表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
54/288

007 交渉






「…新素材、とは」

「これは有田の天草陶石も、瀬戸の千倉石【※注1】も使ってません。いま現在、この皿は国中を探しても同じものがひとつもないと断言できます」


まあ断言して間違いはないだろう。

カオリン鉱山を持たなかったイギリスの地勢的条件と、産業革命を引き起こした錬金術師たちの化学的思考なくしてこの皿は生まれ得ない。

この国で言えば有田は天草陶石を得たことで、瀬戸は千倉石を発見したことで磁器を製造することを可能とした。

それはカオリンをもとに《磁器》を発明した古代中国人たちの製法を踏襲しているだけに、あくまで根本的には原材料を元にした『技法』の伝播に過ぎない。彼らは原料を入手できてしまったがために、別の手段を用いて同じ結果にたどりつこうなどと、迂遠なことなどしなくてもよかったのだ。


「陶石なしに磁器を作るなど聞いたことがないが……『千倉石』を使っていないということは、ぼうやは瀬戸からきたわけではないんだね? 常滑(とこなめ)の土で磁器は有り得んし、ということは美濃か……もしや美濃で磁器を焼くに足る新しい石でも発見されたのかね」


主人はすぐに草太の出自に気付いたようだ。

まあこの地域で焼物産地といえば、瀬戸でなければ美濃、あるいは常滑なので、推理というほどのものではないかもしれない。常滑は鉄分を含む『赤もの』とよばれる焼物にほぼ特化しているので、粘土資源的にも磁器生産との結びつきは考えづらいだろう。

むろん草太のほうもわきまえたもので、相手が食いついたのを知ってとたんに落ち着き澄ましている。


「…石。…そうですねぇ、石と言えば石なのかも」


すでに商談には非常に前向きになっている主人であったが、目の前の子供が積極的に売り込んでこないものだから、前のめりになった気持ちをもてあまして眉間に皺を寄せている。

先ほどまでのおどおどした様子が霧散して、出されたお茶を取り澄まして飲んでいる子供の態度の変化がなにを意味しているのか、必至に吟味しているふうである。


「その羊羹はなかなか評判のものでね。黒砂糖を惜しまずに作った甘さがまた格別で…」

「あ、ほんとだ。あまいですね」

「…窯元から送られてきた見習いぐらいに思っていたが、その言葉遣い、きみはもしかしたらお武家さまの子かな」


何気ない会話である。だがその実、エサで釣って身元を聞きだそうとしている。話を変えたようで実際には身元確認が続いている。

だが草太のほうもおいそれと産地の窯をいうことができない。

天領窯はまだ林家の物になってはいないし、彼がこの場を去ったあと必ずこの主人がするであろう、商売っ気に突き動かされた独自調査を警戒せねばならなかった。

こちらの話がまとまる前にフライング気味に現地までやってこられたら、すべてが台無しになってしまうだろう。

草太はそのとき《切り札》を取り出した。こういうこともあろうかと、かれの身元を明らかにする証明書を持参していた。

身元を証明すると同時に、商人がこちらを軽く見られない程度の権威を秘めた証明書だ。


(もらったときから流用する気満々だったけどね~)


油紙で大切に包んだその書状は、この重要な交渉の席でおそらく必須となったキーアイテムであったろう。

根本代官が祖父に渡した『認可状』である。


「美濃は江吉良林家領の代官様、坂崎源兵衛様よりいただいた、この皿の由来を証し立てる書状でございます」


代官、という言葉を聞いた瞬間に、主人の様子が急激に改まった。

先ほどまでの美味な酒食を前にしたような、やや下品な物ほしさがなりをひそめ、直視するようだった視線も下に落とした遠慮がちなものとなる。代官が差し向けた人物であるなら、年齢などに関わらず、かなり上位の『士分』であると判断せざるを得なかったのだろう。


