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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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009 かっぱぎターイム!






『浅貞』の主人は、急に思い立ったように手を叩いて奉公人を呼ばわった。

言い合っている最中のことだったので、驚くまま口をつぐんだお役人様方を置いたまま、主人は「竹蔵!」と奉公人のものらしき名前を連呼する。


「…ご用ですか、旦那様」


障子を割って現れたやや年かさの男は、落ち着いた物腰で主人の用向きを尋ねてきた。

年齢から見て奉公人と言うよりも番頭のひとりであるのだろう。


「いまから言うものを急いでここへ持って来ておくれ」

「…かしこまりました」


二言三言耳打ちされたその番頭さんが去ってしばらく。

再び姿を現した番頭さんの手には、10個1対でからげられた白い茶碗と、いわくありげな桐の箱ひとつが携えられている。

それを受け取った『浅貞』の主人は、それをお役人さまたちに見えるように膝の前に置いて、咳払いしつつ居住まいを正した。


「岩倉様、渡辺様。『浅貞』は瀬戸物問屋でございますから、お客様がご所望になられればできうるかぎりどのようにでも商品をご用意し、お売りいたします。地揺れで砕けました雑器の類を、10年賦(10年ローン)でお買い上げくださいますとのこと、この『浅貞』喜んでご用意させていただきます。通常取り扱う程度の雑器でございますれば、この『浅貞』いかようにでもいたしましょう…」


柳のように垂れる眉毛の奥の双眸が、うつむき加減に畳の目を追いつつも、その先にあるお役人様たちの気配をうかがっているのが分かる。

これからなにを言いだされるのかと身構えるふうのお役人様たちに、余分な言葉を吐くゆとりはない。


「…いまこちらにありますのは、瀬戸産の新製焼茶碗でございます。御蔵会所の取引に目を通されている御算用所の岩倉様であるならば、この10個1対の新製焼茶碗がいかほどの価格で流通しているのかお分かりかと存じます」


ひとり語りなのか問いであるのか分かりづらいが、


「この1対はいかほどでございましょう、岩倉様」


と念を押されて、御算用所の岩倉様が少し言葉を濁しつつ解答する。実務がからきしの武家の中でも、唯一能力重視の御算用所を取りまとめる人物である。


「…たしか瀬戸新製は碗が百で銀80匁。そなたの店に買い入れる時点では銀40匁ぐらいやろう。そこにあるは10個であるから銀4匁というところであろう」

「…さすがは岩倉様。ご名答でございます。…最近は特に出来がよくなってきたこの瀬戸の新製は、磁器碗としては有田に比べ割安なことも幸いして、江戸表でも飛ぶように売れている人気の品でございます。…その磁器の茶碗1個の値が、だいたい27文ほどになります」

「江戸の小売は銀1匁と聞くがな…」


褒められて気をよくしたのだろう。岩倉様は聞かれてもいないのにうんちくを披露する。ふむふむ、なかなか興味深い情報だな。

『浅貞』の主人はニコニコとしながら、いまひとつの品、桐箱に納められたものを手早く取り出した。


「…そしてこちらは、はるか昔の関白様(秀吉)おわしました頃の楽焼にございます。戦国の茶人らも愛でたといわれる『古瀬戸』の肩衝(かたつき)にございます」


恭しく取り出された小さな焼物は、小さな茶入れである。

が、そのおごそかげな雰囲気にお役人たちも釣りこまれて、ほう、なるほどと嘆じて見入っている。


「…古き名物でございますこの茶入れを、京のやんごとない筋から譲り受けたときの値がどれほどのものであったか、お分かりになりましょうか」

「…いや、なんとも」

「そんだけの名物なら、どえらい値がついたんやろ」


そのとき、『浅貞』の主人の口元に小さな笑みが浮かんだのを、草太は見逃さなかった。貴重な名物であるなら、天文学的な価値が付いても少しもおかしくはない。


「値がいかほどであったかはここでは置いておきましょう。…なにゆえこの茶入れの値が張ると物とお考えになったのか、そのご理由をひとつ胸にお置きになって、これなるまったき新しい磁器の皿をご覧ください」


『浅貞』の主人は、ようやく後ろ手に隠していた草太のボーンチャイナを取り出して、お役人様たちの目の前に披瀝した。

自然と、草太の喉が唾を欲して上下した。


「…これはまだこの日の本に生まれたばかりの、たった一枚しかない大変貴重な品でございます。…このすばらしき磁質、生産が本格化すれば右から左に飛ぶように売れる人気商品となること疑いなく、瀬戸新製に勝るとも劣らぬその優れた将来性を鑑みれば、最初に焼きあがったたった一枚のこの皿、本来ならば商売の繁盛を祈念してしかるべき寺社に奉納する類の物でございましょう。…通常ならば決して出回ることのないまれなる一品なのでございます」


横で聞いている草太さえ釣りこまれそうになるほどアゲアゲの称揚文句。

この主人、きっと現代に生まれていたならば、天職はテレビ通販のMCに違いない。たぶんつまらない量産品の包丁も、高枝切りバサミも、彼の手にかかれば魅力的な商品に早変わりするだろう。


「神仏に供えるべき貴重な品なのでございます。…本来ならお譲りすることなどかなわぬものでございますが、ほかならぬ尾張様、竹腰様のたってのご要望とあればこの『浅貞』、産窯の窯大将に三顧いたしましてでも購ってまいりましょう」


目の前にその製作者がいるというのに、自身満々で言い切るその肝の太さ。

その大胆さにあきれつつも、ボーンチャイナを最大限の高値で売り抜けるまたとないチャンスを抜け目なく掴みとろうとする、商人のアグレッシブさはおおいに見習うべきところである。

実際に高く売れれば売れるほど草太の手にする金額も大きくなるわけで、その交渉を妨害する理由などまったくなかった。


「…これを焼き上げた窯元は、現在あの大地震による窯崩れで資金集めに難渋しているそうでございます。それなりの『対価』をもって交渉すれば、購うこともけして無理とは思えませぬ。…あとはどれほどの『対価』をお客様からお支払いいただけるか、また、窯元がその品を手放すに納得する『対価』がいかほどになるのか、そのふたつの差が折り合うかどうかの問題でございます」


うまい話の持っていき方である。

価格を決めるのはあくまで姿の見えぬ『窯元』であり、たとえその対価が暴利なものとなっても自分には責任がないと逃げのポイントを確保した上で、大地震後の『窯元』の窮状も添えて、「たとえ高額になっても仕方がない状況」であると訴える。これで『窯元』が一方的に儲かるわけでもないとフォローを入れるのだ。

客はプライドが服を着て歩いているような武士である。めしは食わねど高楊枝ではないが、見栄っ張りな彼らは外聞を気にして吝嗇な値段をつけられなくなるだろう。


「…う、うむ。ほらぁたいしたもんやて」

「…どえらー貴重なもんだがや……日の本でたった一枚…」


仕込みは完了した。

見栄っ張りのお役人たちは、その途方もない出費の予感におののきつつも、それを手に入れたときの栄誉を頭に思い描いてすっかり魅入られている。

ここでミソなのは、この二人のお役人が両大名家の購買における裁量をかなり所持していたことであろう。しかも金を出す財布自体は他人のものときている。


にやり。


『浅貞』の主人の笑みが黒かった。


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