと思えるほど傷みが脈打っている。水ぶくれはすでに破れてしまっていたので、宿で分けてもらった軟膏を塗りつけて、殺菌作用があるはずの笹の葉で押さえて手巾で包帯のように巻いてある。笹の葉で巻き始めたとき次郎伯父らに変な目で見られたけれど、もはやそんな生暖かい視線ごときで彼の心はへし折れたりはしない。

たしか食中毒起こすような危険な雑菌とかも殺してくれるサリチル酸(?)とかいうのを含んでいたはずだ。

商工会のイベントで和菓子を作ったことがあって、そこでそんなうんちくを聞かされた覚えがあったのだ。もらった軟膏はおそらくガマの脂というやつだろう。よく行商人が売って歩いている。

断熱性の低いこの時代の建物の中で、この時期凍えないためには布団にもぐりこんでいるのが一番なのだが、あんまりに痛いものだから草太は部屋の隅でおのれの足を抱え込んで丸くなっていた。

部屋の中では、すやすやと安らかな眠りにつく次郎伯父と、その隣で布団の中でもだえている父三郎の姿がある。


「…痛てぇ…あたたた…」


父三郎は絶賛筋肉痛祭りであるらしく。

頻発するこむら返りにのけぞって呻いている。宿に着くなり調子に乗って酒をくらっていた父三郎であったが、日頃の怠惰でなまくら化していた全身の筋肉がとうとう反乱を起こしたらしい。年寄りの筋肉痛は遅れてやってくるものだが、旅立ち二日後というあたり、父も寄る年波が来ているのだろう。

痛いうえに寒いという最悪のコンディションで安静にしていられるわけもなく、しきりに手足を擦りながら天井の木目を目で追っていた草太であったが。

この厳しい冷え込みのなか屋外で過ごしているだろうあの子供のことを思い浮かべて、その日何度目かの様子見をした。

宿の2階からその姿は見えなくなっていたが、おそらくは大安寺大橋(小さい橋なんだけど)の橋脚の下にでも潜り込んでいるのだろうと思われた。

様子に変化なしと雨戸の隙間を閉じようとして、草太は橋のたもとの常夜灯の物影に少しだけ見える小さな素足を見つけた。

あの子供だと瞬間に分かった。

常夜灯のわずかな温みを得ようと、背中を貼り付けるようにして立っているらしい。

吐く息がほんのわずか白く色づいて夜闇にふわりと広がっている。

天涯孤独の子供ひとり、生き抜いていくのは恐ろしいほどに難しい。行く当てもなく、頼る人もなく、見も知らぬこんな土地にまでやってきてしまって、あの子供はいまなにを思っていることだろう。一歩間違えばそこでおのれの死が確定してしまうというのに、あの子供は『草太』という頼るにも足りない年下の子供の気紛れに、その命を賭けてしまったようだった。

ここで座視して子供を死なせてしまうようなことがあれば、それは言い訳のしようもなく草太のせいになることだろう。

自然と心のなかに生まれた憐憫に素直に従って、わずかな情をかけた。見て見ぬ振りはいやだったのだ。その中途半端な同情がのちにその子供にとって毒になるかも知れないと分かっていたというのに、彼はおのれのやりたいように振舞ったのだから、そこから発生する諸々の責任は、当然のように草太自身に帰結する。

自身、それを否定するつもりもなかった。


(…あの子を引き取って、おまえに養っていく自信はあるのか? そもそもこの旅にだって使っていい旅費に限りがあるし……とってある秘蔵の軍資金に手をつけるなんてもってのほかなんやぞ…)


実際、天領窯の運営が軌道に乗り、資金が正常に還流を始めれば使用人のひとりやふたり、すぐにだって養っていく自信はある。前世でだって、あの傾きかけた陶器工場の従業員12名を、なんとか餓えさせることもなく食わせていたのだ。

この窯業ビッグバンが約束されている時代に会社を興すのだ。波に乗りさえすればノリ○ケどころか日本○イシだって目じゃない大企業に育てることが可能なのだ。商機は腐るほど転がっている。

問題なのは、草太の手にまだ収入の道が確固として確立していないことだった。


(引き取るということは、旅に連れて行くということだ……ならもうひとり分の旅費を計算しなくちゃならない)


旅費は概算で、ひとり頭往復で1両を見積もっている。1泊2食付の旅籠代が200文前後だから、片道10日で計算して20泊4000文、その他消耗品等の雑費で2000文をみて1両。当初は無理のない計算だと思っていたのだが、二日で移動距離5、6里とか、余裕で倍の日数がかかる事実を前に、すでに予算見積の修正を余儀なくされつつある。

