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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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014 夜鷹の子






「…やからやめとけって言われたんやろ」

「だってもしょうがないやんか」


次郎伯父に窘められはしたけれど、後悔はしてない。

憐憫だと言われても否定はしない。同情したことも否定しない。

そのあとに厄介なことになるかも知れないことも分かっていた。だって相手はその日生きていくことにも難渋していた身寄りのない子供である。頼り、すがられることも薄々は分かっていた。

でも、放置されれば失われることが分かっている弱々しい命の火を見て見ぬ振りなどできなかった。命は失われれば決して元に戻ったりはしないのだから。


(…代償行為とか卑怯過ぎて吐き気がするけど……引き受けてしまおうと思ってしまったんだから、うだうだ言わずに実行してみるしかないじゃないか)


救えなかった命がある。

目の前でその呼吸が永遠に止まったとき、今までのおのれのやりようすべてがどれほど愚かで、救いようがないほどに考えなし、無神経であったことを知らねばならなかった。過ぎた過去にどれだけ手を伸ばしても、夜空の月のように決して届いたりはしない。

そう思った瞬間に、決断しなければ失われてしまう何かがあるのなら、迷っていてはいけないのだ。その一瞬を過ごせば、きっと手遅れになる。彼の手は、それほどまでに短く小さい。

あの木曽川の川原での出来事。

突然立ち上がった草太は、目先に関心ごとがある子供のように、なんのてらいもなさそうにぱぱっと駆けだしたかと思うと、岩陰の子供の前に立っていた。

手に持っていた暖かい白湯の入った椀を差し出すと、きょとんとした顔でその子供は草太を見、そして目の前の湯気を立てる椀を見た。


「飲みゃあ」


差し出して、草太は心して《無邪気》に笑う。

そうして椀を子供に押し付けて、袖の中に持ち歩いていた今日のおやつのつもりだった干し柿を相手の手に握らせた。干し柿は糖分も多く滋養がある。それひとつあれば腹は満たされなくとも1日ぐらいは生き延びられるだろう。


「それも食べやあ」


握らせるためにとった子供の手は、アカギレてがさがさとした。氷のように冷え切っていた。

近くに寄ると、冬場だというのにえもいわれぬ臭いもある。まるで吐き溜めに住み着いたうらぶれた野良犬のような獣臭だった。

文明生活から切り離されると、人間もその辺の獣と同じ臭いを放つようになる。そしていまあるおのれの有りようにも不感症になる。

子供の目がまだ信じられぬというように、草太を見下ろしている。近くに立つと、やはり年上なのだろう背が10センチほども違う。


「じゃあね!」


手を話すと、子供があっと何かを言いかける。

人肌のぬくもりが恋しかったのかもしれない。

草太は相手にあまり思い悩ませぬようきっぱりと目線をはずし、ふたたび焚き火のほうへと戻っていく。船頭たちが少し微妙な顔をしていたが、責めている雰囲気もない。彼らだとて、本心ならこうやって子供に施しをしてやりたかったのかもしれない。

船頭たちに暖を分けてもらった礼を言い、街道へと3人して戻っていく。子供のいる岩陰の前を通り過ぎたときも、まだこちらを見たまま呆然としているようだった。草太はそちらににこっと笑かけてから、「じゃあね!」と手を振った。

目の前の不幸を無視したら後悔すると思った。躊躇はあったけれど、やったことについてはまったく後悔などしなかった。次郎伯父も、父三郎も、言いたいことはありそうだったけれどもおおむね彼の行動を黙認した。保護者である彼らは、場合によっては叱り付けてでも彼の行動を止めたはずだから、これは追認のようなものだ。

そして時間は、現在へと戻る。




「…ついてきとる」

「気がつかん振りしとけ。そのうち諦めるやろ」

「…コラ草太、振り向くな」


3人旅は、厳密に言うなら3.5人旅ぐらいな感じになっていた。まあ同行者というよりもストーカーと言ったほうが近い状況ではある。

ただしこれは3人組に対するすトーキングではなく、草太個人に対するものであることはほぼ確定である。ためしにここで3人ばらばらになったら、この小さなストーカーは迷わず草太の後ろについてくるに違いない。

