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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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008 勃興の原資






大原郷に戻ってきたのはそれから二日後のことだった。

大原を発ってから4日間、被災した林領を建て直すべく奮戦し続けていた祖父貞正は、幾分頬の肉が削げてやつれたように見えたが、それでも加藤剛ばりのダンディさを失うことなく帰着した息子と甥を迎え入れた。


「…復興作業のほうはもうわたしがおらぬでも進むようになったのでな、根本の後に行かされた塩【※注1】のほうも、落ち着きだしたあたりでお役御免となったわ。お役人がたに口を揃えて老体ゆえ無理せず養生されよなどとはばったいことを言われて昨日帰ってきたところよ。ふふ、どうにも相当にわたしが煙たかったようだ」


いまは太郎伯父が祖父の名代として、可児の塩という村で奮戦しているらしい。そこも江吉良林家の領地である。

生真面目すぎる長兄であるが、こうした地味で辛抱のいるきつい作業には、兄弟のなかでもっとも適正があったのかもしれない。ほんとにご苦労様といいたい。

この祖父と太郎伯父の紛身なくして、彼の名古屋行きのゆとりを作ることはできなかったのだから。あとで土産のウイロウでも差し入れねば罰が当たるだろう。

祖父が抜けたあとは代官所の与力衆が主体となって、復興作業を継続しているらしい。きつい作業に彼らが率先して当たっているのは、例の裏レースの商品が原動力となっているのは間違いない。

今現在商品の米3俵にもっとも近いのは、あのイノシシ顔の森殿であるそうだ。


「森殿も奥方が張り切っているあいだは休む暇もなかろうがな。米が手にはいらなかったら折檻されるとかされないとか……まあ、米俵の鼻薬が効いておるあいだはよかろうが、そのあとがどうなることやら……その件も含めてといえば嫌な顔をするかもしれんが、例の企ての『算段』のほうはついたのか、次郎、草太」


懐かしい家の香りに包まれ、旅の緊張もややほぐれていた草太と次郎伯父は、一度お辞儀をして端然と待つ祖父に相対した。


「これを見てみやあ」


次郎伯父がこらえきれぬ笑みを口元からこぼしながら、懐中の巾着を取り出した。どんっ、と重量感のある塊りが畳の上に置かれて、そして押しだされた。

それを受け取り、中身を確認した祖父は目を剥いて息を詰めた。


「帰り道はほんと気が気やなかったわ。盗人に襲われたらどうしようとか、こわなってほとんど休みもなく歩いとったわ」

「おじさん、オレのこと置いてけぼりにしようとするし」

「額が額やししゃあないやろ!」


旅の余韻で仲のよい親子のようにつつき合う伯父甥を見ているうちに、強張った祖父の表情も自然と緩んだ。


「これだけあれば、足りるのだな」


祖父の問いは、5歳の甥に向けられたものだ。

草太は祖父を見返して、こくりと頷いたのだった。



***



時は少し戻る。

あの瞬間、『浅貞』での騒ぎは、まったくもって草太の予想の範疇にはなかった。

まさか下っ端のお役人とはいえ、尾張藩の藩庁と家老の竹腰家がこの交渉に絡んでくるなどと予想できるわけもない。

騒動の始め、草太はただ目の前で起こる出来事の傍観者でしかなかった。


「まあまあまあ、お役人様がた」


慌てて割って入った『浅貞』の主人であったが、大店とはいえ所詮は商家、武士相手には強く出ることも出来ず、その皿を寄越せだのいやこちらにこそ渡せだの、勝手なことを騒ぎたてる役人たちをもてあまして、結局別の大きな座敷で話し合いを持つことになったのだが。

尾張藩の御算用方(勘定方)の偉い人らしい岩倉様というお役人は、細い眼をすがめて手に持った扇をイライラしたように膝上で動かしている。

その糊の利いた(かみしも)姿はピリッとして、収支の些細な間違いでも見逃さない有能な銀行マンのような雰囲気をしている。

対して黒紋付きに着流しというキングオブ役人という格好の竹腰家の用人は、名を渡辺様といい、竹腰家の賄い方の上のほうの人らしい。頬骨が高く、リスのような面差しを怒りで染めている。


「その皿がそんなに珍しいもんなら、当然ながらわが上様こそ持ち主にふさわしいにきまっとろうが」


尾張藩の岩倉様がそう言うと、


「なにをいっとる、『浅貞』に顔を出したのは竹腰家が先だがや! たーけがおかしなことをいいおって」


尾張藩とその付け家老竹腰家の間が不和であることはあの茶屋の残念なおねえさんから聞いていたが、会話の内容を聞いているとあまりにレベルが低過ぎて、思わずハリセンで突っ込みを入れたくなってくる。

ともかく相手が気に入らない。

相手が欲しがってるものならこっちが先に奪ってやる。

まさに子供の喧嘩である。

傍観者として彼らの勝手を聞き続けることは苦痛であるにせよ、我慢するだけであったのならそれぐらいはやぶさかではなかったが、彼らの身につけた傲慢さが、やがて彼の持つボーンチャイナの『強制収用』につながるのではないかと不安がもたげてくるとそうも言ってはいられなくなる。

皿はまだ『浅貞』の主人の手のなかにある。皿の存在を彼らに示しはしても、決して渡そうとしないその心底は、おそらく草太の危惧と方向を同じくしているであろう。

渡したら、そのまま持っていかれる。

この時代の厳しい身分制度のなかで生きていれば、いやでもそうした警戒心は身に付くようになる。たとえばこんなシーンなんかが頭に浮かんでくれば一人前だ。


…一枚の高価な皿を奪い合う両者。

見栄と見栄との張り合いで不毛な争いにやがて両者は疲れてくる。

あるとき片方の人物が妙な《機転》を発揮して、皿を真っ二つ!


「これで両者当分、痛み分けということで」


持ち主の権利など置き去りにして身勝手な「いい話」で互いに笑い合う武士たち…。


笑えない。

欲得勘定を『汚らしく低俗』と斬って捨てる武士階級の高潔さは、ときおり他者にまで同じ考えを強要する度し難い部分がある。

借金の一方的な踏み倒しで有名な『徳政令』などは好例で、いいっぱなし、やりっぱなしで逃げ切ってしまえる身分制の恐ろしさは、この時代に生きていないと感覚的には理解できないだろう。


「…いずれ正式に入荷する予定ですので」

「わしがいま所望しとるのはそこの皿や。この日の本で初めて焼かれた新しい磁器などとそんな珍しいもんはぜひともわが上様に…」

「いやいやなにたーけたことを! それこそわが主家の宝となるほうがふさわしいがや!」

「入荷され次第、いの一番に納めにうかがいますれば…」

「後出しの安物には用はないがや!」

「藩の専売品ならば、藩のお蔵に収まるのが筋というもんやないんか!」


結論。

収拾がつきません。

しきりに皿を触りたがるお役人たちをあやしながら、何とか丸く納めようと涙ぐましい努力を続ける『浅貞』の主人であったが……一瞬だけその目が殺気を帯びたのに気付いたのは草太だけだった。

『浅貞』の主人動く!

一瞬、目配せをされたように思ったが、草太がそれに応える暇もなく、『浅貞』の主人は目に見えない言葉の大太刀をさらりと抜きはなった。


商人無双のかっぱぎタイムの始まりだった…。






【※注1】……(しお)。江吉良林家の領地は、大原、根本のほかに、可児市の塩地区、羽島市の江吉良にもありました。


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