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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【鬼っ子東奔西走編】
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003 子狸、策す






その日、宿を取ったのは広小路筋の旅籠だった。

冬の夕暮れは早い。ようやく名古屋の中心街にたどり着いたころには、透き通るような夜空に星が石英の粒のように輝き始めていた。

もうずいぶんと暗くなってシルエットでしか確認できない名古屋城、その正門から南へと延びるメインストリート『本町筋』【※注1】の賑わいに気もそぞろになりつつも、二人は広小路の辻までやってきて、ようやく空き部屋のある旅籠を見つけた。

知多屋というその旅籠は、その道のプロである次郎伯父曰く、「まあ、名古屋では2流どころやな」だそうである。2階の北側に面した部屋で、あまり日当たりがよくないのか畳が湿気くさい。

桶に水を貰って身体を拭うと(むろん風呂なんてありませんとも)、さっぱりしたところで夕食をいただいた。

お膳に並んでいたのは、ご飯と味噌汁、漬物とアジの開き半身をあぶったものである。


「安い飯やな」

「でもうまいよ」


次郎伯父は若干不満そうであったが、草太は本当に久しぶりに口にした赤味噌(むろん豆味噌ですとも)がかくも口に甘くうまいものだと思い出したようにしっかり堪能しました。漬物もこの細いタクアン、守口漬と踏んだが。おつな味でおいしゅうございました。

あの大地震からそれほど時は経っていないというのに、表面上名古屋の市街地に被害らしいものは見当たらない。

こっちはそれほどでもなかったのかなと仲居を捕まえて尋ねると、


「そらあもーあんときはたーへん(大変)だったがね。お店んなかはどえらーことになっとるし、壁は崩れるわ柱は落ちてくるわで」

「でももうすっかりきれいじゃ…」

「なにいってりゃーす。ほれ、裏のほうに見えんように隠したるだけやわ」


建物がゆがんだのか、まったく引くことのできない障子を仲居さんがさっさとはずして、旅籠の裏手にある庭を指し示した。

そこには壊れた家具や戸板などが山のように積み上げられていた。


「本町筋は尾張名古屋の目抜き通りやし、みっともなーとこ見せられんてわたしら総出で片付けたがね」


どうやら本町筋、広小路筋などの大通りは名古屋人の面子にかけてきれいにしたっていうことらしい。もともと作りのしっかりした町屋であるし、大原みたいにばたばたと倒壊したりはしなかったのだろう。

本町筋の旅籠になかなか空き部屋が見つからなかったのも、もしかしたら客を泊められるような状態の部屋が少なかったのかもしれない。まあそういう微妙な時期にやってきているのだから、文句を言う筋合いなどどこにもなかったけれど。


「いまは暗らて見えんけど、お城も白壁がはがれてまって、大急ぎで直しとりゃーすよ」


食い終わった膳を片付けて、ばたばたと下がっていった仲居を見送ってから、草太は次郎伯父と明日の予定について詰めの打ち合わせに入った。




「…その《飯田屋》の旦那さんに道楽仲間を紹介してもらうにしても、美濃焼は尾張様の許された蔵元の専売やし、それをこそこそ売り買いしようってことだから、抜け荷といわれたら返す言葉もないんやけど」

「《飯田屋》の旦那は口の堅いお方だから心配すんなや。たぶん紹介とかいう話になる前に、その旦那が買い取りたいとか言って来るかもしれんし」

「やから、そうじゃなくて」

「《飯田屋》さんは堀川におると思うが、最悪七里の宮宿にある店にいっとるかもしれんし、あしたは早う出るぞ。おまえはまだガキなんやから、ちゃんと夜更かしせんと寝えや」

「次郎おじさん…」


次郎伯父は戸の隙間から見える外のにぎわいにそわそわと落ち着きなくしている。こういう大きな町にしかない子供には言えないところへ繰り出す気満々そうな伯父の姿に、草太はため息をついた。

