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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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005 尾張藩の憂鬱






『浅貞』前のお役人集団は、なかなか去る気配がなかった。

手近で見つけた茶屋に腰を降ろし、消極的な見物人となった草太と次郎伯父は、すぐに出てきた煎茶をひと口、ほっとその温かさに息を付いた。

熱くなった湯飲みが手の中で熱を伝えてくれる。かじかみ気味の指がみるみるほぐれてくる。

こうしてじっと坐ることで、『浅貞』前の集団からいろいろと大声が発されるのを聞きとることができた。どうやら役人同士で揉めているらしい。

言い合っている者同士は胸倉を掴まんばかりに顔を寄せているし、まわりを取り巻く者たちは腰の得物に手をやっている者さえある。


「…なにやってんだろ」


仲間同士で喧嘩とかよく分からない。部署の違う者たちがかち合って、それぞれの都合で角突き合っているのだろうか。


「浅貞屋には当家のほうが先に物申したんだがッ! 御算用の小役人風情がでしゃばるんやなーぞ!」

「こ、言葉を慎まやーてッ! こっちには御算用頭の岩倉様がおられるんやぞ!」


なかなかに激しい応酬である。

次郎伯父に解説の役を振ってみたが、さすがに尾張藩の内状までは知らないらしい。…所詮は田舎の宿場町程度の知識ということか。


「…おまえいまなんか腹立つこと考えんかったか」

「別に……なんにも」


最近次郎伯父にサトリスキルが身に付いたのかもしれない。ちょっと引くぐらい鋭くなっているのはなぜなのか。

そのときついでに頼んだ団子を持ってきた娘が、世間話でもするように教えてくれた。


「またいつものことやて。付け家老の竹腰のお殿様と、主家の尾張様の仲が悪うて、顔合わすとすぐに喧嘩になるんやわ」


娘曰く、尾張徳川家には、家康公の時代から将軍家にはむかわぬよう監視役の家老衆がつけられているのだという。藩のなかにあって同時に万石取りの大名でもあるという有力すぎる家老たちは、その求められる役柄ゆえ発言力も藩主と対等であるらしい。


「成瀬様は犬山3万5千石、竹腰様は今尾3万石の殿様やしね!  あっこで小役人風情とか偉そうにしてるのがたぶん竹腰の殿様の用人やわ」

「藩の家老なのに、大名?」

「うちらもその辺はよー分からんけど、ご家老様の後ろには江戸の公方様がついてらっしゃるとかで、なんやかやと尾張様がだまっとるのも、結局はそーゆうことやないの?」


御三家筆頭の尾張藩、いろいろと内憂を抱えているようです。

看板娘なのだろうが、その横顔をなんとなく見て、そばかすとだんごっ鼻が残念だなーなどと失礼なことを考えていると。


「なんかしつれーなこと考えたやろ」


ここにもいたサトリ妖怪に、お盆で軽く小突かれる。いいのか、お客様は神様じゃないのか。子供特権で泣くぞ。

あかんべえをしながら去っていく看板娘に若干萌えたのは内緒であるが。

なるほど、まあ大体の事情は察した。

尾張家も竹腰家も、大地震で生活雑器が大量に失われて、瀬戸新製の太いパイプを持つ『浅貞』に取引を持ち掛けたいのだが、たまたまその両家が店先でバッティングしてしまった、ということなのだろう。

争いになっているのはむろん、順番など待っていたら器が手に入らないからだ。

あの地震の後である……産地からの入荷が一時的に滞って、名古屋の町で陶磁器が極度の品薄状態になっている可能性があった。


「…おい、どうするんや」


考え事をしている横で、次郎伯父が肘でつついてきた。


「どうするって…」

「ありゃなかなか終んねえぞ。このままおとなしく待つんか?」


振られてそちらをみると、不毛ななじり合いが続いている。あれはだれか影響力のある上役がこないと収まらないだろう。

店内の帳場では『浅貞』の主人が、貼り付けたような笑みでむっつりと坐っている。そりゃ腹も立つわな。

これだけ営業妨害されても、『浅貞』的には尾張藩の不興を買うわけにはいかない。こうして営業妨害された上に、大量の商品をツケ買いされたらそりゃたまったもんじゃないだろう。

草太と次郎伯父は互いに顔を見合わせて、短く申し合わせた。


「…まっとったら日が暮れそうやし、ぼくいくよ」

「…まさか子供に手を上げはせんと思うけど、気いつけろよ」

「わかっとるよ」


手をつけていなかった団子を忙しくほおばって、お茶で喉に流し込む。

団子は予想よりも甘さが控えめだった。それにほんのりと風味が付いていて、わずかに黒蜜の余韻が口の中に残った。

茶屋から『浅貞』まで、およそ10間(約18メートル)ほど、急ぐまでもなく間近に迫ってくる。草太はなるたけ息をひそめて、役人たちの背中側から店内をのぞく場所までやってきた。

見えてはいるのだが、気分的に爪先立ちに背伸びしたりする。

近くで見る『浅貞』は、たしかに大店だった。間口だけで6間(約10.8メートル)以上あり、なかには帳場の主人の他に、手代らしき者も幾人か見える。年季の入った藍色の前掛けには『浅貞』の屋号が染め抜いてある。

えらの張った顎と頑固そうな太い鼻。柳のように落ちかかる長い眉毛が印象的な『浅貞』の主人は、50半ばほどだろうか。入り口の隙間からそわそわと覗き込んでくる子供の姿にすぐに気付いて、帳場格子の向こうで少しだけ背筋を伸ばした。

ふむ、という感じに口元が動いたのは気のせいだったか。

主人の目が草太を観察し、そして店頭で揉め続ける迷惑な役人たちに向けられる。

ふたたび主人の顔がこちらを向いたとき、言葉もなくその口がはっきりと動いた。それは明らかに見る者に『読唇』を要求していた。


ナニカヨウカ(何か用か)。


簡単な言葉だ。

草太はすぐさま勢いよく頷いて見せた。その子供っぽいせわしない様子に、少しだけ笑ったようだった。


「おお! やっときたか!」


いきなりだった。

『浅貞』の主人が帳場から立ち上がり、こっちに手招きして見せた。

にこにこと笑いながら手招きしてくれるのだが、当然のことながら役人たちからネガティブな視線が彼の体に突き刺さってくる。

役人たちは(自分たち的に)重要な用事でここに来ているというのに、なんで子供など相手にしているのだと苛立っているのだろう。

自分の都合が一番大事ですものね。分かります。

だがもはや草太には逃げ道などなかった。ここで逃げ出すぐらいなら、役人たちがいなくなるまでまだ茶屋で粘っているところだ。


「朝一番に来るときいていたから待っていたんだよ。…ああ、おまえたち。お役人様たちにお茶でもお出しして。わたしはこの子の親と約束事があるから、少し奥へ下がっているよ」

「は、はい! だんなさま」


『浅貞』の主人は子供のネタでこの場から逃げ出す気満々だった!


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