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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【誕生編】
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046 最初の旅立ち






根本代官様の名裁きの元ネタは、落語でもおなじみの『三方1両損』(※注1)いうお噺である。

根本郷の険悪な雰囲気、そして分かりやすい対立の構図を見てすぐに思いついたのがこの『三方1両損』であった。

富(食料)の不均衡が生んだいさかいであるなら、それを解消するのが第一である。しかしながらその『持たざる者たち』に代官所が米を配っても、住民感情は簡単には収まらない状況であっただろう。むしろ一部の者に米を与えたことが新たな依怙贔屓(えこひいき)とみなされ揉め事のタネになることさえ考えられた。

なら、一度全部取り上げて、全員を『持たざるもの』にしてしまえばいい。そののちに富を再分配し、村全体に公平にいき渡らせる。

ここで『三方1両損』に倣うミソは、最終受益者(村人)が結局得をしていることだ。代官所と与力衆がガミをあえて食うことで、没収された量より再分配されたほうが確実に量が多くなるのだ。

副次効果として、憎まれ役であった与力衆が大損することで村人たちの溜飲が下がり、その勧善懲悪の代行者となった代官様の評判が赤丸急上昇することとなる。都合がよすぎるくらいにいいこと尽くめな気がするが、むろん大きなメリットの影に、深刻なデメリットは確実に存在するわけで…。


「まあ恨まれるのは分かっていたが……このままではあまりうまくないな」

「想定済みだし。無問題(モーマンタイ)…」

「もー、まんたい? なんだそれは」

「…えっと、…《史記》とかで司馬遷が使ってる表現?」


適当なことを言ってはぐらかしつつ、おのれの口の軽さに舌打ちしたくなる。司馬遷もずいぶんとくだけた文章を書くようになったもんだ。


「適当なことをいいおって。あえてツッコミはせんが」

「(見抜かれた!)」

「おまえの筋書きはとてもうまく出来ていたが、あれでは一部の富農が大損を食らいすぎだ。備蓄の米を吐き出させられた与力衆が、我らを一刻も早く放逐しようと裏でいろいろと語らっているらしい。他郷とはいえあとあと林家に仇なすようなことになりそうな気配だ」


そうなのだ。

この『三方1両損』のスキームでは、村人に得させるために、『富める者』たる富農と代官所が吐き出し超過でガミを食う形にならざるをえない。代官様は代官所の庫裡から持ちだしただけで実家の懐は痛んでいないからよいとして、与力衆たちは草太の陣頭指揮のもときれいにかっぱいでしまった。それなりによい生活を送っていたその家族たちは、いきなり薄い粥を食えといわれても到底納得などしないだろう。

こういうとき、特にうるさいのは奥方らであったろう。ふがいない旦那をきりきり締め上げる奥向きの情景を想像しただけで、多少なりとも哀れすら感じる。


「…いちおう救済ではじめた例の懸賞付き考査も順調に加熱し始めてるし、そこまで心配することもないんじゃないかなー」

「あの『考査一等、米3俵』か」


感謝して止まない村人たちを帰した後、代官所内で役人たちだけにひっそりと伝えられた隠しイベントは、米を失って憔悴していた与力役人たちを軽い興奮状態へと誘った。

いわく、村をよく建て直し、村人からもっとも感謝された者に米3俵を与えよう。就任より幾年、老獪で扱いかねていた与力衆を思いのままに出来ると聞かされて、代官様は二つ返事で懸賞の米を提供してくれた。眼の色を変えて根本郷復興に奔走し始めた与力衆を見て、代官様はしたり顔であったが…。


「米3俵、ないよりあったほうがいいに決まっているが、しかし所詮たった3俵でどれだけの贅沢が許されよう。せいぜい少し粥の具が多くなる程度に過ぎん」


さすが我が祖父である。

目先の餌がなくなれば、ふたたび彼らの困窮の原因者たる『大原の庄屋一家』は嫉みの対象とならざるを得ないだろう。

じっとおのれの孫を見るその瞳には、根拠のない期待の色が強く含まれている。何か隠し玉でもあるのだろう。その眼はそう語っている。

若干見透かされているようで怖いんだけど。


「隠れ懸賞の米のためとはいえ、村人はそんな裏事情なんて知らないんだから、村のために粉骨するお役人たちを見て素直に感謝を向けると思うし、周囲の賞賛を受ければお役人たちの不満もいくらかは解消されそうなんだけど。…って、そんなにうまくはいかないか、やっぱり…」