「江吉良林家の所有する天領窯にて産した皿です。わたしは大原郷の庄屋、林太郎左衛門貞正が孫、林草太と申します」


苗字を持つ意味。庄屋とはいうが林という名のひっかかり。

説明はせずとも、『浅貞』の主人は草太を『江吉良林家係累の者』と認識した。


「なにゆえこのような子供がここ名古屋にまでやってきたか、なにゆえ年端もないものが根本代官様の代理として認可状を携えていたか、…単刀直入に申し上げます」

「………」

「その焼物を作りだしたのがこのわたしめにございますからです」


その瞬間の『浅貞』の主人の表情の激変は見物だった。


「焼方、素材、その他いろいろなものに付いて、ご説明が出来るのがわたしのみでございました。…ゆえに大変失礼とは存じましたが、このような若輩とも言われぬような小童の身で厚かましくも伺わせていただいたしだいです」


主人は目の前の子供と、その子供が携えてきた不思議な磁器とを改めて順番に眺めた。この奇妙な対面の裏側に潜むかもしれない、いろいろな事情を想像しているのかもしれない。むろんおのれの身に降りかかるリスクも勘案したことだろう。


「その《皿》を、わたくしめにお売りしてくださるので?」


いつの間にか主人の言葉は敬語調になっている。

草太を対等な取引相手とみなしたのに違いない。

かれの小さな肩の上には、目には見えない江吉良林家2000石の大旗本の権威が控えている。


「なかなかに珍しい焼物です。新しい商品の見本としてぜひともお譲りしていただきたいところなのですが…」


主人の温度の低い声が座敷の空気を打った。


「しかし林様の領内といっても、そこは濃州。美濃焼とあればその取締は西浦屋さんの領分。わが『浅貞』は瀬戸物を扱うお店ですので、失礼ですがはいそうですかと軽々しくは承れません」


これは駆け引きである。

その言葉どおりにとらえてしまうような素人に、海千の商人相手に商談などまとめられはしないだろう。この相手は、確実にボーンチャイナに食いついている。それは確信している。

いま『浅貞』の主人は、目の前の得体の知れない子供の力量を測っているのだ。生き馬の目を抜く商売人たちと対等と認めるべき相手なのか。

警戒するだけの『交渉力』のない相手ならば、たとえ相手が権力を持ったお武家でも、あの手この手で見事にかっぱごうとするであろう。

下手な解答などむろん許される状況ではない。

草太は無意識に渇いた喉を動かした。買い叩こうとする強い立場にある顧客に対して、全力で立ち向かわないことは自らの努力と苦労をないがしろにする背信行為である。前世においても、生き死にぎりぎりの零細企業にとって、交渉は常に綱渡りだった。


「その点は御安心ください。林家の領はたしかに濃州にあれど、根本の地に代官所を置いていることからも分かる通り江吉良林家の領地は笠松郡代様の裁量に含まれる土地ではございません。…さらにはそこに築かれた窯は幕府より特別に築窯を許された新しき天領窯でございます。美濃窯23筋に含まれるものではございません」


つらつらと語りつつも、相手の顔色の変化に注目し続ける。

少しでも異変を嗅ぎ取れば、その瞬間に『屁理屈』の方向性を修正していかねばならない。

商談とは台本を読むようには進まない。相手の主観、価値観に合わせて、舌先三寸の攻防は千変万化の対応を求められる。

主人の目線は動かない。

草太はたたみ込みどころとばかりに声を強くした。


「林家は新しいそれら磁器を作り出しましたが、まだ確たる販路を得てはいません。濃州でもあり、西浦家に持ち込めば話も早かったに違いありません。…ですがそれを良しとせず、こうしてこの地の焼物の専売者たる尾張様のお膝元までやってきたのは、この焼物のすばらしさをご理解いただけるまことの『審美眼』を持った協力者を得るためでございました」


遠まわしに、西浦屋は物をみる目がないとこき下ろしているわけだが、むろん『浅貞』の主人もかれの言葉を額面どおりには取らない。この道の専門家でもあるから、美濃焼市場でいかに西浦家が専横を振るっているのか知っているのだろう。安く買い叩く西浦家のために、美濃焼窯がなかなか質的な向上を得られない現状など、まさに釈迦に説法というところであろう。

