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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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010 美濃の子狸






役人たちが上司に相談すべくいったん引き上げていったあとで、草太は主人に皿の買取を申し出られた。

少し座を立ってどこかに行った主人は、再び戻ってきたときには紫色の手巾に包まれた塊を持参してきた。

紫色の布に包まれてるって、これは当然アレなのだろう。

すっと差し出されたその塊の中身を、主人が手巾を払って露出させる。


(キターーーーーッ!)


きました。

金子です。越後屋も悪よの、のあれです。


「その皿、お買いいたしましょう」


目算で、20両ぐらいだろうか。草太はその瞬間からめまぐるしく今後の展開を計算する。

20両。

それは彼にとって途方もない大金であることは間違いなかったが、これから火の車のごとくバーニングするに違いない林家の家計を冷静にシミュレートすれば、おのずと『20両』の限界も見えてくる。

そもそも『窯株』自体の取引価格が200両以上なのだ。窯が崩れて気勢の削がれている江戸の本家にいくばくかの金を携えて交渉するにしても、仮に『権利株』として51株譲ってもらえるには、最低でも半値の半値、50両ほどが必要となるだろう。(窯株=200両として、現状の潰れた状況も鑑み評価額を半値の100両とする。これを『権利株』として100分割、1権利株=1両とすれば、51株=51両)

必要なのは窯の権利だけではない。窯の復旧にも、作業にひと月かかるとして人件費だけで日当200文として3人(チーム天領窯)で4.5両、粘土などの材料費も含めれば10両ほど見ておかねばならない。

そして忘れてはならないのが、この焼物には大量の《骨灰》が必要だということ。その調達をいかにするかにもよるが、おそらくどこかの問屋を介して買取りの形となるだろう。

しかも骨から材料をとるというのはこの時代の感覚的に穢れの印象が強く、どこか遠隔地で他者による精製済みの材料を使用する形を整えねばならない。動物の骨って、どこで手に入れればいいんだろ?

そちらのほうはどれだけの資金が必要なのか想像も出来ない。

…と、これだけ考えただけでも、20両ばかりではとても足りないのが分かる。

目の前の20枚の小判を見るだけで喉が鳴るけれど。

浅貞の主人はこの金額で確実に取引が成立すると信じているのだろう、草太の様子を楽しげに眺めてニコニコとしている。

ここが踏ん張りどころである。草太は歯をきしるように噛みしめたあと、口の端を引き上げて笑みを作った。


「これほど高く評価をしていただいたこと、まことに恐縮のいたり。尾張一の瀬戸物問屋『浅貞』のご当主に、これだけの値をつけていただけたのでしたら、この『美濃新製(みのしんせい)』も大当り間違いなしと申せましょう」

「この額で異存がなければ…」

「…さっそくいまひとつ心当たりの蔵元を巡ってみようと存じます」


草太は小判の引力から視線を引きちぎるように、皿を再び箱の中に詰め、風呂敷で結わえだした。むろん撤退準備である。

まさかの商談不成立に浅貞の主人が硬直するなか、草太は店を訪れたときと同じ風呂敷を首に背負った格好で立ち上がった。


「まっ、」

「お邪魔いたしました。では失礼…」

「待ちなさいッ!」


ようやく再起動した主人が顔色を変えて立ち上がろうとした。だがぺこりとお辞儀した草太の撤退スピードは速い。制止の言葉も聞こえぬげに背を向ける草太に、浅貞の主人は掴みかかる格好になった。

帯をつかまれ腰砕けになりそうになった草太は、振り返ろうとして今度は両足をホールドされてしまった。


「そ、その金額で、なにが不満だというのかね!」


主人の言うことはもっともである。

皿一枚に20両。現代の貨幣価値に換算したら約百万円(※物価に準拠)である。これで飛びついてこないほうがおかしい大金なのだ。


「普通の茶碗や湯飲みなど100個でも1両の値がつかないというのに! それを20両だぞ! 1両小判が20枚だぞ!」


あの取り澄ました大店の当主が、いまでは顔を真っ赤にして5歳児に取りすがっている。

身動きもままならなくなった草太は、観念したように再び畳の上に腰を落ち着けた。鼻息の荒くなっている主人をなだめつつ、草太はおのれがこの席を立とうとした理由を淡々と告げたのだった。


「20両では、足りません」


そのときの浅貞の主人の顔は見物であった。


「売値は100両。これ以上はまかりません」


これは草太の賭けだった。

当然これは売り買いの商売であり、そこで取引が成立するためには、お互いに『妥当』と思われる価格帯に取引商品が存在することが最低限の条件である。

たった一枚の皿に100両。

客観的に見ても、まだ国内には出回っていない新しい磁器の最初の一枚がいかに貴重だとしても、それはいささか価格設定が暴利であったろう。かつて戦国の時代に出回った天下の大名物などは、国ひとつ買えるほどの大金に等しかったというから、それに比べればかわいい物なのだろうが、武士が豊かであった江戸初期ならばいざ知らず、幕末の諸藩はおしなべて財政が火の車である。それは雄藩たる尾張藩だとて同じことであろう。ともすれば殿様すら一汁三菜とか厳しい質素倹約に励んでいるかもしれないところに売りつける値だ。