こっちに知り合いが多いと聞いたからそれなりに当て込んでいたのだけれど、やっぱりこういうのは事前の打ち合わせが大事だと痛感する。

草太は正座する膝を摺り寄せて、背中を見せる伯父の肩をゆすった。


「なんや」


こっちを見もしないでめんどくさそうに応える次郎伯父に、少しイラッとした草太は声を強めた。


「おじさん!」

「…っと! 急になんや!」

「その《飯田屋》さんがお金持ちで収集家なのはもう分かったから、それは脇に置いておいて、…できたら尾州さま公認の蔵元さんとかまっとうな売り先の紹介してほしいんやけど」

「まっとうなって、《飯田屋》さんはれっきとした…」

「材木問屋なのは聞いたよ。買ってくれそうなのも分かったけど、今回売り先にしたいのはちゃんとした売り捌き権を持った藩御用の蔵元さんにしたいんやわ」

「草太…」


草太のまっすぐな視線に次郎伯父が口をつぐんだ。

そぞろだった伯父の眼がそのとき焦点を定めた。


「どういうことや」


年端もない子供に考え違いを指摘されて、反射的に腹を立てるのは普通の大人として致し方なかったかもしれない。言葉に荒れがあったが、草太はとりあえず聞こえない振りをした。


「こいつを売りたいのは今回だけじゃないんやよ。…こんなふうに名古屋に来られるのはめったにないことやと思うし、その貴重な機会を無駄にしたくないんや。天領窯が作りなおされて新しい焼物がどんどん生み出されてきたとき、継続的に買い取ってくれる商売相手を見つけとかないと、在庫が積み上がってうちはすぐに破産してまうからね」

「…一見限りの客はほしくないってか」

「例のものがどれだけ珍しくっても、100も200も買ってくれるわけじゃないんでしょ? 趣味人の小さな胃袋だけじゃ、このさきの見通しが立たないよ」

「……」

「目先の小金で眼をくらまされとったら、とてもじゃないけど曲者ぞろいの商家相手にしのいでいけんよ。…いまは多少安く買い叩かれても、信用できる取引先を見つけんと」

「…ちゅーことは、おまえは尾張藩の蔵元に渡りをつけたいってことか」

「…というより、天領窯の焼物を西浦家に流す必要がないようにしたいんや。西浦家は美濃焼の総取締役、笠松郡代様支配下の美濃全域の焼物の流通をあの手この手で独占してしまってる。本来なら天領窯の産物も西浦家に捌いてもらうのが筋なんやけど、あの窯元を買い叩いてひとりだけ利益を吸い上げてしまう強欲なやり口に任せたら、蜜は全部持ってかれるやろう…」


草太の脳裏には、あの多治見郷の西浦屋敷前の辻に掲げられた、《買い上げ価格表》を見上げてため息をつく職人たちの姿がありありと思いだされる。

独占はたやすく専横に代わる。本来美濃焼業界全体にいき渡らねばならない富が、全部西浦家に吸い上げられてしまう。

それは彼の作りだしたボーンチャイナでも同じであろう。肝心のうまみを何の努力も払わなかった他人に全部吸い上げられて、なにをやっているのか分からなくなってしまう。

現代知識を持った《大学者》が天領窯で生み出していくであろう新商品を、ちゃんと正当な対価を得られる販路で捌いていかねばならない。その販路開拓は、実際に商品が本格流通を始める前に筋道をつけておくべきだろう。


「…蔵元の知り合いはいないの?」

「…ないことはないがな。やけど、名古屋の蔵元はほとんど《瀬戸もの扱い》のお店ばっかりやし、美濃焼やとか言ったら二の足踏んでくると思うぞ。世間の狭い商売やし、美濃の総取締役、飛ぶ鳥の西浦翁と揉めてまで売りたい思うやつかおるとは思えんが」

