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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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004 浅貞






冷え込みの厳しい朝だった。布団にもぐりこんでいても震えがくるような冷え込みで、たまらず起き出した草太は室内の空気が息が白くなるほど冷たいことに気付いた。

見るときっちり閉めたつもりの雨戸が、建て付けの悪さから隙間が空いており、容赦なく外気が入り込んでいるようだった。たぶん地震で建物がゆがんでいるのだろう。


「…ううっ、さぶ」


草太は身をすくませながら雨戸を開いた。

暗かった室内に、溢れるように光が差し込んでくる。ビジュアル的には温かそうな光であったが、同時に入りこんできた凍るような外気の冷たさと比べたら、相殺どころか1回コールド負けの弱小戦力に過ぎない。


「お客さん、朝飯できとるで持ってきゃーす?」

「取りに行くし待っとって!」


廊下を通りかかった仲居さんにアピールしつつ、いまだ眠りこけている次郎伯父の布団を引き剥がしにかかる。

このダメオヤジは、あのあと甥っ子の眼を盗んで夜の名古屋に繰り出したようだった。

へそくりでも隠し持っていたのか、朝方までさんざんに飲んで遊んでしていたようで、おしろいと酒の臭いを微妙なバランスで混ぜたような甘ったるい臭いを撒き散らして爆睡中である。

布団を引き剥がそうとすると無意識に抵抗してくるので、それならばと敷布団を引き上げて転がしてやった。ぬくい布団空間から転がり出た次郎伯父は、うまい具合に廊下まで転がって仲居さんに踏みつけられた。

ざまあ。




「朝からひどい目にあったて」


宿の朝餉を掻き込んだ伯父甥の二人は、朝の広小路筋を歩いていた。

次郎伯父はぶうぶうと文句を垂れ続けていたが、それに甥っ子がまったく反応を返さないものだから、なにを思ったのかいきなりゲンコツを落としてきた。


「いたいっ」

「全部おまえのせいやろが。すまし顔しやがって」

「次の日に大事な取引があるってのに、朝まで飲んでくるだらしない人間に言われたかないよ」


まだ辰の刻(8時)ぐらいだというのに、すでに名古屋の町は活発に動き出していた。

差し渡し何十メートルあるんだかとあきれるほど広い広小路筋も、道端で今日の商売に向けて屋台商が店開きの準備をしているので、実際は少し狭くなる。そこに丁稚を連れた商人や出勤中らしい職人さん、用事でお出かけふうの女中さんなどがすでに行き交っているので、すでにして通勤ラッシュという感じである。

辺りをものめずらしそうにキョロキョロする甥っ子に、世慣れた伯父は得意そうにあれやこれや名古屋の風物について講釈を垂れた。


「…左手によーけ(たくさん)大きな瓦屋根が見えるやろ。あのへんが南の寺町や。あの一番でかいのがたぶん万松寺や」

「(ああ、あの大須のパーキングの)…へえ」

「そのそばにあの信長公の腹心だった平手政秀公を祭った政秀寺があってな」

「(どれが大須観音なのかな…)…そうなんだ」


寺町の寺社群のなかでもひときわ大きい万松寺は、あの信長公が若かりし頃、父信秀の位牌に抹香をぶちまけたお寺である。

政秀寺といい、後の将軍家康公がどれだけ信長の影を引きずっていたかがしのばれる。信長の意を継いで明に戦争吹っ掛けた秀吉といい、信長に刻まれたトラウマは相当なものだっんだろう。

ぼちぼちと歩いているうちに広小路筋が急に狭くなる。

そこから先は堀切筋である。狭いといっても前世の広小路と遜色のない幅はある。広小路筋が広すぎるのだ。あれとタメを張れるのは100メーター道路【※注1】ぐらいであろう。

宿を出て、二人が向かったのは東の堀川だった。

次郎伯父の知り合いという大曽根の山県屋に向かわなかったのは、店じまいしなきゃならないほど店内ぐしゃぐしゃのところに「これ買って」と押し売りみたいなことははばかられたのだ。

宿で仲良くなった仲居さんに聞くところ、堀川の『浅貞』が最近羽振りがよいそうで、それなら高く買ってくれるのではと見込んだのだ。

やがて堀切筋は、川にぶつかった。

それが江戸時代の『堀川』だった。

石で組んだ割としっかりした『堀』である。そこにゆるくアーチを描く『納屋橋』があった。


(もしかしたらあの饅頭売ってるかも)


ひときわ忙しくキョロキョロする甥っ子に、伯父もさすがに不審顔である。まさか後世で名古屋有数のみやげ物になる饅頭を探しているなど想像もつきはしないだろう。

結果として、納屋橋饅頭はありませんでした。

まだ創業さえしていないのかもしれない。納屋橋饅頭が選択肢から消えた時点で、みやげ候補の筆頭は『ういろう』となった。

青柳とか大須とか有名メーカーはあるが、それらブランドは歴史的には浅いのでこの時代には存在しないので、その辺の餅屋で買うことになるだろう。(『ういろう』そのものは戦国時代以前からあります)