そのうえさらに、見ず知らずの子供ひとりを引き取ろうというのだ。資金不足が懸念される現状、もってのほかな話である。

子供は引き取りつつも、所要経費に影響はなし……その条件をクリアするのが大前提になるだろう。


「使って減るお金があるなら、その分稼げばいい…か」


そんなふうに簡単に割り切ってしまえるあたり、草太はおのれのなかの可能性を過大評価して過ぎているのかもしれない。現代チートとかいいつつも、なかなか成功しない世間の厳しさは充分に知っているというのに。

その分稼ぐ、と思い決めて、彼はそこで悩む事をやめた。目の前で窮している子供の生死がいままさにまったなしのところにきている可能性があるのだから、逡巡するよりも先に子供の保護を優先すべきだった。

草太はおのれの小さな手のひらを見、そしてぎゅっとこぶしに握った。

すでに心は定まっているのだ。

ならば実行は早いに越したことはない。

このままでもどうせ眠れないのだ。痛む足をかばってかかと歩きしながら階下に降りて、まだ片付け仕事をしていた女中さんを捕まえると、無理を言って戸締りされたくぐり戸を開けてもらう。

夜遊びの泊り客が出入りすることに慣れた女中さんは、怪訝そうな顔をしつつも草太のしっかりした受け答えを信じて出してくれた。すぐに戻る旨を告げて、草太は橋のたもとの常夜灯に近づいて行った。

わずかな明かりがまたたく常夜灯を巡ると、裏の川側に例の子供が坐り込んでいた。近付くなり鼻の奥がつんとするような臭いが漂ってくる。冬場だからこの程度なのであって、夏場となれば想像にもできない凄惨なことになるのだろう。


「起きてる…?」

「……!」


子供は起きていた。

というより、寝た瞬間に命を失うかもしれない過酷な状況なのだ。常夜灯の明かりが温かそうに見えることなどほとんど錯覚で、橋の下の川底からは冷気が漂い上がってきていて、そのあたりは身震いするほどすこぶる冷え込んでいた。

有無を言わさず草太は子供の腕を掴んで、ぎゅっと引っ張った。冷え切ってがちがちになった子供の身体は、すぐには対応しかねて転びそうになる。


「立ちゃあ」


よろめき立った子供の脇に手を差し込んで、支える格好になる。お腹に巻いた筵が着物越しに刺さってちくちくする。

子供はおのれに一体なにが起きようとしているのか想像もつかないようで、草太にされるがまま宿屋のくぐり戸まで連れて来られる。呆然としていたので、かがむことを忘れていた子供は、くぐり戸の上辺に頭をぶつけて「ひゃあ!」とかわいらしい声を上げた。性別を意識させる反応を見たのはこれが初めてじゃないだろうか。

中で草太の戻りを待っていた女中さんが汚い浮浪児を見て悲鳴を上げかけたが、草太の人差し指を口に当てた「シーッ!」という必至のジェスチャーで押し黙った。


「この子の宿代も払うから、お風呂使ってもいいかな」


草太の要求に理性が追いついていない女中さんが迷ったように左右を見て、こくりと頷いた。

草太は懐に用意してあった小銭入れから子供の宿代と、それとは別に女中さんの口止め料にと10文銭を1枚渡した。そのチップが魔法のような効果を発揮して、女中さん先導のもと風呂場への道が開かれた。

さあいざ行かん! 文明人の清潔空間へ!

脱衣所に入るなり、子供の服を遠慮なく引っぺがしましたとも。つるぺたの子供なぞ、男のリビドー皆無の幼児(草太)を精神攻撃することなどけっして不可能なのだ! 

さすがに時間が遅いので残り湯はぬるかったけれど、逆に冷え切った子供には刺激が少なくていい塩梅であったかもしれない。

ざばぁっと湯をぶっ掛けて、据え置きの糸瓜(へちま)のたわしでごしごしと擦ってやると、タールのような廃液が流れ落ちる。そのあまりの汚れっぷりに、女中さんがしまったと言うようなしかめ面をしたけれども無論そこは見えない振りで。

ぼさぼさの頭に湯をそそいで掻き洗ってやると、それが気持ちよかったのか子供の抵抗が完全に止んだ。むしろもっと洗ってと頭を下げてくる。髪の毛から滴り落ちる水の汚さも一見の価値があったろう。

ひととおり磨いてから、過保護はこれで終りとばかりに子供を湯船に放り込んで、草太は脱衣所で気を揉む女中さんに相対した。


「…お客さん、あの子もしかして孤児やないの?」

「いいえ、自分の新しい小間使いです」


きっぱりとそう言い切って。

草太はおもむろに汚い筵の処理と、いくばくかの対価で古着の融通を願い出たのだった。


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