001 下街道をゆく
草太は尾張名古屋に向かっている。
根本郷での大変な作業からおのれの身を引き抜いてまで名古屋に向かったのは、祖父貞正に語った林家興隆のシナリオの最初の一歩を為すためである。
「おじいさまは、代官様の要請に積極的に協力して、その信頼を確固たるものとしといてほしい。そうして得た信頼と、代官様から今回のことでいただけるであろう《報酬》の言質をもって、林家は『天領窯』の窯株を確保する」
それが雄飛の第一歩。
そこで祖父はすぐに鋭く突っ込んできた。
「天領窯はあの状態だ。窯株のどうのと言っておられる状態ではなかろう。株を得たとて、その後どうするつもりだ。我が家にはあの崩れ果てた登り窯を作り直すような財はないぞ」
むろんそれは当然最初に立ちはだかる壁である。その資金力のなさで草太自身がどれほど思案に暮れたことか。
そして彼は『天領窯』のプロジェクトにどうにか入り込み、手探りに可能性を模索しながら、ついに国内初の新技術の再現に成功した。
天領窯が地震で崩れたときには絶望もしたが、それは同時に彼に新たなチャンスを与えることになった。
もしも何事もなくボーンチャイナが焼きあがっていたなら、それはそのまま天領窯の成果の一部として代官所に吸い上げられ、林家とはまったく関係のないところで他人の富となったことであろう。
だが草太はそれを秘密裏に回収することに成功した。まだほとんどの人間が、天領窯の最後の窯焚きがとんでもない宝ものを生み出したことを知らない。
「ないのなら、作ればいいんやよ。…金は天下の回りものやし」
焼きあがったボーンチャイナを見て、貞正は息を飲んだ。
その妖しいほどにぬめりを帯びた肌色と、透き通るほどの透明感。既存の磁器ではありえないほどの素地の薄さが生む、まるで器全体が《蛍手》【※注1】で出来ているかのような透明感が、歴然とした質感の差を生んでいた。
「これはまだ未完成品やけど、見る人が見たらその価値がきっと分かる。名古屋まで行けばここなんかとは比べ物にならないぐらいお金持ちの好事家がいるやろうし、…こいつを見せればいくらかの資金は引っ張れると思う」
「…それを売った金で、天領窯を作りなおすというのか」
「窯そのものなら時間をかければそんなにお金がなくたって直せると思う……この金で買いたいのは、天領窯として特別に認められた《窯株》の所有権を得ること。あの西浦円治翁が恵那の五ヶ村から窯株を吐き出させて自らいくつも窯を作ったように」
草太の語る林家興隆の絵物語の熱に当てられたように、祖父は少しだけ口ごもったが、あえて言わねばならぬことだといいたげに、おのれの中の懸念を口にした。
「…天領窯の窯株が特別に認められたのは、江戸の本家の根回しによるところが大きい。美濃焼23筋、23の窯株に、4つの新株が追加されたときも笠松郡代でのご審議はそれはもう難航を極めた。容易に新たな株を許可するようなことはもはやありえぬだろう。江戸の本家が天領窯の権利から手を引けば、その証文は効力を失うやもしれん」
「…窯株として買い取ってしまえば、たしかに危ないと思う」
「では」
「やから、江戸の本家にもかませるし、根本の代官様もかませて既得権益で彼ら自身で《天領窯の株》を守らせる」
前世の経済に身を浸していた草太は、すでに祖父の懸念など飛び越えて、やがて来るだろう、彼しか知らない封建時代の終焉したその先まで見通している。
「《窯株》の権利を、《権利株》として分配すればいい。全体を100株にするなら、うちが51株を押さえた形にもっていく。江戸の本家にも、代官様にも、それなりに配分して利益も分ける。うちの支配権さえ確立していれば問題ないし」
揉め始めている根本の与力衆たちにも、1株ずつ握らせればいい。それで窯が生み出すであろう利益の一部でも投げ与えれば当分は黙り込むだろう。
祖父は驚きも通り越したような面持ちでおのれの孫をただ見るばかりである。江戸期の人間に、すぐにすべてが理解できるわけなどなかった。
祖父はその後、肩をゆすっておかしそうに笑い始めた。そうしてひとしきり笑ったあと、「わかった」と、かわいい孫の突拍子もない提案を形のままに受け入れてくれたのだった。
***
草太の名古屋行きの同行者に選ばれたのは、池田町屋でそれなりに旅人との接触も多い次郎だった。所用でこっそり下街道を使う尾張藩の藩士も多いらしく、木曽屋はその宿として使われることもあるのだと言う。
「池田の木曽屋の旦那といやあ、それなりに顔がとおっとるし、知り合いの商人も何人かおるから任せとけ」
「へー」
「なんや、ぜんぜん信用しとらんな」
「だって、木曽屋さんの、お手伝い……とか、まったく、して、なかった…んやろ? どうやって面識なんか……できた、の」
ぜーはーっ
これはきつい。
侮ってました。内津峠。
池田町屋がなぜ下街道の《宿場町》として発展したのか、いまこの身をもって体験しています。この難所を越えたら、そりゃ休みたくなります。
多治見側から見ると、最初ぐんぐんと海抜を稼いで、頂上にたどり着いたと思った後は、だらだらとアップダウンが続いてなかなか景色がひらけてこない。
(ここ廿原じゃん! 三之倉じゃん!)
こう国道19号線的に、すいーっとまっすぐ上がってかないものか。
どうやら旧19号線どころか、その側道的な峠道が続く。これでも中山道~上街道(稲置街道)経由で名古屋に行くよりぜんぜん短いし楽なのだと言う。上街道どんだけとか言いたい。
乱れた呼吸を整えながら坐り込んでいると、
「ほれ」
次郎が背中を向けてしゃがみ込んだ。
おぶされ、ということなのでしょうか。
「なにむすくれとる。おまえにつきあっとると、日が暮れちまうから仕方なしやぞ」
「いやや。あとでなに言われるか分からんし」
「かわいげのないこといっとらんと!」
客観的に見て、何十キロも歩く道のりを5歳児つれてとか、ちょっと同情の余地がある。自分なら絶対に引き受けないな、うん。
峠の上りが尽きるところまで負ぶってもらうことにした。あくまでそのほうが効率がよさそうだからそうしたまでだがな!
ようやく峠を下り、尾張がわのふもとにある内津神社で道中の安全を祈願する。この神社はなかなかに由緒があるらしく、なんでも大和武尊が知り合いの神様の訃報に接して大泣きした場所なのだそうだ。岩屋の上の方に祠があるらしいが、さすがにそこまで見に行く気にはならない。
そこから幾重にも尾根が入り込んだ山間を下り、やがて眼下に濃尾平野の雄大な地平が視界いっぱいに広がった。
「見ろ。あれが尾張様の城下町や」
下街道が伸びて行くその先にはいくつかの集落が、さらにその先にはぼんやりとかすみの向こうに大きな町並みが見える。
前世的には、この時点で名古屋都市圏のコンクリートジャングルが地上の大半を覆って見えるのだが、さすがにそこまで開発されてはいない。
しかしこの距離からうっすらとは家町並みが分かると言うことは、かなり大きな市街地があるのだろう。
(車なら30分もかかんないんだけどなー)
この短い幼児の足で、一体どれだけの時間を要するのか。
正直涙目の草太だった。
【※注1】……蛍手。素地に透彫(すかしぼり/穴を開けること)を施した後、透明釉をその小穴に充填して焼成する技法。穴がガラスでふさがり、窓のように光を通します。
小説情報を確認するのが怖くなってまいりました(^^;)
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胃が痛くなってきました…