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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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013 旅の空の下で






多治見本郷高帳によると、多治見から京までの距離は48里とされている。

1里を4キロとして、192キロ。けっこうな距離がある。

どの街道を使う前提での距離なのかというと、それは『中山道(なかせんどう)』ということになる。

そもそも交通の未発達なこの時代の美濃は、内陸性の経済圏のなかにあり、本州を貫く中山道によって大方の経済活動が成り立っていた。


(…懐に余裕があれば、木曽川を船で下ったっていいんだけど)


濃州にある中山道は、広い濃尾平野の外縁を辿るようにして伸びている。太田宿を発った草太たちは、木曽川の北岸に沿う中山道をひたすら西に向かって歩いていた。

まだ護岸工事も充分でないそのあたりは、田畑のある地区を過ぎるとすぐに堤が切れ、水量の豊富な木曽川の流れが旅人たちの目に飛び込んでくる。

この時代内陸に荷を運ぶ水路は重要な交通路で、わりと頻繁に中小の船が行き交っている。多治見から出荷された日常雑器の類の美濃焼が、今渡の渡しで船積みされ、いままさにこの木曽川のどこかを桑名に向けて下っていることだろう。むろん金さえ払えば、人も乗船することができる。


(鵜沼(うぬま)ぐらいまでなら、船に乗ってもよかったかな…)


中山道が前世的に国道21号線と一致しているなら、鵜沼のあたりまで木曽川に沿って進んでいるはずである。

多治見のある東濃地区から見ると、その鵜沼宿のあたりで濃尾平野のおおらかな平地に出会う格好となる。その鵜沼宿から尾張へと延びる街道こそが、この時代の尾張藩の御用街道であり、多治見から南下する抜け道的な下街道に対して『上街道(稲置街道)』と呼ばれる。

駅の設置された御用街道として使用を奨励されつつも、時代とともに利用者が減り衰微していったのはやはり伊勢参り、善光寺参りするには、距離的にいささか以上に遠回りで、不便であったためであろう。

ふっと立ち止まった草太は、今からでも船に乗ったら多少は楽かもしれんなぁとぼんやりと考えていた。


「なんや、休むのか、草太」


正月前に雪が降ったこともあって、街道はぬかるんでそこここに水たまりを作っている。むろん足を濡らすと冷たいのでよけて歩くわけだが、それがいっそうの疲労となって地味に体力を削ってくる。そうしたなかでも割と大きな水溜りを避けたあたりで、草太はなんとなく突っ立っていたわけだが。


「そろそろ弱音吐いてもええんやぞ」

「…弱音って、ちょっと考え事してただけやし」

「強がっとらんと、正直に言ってしまえ。…おまえ、足の裏の皮が破れて痛いんやろ」

「………」


次郎伯父のドヤ顔が憎い。

ああそうですよ。靴擦れで悪うござんしたね!

たとえどれだけ丈夫な靴を履いていたとしても、中身の足は耐久性を上げるわけにもいかないしね。子供のやわい肌など早々に耐久限界オーバーだ。昨日の段階で水ぶくれのようになってたところが、出発早々破れてじくじくと痛みだした。

抗生物質のないこの時代、破傷風になんかかかりたくないので、汚い水溜りなんかに絶対足をつけない。だからいっそう神経質に水溜りを避けて歩いていたのだ。


「…でもぼくなんかより、あっちのほうが問題なんじゃない?」

「三郎…」


実際、三人の旅路ははかばかしく進んではない。

草太が物思いに耽るふりをして休むその後ろでは、父三郎がひっそり路肩の石に腰掛けて「だるい」だの「しんどい」だのぶつぶつ悪態をついておのれの運命を呪い続けている。非常にうっとうしい。

昨晩は兄弟揃って酒を飲み明かしていたようだが、早々に床についた次兄とは反対に、末弟はそのまま太田宿の夜の闇に消えていったようだ。

翌朝、目が覚めるとすっかり身体が冷え切った様子でぶるっている父親を見つけて、草太はあくびとため息を同時につくという器用なことをした。この冷え込みのなか商売女とよろしくやっていて、凍死寸前になった父親の姿が明瞭に想像されて、心配よりも先に呆れるしかなかった。

その方向性の間違った根性を是非にも矯正してやりたかったが、その役は謹んで次兄たる次郎伯父に任せることにした。

遅れて目覚めた次郎伯父は、弟の情けない姿を見て盛大に嘆じた後、有無を言わさず弟の隠し持っていた全財産身ぐるみ引き剥がした。なるほど、先立つものがなければそういったものに手も足もでなくなるだろう。