納屋橋の真ん中で二人は立ち止まり、左右の景色を見比べた。

広小路(堀切筋)を境に、北の名古屋城側が旧市街、南が新市街となる。前世の伏見問屋街が碁盤状に区画されているのは、家康公による都市計画の名残りであり、だいたいその辺りが旧市街の中心であった。人口の増加したこの時代の名古屋は、城下町をさらにその外側にまで広げていた。


「『浅貞』は古い商家なのかな」


創業の歴史が古ければ右手の名古屋城方面に、新しければ左手の新市街方面にその店はあるはずである。仲居さんが知っていたのは『浅貞』繁盛の評判だけで、所在地までは知らなかったのだ。


「まだ時間も早いし、散歩がてら歩くか」

「なら名古屋城も近くで観たいし、右にいこ!」


とりあえず右手の名古屋城方面に行くことにする。

このルートは前世的には名古屋駅前の通りから少し入った辺りになる。夜は怪しげな人々が出入りして治安のあまりよろしくない雰囲気の場所だが、この時代は堀川の水運を利用する問屋が立ち並び、運搬の人足や行商人など独特の客筋で賑わっている。

立ち並ぶ商家を興味深々に見て回る草太だが、中をのぞいても品物などはあんまり並んでいない。やってきたお客に請われる形で、店番がいちいち奥から商品を持ってくるらしい。

冷やかしの客などまったく寄せ付けない、ある意味鉄壁のスタイルである。むろん万引きも実行不可能である。


「どの店がなにを扱ってるのか、まった分からんし…」

「看板とかに少しは飾りがあるやろ。知らん店はそうやって探すしかないやろうな」


店によっては看板のなかに意匠化した絵柄の入ったものもあり、たとえば重さを計る分銅を象ったのは両替商、徳利の絵が入っていれば酒問屋などいろいろとバラエティに富むが、店の屋号だけで何の飾りもないという看板も多い。

この堀川そばの問屋筋、城に近づくにつれてやや客層が変わってくる。

そろそろ名古屋城の天守が商家の屋根越しに姿を現し始めたあたりで、脇差をした客が目に付くようになった。


「藩のお役人って、役務で買い出しとかしたりするの?」


疑問をそのまま口にすると、次郎伯父も首をひねっている。


(かみしも)ってことは城勤めの役人やろうけど、わざわざ自分から買い付けに来るなんて普通はありえんが」

「あの格好、やっぱ町同心とかじゃないよね。…あそこの店とか、けっこう人数集まってすごいことになってるし」


どの時代でも、お上の関係者には進んで近寄りたくはないと思うもの。警察官が集まってる店があったら、なんとなく近寄りがたくなる心理である。

そのお役人に群がられている商家は、気の毒なことに本来の客たちに遠巻きにされてしまっている。

さっそく次郎伯父が近くを通りかかった人を掴まえて問うと、


「お城の品物がよーけおしゃかになっとるらしいで、その買い付けで出てきとるんやないの。…ほとんど後払いのツケ買いやで、どの店も往生こいとるみたいやけど」


なるほど、名古屋城内の備品の買い付けなのか。

よく見れば、彼らが集まっている店の看板に、茶碗らしき絵が描かれている。

城内の壊れたものとは、すなわち割れものである茶碗等の生活雑器という図式なのだろう。呼び出さずにわざわざ人を遣っている辺り、『後払いのツケ買い』で藩のほうも後ろ暗いところがあるのだろう。

そんなふうに暢気に感想を思い浮かべていたところに、次郎伯父が頭を小突いてくる。

うっとうしいので邪険に払いのけていると、


「草太、アレを見ろ」


伯父が指さした。

その先には、くだんの気の毒なお店がある。「見ろ」ということは、その看板を見ろと言うことなのだろう。なにげにその看板に目をやって、草太は瞬きした。

えっ?

束の間頭が情報を拒絶して空転する。

看板に『浅貞』って書いてあるみたいだけど…。マジで?

間口の大きなその商家の、金で目打ちした看板には、たしかに『浅貞』と屋号が相撲文字のような大書で描かれていた。


「…草太」

「…なに?」

「あそこに突っ込んでく度胸はあるか?」

「………」


ふたりの田舎者は無言で見返し合うと、なにをバカなとおどけるアメリカ人のように首をすくめ、仲良く近くの茶屋に回れ右したのだった。






【※注1】……100メーター道路。戦災復興院により各地の大都市で建設が計画され、GHQの「敗戦国にはもったいない」というひどい難癖でほとんどが頓挫した、びっくりするほど幅の広い大通り。名古屋に2本あり、久屋大通と若宮大通がそれに当たります。久屋大通の真ん中にあるセントラルパークはその防災用緑地の名残りらしいです。


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