「食い物の恨みは根深くなるものだ。あの方たちの心をほどくには、もっと直接的な利益が必要だろう」

「…利益、か」


実は、最悪の展開も考慮して、切り札はひそめていたのだけど。

草太は少し考え込みつつ、心のなかの逡巡と向きあった。

飢えた野良犬に猪肉を投げ与えるようなもったいない真似はしたくなかった。袖の中で磁片を弄りながら、これまで見たこともないような美味なるエサを前に、争うようにがっついてくる他人の姿を思い浮かべた。


(…吐き気がする)


利に聡い人間はそういうことにはことのほかよく鼻が利く。大切な着物を汚い手で触られたようなおぞましい忌避感をあえて脇によけて、草太は考える。

沈思してしばらく。

決意したように、草太は口を開いた。


「彼らには、別口で『儲け話』を持っていけばいいと思う」

「儲け話…?」

「いま考えてることがあって。…たぶん、かなり儲かると思う。ほんの少し、その余禄を与えておけばあのひとたちも静かになるよ」


そのとき草太が差し出して見せたのは、怪しい輝きを含む小さな磁片。

手のひらでやさしく包むようにそれを差し出した草太の様子に、祖父はいぶかしみの眼を向ける。そうしてその眼が、草太の手の上にあるぬめるような白磁の輝きに、思わず見開かれた。

それは美濃焼にそれなりに通暁した大原の庄屋をして、初めて見たといわざるをえない、女人の肌のごときなまめかしさを持った白磁の欠片であった。



***



(お妙ちゃん、オレやってみるよ)


お妙ちゃんの墓には、木切れに文字を書き連ねた卒塔婆が立っている。

慎ましやかな卒塔婆に、玄法和尚が贈った戒名が鮮やかに筆書きされている。

まだ朝もこぬうちにここへやってきた草太は、彼女が埋められた辺りを浅く掘り返し、そこに油紙で包んだ皿を一枚埋めた。それはお妙の取り分である。

やがて遅い朝がやってきて、旅装に身を固めた草太の姿が差し染めた朝日に照らしだされる。


「草太。もう気が済んだろう。早く行くぞ」


彼の後ろで同じく旅装の次郎伯父が、明るくなった空を見上げて白い息を吐いた。促されて、草太はゆっくりと立ち上がった。


「いま埋めたのも、例のやつか」

「アレはお妙ちゃんの分だから。ちゃんと渡しておかないと」

「…どれほどの値がつくともしれんお宝を埋めちまうのか。気が知れんな」


次郎はそう言ったが、その眼は温かな熱を持って変に律儀な甥っ子に向けられていた。


「父上の方の手伝いには兄者が回ったが、おまえでないと何か問題が起きそうだが……まあ好きに動けといったのは父上だしな。ああ見えて食えないタヌキ爺だから何とかするだろうが」

「おじいさまならきっと大丈夫やよ」

「ここにいる子狸もたいがい食えねえが……まあ、そんなことより。ぐずぐずしねえで早く行くぞ。冬の日はあっという間やし1日で着けなくなるかもしれん」

「距離はどのくらいあるの?」

「7里ほどだ」

「目的地は名古屋やよ。7里って、28キロでしょ。そんな近かったかなー」

「池田じゃ尾張まで7里は常識やぞ」

「…時速4キロとして……7時間……ブツブツ」

「ところでその『キロ』ってなんや」

「………」


思わず互いに眼を交わしあい、草太は誤魔化すようにすたすたと歩きだした。

十歩もいかぬうちに、霜柱で足を滑らした。




多治見本郷高帳(享保6年/1721年)には尾張までの里程がこのように書かれている。


『当村より尾州名古屋へ7里御座候』


ちなみに江戸までは100里、大阪までは61里とされている。


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