「その辺で茶屋でも見つけたら、小休止するか」


次郎伯父の発言に父三郎が分かりやすく反応したが、


「夜鷹相手に寒空で野宿するようなたわけは水で充分やし、二人分ぐらい茶を頼んだってバチは当たらんやろ」

「ひとり水だけで済むからとっても経済的だね♪」


抗弁さえせずがっくりとうなだれる父三郎。朝っぱらからの次兄の説教が堪えているらしい。

次の茶屋で休憩。

その暗黙の了解が、三人の足にわずかだが活力を与えたようだった。




それから四半刻ほど歩いただろうか。

一向に見つからぬ茶屋に痺れを切らした父三郎が、キョロキョロと周りを見渡したかと思うと、木曽川の川岸で焚き火を囲んでいる船頭たちをビシッと指差した。


「あそこで白湯でも分けてもらやええやんか!」


休みたいんですね。分かります。

三人は川原よりも少し高いところにある街道から斜面を下って焚き火に近づいていった。

困ったときはお互い様の精神が生きるこの時代、暖を分け合うのに否やはない。草太が礼を言うと、「体のなかも温めやあ」と、相手のほうから沸かしていた白湯を分けてもらった。おお、いろいろとすげえ温かい。

世知辛い前世経験があるだけに、この時代のおおらかさはほんと気持ちを暖かくする。江戸時代マジ最強。

そこでためしに鵜沼までの船賃を聞いてみたが、残念ながらここの船頭たちは川上を目指しているところだそうで、今渡よりも上流の兼山の湊に塩を運んでいるのだという。

兼山は飛騨などの内陸向けの塩取引で財を成した商人の町で、八百津の山奥だというのにずいぶんとにぎやかな町らしい。


(塩の専売か……そりゃあおいしいだろうなぁ)


船頭の話では、その塩の専売もだいぶ前に崩れて、兼山よりも上流の湊のほうがいまは景気がいいらしい。一度そんなゴールドラッシュみたいな商売をしてみたいものだ。

かじかんだ指を焚き火にかざしながら川面を行き交う船をぼんやりと眺めていた草太は、ふと人の視線を感じた気がして目を転じた。

そのあたりは蛇行する木曽川の内側に広がる砂利の原で、川の流れが運んできたに違いない大岩がそこここに半ば埋もれるように転がっている。山裾の街道筋から彼らが下ってきた雑草の冬枯れした斜面を見、そして大岩の物影を見る。


(子供だ…)


大岩の物影から、子供がひとり、焚き火の暖をうらやましげに覗き込んでいる。

見ているだけで臭ってきそうなほど汚れた服に、防寒のつもりか千切れた筵を腹に巻いている。伸び放題の蓬髪は絡み合って縮れている。

年は草太よりも少し上、10歳ぐらいだろうか。

その子供はこちらのほうをじっと見るだけで、決して近づいてこようとはしない。草太の視線にはおずおずと応えを返すのに、大人の視線が薙ぐたびに身をすくめて物陰に隠れてしまう。大人に対しておびえているようだ。

一緒に温まりたいのに違いない。しかし大人が大勢いるので近寄ることができず、希望と怯えの二律背反が思考を硬直させているようだった。大人が怖いのなら近寄ってこなければいいのにと思うのだが、どうやら自分よりも小さい子供の姿を見つけて、「優しい大人たちなのかもしれない」と一縷の希望を持っている様子である。子供とは単純なものだから、目の色を見ただけでそのぐらいのことは察せられる。

周りを見ると、船頭たちも含めその子供の出現に気付いているらしい。白湯を欠けた碗で口にしていた船頭のひとりが、忌々しそうに舌打ちした。


「相手したらあかんぞ…」


ぽつり、と冷えた声が草太の耳に届く。

誰に聞かれたわけでもないのに、船頭の一人が子供の素性について語りだした。


「この先のあばら家に住んどった夜鷹の連れ子やわ。仲間でも遊んどるやつがおったけど、この前の地揺れで小屋がつぶれとったらしいわ。…あんな小さなガキひとり残して、因果なもんや」


夜鷹の子……親を亡くした孤児か。

焚き火ぐらい分けてあげればいいのにと思っていると、


「まったく身寄りもねえみてだしな。…泣き喚いてるのを見つけて、縁のあった船頭が同情して下働きに引き取ってやろうとしたら、手に噛み付いて逃げくさったいうしな」

「野良犬なんぞにかまっても損するだけやぞ」


なるほど、見て見ぬ振りをする理由らしきものはあるらしい。

江戸時代という社会は、おおらかなようでいて実際は酷薄なまでの身分差別が人と人との関係を峻別する。

親の『卑しい』仕事が、子の人生にも大きく影を落とす。春をひさぐ不幸な女性たちの社会的な身分は恐ろしいほどに低い。むろんその子にも冷ややかな目が向けられる。

そのとき、また目が合った。

子供の目が、不安に揺れている。いまにも泣き出しそうに引き歪む。

ほんとうに条件反射のようなものだっただろう。草太は呼吸すらも忘れはてたように、ただその子供を凝視していた。

大人の視線を怖がるその子供も、同じ子供の草太の視線にだけはまっとうな反応を示している。

その瞳が弱々しくまたたいた。

「助けて」と、泣いていた。


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― 新着の感想 ―
リブートしてほしいWeb小説のタグからきて、夢中になって読んでいます テオゴニアの方も好きですがこちらも面白いですね
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