筵を巻いた子供の姿は小なりとはいえ立派に『おこもさん』であり、この冬空のぬかるみ道を素足で平然と歩いてくる。別に隠れる気もなさそうで、10メートルほど後ろをつかず離れずで歩いている。

草太がそっと後ろを振り返ると、ちびちびと干し柿をしがんでいた子供は、ぱっとそれらを隠してそっぽを向く。そのまま空々しく口笛でも吹き始めそうな様子である。


「こりゃさすがに追っ払ったほうがいいぞ……なかなか面の皮が厚いガキやわ」

「どうせ今日は鵜沼宿で足止めや。加納(宿)まで4里以上あるし、草太の足の様子じゃ今日は無理せんほうがいいしな。宿にはいっちまや、さすがに中までは入ってこれんやろ」


一行が鵜沼宿についたのはそろそろ日も暮れ始める申の刻(午後4時)も半ばのことであった。途中街道が木曽川から離れ、予想もしていなかった峠道(うとう峠)が出現して、草太たちをおおいに苦しめた。

たった2里。太田宿から鵜沼宿まで、たった2里(8キロ)の短さでしかない。途中休憩しながらであったとはいえ、1日の消化距離が8キロとか、京までの残り3桁の距離を思い浮かべて暗然としたのは無理もなかったであろう。

これは少し旅の仕方を考えないといけないかもしれない。

単純計算、一日6時間歩いて24キロ(6里)は移動できるだろうと思っていたのだけれど、冬の陽が落ちるのは早いし、なにより足の皮が破れたのが誤算だった。


(1週間ぐらいで着けると思ってたけど、甘かったな……このペースだと20日以上かかっちゃうよ)


雲助さんを雇って籠に乗るという最終手段もあるにはあるのだけれど、雲助の速さに他の二人がついて来るのは大変だし(意外に小走り)、ならば馬喰を雇って荷物のひとつとして運んでもらうのも手ではあったろう。お大尽のごとく豊富な資金があれば、の話であるが。

背に腹はかえられない。二人の足を引っ張るくらいなら、最初から負ぶって運んでもらうのもとりうる手のひとつである。迷惑をかけるのは一緒なのだから。

ひとり思い悩み始めた草太であったが、鵜沼の宿場についた三人は、町の中心部っぽい橋のたもとにある、『丸中屋』という旅籠屋に下駄を預けた。決めた理由は「父三郎のカン」だそうだ。

どうせ中心部のほうがいろいろと人も多いからあっちの出会いも期待できるということなのだろう。

ちなみの旅籠近くの小さな橋は『大安寺大橋』というなかなかたいそうな名前がついていた。案内された部屋は2階で、ちょうどその橋の往来を見下ろす格好になる。

鵜沼宿は上街道へのアクセスもあるため、けっこう大きな町を形成している。旅籠も二十軒以上はあるだろう。遠く南のほうに木曽川を望めば、透き通った冬の空気の向こうににうっすらと犬山城の漆喰塗りの天守が見える。

草太の目は、半ば反射的にあの子供の姿をさがしている。

その姿はすぐに見つかった。橋のたもとの常夜灯に背を預けるようにして、彼の入っている旅籠のほうをじっと眺めている。身なりがあまりに汚すぎて、通行人が避けて通っていた。


「おまえも罪な男やな」


窓の外を同じように眺めていた父三郎が、うずくまっている子供を見てニヤつきながら小突いてきた。

なんだ急にと嫌な顔をすると、三郎はなおもおかしそうにニヤついて、意外な事を口にした。


「気づいとらんのか、なりはきたねえがありゃあおなごやぞ」

「……はぁっ?」


すいません、気付きませんでした。


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― 新着の感想 ―
[一言] うとう峠って、善知鳥峠しか知らなかったので、おや?と思ったのですが、其処にも、うとう峠があったのですねー。
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