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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【誕生編】
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041 根本郷の憂鬱






案の定、というか。

対面早々、代官様から切り出されたのは、『助言を求める』という謙虚さでコーティングされた、要は面倒ごとの丸投げであった。


「…林殿に求めるははなはだ筋違い。それを分かった上で申しておるのだ。いったん大原のことは子らに任せて、一時で構わぬ、この頼りがいのない代官を支えてやってはくれぬか」

「重房様…」


どれだけ無策で実行力のない代官だと若干腹立たしく向かえた謁見であったが、坂崎源兵衛重房様……知新館から呼び戻された学究の書生然とした色白の青年は、だいぶんと疲弊してその面から活力を失わせていた。

どうやら彼なりに最大限努力を傾けてはいたらしい。岩村の有名な藩校知新館で蓄えた学識で郷の窮状を回復せんと当初やる気だけはあったらしいのだが、手下の与力役人たちの手綱をまったく統御できなかったようである。おのれの家を優先して直すためにごり押しを始めた有力与力たちに押しきられ、なし崩しに公平を欠く復旧を推し進めてしまったのだ。

しかも役人たちは、喉元過ぎればなんとやらで、自分の家が直るや否や復興活動に消極的になり、上役が見せるそうした利己姿勢が下の者にまで広がってしまった。縁のない村人の家に手をつけるころには組織の力は見事に霧散してしまっていただろう。

これでは何の実績もない書生崩れの若造がどれだけ息巻いたところで、事態はまったく動きもしなかったに違いない。

おそらくやる気はあるのだ、この代官様は。だが、学識はあっても経験が圧倒的に足りない。

さらに深刻なのは、部下をまったく掌握していなかったこと。


「もったいなきお言葉にございます。この貞正、否やはございませぬ」


草太はおよその事情を斟酌しながら、若い代官様とその前に居並ぶ代官所与力の役人たちの顔をややぶしつけに眺めやった。

いろいろな顔があった。

領主の代理人たる代官が庄屋風情に頭を下げざるを得ない現状を前に、冷や汗を掻いて俯く者、顔色を変えて睨んでくるもの、まるで他人事のようにとり澄ましている者などなど、観察するになかなか興味深い面々である。

共通して言えることは、彼らがまったくおのれのしでかした不始末を『まずいこと』と認識していないらしいということだ。

まず、こいつらを何とかしないといかん。病根はここにいる。

草太は前に座っている祖父の足袋の裏をつついた。すぐに気付いた祖父がちらりと目配せするのに、小さく頷いてみせる。


「重房様……わが大原郷は大地震からたった数日で住人すべての住む家を建て直すことができました。しかし実は……こう申し上げてもなかなか信じてはいただけないとは存じておりますが、その復興の指揮を取ったのは、なにを隠そうこちらにおりますわが孫草太めにございました」


ざわっ。

落ち着きなく扇子をもてあそんでいた代官様の動きが止まった。与力役人たちが顔を上げ、広間のなかに『孫』を探す。


「申すことがあるのなら、いまのうちに申せ」


待っていても発言の許可など与えられるわけもない。

そのあたりは祖父も心得ている。草太自身、代官様と面識もすでにあるわけで、周囲が冷静さを取り戻す前にと軽く挨拶から入った。


「先日は代官様のお取り計らいのおかげを持ちまして、天領窯に関わる光栄を拝しました林太郎左衛門貞正が孫、林草太にございます」

「おお、あのときのちんまい童やないか」

「代官様に申し上げます」

「な、なんだ…」

「根本郷に広まりましたる争憂、改めるにはいささか荒療治が必要であると思われます。…すでに隣人が猜疑し合い、わずかな食料を奪い合って暴行さえ横行する状況でございます……ただ正道を説いて歩いたところで誰も聞き入れたりはしないでしょう」


そのときになってようやく代官も草太の頭に巻かれた血のにじむ巾着に気付いたようだ。血の色がまだ鮮やかであったから、それがこの村に入ってからの怪我だということを居合わせたすべての者が理解したことだろう。


「…我が祖父貞正は根本郷とはあまり縁なき大原の庄屋にしか過ぎません。祖父貞正の『声』が代官様の『声』であるという証、…江吉良林家の領地代官所の……できうるなら代官様直々に我が祖父の後ろ立てとなっていただける証明を、認可状として是非にもいただきたいのです」

「……む」


たしかにいま根本郷で淀んでいる不穏な空気は、容易く余所者を排斥する暴力となって彼ら大原の協力者たちを追い出してしまうだろう。そんな不埒な農民を取り押さえるために、代官所の役人の手を借りたいということなのであろう。

発言者の年齢が引っかかるところだが、道理は通っているので代官も思案顔になる。

もう一押しか。


「このお屋敷に篭って代官様のお耳元でいちいちささやいてもよろしいのですが、それでは心労を溜められたご様子の代官様をまたいたずらに煩わせることになるやもと……いらぬ心配ではございましょうが…」


くたびれ果てている代官様の急所を容赦なく突く。

どうせこちらに丸投げして、そのあと惰眠の誘惑に身を投げ出す気満々に決まっているのだ。

上位の指揮権が与えられなければ、祖父はいちいち代官様のご機嫌をうかがいつつ命令という名の言質を取ってゆかねばならない。これはこちらも大変なことなのだが、ひたすら休養に入りたい代官様にとってもあまりうれしい状況ではなかったろう。


「そうやな。そのほうが林殿も腕を振るいやすかろうし、効率もええ。…誰か硯を持て!」


与力の一人が廊下に控えた下役人に口伝で伝えると、あわただしく廊下を駆ける音とともに文机ワンセットが持ち込まれる。

ひそひそ。

与力たちは扇子で口元を隠しながら小声でさえずっていたが、特段村人たちを取り押さえるのに彼らが出張ることなどあり得ないとたかをくくっているのだろう。すらすらと認可状を書きつける代官様を止めるようなものはひとりもいない。

書きつけられた認可状を祖父が一読して、さらに草太へと回してくる。

書いた本人の前で少し礼儀がなってないように思われたが、修正してもらうのは今をおいてないのでこれは仕方のなかったことなのかもしれない。


「あの、最後に一文をこのように追加していただけませんでしょうか…」


書きかけの認可状を祖父に返すと、それは代官様の手元へと回っていく。ちょっと不機嫌そうになっているが、祖父の取り澄ました顔をチラ見して代官様は口をへの字にゆがめた。


「『この書状を持つものの命は、まさに代官の命と等しくあると心得よ』」

「…心得よ、と。これでよいか?」


差しだされた書状を再び確認して、草太は了承の意を伝えた。

これでこの認可状を持つ人間は、根本代官の代理人となりうる。

草太は根本郷復興のプランをつらつらと考えていたが、この認可状があるのとないのとではミッションコンプリートの難度がEASYとHARDぐらいに開きがあるだろう。まずは手に入れただけよしとしておこう。

これで仕事は終わったとばかりに与力役人たちが座を立ち始めたが、草太はじっと坐ったままだ。

認可状を懐に納める祖父の耳元に口を寄せて、


「代官様を捕まえて」


そうつぶやいた。


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