独占された市場では、買い取り競争が生まれないので常に市場最低価格が美濃焼の取引価格なのだ。


「このわたしにおこがましくも『審美眼』があるのかは分かりませんが、この皿がいままでにない『雰囲気』を持っていることは分かります。この素材の透明感は、有田の物にも見たことはございません」

「では…!」

「早まらないでください。まだ買い上げるという話ではございません」


さすがは大店の主人である。腰は重く、軽々しさがない。


「いま瀬戸では、新製焼と呼ばれる、有田の磁器に習った染付け磁器が振るって、すこぶる活況でございます。我が店が取り扱う新製焼も、江戸表や堺で飛ぶように売れております。作っても作っても間に合わぬぐらいの勢いです。…わたしは毎朝瀬戸のほうに手を合わせて拝むのが日課となっているぐらいで」


手を合わせたジェスチャーをしてみせる主人の茶目っ気に、草太は思わずつりこまれそうになって、正座の膝の上で握るこぶしにぎゅっと力を込めた。


「物を売る商売は、お客様の要望に応えられなくては始まりません。この焼物は、月にどれくらい納品することができるのですか」


ずばりと、急所を突いてきた。

もしも草太が逆の立場でも、相手の生産能力を問いただしていたことであろう。世の中、口だけうまくて責任感のないやつが腐るほどいる。責任納品は最低条件だ。


「それは…」


想定していたとはいえ、簡単に答えられる問いではない。現に天領窯は崩落してしまっているのだ。

言いよどむ草太に、『浅貞』の主人は「もっとも…」と助け舟を出してくれた。


「あの大地震のあとですから、おそらくその天領窯も無事では済んでいないでしょう。かくいう瀬戸でも窯崩れがずいぶんと発生して、納品を待ってくれと泣きつかれて往生しています」

「実は当家の天領窯も、少なからず被害を受けております。鋭意復旧の努力を続けていますが、すぐに生産開始とまでは申し上げることがかないません」


実際は、手もつけていない状態だけれども。

その復旧費用も、この皿を売った代価からしか捻出されはしない。まずはこの取引成立が天領窯復活の大前提なのだ。

草太は何度も喉を鳴らした。が、すっかり乾ききった喉に水気はほとんど残っていない。

喉を鳴らしながらも、草太の目は『浅貞』の主人を観察し続けている。

主人は手に取ったボーンチャイナを何度もひっくり返しては、その出来栄えを測っている。食いついていることは確実だ。おそらくあとひと押しが必要なのだろう。

「おいくらですか」と主人に言わせなければならない。

こちらから値段を切り出せば、たぶん足元を見られる。頭を使いすぎて痛くなってきたが、ここでその言葉を引き出せる釣り技があったならば、まさに値千金。

たったそのひと押しで、極貧の林家は明治維新に向けて羽ばたくことができるのだ。


「ところで…」


躊躇に躊躇を重ねて草太がようやく言葉をひねりだそうとしたとき、二人が篭っていた小部屋の周りが急に騒々しくなった。

障子の向こうに人影がばたばたとよぎったと思った刹那、予告もなくバシーンッ! と、障子が勢いよく開かれた!


「『浅貞』殿はまんだ用が済まんのきゃッ!」

「いつまでも待たせすぎだぎぁあ!」


見ればそこには、最前まで店頭で言い争っていた御算用方の役人と竹腰家の用人が肩を怒らせて立っていた。

その血走った目が『浅貞』の当主を探して、ふいにその手元にある不思議な色合いの焼物に止まった。

障子が開け放たれたせいで、外光がつやつやとボーンチャイナの肌を光らせていた。『浅貞』の主人がそれをとっさに後ろ手に隠そうとしたのがまた問題だった。


「それは……めずらしいものなのきゃ」




草太の皿はその瞬間、両家のあいだで新たな揉め事のタネになったようだった。






【※注1】……千倉石(ちくらいし)。文化11年(1814年)、上半田川村で発見された鉱脈から採掘された。瀬戸新製焼の主原料。耐火性が高い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