006 濃州の白磁
ほんとうにいいのだろうか。
取り残されたお役人たちが呆然と見送る中、『浅貞』の主人は至って平静なようすで屋敷の奥へと引っ込んでいく。
草太は不安げにお役人たちをチラ見し、それから主人のキラーパスを受けてあわただしく動き出した手代さんたちを見やったが、彼を止めようとするものは誰もいなかった。
(…まあ、オレのせいじゃないし)
外見は5歳児だが中身はおっさんの草太は、あっさりとそう割り切った。
責任を追及されることがあったとしても、それに対処せねばならないのは『浅貞』の主人であって、彼自身はいつ何時でも《子供特権》を発動してしまえば面倒ごとから逃れることができるだろう。
『浅貞』の店内は客の入る土間がそのまま店の奥へと通路のように続き、奥の錠前付きの倉庫へとつながっていた。買い付けの業者などが直接倉庫のなかに入れる仕組みになっているらしい。
『浅貞』の主人が背中を見せて歩く廊下は、帳場から土間の通路と並行して伸びている。2階へ続く階段を横目に、主人はさっさと1階の奥に向かっていく。
草太は束の間たたらを踏んだのち、心を強くして草履を脱いで上がりこむ。ぐずぐずしている暇もないので、主人の背中を見失うまいと急ぎ足で追いかけた。
(こりゃたいした大店だ)
よく磨きこまれて黒光りする床は、素足に吸い付くようにしっくりする。
廊下は染付けの大壺を飾った壁に突き当たり、曲がるとすぐに良く手入れされた中庭が見えてくる。
そうして帳場が見えなくなるその一瞬、『浅貞』の主人はおのれが放置してきた厄介な客たちをちらりと見た。
(…うわ。このひと笑いが黒いわ)
おそらく口元が見えていなければ笑っていることも分からなかっただろう。近くにいた草太にだけ判明した事実だ。
主人が彼を手招きして入った部屋は、中庭に面した6畳ほどの座敷だった。
座敷に入る前に主人が手を叩くと、慌てたように女中が小走りに駆けよってくる。
「表のお役人さまに粗相がないよう、中川の羊羹でも出しておやり。…ああそれと、ここにも同じ物を持ってきなさい」
人遣いに慣れていらっしゃる。
なにをさせたいのか言葉の趣旨も明瞭なため、使われる側も迷うことなく素早く反応する。なかなかに機能的な職場らしい。
指示を出し終えた主人は床の間を背にした上座に腰を落ち着け、草太にも坐るように促してきた。
寺とかにありそうなきれいな座布団が目に入ったが、大事な商談を前に地雷を踏むのもいやなので、とりあえず畳に直に正座した。むろん畳の縁を踏んだりはしない。
とくに主人も座布団を使ってくれとは言わなかった。たぶん相手を見て使う使わないを決めているのだろう。
商談の体裁をとったとはいえ、主人にしたら気詰まりな場所から逃げおおせる方便に使っただけであり、こんな小さな子供相手にまともな商談などする気もなかっただろう。
草太が値踏みするように主人を見ると、相手もいままさに同じ観察する目で草太を眺めていた。
「…それで、用件を聞いていいかね」
一応は聞く振りぐらいはしてくれるらしい。
「ああ、慌てなくていい。表のほとぼりが冷めるまでそれなりに時間はある」
そんなことを悪びれるふうもなく言った。四角い顔が好々爺然と笑んでいるが、その目の奥にある揺るがない巌のようなものが「軽々にはとるなよ」と対面者に圧迫を加えている。まさに狸爺だ。
「…『浅貞』さんが瀬戸ものの目利きだとうかがいまして、尋ねてまいりました」
草太は首にかけていた風呂敷をはずし、結び目を素早くほどいた。
旅のあいだにやや薄汚れた風呂敷のなかからは保護材代わりに切り取った筵に包まれた箱が出てくる。
祖父のコレクションから借り受けた名物用の桐箱である。
「見ていただきたい焼物がございます」
「…ほう」
厳重に仕舞われた品物にすでに目は吸い寄せられている。
貧乏人が家財を売りにやってくるなど日常茶飯なのであろう。その目に得がたい名物を期待する色はなく、むしろどうやって面白おかしくこき下ろしてやろうか……ほとんど無価値の雑器類と決め付けている……酷薄な品評者の目で待ち構えている。
桐箱の蓋を開けたところで、草太はわざと手を休めて、何かを恐れるように不安げに部屋の四方を見回してみせた。
覗いているやつがいるかもしれない……そんな強迫観念に襲われる、分不相応のお宝を持ち込んだ貧乏人を装って。
「…こいつはほんとに、まだ秘密なんです」
主人がおやっという顔をする。
そして草太がまわりを不安げにうかがっている理由に気付いて、やや前のめりになった。
「なにかいわくのある名器なのか」
「…いえ、その、…なんていうか」
言いよどむ草太の『釣り』に、まんまと乗ってくる。相手が子供だから防御にあまり神経を使っていないのだろう。
「大丈夫だ。この部屋のまわりに変な人間はいないから」
「旦那さんがそう言うんなら…」
いささか演出過剰気味だが、内心の葛藤で逡巡する小心者を装って、ほとんにゆっくりと箱をあけ、布を広げていく。
茶色のくすんだ布が払われていくと、なかからあの白い磁肌が露出してくる。
「…むう」
瀬戸の焼物を大量に扱っているという大店を切り回しているからには、それなりの『鑑定眼』を備えていたであろう。現れてきた磁器特有の白色、その色合いがこの時代一般的な磁器のそれと微妙に違うことに気付いたようだ。
カオリンから作る一般的な磁器の色合いは、有田しかり瀬戸新製焼しかり、まさに純白、ものによっては青ざめてさえ見える玲瓏さをもって美しさとする。
だがこのボーンチャイナは。
「釉薬か……いや、これにはイス釉さえかかってはおらんな」
そしていよいよボーンチャイナを草太は手に取った。
その怪しい輝きを放つ磁器の皿を見て、『浅貞』の主人の顔色はあきらかに変わった。
その類まれなる温かで柔和な肌。乳のように明るさを含んだ暖色の白。
ボーンチャイナの放つ不思議な色合いがいままで見たことのない類のものだと見抜いたようだった。
「それをどこで」
「新素材を用いて新しく作りだされた《磁器》です」
駆け引きの始まりだった。