「名古屋には美濃焼扱う蔵元さんはおらへんの?」

「美濃焼は木曽川の今渡から川船で運ぶからな。河口の桑名で江戸と境の船便に乗せ替えられて、名古屋にはほとんど入ってこんと思うぞ。さっき飯食ったお膳の茶碗とかもそうやったが、この街で見かけるのはほとんど瀬戸ものや。…もともと尾州藩が保護に力を入れとったのも信長様以来の名産地の『瀬戸』やからな」

「美濃焼も尾州様の専売なんやろ?」

「一昔前まではずいぶんと品が悪くってな、とてもじゃないが儲かるとは思わんかったんやろ。『瀬戸』の窯は困ったときも尾州さまからいろいろ助けられとったらしいが、『美濃』は基本幕領やしほったらかしやったんや」


そうなのだ。

瀬戸・美濃の焼物は家康公の取り計らいで、尾州の専売とされていたのだが、自領である瀬戸はともかく、幕領である美濃の窯にお金を出す余裕など尾張藩にはなかったのであろう。瀬戸が守り育まれたのとは対象的に、美濃は専売権のみ握られたまま捨て置かれ、衰退していった。

その尾張藩と美濃との微妙な『距離感』が、多治見郷のビッグファイヤー西浦御大の『総取締役』という過大な役職就任につながったのだともいえる。管理が面倒くさいから全部まる投げした感じなのだろう。『総取締役』などという役職は瀬戸にはないのだ。


「知っとるとこは、大曽根の『山県屋(やまがたや)』さんぐらいやけど」

「大曽根って、来る途中に店あったの?」

「坂下のへんに看板があったんやけど、そういや店はしまっとったな。売りもんが焼物やし、おおかたあの地揺れでえらいことになっとったんやろ」


たしかに、店内は割れものだらけであっただろう。その被害がもしおのれの身に起こっていたらと想像しただけで総毛立つ。


「焼物の大店っていや『浅貞』【※注2】とか、大きいところはほとんど堀川にあつまっとるらしいし、最悪そこで飛び込んでみるのも手かも知れんな」

「堀川か……たぶん積みだしが便利やからやろうな…」


堀川とは、その名の通り名古屋城の堀から流れ出る川である。

矢田川から用水を通して引き込んだ水が、堀川を出口として排水される。川は下って、熱田神宮のあたりで海にそそいでいるらしい。

この時代の海岸線は、現代よりもずっと内陸にあった。


「押切村の一東理助って、聞いたことない?」

「一東って、聞いたことないが……蔵元のひとりか?」

「おじい様に教えてもらったんだけど、その人も《取締役》のひとりらしい。西浦円治翁が美濃を取り締まってるように、一東理助ってひとがこっちの御会所のほうを取り締まっているらしいんやけど」

「瀬戸ものの取締役やないのか…」

「西浦家とおんなじ尾州公認の『蔵元』やないと取締役にはなれんはずやけど、…もしかしたら名前だけかも知れんし、……そうか、あんまし有名やないんやな…」


ぶつぶつとひとりつぶやきつつ草太はおのれのなかの知識を整理する。

西浦家に対抗するためには、肩書き的に同じ『取締役』が後ろ盾になってくれるとやりやすいなとか簡単に考えていたのだが、いささか安直であったのかもしれない。

もっとも、焼物産地としての経済的重要度ならば、この時代の瀬戸と美濃、ふたつをひき比べれば大関と十両ぐらいの違いがある。瀬戸もの扱いの大店ともなれば、かの西浦家だとて簡単には手が出せないだろう。

美濃の片田舎では随一の豪商といわれても、ここ名古屋の大店に比べればドングリのひとつであるに過ぎない。

そのとき草太の浮かべた笑いは、たいそう不敵なものであったようだ。

次郎は顔を拭って「子狸が…」とぼやいた。






【※注1】……本町筋(ほんまちすじ)。現在の大津通りがそれに当たる。この時代、この通りに店を構えることが尾張商人にとっての夢であったようです。

【※注2】……浅貞(あささだ)。主人は吉田貞助(よしださだすけ)。瀬戸新製焼により巨万の富を得て、当時名古屋でもトップ10に入るほどに大店だったそうです。


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