一枚の皿に100両。

『浅貞』の主人が驚愕するのも無理なことではなかった。


「それは……無茶な相談でございますな」


主人がようやく絞り出した言葉に、草太は顔をまっすくに上げて首肯した。


「もちろん、この皿の単なる売り買いであるならば、法外だと思います」


無茶な値段を言いだした側がそういうのもおかしな話だが、まだ真意を掴みかねている『浅貞』の主人が目で訴えてくるのに応えて、草太はさらなる言葉を継いだ。


「…わたしが買ってほしいのは、この美濃で新しく生み出された美しい磁器の『専売権』です。尾州公による美濃焼の御専売が続くかぎり、わたくしどもは焼き上げたこの『美濃新製』を、『浅貞』様にのみ入荷させていただきます…」


目と目が交錯する。

互いに相手の腹の底を見通そうとするような鋭い眼差しが、お互いの眼底に突き刺さる。

瞬きしたい衝動を飲み込んで、草太は相手をただ見つめ返した。

しばらく無言のまま時が固まったように見えていたが、ようやく再起動した『浅貞』の主人は、畳についていた手を払って、座布団の上に姿勢を正した。


「…美濃産の焼物は、いずれにせよ尾州様の定めし御蔵元にしか売り捌き権はございませぬ。100両などとそのような大金を支払わずとも、もともとわたしどもにその『美濃新製』も含めた専売権がございます。…少々話の筋が見えぬのですが…」


どこまでいってもこの『浅貞』の主人は狸である。その目の奥にはすでに理解の光が灯っているというのに、まだこのように分からぬふりをする。

商売人というのは、どの時代でも根は変わらぬものなのかもしれない。


「『浅貞』さまの『専売権』にございます。美濃・瀬戸の焼物は尾州の御蔵会所を通す取り決めはありますが、生産者たる窯元がどちらの蔵元に商品を納めるかは特段取り決めなどもございません。歴史のある窯元ならば血縁関係や借金などのしがらみでその自由も絵に描いた餅となっていましょうが、さいわいにして、わが《天領窯》は作られたばかりの『新窯』にて、首に鈴ひとつ付いてはいないのです」

「わたしどもの店でその『美濃新製』を専売いたしたところで、どのような《得》があるのでしょうかな?」


この狸、相当に面の皮が厚い。まだしらばっくれてるよ。


「…まさか商売の初歩をわたしのような素人からお聞きになるのですか? 買い手ひとりに売り手ふたりでは値引き合戦が始まりますが、その品を一手にに独占していれば売値は思うがままではないですか」

「それはその品が、誰もが欲しがるほど魅力的な場合のみです。三流絵師の浮世絵はたとえ独占であっても売れはしませんよ」

「…よい出来だと褒めていただけていたと解釈していましたが、どうやら勘違いだったようです」


ふたたび草太は立ち上がる。

さすがに今度は『浅貞』の主人も取り乱したりはせず、草太の動向をじっと見守っている。


「そういえば少し前、浦賀に異国の黒船が来航したと風の噂に聞きましたが…」

「米利堅国の使節がやってきたという黒船のことですかな」


さすがは大都市名古屋の商人である。外の土地の情報はちゃんと耳に入っているらしい。


「異国人は、非常に薄手の、こう指をかける輪っかの付いた湯飲みにて茶をたしなむと聞いております。異国の茶器は素地が初雪のように透き通る白で、きらびやかな絵付けが施されたさまはまるで螺鈿細工のように美しいと聞きます。彼の地の王侯富豪が競ってそれらを買いあさるほど人気もあるとか。…世界中の富を掻き集める大富豪たちが、その茶器にどれほどの大枚を投げ打つのか、興味などはございませんか?」

「異国の……茶器…」


なんで美濃の片田舎のガキがそんなことを知っているのか、そのへんは違和感ありまくりなのだが、すでに言葉で斬りあうほどの力を示す童ならばなにを知っていてもおかしくはなかろう的な空気はすでにあったりする。


「数を捌く商売は、庶民を相手に廉価で応ぜねばなりませんが、宝器のごとき貴品をしかるべき筋で商えば、わずかな取引で目も眩むほどの利潤を得られるものです」

「…それは数を少なく作って、贅沢品として売ろうということですかな」

「売り手を限定して、商品価値を巧みに管理する商売です」


それをブランド商法といいます(笑)

『浅貞』の主人が腕を組んでうんうんとうなっています。

迷ってるふりはもういいですよ、ご主人。分かってますから。

第一ここで皿を手に入れずに帰してしまったら、「必ず購ってくる」とお役人たちに豪語した先程の話が嘘になってしまうじゃないですか。

実際『浅貞』の主人のとりうる選択肢はあまりなかったりするのだ。


「…100両で、『専売権』か」

「いくら瀬戸の『新製焼』が売れていたところで、買い手の腹が満ちればいずれ市場にだぶついて値崩れするのは必定。ここで長く太い独占商売を生み出せば、その程度の出資などすぐに取り返せますよ」


『浅貞』の主人は気付かなかったであろう。

そのとき美濃からやってきた得体の知れない5歳児が、ネズミを前足で押さえ込んだ猫が舌なめずりするような黒い笑みをたたえていたことを。


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